ジャン・コクトーによる「ハリウッドの夢」

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ミリ=ラ=フォレのジャン・コクトーの家 Maison de Jean Cocteau に展示されていた<ハリウッドの夢 Rêve hollywoodien (1953)>です。ジャン・コクトーの自作ですが、色使いが気に入った猫にも見える(お留守番の愛猫 Rose を思いながら)ライオン部分を写しました。                                                                                                                                                                                             2014.08.07.

Rêve hollywoodien (1953) / Jean Cocteau (1889-1963) / Maison de Jean Cocteau / Milly-la-Forêt

ジャン・コクトーの家を庭側から

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ジャン・コクトーの家の正面の内側はボンデ城 (手前側にある) に接する広大な庭になっている。邸内を共同洗濯場で見たエコール川が流れている。ここからは見えないが、カメラ方向直ぐにノートルダム教会がある。これらを合わせた一帯は「絵のように美しい場所の目録 Inventaire des sites pittoresques」に掲載された (1972) 。

Maison de Jean Cocteau / Milly-la-Forêt 

ジャン・コクトーの家の正面

La Maison Jean Cocteau / Milly la Forêt
La Maison Jean Cocteau / Milly-la-Forêt

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アンディ・ウォーホルによるジャン・コクトーの肖像

Gold Marilyn Monroe (1962) / The Museum of Modern Art

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アンディウォーホル Andy Warhol (1928-87) が描いたジャン・コクトー (1889-1963) の肖像画 (1983) とそのスクリーンプリント。ミリ=ラ=フォレのジャン・コクトーの家 Maison de Jean Cocteau 所蔵。
アンディ・ウォーホルはジャン・コクトーに強い影響を受けたといい、同性愛者の共通点もあった。コクトー没後20年に出版された書物の表紙の写真を使用した。
代表的なポップアーティストで ”キャンベルのスープ缶 (1962) ” や ”マリリン・モンロー (1962) 等の作品がある。
右の写真はニューヨーク近代美術館 (MoMA) の公式ホームページより借用した。
背景を金色にしたヴァージョン。モンローが死去した直後の作品で、映画「ナイアガラ Niagara」の映像を使った。

Portrait de Jean Cocteau par Andy Warhol (1983) / Maison de Jean Cocteau / Milly-la-Forêt

ジャン・コクトーの寝室 / ジャン・コクトーの家

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ジャン・コクトーがパレロワイヤル (36 Rue de Montpensier) の煩わしさから逃れて晩年を過ごしたミリ=ラ=フォレのジャン・コクトーの家 Maison de Jean Cocteau 。
書斎からの入り口にはドアノッカーが付いている。デザインの異なる3脚の椅子は居間と書斎のものとも違う。暖炉の上の彫像は母方の祖父から受け継いだものらしい。

Chambre de Jean Cocteau / Maison de Jean Cocteau / Milly-la-Forêt

ジャン・コクトーの居間 / ジャン・コクトーの家

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ジャン・コクトーがパレロワイヤル (36 Rue de Montpensier) の煩わしさから逃れて晩年を過ごしたミリ=ラ=フォレのジャン・コクトーの家 Maison de Jean Cocteau 。
居間 Salon では、恐らくコクトー選りすぐりの愛用品の数々を見ることができる。椅子を見るだけでも分かる気がした。 2014.08.07.

Salon de Jean Cocteau / Maison de Jean Cocteau / Milly-la-Forêt

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ジャン・コクトーの書斎 / ジャン・コクトーの家

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ジャン・コクトーがパレロワイヤル (36 Rue de Montpensier) の煩わしさから逃れて晩年を過ごしたミリ=ラ=フォレのジャン・コクトーの家 Maison de Jean Cocteau 。右側の寝室につながる書斎の机と二つの椅子が素晴らしい。

Bureau de Jean Cocteau / Maison de Jean Cocteau / Milly-la-Forêt

机上に絡み合った男女の置物がある。春画も壁にかかっていた。    4015

ミリ=ラ=フォレに残る共同洗濯場

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角の橋 Pont de la Corne から見たボンデの共同洗濯場 Le lavoir de la Bonde (1883) 。月に1~2回使用された。各戸で漬け(洗い)置きした洗濯物をまとめてここで濯いだということらしい。ノートルダム教会の尖塔が見えている。ジャン・コクトーの家 Maison de Jean Cocteau はすぐ右側だ。

Lavoir de la Bonde / Milly-la-Forêt

15世紀の卸売市場 / ミリ=ラ=フォレ

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ミリ=ラ=フォレに残っている15世紀の卸売市場 La Halle 。
1479年にルイXIの特別な恩寵により、ミリー卿のデグラビル提督が市場を構築して、毎年3回のフェアを開催し毎週市場を開く権利を取得して以来の建物。
当時のイル・ド・フランスの典型的な木枠組みを石の台座に48本のオークの柱が支えている。こちらは切妻型になっているが、反対側はパヴィリオン型。

La Halle de Milly-la-Forêt / Milly-la-Forêt

右側から見ると‥右側 (正面) が切妻型でないのはわかる。

La Halle de Milly-la-Forêt / Milly-la-Forêt

国立ルネサンス美術館 / エクーアン城

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エクーアン城 Château d’Écouen (1538-50) の入り口。国立ルネサンス美術館 (1977) の表示がある。
右側はアンリ2世と王妃カトリーヌ・ド・メディシスが休暇を過ごす居室になっていた。建設途中にアンリ2世がフランスの王位に就き (1547) 、王室のアパートを収容するように城の計画と装飾が変更されて準王城の役目を果たした。アンリ2世の用いたクロワッサン (三日月) とモノグラム DH が外壁に残っている。

