ジュール・フェリー広場の北端:レピュブリック広場からのフォーブール・デュ・タンプル通り Rue du Faubourg du Temple がサンマルタン運河を横切る位置に、 Jean-Bernard Descomps (1872-1948) 作の<ラ・グリゼットの石像 La Grisette de 1830>が置かれている。 グリゼットは19世紀に衣服工房で働き、灰色のブラウスを着た貧しい若い女性に付けられた名前でブルジョワの性的対象だった。 注文品を徒歩で届ける若い女性:トロティン Trottin の様にも見えるとか。
ナポレオン1世がアウステルリッツの戦いの勝利を記念してシャルル・ペルシエ Charles Percier とピエール・フォンテーヌ Pierre Fontaine (1762-1853) に制作させた「カルーゼルの凱旋門Arc de Triomphe du Carrousel (1806) 」の前にフランソワ・ジェラール Antoine-François Gérard (1760-1843) による二つの彫像、右に<勝利を収めたフランス La France victorieuse (1809)>と左にそれを記録する<歴史 L’Histoire>。
メナール侯爵 Marquis de Ménars (1727-81) はルイ15世の公妾として有名なポンパドゥール侯爵夫人の弟。
この<ルイ16世の胸像 Buste de Louis XVI (1777)>はルイ16世 (在位:1774-92) がメナール侯爵に贈った自らの胸像。S.M=Sa Majesté (陛下)。
オーギュスタン・パジュー Augustin Pajou (1730-1809) の作品。
エリゼ宮に近いブリストル・パリ Le Bristol Paris のロビーに置かれている。
メナール侯爵のコレクションはポンパドール侯爵夫人から引き継いだものを含め死後に散逸したらしい。
シャンティイ城 Château de Chantilly を護るスフィンクス。ニコラス・クストゥ Nicolas Coustou (1658-1733) の作品 (1707) のコピーとして、アントワーヌ・ワトリネル Antoine Watrinelle (1828-1913) が制作した<Sphinge (ou chimère) (1886)>。
フランス革命中に破壊されたオリジナルを復元したもの。スフィンジ/スフィンクスは、女性の胸像とライオンの体と鷲の翼を持つ怪物としてオイディプスの神話に登場する。
ルーヴル宮フロール翼に入っているエコール・ドュ・ルーヴル École du Louvre の入り口:ジョジャード門 Porte Jaujard 前からのエッフェル塔。
門前一対のライオン像はオーギュスト・カイン Auguste Cain (1821-94) の作品。カルーゼル広場にはマイヨール作の<着衣のポモナ Pomone drapée (1921)> 、<横たわった若い女性 Jeune fille allongée (1921)>、<苦痛 Douleur (1922)> (左から) 。
ジャック・ジョジャード Jacques Jaujard (1895-1967) は第二次大戦中のルーヴル美術館長で、ドイツ軍がパリに入る前に美術品を避難し、護り切った。それを顕彰して命名された。
グラン・パレ ナショナルギャラリーの入り口バルコニーから<水鏡の泉 Fontaine Miroird’eau>とプラタナスに隠れて夏には見えない<ロン・ポワン劇場 Théâtre du Rond Point>を見れました。
水鏡の泉は<セーヌ川とその支流 la Seine et ses affluents >の水でできた水面を鏡に見立てた泉 (噴水) で、アール・ヌーヴォーの彫刻家 Raoul Larche (1860-1912) の作品です。セーヌと9支流の寓意像を3つのグループにして鏡の額縁を飾るデザインになってます。
劇場の向こうにシャンゼリゼ大通り、泉との間にアイゼンハワー将軍 (ジェネラル・アイゼンオウエ) 大通り Avenue du Général Eisenhower 。
1774年はマリー・アントワネットが女王になった年。その年の彼女の胸像<Marie-Antoinette (1755-1793) , reine de France en 1774>の制作を1781年にヴェルサイユの外務省がルイ=シモン・ボワゾ Louis Simon Boizot (1743-1809) に命じた。1781年は待望の王太子ルイ=ジョゼフ・ド・フランス Louis-Joseph de France が誕生した年だ。
ルーヴル美術館にて。
版画家の妹、Marie-Louise-Adélaïde Boizot (1744-1800) もこれを版画<Marie Antoinette d’Autriche , Rein de France>(1781) にしている。
フランスのストリートアーティストでありビジュアルアーティストの Pimax (1975-) の作品が Le Village Royal に登場した。代表作<トマトスープ Tomato soup XL>、<Love Heart>の奥に彼のキャラクターフィギャーである<Nourf>君。左上軒下にも絵が・・。
