ウォレスコレクション での ティータイム

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ガラス屋根の付いた素敵なウォレスコレクションの中庭でのティータイムです。一昨年はランチを食べました。
南部鉄瓶はロンドンでも人気のようです。

The Wallace Collection

女装のジャンヌ・ダルクを描いたポール・ドラローシュ

Joan of Arc in Prison / Jeanne d’Arc malade interrogée dans sa prison par le cardinal de Winchester / The Wallace Collection / London

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ルーアン美術館が所蔵しているポール・ドラローシュ Paul Delaroche (1797-1856) の作品<ウィンチェスター枢機卿の尋問を受ける独房のジャンヌ・ダルク Jeanne d’Arc malade interrogée dans sa prison par le cardinal de Winchester (1824) >の縮小版 <Joan of Arc in Prison (1825)>。ロンドンのウォレス美術館が所蔵している。
「ジャンヌ・ダルク処刑裁判 (1431)」では二度と男装はしないという誓約を2日後に破って異端再犯者として処刑されることになるのだが、「異端無効化裁判 (1456)」でこれが謀略だったとする証言等々により復権を果たす。

エリザベス1世戴冠式の肖像 / アーミンのローブ

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Queen Elizabeth I / The Coronation portrait / Hermine / National Portrait Gallery / London

オコジョ (シロテン) 模様のアーミン Hermine のローブを纏ったエリザベス1世 Queen Elizabeth I 、「戴冠式の肖像 The Coronation portrait」として知られる。権力の象徴である宝珠 Orb と笏 Sceptre を手にし、王冠を載せている。
前女王のメアリー1世が着用した衣装 (1553) を使用した (1559) とみられている。この絵の作者は不詳、戴冠式の後描かれ失われた肖像のコピー (1600頃) とされている。
王冠は聖エドワード王冠 St. Edward’s Crown だが、クロムウェルによって破壊されて復刻された現王冠 (1661) とは若干異なっている。
額縁のトップの王冠 は現王冠の様なので後世のものかと。ボトムには縄文土器や「隼人の盾」に見られる一筆書きの<S字渦巻き>の装飾が・・
ローブに<テューダーローズ Tudor rose >の紋様。ロンドンの国立肖像画美術館所蔵。

メアリー (ステュアート) スコットランド女王の肖像 – 2

Mary, Queen of Scots / National Portrait Gallery / London

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メアリー・ステュアート Mary Stuart の肖像<Mary, Queen of Scots >、ロンドンの国立肖像画美術館 National Portrait Gallery 所蔵。

Mary, Queen of Scots / Scottish National Portrait Gallery / Edinburgh

エディンバラのスコットランド国立肖像画美術館 Scottish National Portrait Gallery 所蔵の肖像と同じく、投獄されて10年目、1578 の記載があるが、描かれたのは息子のスコットランド王ジェームス6世がイングランド王・アイルランド王ジェームス1世を兼ねて (1603) 以降の作品 (1610-15 頃) と思われる。

 

作者は不詳だが、ニコラス・ヒリアードの作品 (1578-9) に倣った after Nicholas Hilliard (vers 1547-1619) とみられている。

十字架は”敬虔”を、聖書の「スザンナと長老達」のエピソードを彫り込んだロザリオは”不正な告発と救済”を暗喩していて、殉教者として名誉を回復したことを匂わせているようだ。

シェパードフェアリー / ストラヴィンスキー広場

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アメリカのストリートアーチスト:シェパードフェアリー Shepard Fairey (1970-) の壁画がポンピドーセンター脇のストラヴィンスキー広場 Place Igor Stravinsky に登場した。
The future is unwritten. Knowledge+Action=Power とある。
彼はパリの同時多発テロ事件 (2015) の犠牲者へのオマージュとしてマリアンヌ (自由・平等・友愛) のポスターを制作したことで知られる。          2019.08.20.