Château d’Écouen (1538-50) / Musée national de la Renaissance / Écouen

初期の面影を残す エクーアン城 の正面

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ルネサンス美術館が入っているエクーアン城 Château d’Écouen (1538-50) の正面。右上とその左空濠手前の鉄門扉右端の間に建設者であるアンヌ・ド・モンモランシー Anne de Montmorency (1492-1567) の紋章が残っている。名門貴族モンモランシー家の出でフランソワ1世、アンリ2世等に仕えたフランス元帥。名の由来モンモランシーはここから南東数キロ。
父が遺贈されたシャンティイ城で生まれ、改造したことでも知られる。彼の騎馬像が城の正面に置かれている。
アン・ド・モンモランシー(1493-1567)

Coat of arms of Anne de Montmorency / Château d’Écouen / Écouen

Château d’Écouen

45期 囲碁名人戦 芝野虎丸名人対井山裕太棋聖 第2局 ”宝塚ホテル” で始まる。

シャトーの規範となったメゾン城

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フレンチバロック:フレンチクラシック様式の傑作とされてきたメゾン城 Château de Maison (メゾン・ラフィット城) (1630-51) 。傾斜のきついマンサード屋根が目立つ。
フランソワ・マンサール François Mansart (1598-1666) によるこの城はその後のヴォー=ル=ヴィコント城 Château de Vaux-le-Vicomte (1656-61) 、ヴェルサイユ城(宮殿) Château de Versailles  (1661-65) 等のシャトーの規範となった。

Château de Maison (-Laffitte) / François Mansart (1598-1666) / Maisons-Laffitte

ベルリンからパリまで駆けた馬車 Berline

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ブランデンブルク選帝侯でプロイセン公 (在位:1640-88) のフリードリヒ・ヴィルヘルム Friedrich Wilhelm (1620年-1688) が制作を依頼したことに始まる (1660 ou 1670) セダン型馬車。彼はこの馬車を使用して、ブランデンブルクのベルリンからフランスのパリまで行きセンセーションを巻き起こした。当時の他の車体より耐久性に優れ、便利で、軽量で、転倒の可能性も低かったからだ。パリではベルリンに因んで<berline>と呼称した。今もセダン型自動車をフランス語ではベルリン berline という。   馬車博物館 Musée des équipages にて。
車体にある紋章はヴォー=ル=ヴィコント城の現在の所有者ヴォギュエ一族 Famille de Vogüé  の紋章。。前に御者席(エンジン)、後に荷台が完全分離されている。
Image illustrative de l’article Famille de Vogüé

Berline:hippomobile / Musée des équipages / Château de Vaux-le-Vicomte / Maincy

 

ヴォー=ル=ヴィコント城 の正面破風

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ヴォー=ル=ヴィコント城 (1661) の正面「三角破風 Fronton triangulaire」。ここに見られる紋章はニコラ・フーケのものではない。後に購入 (1764) し、建物部分に手を加えたルイ15世の外務大臣・海軍大臣を務めたプラズラン公セザール・ガブリエル・ド・ショワズール César Gabriel de Choiseul, duc de Praslin (1712-85) が属す名門貴族ショワズール家 Maison de Choiseul の紋章だ。紋章は内側をサン=ミッシェル勲章 Collier de l’ordre de Saint-Michel 、外側を聖霊勲章 Collier de l’ordre du Saint-Esprit のネックレスで囲まれている。
Image illustrative de l’article Maison de Choiseul

Armes de la maison de Choiseul / Château de Vaux-le-Vicomte / Maincy

ヴォー=ル=ヴィコント城 を庭園側から

フーケ Nicolas Fouquet (1615-80) がルイ・ル・ヴォー Louis Le Vau(1612-70) に命じて建造した (1661) ヴォー=ル=ヴィコント城をルイ15世の外務大臣・海軍大臣を務めたプラズラン公セザール・ガブリエル・ド・ショワズール César Gabriel de Choiseul, duc de Praslin (1712-85)  が購入 (1764) して建物部分に手を加えた。フランス革命で没収後、アルフレッド・ソミエ Alfred Sommier (1835-1908) が購入し (1875) 、修復した。古典主義建築。      2014.08.02.

Château de Vaux-le-Vicomte vu des jardins / Maincy

ラバの椅子 / ヴォー = ル = ヴィコント城

二頭のラバが運ぶ椅子 Chaises à Mules 。馬車では通れない狭い道や悪路などに人力で使用された「セダン椅子 / 椅子駕籠 Chaises à porteurs」の一種。セダン椅子 は馬車よりも手軽なことから18世紀にはヨーロッパ各地に普及した。日本の手輿のようなもの。
フーケ Nicolas Fouquet (1615-80) が建設したヴォー・ル・ヴィコント城 (1661) の “馬車博物館” で展示されている。18世紀にフランスかポルトガルで制作されたラバ椅子と考えられている。

Chaises à Mules / Château de Vaux-le-Vicomte / Maincy

ライオンが向き合う シャノリエ城 Château Chanorier

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クロアジー=シュル=セーヌ Croissy-sur-Seine のシャノリエ城 Château Chanorier 館入口前で向き合うライオン。スフィンクスの例が多い中珍しい。

Une paire de lions / Château Chanorier / Croissy-sur-Seine

 

