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文雅叙情の ”旧目黒雅叙園:ホテル雅叙園東京” 。和敬清心をコンセプトとする館内装飾で知られていますが、富士山をクリスマスツリーに見立てたものでしょうか。歳末のオブジェです。2020.12.05.
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文雅叙情の ”旧目黒雅叙園:ホテル雅叙園東京” 。和敬清心をコンセプトとする館内装飾で知られていますが、富士山をクリスマスツリーに見立てたものでしょうか。歳末のオブジェです。2020.12.05.
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ロジェ・ガレ Roger & Gallet 195 Rue Saint-Honoré – PARIS です。
この時のウインドウには英語で ”Say it with flowers. 思いを花に託して” と書かれていて、薔薇があしらわれていました (2019.03.17.)。
通りがかる度に替わるウインドウを発見するのも楽しいです。
ロレアル L’Oréal グループのブランド。
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薄暮の丸の内仲通り師走のイルミネーション。
左の水玉風の店舗は「コムデギャルソン COMME des GARCONS 丸の内店」。その前右は「丸の内ブリックスクエア Brick Square」:ショッピングモールです。
* コムデギャルソンの西武池袋店やパリのヴィクトワール広場店などに出入りしていた時期がありました。
コムデギャルソンで身の周りを固めていました。
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東京駅前の丸の内ビルディングのクリスマスツリー、というよりクリスマスイルミネーション。
愛と希望 LOVE & WISHES がテーマのようです。
木板で細工されています。
トップの星は八芒星です。
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パレスホテル東京 のエントランスロビーに置かれている クリスマスツリー 2020 。
お友達とディナーしました。
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エルメス銀座店のオブジェ、クリスマスオレンジ l’Orange de Noël です。
背後の建物が銀座5丁目立地のエルメス銀座店です。
オブジェは Ginza Sony Parc に置かれています。
11日から25日の期間中オレンジに因むカフェ・カクテル・ワイン・スウィーツを楽しめます。
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自由劇場 Théâtre-Libre (1887-96) で上演されたマルセル・ルゲー Marcel Luget (1865-1934) 作の演劇小説 ”宣教師 Le Missionnaire (1894)” の劇場プログラム。
トゥルーズ=ロートレックによるリトグラフで制作された。
フランス国立図書館 Bibliothèque nationale de France 所蔵。
自由劇場を創設・主宰し、リアリズム演劇の先駆けとなったアンドレ・アントワーヌ André Antoine (1858-1943) がプロデューサーで、ナレーションを自身が受け持ったらしい。
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Victor Joze ことジョーズ・ドブルスキー Joze Dobrski (1861-1933) の小説 ”ドイツのバビロン Babylone d’Allemagne” の宣伝ポスター (1894) 。トゥールーズ=ロートレックの作品。パリ装飾芸術美術館 Musée des Arts Décoratifs が所有しているもの。
ペンネーム:ビクター・ジョーズ Victor Joze の作品 ”快楽の女王 Reine de joie par Victor Joze” の宣伝ポスター (1892) もロートレックが手掛けました。そのリトグラフは H.T. ロートレック美術館も所有しています。
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ナビ派 Mouvement Nabi 創設メンバーの一人であるエドゥアール・ヴュイヤール Édouard Vuillard (1868-1940) が描いた<トゥールーズ=ロートレックの横顔 Profil de Toulouse-Lautrec (vers 1898)>。
アルビのトゥールーズ=ロートレック美術館所蔵ですが、グランパレでの”断然モダン展”で撮りました。ナビ派創設メンバーの一人モーリス・ドニ Maurice Denis (1870-1943) が寄贈したもの。ナビ派はポール・ゴーギャンから強い影響を受けています。
ロートレックとヴュイヤールは文芸誌ラ・レヴュー・ブランシェ La Revue Blanche のミシア・セール Misia Sert (1872-1950)の仲間でした。
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<第32回新宿御苑洋らん展>に行ってきました。最終日 (2020.11.29.) の一コマ。温室のカエンボク (火焔木) の辺りです。趣味の園芸らしいところが良いのかも。
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母方の養子に入り山林王となった新宮市生まれのマルチ人間<西村伊作>の建築作品:旧チャップマン邸を訪ねました。応接型の住宅ではなく、生活重視の住宅を啓蒙しました。
