アルコル橋 から ノートルダム大聖堂 を臨む

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シテ島を囲むセーヌ川の右派流に架かるアルコル橋 Pont d’Arcole から見たノートルダム大聖堂 Cathédrale Notre-Dame de Paris。北塔の向こうの南塔とが重なって見えている。2019年4月の火災の痕跡はここからでは分からない。
右側の建物はオテル・デュー・ド・パリ Hôtel-Dieu de Paris (651 , 1878) でパリ最古の病院。アルコル橋 (1856) はセーヌ川に初めてワンスパン (80m) で架けられたアーチ橋。

Pont d’Arcole / Cathédrale Notre-Dame de Paris / Hôtel-Dieu de Paris

エッフェル塔百態 160 ジョジャード門

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ルーヴル宮フロール翼に入っているエコール・ドュ・ルーヴル École du Louvre の入り口:ジョジャード門 Porte Jaujard 前からのエッフェル塔。
門前一対のライオン像はオーギュスト・カイン Auguste Cain (1821-94) の作品。カルーゼル広場にはマイヨール作の<着衣のポモナ  Pomone drapée (1921)> 、<横たわった若い女性 Jeune fille allongée (1921)>、<苦痛 Douleur (1922)> (左から) 。
ジャック・ジョジャード Jacques Jaujard (1895-1967) は第二次大戦中のルーヴル美術館長で、ドイツ軍がパリに入る前に美術品を避難し、護り切った。それを顕彰して命名された。

Porte Jaujard / École du Louvre / Palais du Louvre / Tour Eiffel / Place du Carrousel

レンヌ包囲 に耐え抜いた ベルトラン・デュ・ゲクラン

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<ベルトラン・デュ・ゲクラン Bertrand du Guesclin の死>。ゴブランのタピスリーで1994年のブルターニュ議会宮殿 火災からの唯一の生き残り。エドゥアール・トゥードゥーズ Edouard Toudouze (1848-1907) が描いた原画 (1904) はレンヌ美術館にある。
サン=マロで英仏海峡に注ぐランス川中流の町ディナン近郊生まれのベルトラン・デュ・ゲクラン (1320頃-80) は百年戦争 Guerre de Cent Ans (1337-1453) 初期、ブルターニュ継承戦争 (1341-65) において、イングランドのランカスター公による「レンヌの包囲 (1356-57)」を籠城で耐え抜き、シャルル5世の信任を得た。即位 (1364) 後は王に仕え、コネタブル Connétable de France として各地で活躍しブルターニュをはじめ失地の回復に貢献した。王命によりサン=ドニ教会に埋葬され、シャルル5世の足下に彼の石棺はある。
紋章は双頭の鷲に細いバンド Cotice 。上隅にフランス王とブルターニュ公国の紋章。遺骸の両脇に Bertrand du Guesclin  connétable de France  のリボン。上に不滅・永遠のヤシの葉。・・

La mort de Duguesclin. Tapisserie des Gobelins / Palais du Parlement de Bretagne / Rennes

ブルターニュ議会宮殿 / レンヌ

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フランス革命までブルターニュ議会のあった (1618-1790) ブルターニュ議会宮殿 Palais du Parlement de Bretagne 。1804年以降、レンヌ控訴裁判所 Cour d’appel de Rennes として使用されている。
バロック古典主義建築で、1994年の火災後に復元された痕跡が明らか。中央の時計は日時計だが、曇天のため時刻を窺うことはできない。

Palais du Parlement de Bretagne / Cour d’appel de Rennes / Rennes

ブルターニュのアンヌ女公 と シャルル8世 の結婚式

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<ブルターニュのアンヌ女公 と シャルル8世 の結婚式>。ゴブランのタペストリーの原画はエドゥアール・トゥードゥーズ Edouard Toudouze (1848-1907) が描いた (1907) 。
レンヌ Rennes にある(旧) ブルターニュ議会 Palais du Parlement de Bretagne で観れるが、火災で焼失した (1994) タペストリーの原画を再現したもの。
アンヌ・ド・ブルターニュ Anne de Bretagne (1477-1514) はブルターニュ公国の拠点であるナントのブルターニュ公爵城でフランソワ2世の子として生まれ、幼くしてブルターニュ女公となった (1488‐1514) 。
が、ブルターニュ公国の継承を巡る争いから政略的にマクシミリアン1世 (神聖ローマ帝国皇帝) と結婚 (1490) 、フランス王シャルル8世と再婚 (1491) 、ルイ12世と再再婚 (1499) した。
ブルトン人の独立確保のための戦いの人生だった。