グランダルシュ Grande Arche de la Défense のあるラ・デファンスからパリの凱旋門 Arc de Triomphe に向かって続く人工地盤シャルル・ド・ゴールの遊歩道 Esplanade du Général de Gaulle の終端にあるバッサン・タキス Bassin Takis 。Takis (1925-) の作品、Le Bassin (1988)。
水煙の合間、エトワールの凱旋門を見通せる瞬間をとらえた。
下にメトロ1号線の Esplanade de La Défense 駅とシャルル・ド・ゴール大通り。
パリ最古の広場:ヴォージュ広場 Place des Vosges (1605-12) からローマ街道以来のパリの東西軸サン=タントワーヌ通り Rue Saint-Antoine に面したシュリー館 Hôtel de Sully への連絡通路。オテル・ド・シュリー庭園 Jardin de l’Hotel de Sully が見えている。
すぐ右にあるギャラリー< Galaxie des Arts >の展示品が・・ジャン= フィリップ・リシャール Jean-philippe Richard (1947-) の作品: Clara (左) と Manon (右) 。女性の名前を付けた作品で有名。ナンシー・クリスタルの ドーム Daum のアーティストでもあって Charlotte (2007) は特に人気作という。
アンリ2世の時代のルーブル宮建設 (レスコー翼) で造られた<アンリ2世の階段 Escalier d’honneur> (右側) を上り切ったところにあるアンリ2世 Henri II とディアーヌ・ド・ポワチエのモノグラム HD 。
王妃 Catherine de Médicis の C ではなく、愛妾だった Diane de Poitiers の D に見える。
フランスルネサンスの記念碑とされる階段の天井にもディアーヌ・ド・ポワチエを暗喩するアンリ2世のアンブレーム:三日月がある。Jean Goujon (1511-67) の作品 (1555-56) 。
ドラゴンを殺す大天使サン=ミッシェルのメダリオンを吊るした、飾り紐とサンジャック (モン・サン=ミッシェルへの巡礼者の象徴) が交互のネックレス:サン=ミッシェルの勲章 Ordre de Saint-Michel 。
王冠と勲章で飾られた盾にHD 。HD の代わりにフルール・ド・リス3ツが入ったのがアンリ2世が用いた王の紋章。
アンリ2世の愛妾 (1538-59) ディアーヌ・ド・ポワチエ Diane de Poitiers (1500-66) と王妃カトリーヌ・ド・メディチ Catherine de Médicis (1519-89 : 在位 1547-59) との確執はシュノンソー城 Château de Chenonceau の例が象徴的だが、明確に HD ⇒ HC への書き換えにも執着したというのだが・・
ナシオン広場のヴァンセンヌ側に隣接する王座の広場にあったフェルミエー・ジェネローの城壁 Mmur des Fermiers généraux の王座の関税徴収所の円柱 Colonnes de la Barrière du Trône の頂部の一つに置かれているサン=ルイ (ルイ9世) の立像。
十字軍 (第7回、第8回) の出で立ちで、胸には十字、腰にはサン=ルイの用いたフランス王の紋章の盾が。
Antoine Étex (1808-88) の作品 (1845) 。
パリ市庁舎 Hôtel de Ville de Paris (1882 再建) の中央、時計の上に置かれたパリ市の寓意像「銃と月桂樹の小枝を持ち船に腰掛けたマリアンヌ」Ville de Paris とその上のペディメントに置かれた「パリ市章」。
3本マストの帆船。<揺蕩えども沈まず>のリボンは市章の下に。月桂樹の小枝が左に、オークの小枝は右に。慎重と警戒 Prudence et Vigilance の寓意像が市章を支える。
肉眼では見えにくい。
胴体の一部をカットした彫像で知られるブルーノ・カタラーノ Bruno Catalano (1960-) の作品がヴィラージュ・ロワイヤルで展示されている。
ずっと前、ヴォージュ広場のアートギャラリー:Galerie De Medicis でお目にかかって以来、関心を持っていたモロッコ生まれの彫刻家。
ロワイヤル通りからの入り口に置かれている< Bleu de Chine >中国の青。青といえば景徳鎮なのか・・
Dior – Paris Royale のショウウインドウが透けて見えている。
アルザスのベルフォールでプロイセンの包囲に対し抵抗した (1870-71) ダンフェール・ロシュロー大佐 (1823-78) は<ベルフォールのライオン Lion de Belfort >と愛称された。ナポレオン3世による第2帝政が崩壊し、臨時の国防政府が存在した時期に重なる。
第2次大戦においてルクレール将軍がパリ解放時に通った Avenue du Général Leclerc からダンフェール・ロシュロー広場 Place Denfert Rochereauの中心に置かれた Lion de Belfort と Avenue Denfert-Rochereau を望んだ。8月7日も暑かった。
