樹木栽培等の造園技術者の養成学校

   depuis  2001

<エコール・デュブルイユ École Du Breuil >はオスマン知事の命で創立された (1867) 。パリ改造に伴う緑地の整備を担当したジャン=シャルル・アルファン (1817-91) の下で造園とその管理を実行する庭師などの技術者の養成を目的とした。国立美術工芸学院のアルフォンス・デュブルイユ Alphonse Du Breuil 教授がその骨格となる樹木栽培を指導した (1867‐87) 。ヴァンセンヌの森の南部、マルヌ川に接するところにある (23 ha)。                                    20/08/2013.

École Du Breuil / Bois de Vincennes

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ベルシー公園にある「園芸の家」

   depuis  2001

メトロ6号線、14号線 のベルシー駅が最寄りのベルシー公園内にある<ガーデニングの家 Maison du Jardinage>。園芸の図書から実践まで指導してくれる。ヴァンセンヌの森にある園芸学校、<エコール・デュブルイユ École Du Breuil >ともリンクしている。

Maison du Jardinage / Parc de Bercy

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淀屋橋 (よどやはし) と 大江橋

   depuis  2001

豪商「淀屋」の旧宅辺りから観た淀屋橋 (土佐堀川左岸西詰の橋柱) と大阪市庁舎。御堂筋の左側に堂島川を渡る大江橋があり、市庁舎や日銀大阪支店のある中洲は中之島と呼ばれる。
両橋はパリのセーヌ川の景観を意識したデザインで、鉄筋コンクリート造りのアーチ橋 (1935) 。見た目は石造り。

淀屋橋 / 大阪市庁舎 / 御堂筋 / 土佐堀川
大江橋 /日銀大阪支店 / 御堂筋 / 堂島川

リヨンとマルセイユの寓意像 / コンコルド広場

   depuis  2001

コンコルド広場の四隅には二体づつ都市の寓意像が置かれている。
パリから見て南東方向の代表都市、リヨンとマルセイユの像が広場の南東隅にある。後方はチュイルリー公園の「オランジュリーのテラス」で、美術館はすぐ右。
左がリヨンで、水が溢れ出す壺がローヌ川の恵みを寓意、右がマルセイユで (ボートの) 舵が地中海の恵みを寓意している。
いずれもルイ・プティトー Louis Petitot (1794-1862) の作品 (1836) で、城壁をあしらった冠を被せている。
ヒットルフ Jacques Ignace Hittorff (1792-1867) による吻側付き燭台型街燈とパリ市の紋章付きの街燈も。

La Ville de Lyon et La Ville de Marseille / Place de la Concorde

聖母の噴水 (ノートルダムの噴水)

   depuis  2001

Fontaine de la Vierge / Square Jean XXIII / Cathédrale Notre-Dame de Paris

パリのノートルダム寺院後方、ジャン23世公園の中央に置かれた<聖母の噴水 Fontaine de la Vierge (1845)>。
パリの噴水 (水道) 建築に携わった Alphonse Vigoureux (1802-54) によるネオゴシック様式の作品で、「キュヴィエの噴水 (1840) 」も彼の作品。
聖母子像 Vierge à l’Enfant (1844) はコンコルド広場の「大河の噴水 Fontaine des Fleuves 」と「海の噴水 Fontaine des Mers 」の彫刻家 Louis-Parfait Merlieux (1896-1955) の作品。
3大天使の足元から噴水している。

ジャンヌ・ダルクの騎馬像 / サクレ・クール寺院

   depuis  2001

Statue d’équitation de Jeanne d’Arc / Basilique du Sacré-Cœur de Montmartre

サクレ・クール寺院の正面右側に置かれた<ジャンヌ・ダルクの騎馬像>
イポリット・ルフェーブル Hippolyte Lefèbvre (1863-1935) の作品 (1927) 。

03/08/2017.

エッフェル塔百態 148 桐の並木

   depuis  2001

Paulownia / Tour Eiffel / Jardins du Trocadéro

トロカデロ庭園 Jardins du Trocadéro にある桐 paulownia の並木道。沢山の実をつけている。

エッフェル塔の回転木馬 Le Carrousel de la Tour Eiffel とイエナ橋左岸下流の橋柱が見えている。

31/07/2017.