同じような境遇の方が山梨におられ、お世話になったことを思い出しました。自作の別邸やログハウスでバーべキューや檜風呂を堪能させていただきました。
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勝浦漁港は延縄漁法による生鮮マグロの水揚げ量日本一だそうです。
朝7時からのセリを見学に出かけました。
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南紀勝浦温泉料理旅館「万清楼」での夕食です。
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ショーン・コネリー Sir Thomas Sean Connery (1930-2020) が<007は二度死ぬ You Only Live Twice (1967)>のロケで那智勝浦町に来た時に泊まったのは「熊野別邸 中の島」だったそうです。
まだこの世にいなかったので知りませんでしたが。
熊野那智大社でボンドガールの浜美枝との神前結婚式の場面を撮ったようです。
盛り沢山のおもてなし有難う Thankyou for a stfaded stay 。
* ショーン・コネリーは10月31日に亡くなりました。合掌
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夕食は宿泊した「碧き島の宿 熊野別邸 中の島」で、白龍会席にしました。
***
「熊野別邸 中の島」での朝食です。湯豆腐の写真は紛失しました。
昨晩食べ過ぎたので朝食はこの程度でよろしいかと‥
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熊野速玉大社の神門には、立派な左末右本の大注連縄の上に「全国熊野神社 総本宮」の扁額。
正面に上三殿と鈴門(礼拝所)が見えています。拝殿は左方になります。
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熊野本宮大社の神門です。賑やかな飾り付けがされています。神門から見て真正面に家都美御子大神を祀る証誠殿(第三殿)があります。ここから先は撮影禁止ですので写真はありませんが、妻入りの熊野造りの社殿の千木が内削ぎになっているのが不思議でした。
神門には大注連縄の上中央に今年の干支のウサギの大絵馬、両側に熊野大社の神使である八咫烏の注連縄が置かれています。
左に行くと高野山からの熊野古道 小辺路です。熊野川に出るまで少し歩いてみました。
* 拝殿は神門の左にあり、その真奥は熊野牟須美大神・事解之男神(西御前)と速玉之男神(中御前)を祀る平入り入母屋造り。確かに不可思議。
** 豊受神を祀る伊勢神宮外宮の千木が外削ぎなのが理解できなかったことを思い出しました。
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熊野本宮大社の鳥居です。大鳥居は旧社地にあります。
主祭神は家都美御子大神、神額には熊野大権現、スサノオです。
* 崇神はニギハヤヒ(大神神社の大物主)の復権を果たした。 熊野本宮大社はスサノオの子ニギハヤヒ(ヒノモト国建国の祖)を祀ったとする説を採りたい。
レコレットの閘門 / サンマルタン運河 – 2 の横断歩道橋から クルーズ船の通過に支障となるグランジュ・オー・ベル回転橋 Pont tournant de la Grange-aux-Belles を見下ろしたところ。
閘門の下流端ゲートが開いて閘門内の水が流れ出たのが水面からうかがえる。遮断機が降り回転橋が回転を始めた。
回転橋が90度回転して左岸に平行の定位置に収まって、ロックを出たクルーズ船 ” CANAUXRAMA” が通過中。
この状態で上流に向かうクルーズ船 “Paris Canal” が下流左岸で待機中 (航路は右側通行) 。この後、レコレットの閘門 / サンマルタン運河 – 1 のように閘門に入る。
前方に、リシュラン歩道橋 Passerelle Richerand 、次のル・デュ回転橋 Pont tournant de la rue Dieu (通行中) 、アリベール歩道橋 Passerelle Alibert が見える。次のタンプル閘門 Les écluse du Temple は奥の緑:フレデリック・ルメートル公園 Square Frédérick-Lemaître の位置にあり、ロックを出るとメトロのバスティーユまで上空が塞がれた地下に入る。
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上りのクルーズ船” CANAUXRAMA” がロックを出た後、待機していた下りのクルーズ船 ”CANAUXRAMA” がロックに入ってきて停止したところをビシャ歩道橋 Passerelle Bichatから見たところ。
レコレットの閘門 / サンマルタン運河 – 1 を撮った横断歩道橋 Passerelle de la Grange-aux-Belles とその下に回転橋の グランジュ・オー・ベル橋 Pont tournant de la Grange-aux-Belles が見える。ゲートは閉じていて、まだ人が通行しているのが分かる。
これから上流側のゲートが閉じられ、下流側のゲートが徐々に開けられる。それから、船の航行に支障となる橋が回転する。
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サンマルタン運河にある閘門の一つ<レコレットの閘門 Les écluses des Récollets>の下流端ゲート。上流に上るクルーズ船 ”CANAUXRAMA” がロックに入り、ゲートが閉められて(上流側ゲートは開けられて) 船体が浮き上がっている状態。ゲートから水が溢れるようになればロックを出れる。
歩道橋 Passerelle Bichat (この下に上流側ゲートがある) と右岸のヴィルマン庭園 Jardin Villemin の四阿が見えてる。閘門の両側はマロニエのレコレット公園になっている。 2014.06.18.
