depuis 2001
フランス国鉄 SNCF Société nationale des chemins de fer françaisとパリ警視庁 Préfecture de police のロゴ Logo 。
パリ警視庁のロゴにはパリの市章が使われている。
パリ・ノルド駅で見かけた。
パリ警視庁はグラン・パリ計画に基づきヴァンセンヌも所管 (2009) している。
グラン・パリ Métropole du Grand Paris (2016) には131のコミューンが属している。
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フランス国鉄 SNCF Société nationale des chemins de fer françaisとパリ警視庁 Préfecture de police のロゴ Logo 。
パリ警視庁のロゴにはパリの市章が使われている。
パリ・ノルド駅で見かけた。
パリ警視庁はグラン・パリ計画に基づきヴァンセンヌも所管 (2009) している。
グラン・パリ Métropole du Grand Paris (2016) には131のコミューンが属している。
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サン=ジャック通り30 番地のアッベ・グレゴワール地域専門高校 Lycée Professionnel Régional Abbé Grégoire に見られるパリの市章。1861 年のものなのでレジョン・ドヌール勲章 等は付いていない。帆は3枚。オークが右、ゲッケイジュが左になっている。下の五芒星?
サン=ジャック通り26 番地のサン=ジャック小学校 Ecole Elémentaire Saint-Jacques にあるパリの市章。レジョン・ドヌール勲章 Ordre national de la légion d’honneur と第一次大戦の十字 Croix de guerre 1914-1918 が付いている。帆は2枚。FR はフランス共和国。
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バルザック通りに貼られた銘板にあるパリの市章 (1894) 。当時使用されたパリ市のロゴと言った方が正確だが。
バルザック Honoré de Balzac (1799-1850) が購入し (1846) ここで亡くなったバルザックの屋敷 Maison de Balzac は取り壊され、オテル・サロモン・ド・ロートシルト Hôtel Salomon de Rothschild の一部になってしまっている (1890) 。
「人間喜劇」の作者、オノレ・ド・バルザックがここで幕を閉じたことを示すこの銘板とバルザック通り Rue Balzac の名に往時が偲ばれる。また、右に進んだところのジョルジュ・ギヨマン広場 Place Georges Guillemin にバルザックの像 Statue Honoré de Balzac が置かれている。
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パリ市章の盾 (シールド) に使われる「揺蕩えるガレー船」を組み込んだ盾を紋章にしたのはパリの大司教を務めたヴェルディエ枢機卿 Le cardinal Verdier (1929-40) 。盾を飾る総主教十字と左右15個の飾り房 付きの帽子は枢機卿であることを示す。フルール・ド・リスの位置にアヴェ・マリアのモノグラム AM と2つの六芒星 。
彼の任期中に竣功したサン・ピエール・ド・シャイヨ教会 Église Saint-Pierre de Chaillot (1938) の正面にある。62mの尖塔はランドマーク。
エミール・ペイノー Émile Peynot (1850-1932) 作のパリ市章 Les Armes de Paris (1900) 。
左下に彼の名が彫り込まれている。帆船 (ガレー船) の帆は一枚。
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パリの水道はオー・ド・パリ Eau de Paris によって供給されている。公共の場に置かれた寄付によるウォレスの噴水 Fontaine Wallace 、の普及版としてパリ市が公園等に設置している水道栓 Fontaine でパリの市章が刻まれている。旧サン=マンデ Saint-Mandé のガス工場跡に設けられたサラ・ベルナール公園 Square Sarah Bernhardt の例。
Eau de Paris のロゴがあり、「この噴水はセーヌ川とマルヌ川の水を浄化したもの」と案内している。噴水の半分程度が地下水なので、地下水でないことを明示しているのかもしれない。
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ド・ゴール将軍が臨時政府の帰還とパリ解放の演説を行った ( Le 25 août 1944 ) パリ市庁舎前広場での記念行事 (2018年8月25日) で使われていたパリの市章。このデザインは初めて見た気がした。
Fluctuat Nec Mergitur:揺蕩えども沈まず。