4866

カリソン・デクス Calissons d’Aix を味わう

   depuis  2001

エクス=アン=プロヴァンス Aix en Provence の伝統銘菓<カリソン・デクス Calissons d’Aix>をフランス人からお土産でいただきました。プロヴァンス王国のルネ王がジャンヌ王妃のために 宮廷職人に作らせた (1473) と伝えられているようです。Fruidoraix 社のカリソンです。
アーモンド、メロン、オレンジピールなど地中海の香りがします。

Calissons d’Aix Fruidoraix / Aix-Provence-France / France

雪が舞う大津市堅田駅前

   depuis  2001

琵琶湖の南湖と北湖を別ける「琵琶湖大橋」の最寄り駅、JR 湖西線の堅田駅前。比叡山延暦寺、ニギハヤヒの子オオヤマクイ (大山咋) を祭る日吉大社、京都大原は車なら至近だ。
今冬の寒気は格段で南湖の周辺まで雪が舞った。この時、京都は晴れだった。26/01/2018.

大津市堅田

2944

東本願寺前から京都の風景を

   depuis  2001

烏丸通り七條上る常葉町の「東本願寺」、浄土真宗大谷派の本山。右端に烏丸通に面して 御影堂門、左に敷地面積で世界最大の木造建築と言われる御影堂。手前に阿弥陀堂門。築地塀には最高寺格を示す5条の白線。修復工事が終わって (2015) 初めて訪れた。26/01/2018.

東本願寺 御影堂門 / 東本願寺 御影堂 /京都

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道頓堀左岸は観光客でにぎわう

   depuis 2001

戎橋左岸沿い、「かに道楽」のある通り (道頓堀1丁目) 。
左側に松竹座、右側に中座、角座があったが後者2座は今はない。
藤山寛美の松竹新喜劇を見に中座へ行っていたころが懐かしい。
ヴィットリオ・デ・シーカ監督、モンゴメリー・クリフト、ジェニファー・ジョーンズ主演の「終着駅」などを鑑たのは松竹座だった。

道頓堀1丁目 / 戎橋左岸詰め

アンドロメダとペルセウス / ティツィアーノ

   depuis 2001

母カシオペによりポセイドンの生贄にされたエチオピアの王女アンドロメダを、結婚を条件に助けるため海の怪獣と戦うペルセウス。メドウサの首を取った青銅の盾 (アテナより) と金剛の鎌 (エルメスより) を持ち、隠れ兜 (ハデスより) と翼のあるサンダルを着けている。が、メドウサの首を入れた袋:キビシスは見えない。
ティツィアーノ Titian (1485-1576) のこの絵 Perseus and Andromeda (1554-56頃) はウォーレスコレクション Hertford House の浴室に掛けられていたという。

Perseus and Andromeda / Titian / The Wallace Collection / London

<テンプルバー>に イングランド・スコットランド・アイルランド王の紋章

   depuis  2001

ウェストミンスターとロンドンの境界 (Strand 通り) に設置されていたゲート、<テンプルバー Temple Bar>はセントポール寺院の北側に保存されている (2004) 。
セントポール寺院の建築等で有名なイングランドの宮廷建築家クリストファー・レン Christopher Wren (1632-1723) によるバロック様式の作品 (1672) 。
二階部分のニッチ (壁龕) にチャールズ1世、2世の像、反対側にジェームス1世とアン王妃 (ロンドン側) の像。と、メアリー・スチュアートの子、ジェームス1世 / 6世が使い始めた (1603‐1702) <イングランド・スコットランド・アイルランド王の紋章>
共和制 (1649-59) からの王政復古 (1660) を祝ってチャールズ2世が再建したもの。
交通障害物として解体・撤去 (1878) されて後、ジェームス1世が所有していたことのある テオバルズ宮殿 Theobalds House でゲートとして存在していた (1880‐2003) 。