砲塔 tourelle が残るムラン市庁舎

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ムラン市庁舎に残る右側の砲塔 tourelle は中世のサンドニ=アン=フランス修道院に起源を持ち、アンシャン・レジームの税を徴収していたオテル・デ・センス Hôtel des Cens の建物の唯一の名残だ。左側の砲塔は市庁舎として建て替えられた際に新たに加えられた (1848)  。
門扉の前の敷石にムラン市のロゴが埋め込まれている。

Tourelle de l’Hôtel des Cens / Hôtel de Ville de Melun / Melun

ムランを流れるセーヌ川 / ジャンヌ・ダルク橋

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ガロ・ローマン時代から存在したセーヌ川河畔のムラン Melun
旧市街は写真のセーヌ右派流の左側の中州:サン=テティエンヌ島にあってジャンヌ・ダルク橋 Pont Jeanne d’Arc の位置に連絡橋があった (現橋は4代目:1950) 。パリのシテ島のようだったという。河岸道路の名はアルザス=ロレーヌ河岸 Quai Alsace-Lorraine 。
百年戦争の頃にはジャンヌ・ダルクの一派が「ムランの包囲 (1420)」を受けたりした。現在のセーヌ=エ=マルヌ県の県庁とムランの市庁舎は右岸にある。

Pont Jeanne d’Arc / Quai Alsace-Lorraine / La Seine / Melun

新型コロナウィルスの影響で週末の新宿界隈のレストランは閑古鳥。だが、街中には予想外に大勢の人が・・観光客でない東南アジア系・中央アジア系が目立つ。

Pavillon Henri IV の ロビー

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サン=ジェルマン=アン=レー城 Château de Saint-Germain-en-Laye の一角、ルイ14世が誕生したパヴィヨン・アンリ4世 Pavillon Henri IV のロビー。
鏡前に置かれた・ルイ16世妃マリー・アントワネットと思われる胸像と鏡に写ったロビーの様子。右側にレストラン Pavillon Henri IV Restaurant がある。
<Pavillon Henri IV Restaurant>-4

Paris Pavillon Henri IV / Château de Saint-Germain-en-Laye

 

シャンティイ城を護る?猟犬

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シャンティイ城を護るスフィンクスの手前に至る長い斜路の入り口に一対で置かれている猟犬像。フランス革命で破壊されたジャン・ティエリー Jean Thierry (1669-1739) 作のオリジナル (1707) をアントワーヌ・ワトリネル Antoine Watrinelle (1828-1913) がコピーした<猟犬 Molosse (1888) >

Molosse (1888) / Antoine Watrinelle (1828-1913) d’après Jean Thierry (1669-1739) / Château de Chantilly

シャンティイ城を護るスフィンクス

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シャンティイ城 Château de Chantilly を護るスフィンクス。ニコラス・クストゥ Nicolas Coustou (1658-1733) の作品 (1707) のコピーとして、アントワーヌ・ワトリネル Antoine Watrinelle (1828-1913) が制作した<Sphinge (ou chimère) (1886)>。
フランス革命中に破壊されたオリジナルを復元したもの。スフィンジ/スフィンクスは、女性の胸像とライオンの体と鷲の翼を持つ怪物としてオイディプスの神話に登場する。

Sphinge/Sphinx d’après Nicolas Coustou (1886) / Antoine Watrinelle (1828-1913) / Château de Chantilly / Chantilly

ドミニク・アングル の ヴィーナス・アナディオメネ

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ドミニク・アングル Jean-Auguste-Dominique Ingres (1780-1867) が40年かけて制作した (1808-48) 海から上がるヴィーナス / ヴィーナス・アナディオメネ Vénus Anadyomène 
シャンティイ城内のコンデ美術館所蔵。

Vénus Anadyomène (1808-1848) / Jean-Auguste-Dominique Ingres (1780-1867) / Musée Condé / Chantilly

古代ギリシャの画家 アペレス Apelles が描いたとされるこの主題での有名な絵、<海から上がる (生まれる) ヴィーナス (アフロディテ)  Aphrodite Anadyomene  /Apelles  (紀元前330年頃) >に関して残されている記述を基に描いたとされるティツィアーノ Tiziano Vecellio (1488 or 90-1578) による同名の作品 (スコットランド・ナショナルギャラリー) は既に紹介した。

オルセー美術館で観れる<泉 La Source (1820-56) >の女性がとるポーズは本作品が原型と考えられている。

アスピラントドルジェ橋 Pont Aspirant de Rougé

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シャトー=ティエリのマルヌ川に架かるこの橋は手前の中州に展開する町の防衛のため第1次大戦でも第2次大戦でも破壊された (1940) 。この防衛戦で亡くなった志願兵 Charles-Armand de Rougé (1918-40) を顕彰して新橋はアスピラントドルジェ橋 / 士官候補生ルジェ橋と名付けられた (1950)。10 Juin 1940 (1940年6月10日) は架橋の日付ではなく戦死の日。
旗は市旗。DenisGélin (1896-1979) 作の川の神 (1952) の彫像。

Pont Aspirant de Rougé / La Marne / Château-Thierry / Charles-Armand de Rougé

 

 

ラ・フォンテーヌの寓話 2 カラスとキツネ

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le Corbeau et le Renard / Fables de La Fontaine / Yves Becquet (1944-2016) / Pont Aspirant de Rougé / La Marne / Château-Thierry

