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「三上山の百足退治伝説」で有名な鎮守府将軍藤原秀郷 (俵藤太) が穴八幡宮 (1062) 横の古墳富塚の上に勧請した (941) 古い起源を持つ。水稲荷と呼ばれるようになったのは眼病に効く霊水が湧き出て以降 (1702) 。富塚(古墳)は戸塚の町名の起源という。
向かって右の提灯に「折葉抱き稲」、左に「稲荷宝珠」。だが、奉納幕には「二つ穂包み (結び) 折葉抱き稲」。ケツ (キツネの古名) は宝珠と巻物を銜えている。
ちなみに、稲荷神社の総本社:伏見稲荷大社の神紋は二つ穂抱き稲。