Mariage d’Anne duchesse de Bretaigne & de Charles VIII (1907) / Edouard Toudouze (1848-1907) / Palais du Parlement de Bretagne / Rennes

レジオン・ドヌール勲章 グランクロワのバッジ

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レジオン・ドヌール勲章のグランクロワのバッジ Plaque de grand’croix de l’ordre de la Légion d’honneur 。レジオン・ドヌール博物館で観れる。
航空機製造会社の創設者 マルセル・ダッソー Marcel Dassault (1892-1986) が授与された (1956) バッジをヴァンクリーフ&アーペルに複製させたもの。目が眩む輝き。
共和国の象徴である「マリアンヌ Marianne」と「フランス共和国 République Française」と「名誉と祖国 Honneur et Patrie」の刻印。後者は勲章のモットー。

Plaque de grand’croix de l’ordre de la Légion d’honneur / Musée de la Légion d’honneur / Marianne

パリの建物 41 パリ高等裁判所

新しいパリ高等裁判所 Tribunal de Paris (2018) をトラム3号線 T3b のポルト ド クリシー Porte de Clichy  駅から見たところ。周辺の再開発は今なお進行形。
Tramway はパリの環状道路:ブルヴァール・デ・マレショー (元帥大通り) Boulevards des Maréchaux を走る。案内板にポルトド ヴァンセンヌ Porte de Vincennes 行き 7分後、17分後と表示。トラムは右側通行なので左から入線する。

Tribunal de Paris / Tramway T3b / Porte de Clichy

人間と市民の権利の宣言              自由・権利の平等と無罪の推定 パリ高等裁判所入り口

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バティニョールに移転したパリ高等裁判所 Tribunal de grande instance de Paris に入ったところの左右の壁面にフランス革命の人権宣言:人間と市民の権利の宣言 Déclaration des Droits de l’Homme et du Citoyen (1789) の1条と9条が記載されている。
第1条 (自由・権利の等) 人は自由で権利において平等なものとして生まれ生存する。
第9条 (無罪の推定) 何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される。

Les hommes naissent et demeurent libres et égaux en droits.

Tout homme étant présumé innocent jusqu’à ce qu’il ait été déclaré coupable.

メモリーを 16GB に増設した。

パリ動物園の シロサイ

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パリ動物園 Parc Zoologique de Paris の全面リニューアル5周年の今夏、お目当てで訪れたシロサイ。二頭ともオスのワミ君とアンガス君 Wami et Angus 。大きい方がワミ君のようです。

Wami et Angus / Rhinocéros blanc / Parc Zoologique de Paris

スコットランドヤード New Scotland Yard

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手前のテームズ川沿いのヴィクトリア・エンバンクメントに面したロンドン警視庁 New Scotland Yard (2016:3回目の移転) 。右側の建物は国防省。間を真直ぐ抜けるとダウニング街10番地:首相官邸の真ん前。

New Scotland Yard / Metropolitan Police / Victoria Embankment / London

ダウニング街10番地 10 Downing Street 入口ゲート

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英国の首相官邸:ダウニング街10番地 10 Downing Street のホワイトホール Whitehall に面した入口ゲートから。
この日 (2019.08.03.) は自転車天国の日。パリの Vélib をモデルにしたSantander Cycles (2010) はボリス・ジョンソン  Boris Johnson 首相がロンドン市長の時に推進した。ボリス・バイクと愛称されているとか。

10 Downing Street / Whitehall / Santander Cycles (2010) / London

ロートレックの “ホイール La Roue” サンパウロ美術館

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La Roue (1893) / Museu de arte de São Paulo / Grand Palais

グラン・パレにて開催中の “トゥールーズ=ロートレック 断然モダン展”  Toulouse-Lautrec / Résolument Moderne で鑑賞できた サンパウロ美術館所有の<ホイール La Roue (1893)>  です。段ボール紙に油彩です。
足を挙げた踊り子のスカートがホイールか車輪のように見えます。ドガの影響を受けているかなと思ったりしました。

大久保通り~職安通り 山手線沿いの特別区道概成

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用地買収難航により30年以上かかった大久保通り~職安通り 山手線沿いの都市計画道路補助72号線 (特別区道 21-580 (大久保通り~靖国通り))の2車線化がもう一息。半年ぶりに歩いてみた。職安通りとの取り付けが工事中でまだ一方通行だが。電線は地中化。
正面に西戸山タワーホームズ (1988) が。左側に山手線、埼京線、西武新宿線の線路、案内標識が示す大久保通りの左に JR 新大久保駅。