パリ生まれでシャトー=ティエリに定住した漫画家でイラストレーターだったイヴ・ベケット Yves Becquet (1944-2016) 。
彼は<ラ・フォンテーヌの寓話>を題材に多くの作品を残した。その一部がマルヌ川に架かるアスピラントドルジェ橋 Pont Aspirant de Rougé (1950) で紹介されていた。
おべっか使いはそれを真に受ける人のお陰で生きていることを学べ:との教訓寓話「カラスとキツネ」はお世辞にのせられて落としてしまったチーズを両者が半々で食べている様で表現している。
ジャニー・キタガワはおべっか笑いを嫌ったという。

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ラ・フォンテーヌの寓話 10 ウサギとカメ

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le Lièvre et la Tortue / Fables de La Fontaine / Yves Becquet (1944-2016) / Pont Aspirant de Rougé / La Marne / Château-Thierry

パリ生まれでシャトー=ティエリに定住した漫画家でイラストレーターだったイヴ・ベケット Yves Becquet (1944-2016) 。
彼は<ラ・フォンテーヌの寓話>を題材に多くの作品を残した。その一部がマルヌ川に架かるアスピラントドルジェ橋 Pont Aspirant de Rougé (1950) で紹介されていた。
歩みが遅くとも着実に進むことが大切:との教訓寓話「ウサギとカメ」は両者が肩を組んでスタート (ゴール) する様で表現されている。スタートすることこそが肝心。油断大敵とは捉えていない。

ラ・フォンテーヌの生誕地 シャトー=ティエリ

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シャトー=ティエリ Château-Thierry は寓話詩 Fables で有名なジャン・ド・ラ・フォンテーヌJean de La Fontaine (1621-95) の生誕地。SNCF P 線の終着駅。マルヌ河畔のジャン・ド・ラ・フォンテーヌ広場の中央に彼の立像が置かれている。足元に「ウサギとカメ」がいる。
背景に市庁舎とシャトー=ティエリの城の城壁、右に今は鐘楼が載っている<古のサンジャック砦のドンジョン:バルハンの塔 Tour Balhan >(1479) 。
立像はルネ・ライティエ Charles-René Laitié (1782-1862) の作品。

ニコロ・トリボロによる「エフェソスのアルテミス」

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La Nature / Artémis à Éphèse / Niccolò Tribolo (vers 1500-1550) / Château de Fontainebleau / Fontainebleau

フランスルネサンス王:フランソワ1世がフォンテーヌブロー宮殿用 (受水盤置き) として、フィレンツェのニコロ・トリボロ Niccolò Tribolo (vers 1500-50) に作らせた「エフェソスのアルテミス Artémis à Éphèse 」、作品名:自然 La Nature (1529)。
アルテミスはギリシャ神話で狩猟・貞潔の女神、ローマ神話でディアナだが、元々はギリシャ先住民族の多産の神でエフェソスが信仰の中心地だったとされている。
ニコロ・トリボロはイタリアルネサンス後期 マニエリスム Maniérisme の彫刻家・建築家。

 

ランブイエ城の花々

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ランブイエ城と庭園を飾る花々。左面が6つの島のある水域の正面を向いている。
第1回 G6 主要先進国サミットは仏・英・米・日・独・伊の6ヶ国によってここランブイエ城で開催された (1975) 。

Château du Rambouillet / Rambouillet

フランソワ1世は背面のフランソワ1世塔でなくなった。

エドゥアール・ド・コニーの代表作 / ランブイエ城

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ルイ16世が私的に取得した (1783) ランブイエ城 Château de Rambouillet 前の水面。王妃マリー・アントワネットはゴシックのこの城がお気に入りではなかったようだが。セーヌ川左支川ウール川の支川で城内を流れるゲヴィル川 La Guéville が水源。4つの大きい島と2つの小さい島の内、左からギ島 Île du Gui、フュザン島 Île des Fusains 、ポタジェ島 Île du Potager 。
彫像はエドゥアール・ド・コニー Édouard de Conny (1818-1900) の代表作<兄弟愛 La Charité fraternelle (1865)>。パリ万博 (1867) に展示された作品で、政府が買い上げてチュイルリー公園に置かれていた。
(見えないが) 奥の水際にはアンリ2世が愛妾 favorite ディアーヌ・ド・ポワチエ Diane de Poitiers (1500-66) に贈った (1531) アネ城 Château d’Anet の噴水に置かれていたDiane d’Anet / 鹿に寄り掛かるディアーヌ Diane appuyée sur un cerf (1549)>のコピーが置かれている。
ジャン・グージョン Jean Goujon (1510-65) の作と長らくされてきた著名な作品でルーヴル美術館で見れる。

La Charité fraternelle (1865) / Édouard de Conny (1818-1900) / Château du Rambouillet / Rambouillet

(旧)コルベール城の「カスケード」と「オクトゴーヌ」

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ソー公園 Parc de Sceaux に残る(旧) コルベール城 Château de Colbert (1670-83) のカスケード。カスケードの両側からも噴水が上がるようになっているがこの時は休止。8角形の池:オクトゴーヌ L’Octogone に流れ込む。上段の建物が現在のソー城 Château de Sceaux で、イル=ド=フランス博物館となっている。正門であるオナール門 Entrée d’Honneur はその右側。