Shepard Fairey / Place Igor Stravinsky

倉敷の町屋「大橋家住宅」の大座敷

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長屋門を入って左の中庭から見た「大橋家住宅」の大座敷です。見えているのは10畳 (京間ではない) の上の間で右側に10畳の下の間があり、左側に床の間と天袋付き違い棚 (合わせて2畳半) があります。我が家では床の間と天袋・地袋付き違い棚 (合わせて2畳) 付き10畳 (京間) の間を二間並べた配置になっています。縁側の外側は雨戸のみの古い造りです。

「大橋家住宅」の大座敷 / 倉敷の町屋 / 倉敷

「大橋家住宅」を倉敷ロイヤルアートホテルから

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倉敷の町屋で、長屋門を持つ「大橋家住宅 (1796-99・1807,51 改造)」を倉敷ロイヤルアートホテルから見下ろしたところ。
豊臣秀吉配下の武士の家系だという大橋家は農民となって戦国を生き延び、天保の大飢饉時 (1833-36) の多額の寄付と塩田開発の功績により名字、帯刀を許され、また長屋門の門構えも許された。井上家等の旧勢力「古禄」に対し新興勢力である大原家等「新禄」の一つ。
上方の長屋門から入って中庭の石畳を進んで入母屋造りの主屋、右に米蔵の甍が見える。これに主屋に付属で枠外の手前右にある内蔵を加えて国指定の重要文化財 (1978) になっている。

大橋家住宅 / 長屋門・主屋・米蔵 / 倉敷ロイヤルアートホテルから / 倉敷

台風17号通過後の早朝、川之江では小学校の運動会挙行を決定。風は収まり晴天となった。

倉敷の町屋の外観 / 料理旅館鶴形を例にして – 2

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今春に次いで倉敷を再訪した (2019.09.12-13.) 。倉敷の町屋として紹介した「料理旅館鶴形」の正面を倉敷川の対岸から見たところ。

倉敷の町屋は二階の天井が低い「厨子二階」の本瓦葺、土塗り白漆喰仕上げの「塗屋造り」。
旧大原家住宅の並びにある<料理旅館 鶴形>になっている町屋 (1744) を例にその特徴を見てみると・・
中二階に「倉敷窓」が5枚。窓枠の4隅の部分が突き出た角柄窓 (つのがらまど) で竪子 (たてご) は3本。
一階左端に親付切子格子の「倉敷格子」。右に大戸 (と格子戸と倉敷格子) 。
塀は瓦屋根付きの大塀で、綿板に縦横の舞良子を張った「舞良戸 (まいらど) の入口」と箱形の張り出し格子窓「聖窓 (ひじりまど)」が付いている。

倉敷の町屋の外観 / 料理旅館鶴形 / 倉敷窓 / 倉敷格子 / 倉敷

フレデンスボー宮殿 と 衛兵 / コペンハーゲン郊外

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デンマーク王・ノルウェー王フレデリク4世 (在位:1699-1730) が建設したフレデンスボー宮殿 Fredensborg Slot (1720-53) 。コペンハーゲンのあるシェラン島の北方スウェーデンとの国境に近い。スウェーデンとの大北方戦争 (1700-21) 終結を記念してこの宮殿を平和の城 Fredensborg と命名した。王室お気に入りのバロック式宮殿は春・秋の住居ともなっている。
チボリ公園 Tivoli の写真が見当たらなかったので代わりに掲載した。2006.08.13.

Fredensborg Slot / Sjælland / Danmark

倉敷チボリ公園の名残 / アンデルセン広場

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倉敷駅北口デッキから「からくり時計塔」のあるアンデルセン広場を見下ろす。クラボウの跡地にあったコペンハーゲンのチボリ公園をモデルにした旧倉敷チボリ公園の名残りだ。
時計塔の左奥は高梁川の支流小田川沿いの真備町の方向になる。

からくり時計 / アンデルセン広場 / JR 倉敷駅北口デッキ / 倉敷

昇降式のホームドア / JR 大阪駅

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ワイヤーの両端にある支柱自体も伸縮する昇降式ホーム柵。ドア位置の異なる複数の車両が入線するホームに対応できるホームドア。格納されている支柱ごと上昇して開く。JR 大阪駅の5番線ホームにて。初めてお目にかかったのでなんだか不安。
線路の上にサウスゲートビルディング (1983/2011) とノースゲートビルディング (2011) とを結ぶ南北連絡橋 (橋上駅舎) 。加古川行きの快速が出たところ。