Temple Bar / St. Paul’s Cathedral

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クロヴィスの塔とパンテオンのドーム

   depuis  2001

Tour Clovis et Dôme du Panthéon

クロヴィス通り (1807) とデカルト通りとの交差点付近から見た<クロヴィスの塔 Tour Clovis>と<パンテオンのドーム Dôme du Panthéon>。
クロヴィス1世と妃のクロチルドが建てた修道院 (502) に始まる「サント=ジュヌヴィエーヴ修道院」の遺構である<クロヴィスの塔>と荒廃した修道院に代えてルイ15世が企図した「サント=ジュヌヴィエーヴ教会 (1758-92)」 の<ドーム / パンテオンのドーム>。
塔には尖頭が載せられていた (1764破壊) 。塔の下部は11世紀のもの。パンテオンはフランス革命により教会から偉人の霊廟に用途が変更された (1791) 。

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パリの市章 アンリ4世高校

   depuis  2001

クロヴィス通り13番地のアンリ4世高校の建物に見られるパリの市章。帆は一枚。
王の紋章が下の左右に付いている。
クロヴィス1世はメロヴィング朝フランク王国の初代国王 (在位:481-511) 。パリを首都とし(508)、サント=ジュヌヴィエーヴ修道院の基を築いた。リセアンリ4世のこの建物の右側にあるクロヴィス塔 Tour Clovis はその遺構だ。

Blason de Paris / Lycée Henri IV / Rue Clovis

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メニエのチョコレート / ソルニエの水車 Moulin Saulnier

   depuis  2001

ノワジエル Noisiel に<チョコレート工場 Chocolaterie >というバス停 (211 系統) がある。メニエのチョコレートの工場兼本社 Chocolaterie Menier (1825) があった所、今はネスレ・フランスの本社、メニエ工場になっている。
セーヌ川の右支川マルヌ川の水力を利用してカカオ豆を挽いた。右の建物が マルヌ川を跨いで建つソルニエの水車 Moulin Saulnier 。昔のメニエのチョコレート工場  Ancienne Chocolaterie Usine Menier と呼ばれ、歴史建造物に指定されている。Jules Saulnier (1817-81) による鉄骨、レンガ、セラミックを使った建築 (1872) 。チョコレート界に産業革命を引き起こしたともいわれる。

Moulin Saulnier / Ancienne Chocolaterie Usine Menier / Noisiel

アンブロジオ・パリジ による ジュリアス・シーザー

   depuis  2001

Jules César d’après l’antique / Ambrogio Parisi / Jardin des Tuileries

<アンティケに倣ったジュリアス・シーザー Jules César d’après l’antique>(1686-94) というアンブロジオ・パリジ Ambrogio Parisi (1676頃-1719) の作品。ローマのカンピドーリオ Campidoglio 美術館にオリジナルが保存されていて、フォリ・インペリアリ通り等にコピーがあるカエサルの立像 Statua di Giulio Cesare (2世紀、作者不詳) に倣ったものと思われる。両手に物を持っている、右足元に皇帝の象徴:左向きの鷲を乗せたヘルメットを置いている点は異なる。
右肩上のフィブラ Fibula (ブローチ) で留めたパルダメンタム Paludamentum (ケープ・マント) は皇帝の象徴。

 グラン・バッサン・ロン Grand Bassin Rond を背に、コンコルド広場の大観覧車 Roue de Paris に至る中央通りAlée Centrale の右側。マロニエの芽吹きが・・01/04/2016.
ニコラ・クストゥによるジュリアス・シーザーは左側、マロニエの並木が途絶えた所にある。

アグノウ門とクトゥビーヤの<ミナレット>

   depuis  2001

Minaret de la Koutoubia (la bibliotèque) de Marrakech / Marrakech / Maroc

モロッコのマラケシュのメディナにあるクトゥビーヤ・モスクのミナレット Minaret de la Koutoubia (la bibliotèque) de Marrakech 。
メディナへの南門であるアグノウ門 Bab Agnaou 前から。

12世紀末の建造 (1120~1196) で、ミナレットの高さは 69m、セビリアのヒラルダ Giralda 等 後のミナレットの規範となった。
メッカのカアバ Kaaba 、メディナ Médine 及びエルサレム Al Quds の3聖地のモスクを象徴する3つの金色の銅球が付いている。

05/03/2010.