Château de Colbert / Château de Sceaux / Parc de Sceaux / Sceaux

マルニー宮殿跡からカスケード跡を

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ルイ14世の宮殿ヴェルサイユの別宮でここに招待されることがステータスだったというマルニー宮殿 Château de Marly (1676) 。フランス革命により廃墟と化し礎石のみを残す宮殿跡から嘗てはカスケードだったグリーンベルトの斜面を望む。彫像が点々と見える。
カメラ後方に位置するセーヌ川から左方に至る (正面より標高の高い) マルリーの水道橋まで「マルニーの機械 Machine de Marly」を使って揚水し、当宮殿はもとよりヴェルサイユ宮殿まで (サイホンで) 噴水用の水を送っていた。変遷を経て現在は電気ポンプ揚水に代わり、水路も地下パイプとなっているが、当時の水道橋や貯水池は残されている。
揚水を成功させたリエージュ出身のレンネキン・スアレム Rennequin Sualem (1645-1708) はルイ14世により王のプレミアエンジニア Premier ingénieur du Roy の称号を与えられた (1684)。マルニーの機械は133年にわたって稼働し続けた。

Château de Marly / Parc de Marly / Marly-le-Roi

カスケード跡下からマルリー宮殿跡、セーヌ川方面を望むと

Parc du Marly / Marly-le Roi
Parc du Marly / Marly-le Roi

 

ヴォー=ル=ヴィコント城 の館からフランス庭園を見る。

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ヴォー=ル=ヴィコント城 の館から見るル・ノートル Le Nôtre 作のバロックのフランス庭園。ムランでセーヌ川に合流するアルモン川の支流 Ru d’Ancoeuil 川が庭園を横切る。

Jardins du Château de Vaux-le-Vicomte

フーケを没落させた ヴォー=ル=ヴィコント城

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余りの素晴らしさにルイ14世の不興を買い、没落の道を歩むこととなったフーケ Nicolas Fouquet (1615-80) の居城:バロック建築の傑作ヴォー=ル=ヴィコント城 Château de Vaux-le-Vicomte (1661) を濠で囲まれたシャトー前のゲートから。

Château de Vaux-le-Vicomte / Nicolas Fouquet / Maincy

グランプラスの「ブリュッセル市庁舎」と「星の家」

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Hôtel de ville de Bruxelles / Maison de l’Étoile / Grand- Place / Bruxelles

グランプラスの中心はブラバントゴシック建築 Gothique brabançon の「ブリュッセルの市庁舎 」(1455) です。ネオゴシック様式で再建された (1896) 王の家 Maison du Roi に向き合っています。高さ96mのランドマークになっています。尖塔にはブリュッセルの守護聖人サンミッシェルがドラゴンを踏みつけています。
市庁舎の左が再建された (1897) ギルドハウス「星の家」で、六芒星が載っています。
建物地上階を含む市庁舎との間の道がグランプラスを守った市長シャルル・ビュルス通りRue Charles Buls です。

シェルの製粉所の遺跡

シェル Chelles はポルト・ド・ヴァンセンヌ (ヴァンセンヌ門) から「国道34号線」で約 15kmにあるコミューン。マルヌ川河岸に<シェルの製粉所の遺跡 Ruines du Moulin de Chelles (1861/1877)>がある。パスタの製麺工場があったようだ。一番右側のアーチに鉄製の水車があり、その動力を左側にあった製粉所に水平に伝動した。
この上流に現存する La chocolaterie Menier の製粉所のメニエの所有だった (1877以降) 。
シェルはクロヴィス1世の時代から王の別荘地であり、34号線は王の道 Ancienne voie royale 。

Ruines du Moulin de Chelles / Chelles / La Marne

 

ラ・ロシュ=ギヨン城 と ベルナール・パジェ の彫像

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セーヌ川を下って (クロード・モネの) ジヴェルニー Giverny の手前の町:ラ・ロシュ=ギヨンのラ・ロシュ=ギヨン城 Château de La Roche-Guyon の全景。  2015.08.05.
石灰岩の山肌を切って造られたシャトーとその上にドンジョン (1190) 、そして手前にセーヌ川までのフランス式庭園 (1741、2004復元) 。庭園部分は菜園になっていて公開されている。セーヌ川に面した展望台の前に置かれている彫像はベルナール・パジェ BernardPagès (1939-) の作品:離脱 L’échappée III 。

Château de La Roche-Guyon / Le Donjon / Potager du château de la Roche-Guyon / La Roche-Guyon

「シャンパーニュの大市」が行われたプロヴァン

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両替の十字 Croix des Changes (13世紀) のあるプロヴァンのシャテル広場 Place du Châtel 。ヨーロッパ各地の商人たちによる商取引がこのクロスの足元で行われた。
十字は枠外。左は井戸。背景にセザール/シーザー塔 Tour César ジャンヌ・ダルク所縁のサン=キリアス教会 Collégiale St Quiriace
地の利を生かしたシャンパーニュ伯 (1022-1314) は商人達に税を免除し、自由と安全を保障して1年を通じて領内4か所で巡回的に「シャンパーニュの大市 Foires de Champagne 」を開いた。ヴェネツィア、ジェノヴァなどのイタリア商人が支配する地中海商業圏、ハンザ同盟主軸の北欧商業圏等ヨーロッパ諸国の商人の交易で最も賑わったのがプロヴァンだった。

Foires de Champagne / Place du Châtel / Provins / Tour César / Collégiale St Quiriace / Comtes de Champagne

ジャンヌ・ダルクが立ち寄った サン=キリアス教会

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プロヴァン Provins のサン=キリアス教会 Collégiale St Quiriace は中世の交易都市プロヴァンの繁栄と衰退の証人。風変わりな外観を持つこの教会は12世紀に着工されたが完成することがなかった。広場の左端に置かれている十字は計画時の教会の入り口の位置を示している。
ランス大聖堂におけるシャルル7世の戴冠式 (1429.07.17.) を無事終えたジャンヌ・ダルク Jeanne d’Arc (1412-31) はシャルル7世共々プロヴァンに逗留し、ここでミサを聞いた (1429.08.03. / Le 3 août 1429) 。その後、パリに進軍することになるのだがサントノーレ門付近で負傷し「パリ包囲戦」に失敗する (1429.09.08.) 。