昇降式ホームドア / JR 大阪駅5番線ホーム / 南北連絡橋

大阪ステーションシティ / 南北連絡橋と時空の広場

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サウスゲートビルディング (1983/2011) とノースゲートビルディング (2011) との南北連絡橋と時空の広場。阪急梅田駅から阪急百貨店手前の連絡路で大阪駅北口に入った。

大阪ステーションシティ / 時空の広場 / JR 大阪駅

阪急宝塚駅ホームで

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宝塚線のホーム4番線に梅田行き、3番線に西宮北口経由今津行きの今津線車両が入線していた。今津線ホーム1番線、2番線は写真の右側にある。JR 宝塚線の宝塚駅は左方に隣接。
いまだに阪急の車両に乗るとほっと落ち着く。11時には5ヶ月ぶりの「うを喜」だ。

阪急宝塚駅ホーム / 宝塚

Revue Takarazuka 宝塚歌劇団 / 宝塚ゆめ広場

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レヴュー Revue はフランス発祥の音楽、ダンス、スケッチ等を使った風刺喜劇だが、日本では宝塚 (少女) 歌劇団 (1914) が最初に導入し独自の発展を遂げる。この頃フランスには「レヴューの女王」と呼ばれることになるミスタンゲット Mistinguett (1875-1956) がいた。
Revue Takarazuka 宝塚歌劇団100周年の記念碑 (2014)>が阪急宝塚線宝塚駅前広場:宝塚ゆめ広場に置かれている。

Takarazuka Revue / 宝塚歌劇団 / 宝塚ゆめ広場 / 阪急宝塚駅前広場 / 宝塚

「宝塚大劇場」と「宝塚バウホール」の入り口

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逆光気味ですが風見鶏の見える秋空が綺麗です。今日の宝塚は爽やかな風もありました。すぐ右側で「宝塚ホテル」の移転工事が行われていました。
公演中の花組による「A Fairy Tale 青い薔薇の精 & シャルム」(「明日海りお」退団公演) 、次公演の月組による「I am from Austria」のポスターが貼られています。

宝塚大劇場・宝塚バウホール入口 / 宝塚ホテル / 宝塚花のみち / 宝塚

武庫川河畔と阪急今津線武庫川鉄橋

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阪急宝塚線の宝塚駅を出て真っ直ぐ進むと武庫川。宝来橋北詰から武庫川の河原への坂路と阪急今津線鉄橋とその向こうの宝塚大橋を望む。
子供の頃洪水直後の荒れた武庫川を鉄橋から見たことを思い出した。恐らくお見舞いに、仁川の知り合い宅へ父親に連れられて行く途中に。
華燭の宝塚ホテルはモニュメントの陰になっている。近々、宝塚大劇場横に移転する (工事中) ことは知っていた。モニュメントはフランスの抽象彫刻家マルタ・パン Marta Pan (1923-2008) 作の「枠どられた風景」。

武庫川 / 宝来橋北詰 / 阪急今津線武庫川鉄橋 / 宝塚大橋 / 宝塚

第44期囲碁名人戦七番勝負 第4局は宝塚ホテルで行われる。挑戦者の芝野虎丸八段が3勝目をあげて王手をかけることができるか?(2019.09.18.)

宝塚の「花のみち」

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阪急宝塚線の宝塚で降りて「宝塚動物園」や「宝塚歌劇場」へ行くのに通った土手径の周りの変わりように驚きました。40年ぶりです。動物園はありません。左側を走っていた今津線も高架になっています。ただ「花のみち」だけが当時の面影を残しています。

宝塚の「花のみち」/ 宝塚

楽屋入りする「タカラジェンヌ」

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豊中市本町4丁目の「魚喜」でお寿司を食べる前に宝塚に寄ってみました。11時からの公演のため楽屋入りする「タカラジェンヌ」を追っかけました。細身の体と姿勢の良さが目立ちます。