パリの建物 36 グランド・モスケ・ド・パリ

   depuis 2001

グランド・モスケ・ド・パリ Grande Mosquée de Paris は Maurice Tranchant de Lunel (1869-1944) によるムーア様式のデザインで建設された (1926) 。
ミナレット Minaret の高さは 33m 。メッカのカアバ Kaaba 、メディナ Médine 及びエルサレム Al Quds の3聖地のモスクを象徴する3つの金色の銅球が付いている。
モスク建設への長い道のりは第一次大戦でのフランスの植民地のイスラム教徒の貢献で終結を見ることとなった。第2次大戦では、暗渠となった (旧) ビエーヴル川を通じて地下でセーヌ川と繋がっていることもあって、レジスタンスの拠点の一つともなり、ユダヤ人の救出にも貢献した。
右に植物園の西南端の入り口。
25年近くも前のクリスマスに食事するところがなくて、ここのレストランを利用したことを思い出す。

Grande Mosquée de Paris

モルサン城 Château de Morsang-sur-Orge -2

   depuis  2001

モルサン (モッソン)=シュル=オルジュ Morsang-sur-Orge とサント=ジュヌヴィエーヴ=デ=ボワ Sainte-Geneviève-des-Bois の領主だった Pierre Durey d’Harnoncourt (1682-1769) が建設した屋敷 (1740-) 、モルサン城 Château de Morsang  の屋敷正門から。
門を入るとすぐ階段があってシャトーの向こうを流れるセーヌ川の左支川オルジュ川 L’Orge に向かってゆるい傾斜になっている。
隣接のサヴィニー=シュル=オルジュの城 Château de Savigny-sur-Orge と見比べてみて…

Château de Morsang-sur-Orge / Morsang-sur-Orge

サヴィニー=シュル=オルジュの城

   depuis  2001

ルイ11世、シャルル8世、ルイ12世の廷臣だった Etienne de Vesc (1445頃-1501) が周辺の広大な土地を順次取得し、中世の城に代えて迎賓を兼ねる本格的なサヴィニー城 Château de Savigny を構えた。
ナポレオン配下で「不敗のダヴー」と呼ばれたルイ=ニコラ・ダヴー  Louis-Nicolas d’Avout / Davout (1770-1823) が購入し (1802) 、晩年には市長 (1822-23)を務めた。夫人はナポレオン最愛の妹ポーリーヌ・ボナパルト Pauline Bonaparte の最初の夫シャルル・ルクレールの妹 Louise-Aimée-Julie Leclerc / Aimée Davout (1772-1868) で、息子の Napoléon Louis Davout も市長を務めた (1843-46) 。この頃にはほぼ現在の外観になった。1948年に国が購入し、コロー高校 Lycée Corot となる。
RER C3、C4 線の Savigny Sur Orge 駅の東側出口前すぐ。

Château de Savigny-sur-Orge / Lycée Corot / Savigny-sur-Orge

ニコラ・クストゥによるジュリアス・シーザー

   depuis  2001

Jules César / Nicolas Coustou / Jardin des Tuileries

チュイルリー公園には2体のジュリアス・シーザーの立像があるが、これはニコラ・クストゥ Nicolas Coustou (1658-1733) の作品<Jules César (1713)>。
右肩上のフィブラ Fibula (ブローチ) で留めたパルダメンタム Paludamentum (ケープ・マント) はローマ皇帝の象徴。
1722~1872まで置かれていた大理石のオリジナルはルーヴル美術館に移されている。
これは鋳造のコピー。
8角形の池、バッサン・オクトゴナル Bassin Octogonal を背にしてサントラル通り  Allée Centrale の右側にある。
右方面がルーヴル美術館で左がコンコルド広場。

パリの市章 コロンモリス

   depuis  2001

Blason de Paris / Colonne Morris / Festival Paris quartier d’été 2014 / Place de la Bourse

映画の広告等で見かけるパリの広告塔<コロンモリス Colonne Morris >に付けられたパリの市章。
パレ・ブロンニャール前のブルス広場に置かれたコロンモリスにはこの時、「パリ夏祭り Festival Paris quartier d’été 2014 」(7月14日~8月15日) の広告が貼られていた。が、これだけではプログラムは分からない。

両替のメルソン Merson はヴィヴィエンヌ通りの右奥。

12/07/2014.