Jeanne d’Arc / Collégiale St Quiriace / Provins

中世の交易都市 プロヴァン Provins での 木骨造

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世界遺産 中世の交易都市 プロヴァン Provins には木骨造の家 Maison à colombages が沢山現存していて、中世の趣を感じさせてくれる。クーヴェルト通りの一例だが、左手前の撓む敷居材、右手の張り出し構造 encorbellement など多種多様の木骨造りを楽しめる。
奥に見えているのはシーザー塔 Tour César (12世紀) とサン=キリアス教会 Collégiale St Quiriace (12世紀) 、坂を下りて行くとシャテル広場 Place du Châtel 。

Maison à colombages / Provins / Tour César / Eglise Catholique Collégiale St Quiriace / Rue Couverte

 

アンギャン城 Château d’Enghien / シャンティイ城内

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フランス革命期、王党派鎮圧のためにナポレオン1世が敢えて処刑したと伝わるコンデ家の当主:アンギャン公 Duc d’Enghien (Louis Antoine Henri de Bourbon-Condé (1772-1804)) が生まれ住んだ アンギャン城 Château d’Enghien 。シャンティイ城のゲストルームとしてネオ・クラシック様式で建てられた (1769) もの。投獄され処刑されたのはヴァンセンヌ城。
右端がシャンティイ城への入り口、左端にシャンティイ城 Château de Chantilly 。馬列はシャンティイ競馬場 (右~右手前後方) か馬の博物館 Musée  Vivant du Cheval (左手前後方) ?

Château d’Enghien / Château de Chantilly / Hippodrome de Chantilly

フランス革命 ‘ジロンド派の女王’ と呼ばれたロラン夫人

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フランス革命のジロンド派の指導者の一人で、「ジロンド派の女王 」と呼ばれたロラン夫人 Madame Roland (1754-93) の座像がヴァンセンヌの森に隣接するサン=モール=デ=フォセ Saint-Maur-des-Fossés の Square Hameln に置かれている。パリ市所有。
ダントン、ロベスピエールとの対立抗争に敗れ、「自由よ、汝の名の下でいかに多くの罪が犯されたことか」の言葉を残して断頭台の露と消えた。
この大理石像の石膏模型 (1899) はヴィジーユ Vizille にある<フランス革命博物館 Musée de la Révolution française>にあるようだ。Charles-Vital Cornu (1851-1927) の作品。

Madame Roland / Charles-Vital Cornu / Square Hameln / Saint-Maur-des-Fossés

パヴィヨン・バルタール / 旧パリ中央卸売市場

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過ってのパリ中央卸売市場 les Halles にあった12のパヴィヨン (1852-72) の1つ (卵・鶏肉市場) で、ノジャン=シュル=マルヌ市 Nogent-sur-Marne が買い取って移築し(1976) 唯一残っている歴史建造物。パヴィヨン・バルタール Pavillon Baltard と呼ばれてパフォーマンスホール (劇場) として利用されている。
建築家ヴィクトール・バルタール Victor Baltard (1805-74) はナポレオン3世からパリ中央卸売市場の設計を委託され、伝統的な石造案に替えて陽光の差し込む鉄骨構造案を提案して採用されたという。その後各地区のマルシェ marché の基本形となった。
手前の「古のパリ広場 Square du Vieux Paris 」に置かれているウォレスの噴水やベンチが写っている。

Pavillon Baltard / Square du Vieux Paris / Norgent-sur-Marne

シジュウカラガン を セーヌ川の支流 マルヌ川で見た

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シェルの製粉所跡 Ruines du Moulin de Chelles 下流のマルヌ川右岸の水辺に<シジュウカラガン Branta hutchinsii >(カモ科コクガン属) の一群を見かけた。カナダ、グリーンランド、アイスランド、イギリス・・何処から来てどこへ行くのか?
ここより下流の「シャラントヌー島 で見られる野鳥」に観察記録はない。

Bernache de Hutchins / La Marne / Chelles

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マルヌ川のユリカモメ

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グルネー=シュル=マルヌ Gournay-sur-Marne の町の東北端付近のマルヌ川 La Marne で休息中のユリカモメ Mouette rieuse 。頭部は (夏の) 黒でなく灰色。下流で、冬に黒い頭の個体が観察された記録もある (02/2010) らしい。カワセミを撮りたいと思っているのだが中々・・

Mouette rieuse / La Marne / Gournay-sur-Marne

RER A Noisy – Champs から BUS 213 Chelles – Gournay RER 行きに乗車し Église de Gournay で下車。マルヌ川左岸の遊歩道を上流へ。

歪むヴェルサイユ宮殿の鉄柵

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02/08/2018のヴェルサイユ宮殿 Château de Versailles 前庭の賑わい。
プラス・ダルム Place D’Armes に置かれた<ルイ14世の騎馬像 Statue équestre de Louis XIV >の奥にフリーで入れるドヌールのゲートのある Grille d’honneur du château de Versailles 、その向うの Cour d’honneur と Cour Royale との間に金色のロワイヤルゲートのある Grille royale du château de Versailles 、2重の鉄柵とゲートと3つの広場が見える。
いずれの鉄柵も歪んで写っていてこの日が猛暑だったことが窺える。日傘を差している観光客  (恐らく東洋系) も目立つ。ただ、汗は出ない。