都市計画道路補助72号線 (特別区道21-580) / 西戸山タワーホームズ

幻のラグビー ”イングランド v フランス” 戦チケット

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関東・甲信から東北にかけて大災害を惹き起こした台風19号 (ハギビス/Hagibis) の接近により、ラグビーワールドカップ2019 の予選の好カードだった 「イングランド v フランス」戦は開催中止となりました。これはその時のチケットです。
被災された方々にお見舞いを申し上げます。

Rugby World Cup 2019

シャンティイの ”馬の博物館” で見たカルーゼル

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回転木馬:メリーゴーラウンド:カルーゼル Carrousel は蒸気機関を動力として1860年頃にフランスで初めて作られたとされている。日本と同じで反時計回り。
パリ郊外のシャンティイにある<馬の博物館 Musée du Cheval>に展示されているカルーゼルはまるで芸術品。

Carrousel / Musée du Cheval / Chantilly

Carrousel / Musée du Cheval / Chantilly

ゴーギャンが模写した マネのオランピア

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エドゥアール・マネの熱烈な崇拝者だったポール・ゴーギャンが模写したマネのオランピアCopie de l’Olympia de Manet (1891) 。個人蔵 Collection particulière 。
リュクサンブール美術館で公開されると直ちに模写した。左下に D’après Manet / P. Gauguin とサインがあるのだが・・
その後間もなくタヒチに旅立つのだが、この作品の写真だけは携行したという。オランピアへの想いも尋常でなかったようだ。
オルセー美術館で催された<黒人モデル / ジェリコーからマティスまで Le Modèle Noir de Géricault à Matisse> 展にて (2019.07.07.) 。

Copie de l’Olympia de Manet (1891) / Paul Gauguin (1848-1903) / Collection particulière

エドゥアール・マネ Edouard Manet (1832-83) の<オランピア Olympia (1863)>

Olympia / Edouard Manet / Le Modèle Noir de Géricault à Matisse / Musée d’Orsay

 

マザランの慰霊碑 / フランス学士院

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Cénotaphe de Mazarin / Coupole de l’Institut de France / Chapelle du collège des Quatre-Nations

現在フランス学士院として使われているジュール・マザラン Jules Mazarin (1602-61) が創設した (旧) 大学 Collège des Quatre-Nations の礼拝堂にマザランの慰霊碑 (墓所) はあります。
リシュリュー枢機卿・宰相の後任として実質上の宰相であったマザラン枢機卿はソルボンヌの礼拝堂に墓所を持った先任に倣って自ら大学を創設したとも伝えられているようです。
棺の上にマザラン像とファスケス Faisceau を抱く天使。頂部にマザラン枢機卿の紋章。シールドにあるマザリンの紋章はファスケスに3個の五芒星。

フランス学士院 の ナポレオン1世像

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フランス革命後ナポレオン1世はルーヴル宮にあったフランス学士院をマザランの創設した大学 Collège des Quatre-Nations に移転しました (1805) 。         フランス学士院

Napoléon empereur (1807) / Philippe-Laurent Roland (1746-1816) / Coupole de l’Institut de France

大学の礼拝堂だったクーポール (丸屋根) のニッチにナポレオンの全身像が置かれています。フィリップ=ローラン・ローランド Philippe-Laurent Roland (1746-1816) の作品<Napoléon empereur (1807)>です。
頭に月桂冠、ミツバチ模様のコートを着、レジオン・ドヌール勲章を付けた鷲のネックレス、左手に王杖、右手に月桂樹の花輪を持っています。花輪を置いた台座にはローマ神話で「知恵と戦略の女神ミネルヴァ Minerve 」の浅浮彫が・・
ミツバチ、鷲は皇帝ナポレオンの属性です。

”パリ消防旅団” の河川救助部隊基地 CS La Monnaie

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パリ消防旅団 Brigade des sapeurs-pompiers de Paris の河川救助部隊基地:CS ラモネ Centre de secours La Monnaie  (セーヌ川左岸コンティ通りにある造幣局 La Monnaie に因んで) が画面下に見えています。パリ消防のロゴ Logo des Pompiers de Paris も。
セーヌ川に突き出ているのがシテ島の下流端で、2段の高水敷になっています。アンリ4世の愛称:伊達男 / ヴェール=ギャラン Vert-Galant という名の公園です。右岸左の建物はルーヴル美術館の東端 ペロー コロネード Colonnade de Perrault です。

Centre de secours La Monnaie / Brigade de sapeurs-pompiers de Paris / Square du Vert-Galant / Colonnade de Perrault / La Seine

 

ロートレックの石版画 ” 放蕩 ”

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三色三枚の石版を使って作成された石版画 (リトグラフ)<放蕩 Débauche (1896)>。
フランスの国旗のようにデザインされているように見える。放蕩しているのは画家・イラストレーターでトゥールーズ=ロートレックの親友だったマキシム・デトマス Maxime Dethomas (1867-1929) 。グラン・パレにて。