ドビッシーの像 / サンジェルマンアンレー

   depuis  2001

Claude Debussy / Place de l’Abbé-Pierre-de-Porcaro / Église Saint-Germain de Saint-Germain-en-Laye

ドビッシー Claude Debussy (1862-1918) が洗礼を受けたサン=ジェルマン=アン=レーのサンジェルマン教会の鐘楼横の広場 Place de l’Abbé-Pierre-de-Porcaro に置かれた<クロード・ドビッシーの像 Claude Debussy>
アメリカの彫刻家 Mico Kaufman (1924-2016) の作品 (1987) で、在米のドビッシー音楽友の会により1998年に設置された。
この手前左近くにドビッシーの生家、ドビッシー美術館 Musée Claude Debussy がある。

 

フェリックス 穴八幡宮にお参りする。

   depuis 2001

今日は節分。一陽来復の御守りを頂きに穴八幡宮に出向いた。今年はフェリックス Félix le Chat が同行した。
光寮門 (随身門) で、八幡宮の本・拝殿と参道の屋台を背景にポーズ。
昨日の雪模様と打って変って日差しがあり暖かい朝です (9:10) 。

24時を待つフェリックス (右) 。

一陽来復 / 穴八幡宮 / フェリックス

<うを喜>の 磯巻

   depuis 2001

大阪に行くと必ず立ち寄り、お土産には磯巻を持って帰る<うを喜> 豊中稲荷神社の裏、箕面街道に面した豊中市本町9丁目にあります。
以前は阪急宝塚線豊中駅前の<魚元>が御用達でしたが、閉店して以降、一統の<うを喜>に行っています。にぎり以上に磯巻がお気に入りで、故郷の鯖寿司の味です。私には天下一品です。この日は、上にぎりと中トロの鉄火巻きを頂き、磯巻と海苔巻きを土産にしました。
屋号の「うをき」の「う」は平仮名、「を」は変体仮名 (越) 、「き」は喜の草書体 (㐂) です。魚の古い仮名表記・発音はうを / ウヲ / u – wo でした。

鮨 うを喜 / 豊中市本町9丁目

明日は節分、この日 (2月1日) 既に「恵方巻」の準備で大忙しでした。

<うを喜>の上にぎり
<うを喜>の大トロ
うを喜の「磯巻き」と」「海苔巻き」

時間の女王 The Queen of Time / セルフリッジ百貨店

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The Queen of Time / Selfridges department store / London

ロンドンのオクスフォードストリートに面すセルフリッジ百貨店 (1908) の正面に飾られた<時間の女王 The Queen of Time >。
Gilbert Bayes (1872-1953) の作品 (1928) 。
戦艦の船首 / ロストラ Rostra に乗った<勝利の女神 ニケ (ニーケ) Niké >を想起させる彫像だ。
背に帆船を乗せた時計を負い、左手で月桂樹の小枝をかざし、右手のひらに月桂樹の小枝を持つ<勝利の女神ニーケ/ニケを乗せた宝珠を置いた有翼の女神/女王。

ニケ (ニーケ) Niké はギリシャ神話で勝利の女神、ローマ神話ではヴィクトリー Victoire。

ギリシャ神話に<時間の神 クロノス / Père Temps>がいるが男神

Bienvenue !!

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ギャラリー・イグレックの日記帳-4 へ ようこそ。

 ギャラリー・イグレックの日記帳-1 

ギャラリー・イグレックの日記帳-2

ギャラリー・イグレックの日記帳-3

につづき

愛媛から、東京から、パリから、ギャラリーのことや日々のことを気ままに綴ってゆきます。

定期的になアクセスをしていただければ幸いです。ウインク

Nymphéas, reflets verts / Claude Monet / Musée de l’Orangerie

ヘッダー画像には
オランジュリー美術館のクロード・モネ作
<睡蓮>の一部を使いました。