Château de Versailles / Grille d’honneur / Grille royale / Statue équestre de Louis XIV

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(旧) セーヴル磁器工場前に キャリア – ベルース の胸像

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オーギュスト・ロダン Auguste Rodin (1840-1917) の師キャリア – ベルース Carrier-Belleuse (1824-87) は晩年 (1875-87) セーヴル磁器作品の管理者を務め、セーヌ河畔への移転 (1886) に携わった。
(旧) セーヴル磁器工場 Manufacture Royale de Porcelaine 前の公園 Square Carrier Belleuse に彼の胸像が置かれている。ロダンが作成したテラコッタ<Buste de Carrier-Belleuse (1882)>に基づくブロンズ像 (1931) と思われる。彫像師 Statuaire と刻まれている。

Buste de Carrier-Belleuse / Auguste Rodin / Square Carrier Belleuse / Sèvres

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(旧) セーヴル焼き工場 L’ancienne Manufacture

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手狭になったヴァンセンヌの王立磁器工場をポンパドール侯爵夫人が移したのがセーヴル Sèvres のここ Manufacture Royale de Porcelaine (1756-1876) 。自分のベルヴューの邸宅 Château de Bellevue とヴェルサイユ宮殿の間に選定して Laurent Lindet (?-1769) と Jean-Rodolphe Perronet (1708-97) に建築させた。
磁器製造の機密保持のため、特に外部との接触を避ける室内構成に注心したという。
セーヌ川河畔の (現) 国立磁器博物館に移転 (1876) 後は、キュリー夫人も教壇に立った (1900-06) 女性の高等師範学校 (1881-1940) を経て現在は国際教育研究センター / CIEP (1945-) が使用している。

L’ancienne Manufacture / Manufacture Royale de Porcelaine / Sèvres

La Taverne / モー大聖堂

モーのサン=ティティエンヌ大聖堂 Cathédrale Saint-Étienne de Meaux の北塔が左に見えるフランス料理店<La Taverne>、シーフードが売り。反対側のモー市庁舎前広場に面して正門がある。日曜日にも拘わらず営業していたので立ち寄ってみた (29/07/2018)。
taverne は「田舎風レストラン」の意だが、古くは「居酒屋」の意味があったようで、イタリア語のタベルナ taverna さらにギリシャまで遡る古い言葉らしい。ローマ街道がマルヌ川を渡河したモー Meaux にぴったりかと・・思ったりした。

La Taverne / Cathédrale Saint-Étienne de Meaux / Meaux

アンヌ・ド・モンモランシー の騎馬像 / シャンティイ城

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シャンティイ城 Château de Chantilly の原型を造った「アンヌ・ド・モンモランシー (1492-1567) の騎馬像 Monument à Anne de Montmorency (1886:Paul Dubois (1829-1905) )」と「コンデ家の紋章 Armes de la maison de Condé 付きゲート」とアンリ・ドルレアン (オマール公) がオノレ・ドメ Honoré Daumet (1826-1911) に命じて再建した (1875-82) シャンティイ城の東南面。
奥にはセーヌ川の支流オワーズ川の支流ノネット川 La Nonette の湿地を利用した大運河があり、右方にはル・ノートル Le Nôtre によるフランス庭園が広がる。
権威の象徴、ファスケス fasces は槍を束ねたものになっている。

Monument à Anne de Montmorency / Château de Chantilly / Grille d’honneur du château

アンリ・ドルレアン (オマール公) の騎馬像

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シャンティイ城を含むコンデ家の遺産を相続したルイ・フィリップの五男アンリ・ドルレアン (オマール公) (1822-97) は自らのコレクション付きの「コンデ博物館」という形でフランス学士院に遺贈した。馬の博物館 Musée Vivant du Cheval 前にシャンティイの町が建立した (1899) 彼の騎馬像がある。ジャン=レオン・ジェローム Jean-Léon Gérôme (1824-1904) の作品。
博物館になっている元大厩舎 Écuries du château de Chantilly は ジャン・オベール Jean Aubert (vers 1680-1741) による建築 (1719-35) 。ロダン美術館になっている Hôtel Biron (1732) は彼の作品。フランス革命後取り壊されたシャンティイ城のグランシャトーの建築も彼による。

Monument au Henri d’Orléans , duc d’Aumale / Écuries du château de Chantilly / Chantilly

シャンティイ城 Château de Chantilly

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姫路城と姉妹協定を結んでいるという<シャンティイ城 Château de Chantilly>へ行ってきた。ヴァンセンヌから RER A に乗車、リヨンで RER D に乗り換えてシャンティイ・グヴュー Chantilly Gouvieux 下車、徒歩。土曜日で晴天とあって思い思いの徒歩が目立った。
ルイ・フィリップの息子 Henri d’Orléansduc d’Aumale (1822-97) が<コンデ博物館 Musée Condé>としてフランス学士院に遺贈した。
モンモランシー家による改装 (16-17世紀) : プチシャトーとグランシャトーの雰囲気を残す西面。プチシャトーはエクーアン城 Château d’Écouen を建築したジャン・ビュラン Jean Bullant (1515-78) によるルネサンス様式の作品。
一昨年のツール・ド・フランス 2016 最終ステージはここから凱旋門に向かった。