タカラジェンヌ / 宝塚大劇場 / 宝塚

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サン=マロの「ナショナル要塞」をシヨン通りから

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サン=マロ城に接続するギャレーの要塞 Bastion de la Galère とシヨン通り Chaussée du Sillon 沿いの海岸堤防との間の開口部からのナショナル要塞 Fort National と英仏海峡 Manche 。
ルイ14世治下の城郭建築家ヴォーバン Sébastien Le Prestre de Vauban (1633-1707) 作の要塞にフランス国旗が揚がっているのは干潮のため徒歩で行けることを示している。
付近の干満差は14mあり、潮流を制御する水制が堤防前に置かれている。角落しの形跡も見えるが、大潮で危険な時にはシヨン通りのレヴェルで土嚢を使用しているようだ。

Fort National / Manche / Chaussée du Sillon / Saint-Malo

サン=マロでの2014年2月1日と2日の満潮時の様子。低気圧通過中。YouTube から転載。

Grandes Marées des 01 Et 02 Février 2014 à Saint-Malo / Saint-Malo : Rappel à l’ordre.(YouTube)

サン=マロ城 と サン=マロの市旗

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城郭都市サン=マロのサン・ヴァンサン門 Porte Saint-Vincent の右手に連続するサン=マロ城 Château de Saint-Malo (1424-) 。英仏海峡 Manche 側に対称にある塔を合わせて4つの塔とドンジョン Grand Donjon 。右側にギャレーの要塞 Bastion de la Galère が連なる。
天守にはためくのはアーミンのあるサン=マロの市旗 (下4旗の右端。左端はブルターニュの旗 Gwenn ha Du) 。

Château de Saint-Malo / Tours et Donjon / Saint-Malo

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サン=マロとブルターニュの紋章 / サン・ヴァンサン門

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サン=マロ Saint-Malo の城内に入る門の一つ、サン・ヴァンサン門 Porte Saint-Vincent に見られるサン=マロとブルターニュの紋章。
左に、落とし格子 Herse の上に(オコジョ模様の)マフラーをなびかせたアーミン Hermine:オコジョ (シロテン) を載せたサン=マロの紋章。
右に、ブルターニュ公国以来のブルターニュの紋章である「アーミン」:オコジョ(シロテン)の毛皮模様。上に公爵冠。

Hermine / Blason de Saint-Malo / Blason de Bretagne / Porte Saint-Vincent / Saint-Malo

レディ・アマーストの雉 / レンヌのタボール公園

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ブルターニュ地域圏 Région Bretagne の首府レンヌのタボール公園  Parc du Thabor の鳥かごで撮ったキジ目キジ科のギンケイ (銀鶏) 。
フランスではイギリス同様「レディ・アマーストの雉 Faisan de Lady Amherst 」と呼ぶ。
このキジに魅了された博物学者でインド総督夫人だったサラ・アマースト Sarah Amherst に敬意を表して、イギリスの鳥類学者ベンジャミン・リードビーターが命名したもの (1829) 。

Faisan de Lady Amherst / Parc du Thabor / Rennes / Région Bretagne

サヘル・スーダン平原 / パリ動物園         

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アフリカバイオゾーン (4.5ha) の「サヘル・スーダン平原」の主役は<ニシアフリカキリン Girafe d’Afrique de l’Ouest /ニジェールキリン Girafe du Niger> 。16頭いるらしいが子供を除けばオスは1頭。ザンビアの サウス・ルアングワ国立公園で見たのは<キタローデシアキリン>。
シロサイ、ニシアフリカライオン、グレビーシマウマ等は右方にそれぞれ囲われている。左方はデルタ域に連なっている。
手前は給餌スペースで、ダチョウとアフリカハゲコウは早くも気づいて接近中。右奥にカンムリヅル、中央にクーズーの群れがいる。彼らも遅れてやってきた。

Plaine Sahel-Soudan / Biozone Afrique / Parc Zoologique de Paris / Girafe d’Afrique de l’Ouest :Girafe du Niger

グレビーシマウマ と グラントシマウマ

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Zèbre de Grévy / Parc Zoologique de Paris

 