Débauche (1896) / Toulouse-Lautrec (1864-1901)

ブタペスト美術館から ロートレックの “食堂の女性達”

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ブタペスト美術館 Szépművészeti Múzeum 所蔵のロートレックの <食堂の女性達 Ces dames au réfectoire (1893-94)>をグラン・パレで開催中の「トゥールーズ=ロートレック断然モダン展」で観ることができた。(30年近く前ブタペストを訪れた時に観た気がするが・・)
高級売春宿「ムーラン通り Rue des Moulins / 白い花 La Fleur blanche」の食堂での作品。
三人の女性は<ムーラン通りのサロン Salon de la rue des Moulins (1894-95)>の二人と<長椅子 Le Divan (1893頃)>の女性と思われます。前者の二人は同じ衣装を着けていることから愛人関係にあることを匂わせています。背後の鏡と左に他の二人、合わせて五人の女性が描かれています。

Ces dames au réfectoire (1893-94) / Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Szépmuvészeti Muzéum (Budapest)

フランス学士院から見た 秋のセーヌ川

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La Seine / Institut de France / Pont des Arts / Quai de Conti

フランス学士院の中から見たセーヌ川の秋の風景です。
セーヌ川に架かる人道橋のポンデザール Pont des Arts とカルーゼル橋が見えています。
右岸の建物はルーヴル美術館です。

フランス最古の公共図書館:マザラン図書館

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Bibliothèque Mazarine

ルイ14世の摂政:オーストリアのアン / アンヌ・ドートリッシュ Anne d’Autriche を補佐したマザラン枢機卿 (1602-61) が私的に開設し学者等に解放した図書館に起源 (1643) を持つ。
マザラン図書館 Bibliothèque Mazarine の閲覧室の様子。

ムーラン・ルージュにて / トゥールーズ=ロートレック

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シカゴ美術館所有の<ムーラン・ルージュにて Au Moulin-Rouge (1892-95)>にはトゥールーズ=ロートレックお気に入りの女性達と男性のお友達 (評論家、写真家、画家等) が描かれている。コートールド美術研究所での「ジェーン・アヴリル展 (2011) 」でも機会があった。
中央に後ろ向きのジェーン・アヴリル Jane Avril 、後方にやはり後ろ向きのラ・グーリュ La Goulue とレスビアンの友人ラ・モム・フロマージュ la Môme Fromage 、右端にイギリス人ダンサーのメイ・ミルトン May Milton とテーブルにスペイン人ダンサーのラ・マカロナ La Macarona の5人。後方にロートレック自身がいる。

Au Moulin-Rouge (1892-95) / Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Art Institute of Chicago

パリ万博 1900 の遺産 / アレクサンドル3世橋を中心に

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アンヴァリッド元駅舎にあるフランス料理店 Chez Françoise を出て、パリ万博 1900 の遺産を展望した。セーヌ川に架かる「アレクサンドル3世橋」を渡って右岸に、国旗がはためく「グラン・パレ」の左に「発見の殿堂」、右に「プチ・パレ」(右端樹々の間)、左岸には「アンヴァリッド元駅舎」(階段の右)」と「アンヴァリッドの遊歩道」。すべてこの時の遺産だ。

Patrimoine de ‘Paris Expo 1900’ / Pont Alexandre III / Grand Palais / Petit Palais / Palais de la Découverte / Esplanade des Invalides

旬の ジロールダケ Girolle を味わう / Chez Françoise

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Girolle

パリ万博 1900 のための鉄道駅:アンヴァリッド駅として建設され、現在エールフランスが使用している元駅舎にあるフランス料理店 Chez Françoise で旬のジロールダケ Girolle を食した (2019.08.19.) 。

 

 

Chez Françoise

Chez Françoise 店内の様子。

東隣に外務省、国民会議があり、関係者の利用も多いとか。

ムーラン通りのサロン / トゥールーズ=ロートレック

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トゥールーズ=ロートレックが足繁く出入りしていた高級売春宿「ムーラン通り Rue des Moulins / 白い花 La Fleur blanche」のサロンをキャンバスに油彩で描いた作品<Salon de la rue des Moulins (1894-95)>です。
中央の女性がロートレックお気に入りのミレイユでその右が女主人:マダムです。アルビ Albi のトゥールーズ=ロートレック美術館が所有。
ブラジルから来た ロートレックの「長椅子 Le Divan」の背景を見ると、同じ長椅子を描いているようです。

Salon de la rue des Moulins (1894-95) / Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Musée Toulouse-Lautrec