Château de Chantilly / Chantilly

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サン=ジャンの噴水 / ムランのサン=ジャン広場

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パリの南南東セーヌ川沿いのムラン Melun はセーヌ=エ=マルヌ県 Seine-et-Marne の県庁所在地。県はセーヌ川の右支川:マルヌ川と左支川:ヨンヌ川 の流域に跨る。
ムランの中心広場であるサン=ジャン広場 Place Saint-Jean (1737) に置かれたサン=ジャンの噴水 Fontaine Saint-Jean (1864) はこれら3川の寓意女神像で飾られている。
写真正面がセーヌ川 (アマルテイアの角 Corne d’abondance を持つ)、左がマルヌ川 (鎌、トウモロコシ) 、右がヨンヌ川 (オール) 。
パリのリシュリュー通りに面した「ルヴォアの噴水 Fontaine Louvois (1844)」の彫刻家
ジュール・クラグマン Jean-Baptiste-Jules Klagmann (1810-67) の作品。
ルイ・フィリップが選んだ著名な王妃と女性 4    サント・クロチルド

Fontaine Saint-Jean / Place Saint-Jean / Melun / Seine-et-Marne

シャン=シュル=マルヌ城のスフィンクス

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Château de Champs-sur-Marne の庭園側に置かれているスフィンクス。
向き合った一対の彫像で、背に矢筒を肩掛けしたエンジェル Ange を乗せている。修復前のもの (31/07/2014) で、天使の指先等が損傷している。
奥に見える彫像はアポロベルベデール Apollon du Belvédère ( du Vatican) のレプリカ、建物はオランジュリー。

Sphinx / Château de Champs-sur-Marne / Champs-sur-Marne

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ジャン・コクトーの家のスフィンクス

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ジャン・コクトーが晩年を過ごしたミリ=ラ=フォレ Milly la Forêt の「ジャン・コクトーの家」のスフィンクス Sphinx  。館の入口をペアで飾る<フランスのスフィンクス>。

Sphinx / Maison Jean Cocteau / Milly la Forêt

クロアジー城 Château de Croissy / シャノリエ城

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中世からの封建領主 Paul Gautier de Beauvais が建てた (1754) シャトーをジャン・シャノリエが購入した (1779) 。農場と館が一体となった荘園領主の館 : マナー Manoir の本館で、シャノリエ城 Château Chanorier とも呼ばれる。一対のライオンの彫像が正面に置かれている。現在は町が所有、バルコニーに紋章が見える。館の入り口にはライオンが向き合っている。
ジャン・シャノリエ Jean Chanorier (1746-1806) はスペイン原産の羊 : メリノをフランスに導入した農学者であり、政治家であった。セーヌ川の対岸にあるシャトー・ド・マルメゾンChâteau de Malmaison の敷地をナポレオン1世の皇妃ジョセフィーヌ Joséphine de Beauharnais (1763-1814) に斡旋した人物でもある。
RER A 線 Chatou – Croissy 下車、セーヌ右岸沿いに下る。

Château de Croissy / Château Chanorier / Croissy-sur-Seine

メニエのチョコレート / ソルニエの水車 Moulin Saulnier

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ノワジエル Noisiel に<チョコレート工場 Chocolaterie >というバス停 (211 系統) がある。メニエのチョコレートの工場兼本社 Chocolaterie Menier (1825) があった所、今はネスレ・フランスの本社、メニエ工場になっている。
セーヌ川の右支川マルヌ川の水力を利用してカカオ豆を挽いた。右の建物が マルヌ川を跨いで建つソルニエの水車 Moulin Saulnier 。昔のメニエのチョコレート工場  Ancienne Chocolaterie Usine Menier と呼ばれ、歴史建造物に指定されている。Jules Saulnier (1817-81) による鉄骨、レンガ、セラミックを使った建築 (1872) 。チョコレート界に産業革命を引き起こしたともいわれる。

Moulin Saulnier / Ancienne Chocolaterie Usine Menier / Noisiel

サヴィニー=シュル=オルジュの城

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ルイ11世、シャルル8世、ルイ12世の廷臣だった Etienne de Vesc (1445頃-1501) が周辺の広大な土地を順次取得し、中世の城に代えて迎賓を兼ねる本格的なサヴィニー城 Château de Savigny を構えた。
ナポレオン配下で「不敗のダヴー」と呼ばれたルイ=ニコラ・ダヴー  Louis-Nicolas d’Avout / Davout (1770-1823) が購入し (1802) 、晩年には市長 (1822-23)を務めた。夫人はナポレオン最愛の妹ポーリーヌ・ボナパルト Pauline Bonaparte の最初の夫シャルル・ルクレールの妹 Louise-Aimée-Julie Leclerc / Aimée Davout (1772-1868) で、息子の Napoléon Louis Davout も市長を務めた (1843-46) 。この頃にはほぼ現在の外観になった。1948年に国が購入し、コロー高校 Lycée Corot となる。
RER C3、C4 線の Savigny Sur Orge 駅の東側出口前すぐ。

Château de Savigny-sur-Orge / Lycée Corot / Savigny-sur-Orge

ドビッシーの像 / サンジェルマンアンレー

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Claude Debussy / Place de l’Abbé-Pierre-de-Porcaro / Église Saint-Germain de Saint-Germain-en-Laye

ドビッシー Claude Debussy (1862-1918) が洗礼を受けたサン=ジェルマン=アン=レーのサンジェルマン教会の鐘楼横の広場 Place de l’Abbé-Pierre-de-Porcaro に置かれた<クロード・ドビッシーの像 Claude Debussy>
アメリカの彫刻家 Mico Kaufman (1924-2016) の作品 (1987) で、在米のドビッシー音楽友の会により1998年に設置された。
この手前左近くにドビッシーの生家、ドビッシー美術館 Musée Claude Debussy がある。