レジョン・ドヌール勲章 Ordre national de la légion d’honneur (中央) 。
解放勲章 Ordre de la Libération (ロレーヌの十字 Croix de Lorraine ) (左) 。
第一次大戦の十字 Croix de guerre 1914-1918 (右) 。
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メトロ1号線の Reuilly – Diderot 駅近く、ルイイ通りに面したルイイ幼稚園上方にパリ市章。
マストは3本。
男女別のルイイ小学校の建物かと‥
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パリ市庁舎 Hôtel de Ville de Paris (1882 再建) の中央、時計の上に置かれたパリ市の寓意像「銃と月桂樹の小枝を持ち船に腰掛けたマリアンヌ」Ville de Paris とその上のペディメントに置かれた「パリ市章」。
3本マストの帆船。<揺蕩えども沈まず>のリボンは市章の下に。月桂樹の小枝が左に、オークの小枝は右に。慎重と警戒 Prudence et Vigilance の寓意像が市章を支える。
肉眼では見えにくい。
台風21号接近中。
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ド・ゴール将軍が臨時政府の帰還とパリ解放の演説を行った Le 25 août 1944
パリ市庁舎前広場での記念行事 (8月25日) に掲げられた垂れ幕。
青と赤の「パリ市旗」に「パリ市章」を染め込んである。
思えば、パリ市旗にお目にかかった覚えがない。
人権宣言 (人間と市民の権利の宣言:1789) を起草したラファイエットが間に王の白を挿んでフランス国旗にしたとされる。
この左方 (上席) にはド・ゴール将軍率いる自由フランスや前日の24日にレイモンド・ドローヌ Raymond Dronne 大尉を入市させたルクレール少将 (将軍) 率いる第二機甲師団が用いた「ロレーヌの十字」の垂れ幕が掛けられていた。剣と盾を伴っているのは抵抗のシンボルであるジャンヌ・ダルクを想起させる。
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フラン・ブルジョワ通り Rue des Francs Bourgeois から<カルナヴァレ美術館>の中庭 Jardin de l’hôtel Carnavalet が見れる門扉 (本来の正面玄関) のデザイン。
外周に見られるモノグラムは全てヴァロア朝のアンリ2世に纏わるもので、
H はアンリ2世、C は王妃カトリーヌ・ド・メディシス、
D は愛人ディアーヌ・ド・ボワチエ Diane de Poitiers の頭文字。
また、三日月三つ はアンリ2世が用いた (ヴァロア・アングレーム家の) エンブレムだ。
門扉のアーチ部の中心にパリの市章が付けられていて、フランス革命 100周年の 1889年が刻まれている。
Hôtel Carnavalet はパリ市議会議長の Jacques de Ligneris が 1548~60 年に屋敷として建てたものだが、アンリ2世の治世 (1547-59) 下にあった。モノグラムはそのためだろうと思われる。オスマン男爵 (セーヌ県知事) の勧告で 1866年にパリ市が買収した。
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共和国防衛隊 バビロン兵舎 のウディノ通り Rue Oudinot 側から見えるパリ市章。
レジョン・ドヌール勲章 Ordre national de la légion d’honneur と第一次大戦の十字 Croix de guerre 1914-1918 が付いている。
帆が 1枚の帆船を描いたシールドの上に<揺蕩えども沈まず Fluctuat Nec Mergitur>とあり、オークとローラス (月桂樹) で飾られている。ヘッドは城壁。
兵舎 E 棟、Capitaine Grincourt の中庭。
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クロヴィス通り13番地のアンリ4世高校の建物に見られるパリの市章。帆は一枚。
王の紋章が下の左右に付いている。
クロヴィス1世はメロヴィング朝フランク王国の初代国王 (在位:481-511) 。パリを首都とし(508)、サント=ジュヌヴィエーヴ修道院の基を築いた。リセアンリ4世のこの建物の右側にあるクロヴィス塔 Tour Clovis はその遺構だ。
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映画の広告等で見かけるパリの広告塔<コロンモリス Colonne Morris >に付けられたパリの市章。
パレ・ブロンニャール前のブルス広場に置かれたコロンモリスにはこの時、「パリ夏祭り Festival Paris quartier d’été 2014 」(7月14日~8月15日) の広告が貼られていた。が、これだけではプログラムは分からない。
両替のメルソン Merson はヴィヴィエンヌ通りの右奥。
12/07/2014.