フランス政府が独立100周年を記念して寄贈したニューヨーク港入り口の「自由の女神像 Statue de la Liberté (1886) 」が掲げるトーチの自由の炎 Flamme de la Libertéと等身大のレプリカ (1986) 。100周年記念の改修に伴い寄贈されたもの。
像の正面下に今なおダイアナ妃を偲ぶ写真や献花がされているのが分かる。死に至る事故に会ったアルマトンネルはこの下を走っている。
コンコルド広場 (左) からシャンゼリゼ大通りに入る境界に置かれた<マルニーの馬 Chevaux de Marly>。Tour de France の車列は柵に沿って左から右へシャンゼリゼに入り、凱旋門手前でUターンして向こうのマルリーの馬の所で右折して広場に入る。
サント=クロチルド教会のツインの尖塔とモンパルナスタワーが見えている。コンコルド橋と国民会議の国旗も見える。
今日 (25日) のパリは非常に暑く日向ではいつになく汗が滲んだ。23時の室温は30.8度。東京よりも暑いらしい。
<ベルリンの壁>が崩壊したのは 09/11/1989 。ヴェルサイユ門広場 Place de la Porte de Versailles はその20周年記念 でベルリンとパリ市長立会いの下にベルリンの壁が置かれて (06/2009) 以降<1989年11月9日広場 Esplanade du 9 Novembre 1989 >とも呼ばれている。
ドイツラジオは20周年当日にラジオフランスへ写真にある<ベルリンの壁 Mur de Berlin>の寄贈を決めた。車列が見えるのがプレジダン・ケネディ大通りでその向こうがセーヌ川。
アナキストで、パリコミューンの中心人物の一人<ルイーズ・ミシェルの顕彰碑 Statue en hommage à Louise Michel (1906)>。パリ17区隣接のルバロア=ペレ Levallois-Perret の市庁舎横のプランシェット公園 Parc de la Planchette に置かれている Emile Derré (1867-1938) の作品。足元に猫がすり寄っている。
ルイーズ・ミシェル (1830-1905) がアンヴァリッドでのデモ (1883) において黒のペチコートを箒に付けた「黒旗」はその後アナキストのシンボルとなった。ジョルジュ・サンドと共に男装でも知られ、女権拡張運動家の先駆者でもある。
サクレ・クール寺院前の斜面一帯の公園名は Square Louise Michel 。メトロ3号線 Louise Michel 。
Château de Champs-sur-Marne の庭園側に置かれているスフィンクス。
向き合った一対の彫像で、背に矢筒を肩掛けしたエンジェル Ange を乗せている。修復前のもの (31/07/2014) で、天使の指先等が損傷している。
奥に見える彫像はアポロベルベデール Apollon du Belvédère ( du Vatican) のレプリカ、建物はオランジュリー。
<ロムルスとレムス Romulus et Rémus に授乳する雌狼の像 Statue de la louve avec Romulus et Rémus>がポール・パンルヴェ広場 Place Paul Painlevé にある。 ローマのカピトリーノ美術館 (1471) にある、カピトリーノの狼 Louve Capitoline (作者、制作年とも定説はないが、11-12世紀の狼に15世紀後半に双子が加えられたか) のレプリカだ。パリとローマの姉妹都市提携 (1956) の記念にローマから寄贈された (1962) 。(京都 1958、東京 1982) 。 ローマの名は初代ローマ王ロムルスに由来する。オオカミはローマのシンボル。31/07/2012.
ロココ様式の代表画家で、後世に評価の高まったアントワーヌ・ヴァトー Jean-Antoine Watteau (1684-1721) の顕彰碑。アンリ・ゴキヱ Henri Gauquié (1858-1927) の作品、Monument à Antoine Watteau (1896)。
ロレーヌの大理石にエタンの胸像の組み合わせで、リュクサンブール公園にある。存在感のある若い女性が一輪を右手に残して薔薇束を差し出していて、「ヴァトーと若者 Watteau et la Jeunesse 」とも呼ばれるらしい。
グラン・バッサン・ロン Grand Bassin Rond を背に、コンコルド広場の大観覧車 Roue de Paris に至る中央通りAlée Centrale の右側。マロニエの芽吹きが・・01/04/2016. ニコラ・クストゥによるジュリアス・シーザーは左側、マロニエの並木が途絶えた所にある。
ドビッシー Claude Debussy (1862-1918) が洗礼を受けたサン=ジェルマン=アン=レーのサンジェルマン教会の鐘楼横の広場 Place de l’Abbé-Pierre-de-Porcaro に置かれた<クロード・ドビッシーの像 Claude Debussy>。
アメリカの彫刻家 Mico Kaufman (1924-2016) の作品 (1987) で、在米のドビッシー音楽友の会により1998年に設置された。
この手前左近くにドビッシーの生家、ドビッシー美術館 Musée Claude Debussy がある。