パリ動物園で見たグレビーシマウマ Zèbre de Grévy 。
フランスの元大統領ジュール・グレヴィーに倣んで命名。

縞のきめが細かく、腹部に縞がない。

 

Zèbre de Grant / South Luangwa National Park / Zambia

 

 

ザンビアの サウス・ルアングワ国立公園で見たグラントシマウマ Zèbre de Grant 。

サバンナシマウマの亜種の一つ。

ルイ14世の王章 / アンヴァリッド廃兵院の正面門扉

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<パリの鉄柵 Grille 14 アンヴァリッド>で紹介済み場面の最新版。ルイ14世創設 (1678) のアンヴァリッド廃兵院 Hôtel des Invalides の正面とゲートが改装された。
ルイ14世が使用した王章/フランス王国の国章 Armoiries de France が門扉中央に置かれていて、フルール・ド・リス3つのシールド(盾)を「サンミッシェル勲章 Collier de l’ordre de Saint-Michel (1469:ルイ11世)」(内側) と「聖霊勲章 Collier de l’ordre du Saint-Esprit (1578:アンリ3世) 」の付いた首飾りで囲んでいる。頭に王冠、両サイドをオークの小枝。
この国章はアンリ4世から中断を挟んでシャルル10世までのブルボン朝 (1589-1830) において使用された。

Armoiries de France / Hôtel des Invalides / Collier de l’ordre de Saint-Michel / Collier de l’ordre du Saint-Esprit

バッキンガム宮殿から「ヴィクトリア記念堂」を

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バッキンガム宮殿 Buckingham Palace に向かって左側方からカナダ門のあるグリーンパークと「ヴィクトリア記念堂 Victoria Memorial 」を見たところ。まるで柵内から撮っているよう。
記念堂は宮殿正門から真直ぐのザ・マルを向いているので背面が見えている。ビクトリア女王皇后 Victoria regina imperatrix の像は見えない。

Buckingham Palace / Victoria Memorial / Green Park / Canada Gate / London

ヴィクトリア記念堂から「バッキンガム宮殿」の全景

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ヴィクトリア記念堂 Victoria Memorial を背にして撮った「バッキンガム宮殿 Buckingham Palace 」の全景。
この日 (2019.08.03.) は自転車天国の日でこの辺りは地下鉄でしかアクセスできなかったのだが、そろそろ<プルデンシャルライドロンドン Prudential RideLondon FreeCycle >が始まる時間19:30とあって人が集まってきていた。私はハイドパークコーナーからグリーンパークを通り抜けてカナダ門から入った。
王室旗でなくユニオンジャックが見えるので女王は不在、土日はウインザー城で過ごされる。

Buckingham Palace / Victoria Memorial / London

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トラファルガー広場とチャールズ1世騎馬像

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ナショナルギャラリーの東側からネルソンの円柱と4頭のライオンの「トラファルガー広場 Trafalgar Square」と広場前のロータリーに置かれた「チャールズ1世騎馬像 Equestrian Statue of Charles I 」(左端) を見たところ (2019.08.03.)。
円柱の左にザ・マル The Mall を通してバッキンガム宮殿に向き合う
アドミラルティ・アーチ Admiralty Arch 、右端にカナダハウス。ネルソンの円柱とチャールズ1世騎馬像を結ぶ左側への線上がホワイトホール Whitehall でダウニング街10番地やスコットランドヤードがある (右側はナショナルギャラリーの正面) 。

Trafalgar Square / Equestrian statue of Charles I / Admiralty Arch / Whitehall / Canada House

 

ピカデリー・サーカス と シャフツベリー記念噴水

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ロンドンのピカデリー・サーカス Piccadilly Circus は今日 (2019.08.03.) も人と車で溢れていました。シャフツベリー記念噴水 Shaftesbury Memorial Fountain の足下は人でいっぱいです。
左側の道がここからハイドパークコーナーまでピカデリー(通り)、右側奥へリージェント・ストリート、警察車が止まっているのがコベントリー・ストリートです。

Piccadilly Circus / Shaftesbury Memorial Fountain / Piccadilly / Regent Street / Coventry Street / London