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東京ドーム横の「小石川後楽園」へ行ってきた。都立公園なので10月1日の”都民の日”は無料で入れる。
水戸徳川家の中屋敷 (後に上屋敷) の庭園。
* 姫路市出身のデザイナー「高田賢三」パリ近郊のアメリカンホスピタルでコロナのため死去。
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トゥールーズ=ロートレックによる<フェルナンドサーカスにて、女曲馬師 Au cirque Fernando, l’écuyère (1888)>。キャンバスに油彩。シカゴ美術館 Art Institute of Chicago 所蔵。Galeries nationales du Grand Palais , Parisにて。
この女曲馬師のモデルは曲芸師の経歴を持ち、ロートレックお気に入りのモデルでロートレックが最初に才能を認めた画家だったシュザンヌ・ヴァラドン Suzanne Valadon (1865-1938) ではないかとする見方があります。
曲馬演技指揮者はムッシュ・ロイヤル Monsieur Loyal 、ピエロは用意された紙製の輪を差し出す準備に・・。女曲馬師の衣装はガーゼとスパンコール製のチュチュ tutu 。
当初 (1888₋1914) 、この絵はモンマルトルのキャバレー:ムーラン・ルージュ Moulin Rouge にありました。
* ミシェル・バトール仮想美術館 Musée imaginaire de Michel Butor にある105画家の105作品において、ロートレックの作品としてこれが取り上げられています。
55年ぶりにパリに帰ってきました (1964|2019)。
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フランス学士院 Institut de France の中庭 Cour d’honneur に面した壁面に ”午後の日時計” と一対になっている ”午前の日時計” (2008年復元) 。
冬時間の午後3時半頃なので影はありません。
モットーは<Nocte pulsa refulgen mentibus 夜を追い払い心を啓発す>。
時間を示すローマ数字の他、上から黄道十二宮 Signe du zodiaque のやぎ座 ♑ (12.22-01.20)、おひつじ座 ♈ (03.21-04.20)及びてんびん座 ♎ (09.23-10.22)、かに座♋(06.22-07.22) のシンボルマークと日蔭線が入っていて月日の目安になります。
10月26日なので、♑と ♎♈ ラインとの間に影の先端が入るはずです。
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フランス学士院 Institut de France の科学アカデミー350周年 (2016) に合わせて復元された”午後の日時計”。
中庭 Cour d’honneur に面した壁面に”午前の日時計”と一対になっています。歴史的建造物と一体で保全されている日時計がフランスには63あるそうです。
<Sol maturat fructus Minervae 太陽がミネルヴァの実を熟す>、ここでのミネルヴァは知恵を司る女神でマザラン枢機卿創設の大学に相応しい標語 / モットーと思いました。
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記紀に記された神宮は<石上神宮(いそのかみじんぐう)>と<伊勢神宮>のみ。
ニギハヤヒを祖とする物部氏が祭祀してきた布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)を主祭神としています。
国宝の摂社 出雲建雄神社拝殿前から石上神宮の楼門と拝殿(国宝)を見下ろしたところです。
* 伊勢神宮の古名とされる磯宮(いそのみや)との類似性が気になる。トヨスキイリヒメに天照大神を祀らせたり、オオタタネコを大物主大神を祀る祭主にしたのと崇神同時期の創建。
スサノオが八岐大蛇を斬った十握剣が石上布都魂神社(吉備)から遷されたと伝わる。
スサノオ(フツシ)の父はフツ、子のニギハヤヒはフル。拝殿の北に布留川、東に布留山。
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左の山が三輪山です。山全体が大神神社の境内です。その山裾を日本最古の古道”山の辺の道”が走っています。右側の山裾に大神神社、画面外の右側に倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメ)の墓とされる箸墓古墳があります。
* 倭迹迹日百襲姫命が卑弥呼とする説を支持している。
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大神神社の摂社の一つ狹井坐大神荒魂神社 (狭井神社) の注連柱と拝殿と後ろに本殿。注連柱の注連縄は普通に見られるのとは逆の”左本右末”になっています。左に御神体登拝申し込み受付所があり、”霊泉薬井”もありますので人で賑わっていました。
* サイとはヤマユリの古語。
祭神は大神荒魂神(大物主神の荒魂) 大物主神 姫蹈鞴五十鈴姫命 勢夜多多良姫命 事代主神の五座。ニギハヤヒと息子夫婦とその娘(神武皇后)。
淳名城入姫命 (ぬなきいりひめ) に勅して宮殿から日本大国魂大神を移して創起した(大和神社)のと同じ社伝があるという。
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大和国一之宮、大物主大神を祭る大神神社 (おおみわじんじゃ) の「注連柱 (しめはしら)」です。拝殿側から見ていますが、注連縄の左側が細くなっています。出雲大社も同様です。
* 拝殿・本殿を見て右側が細くて左側が太い注連縄のことを”左本右末”の注連縄と言います。
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山城國一之宮である賀茂御祖 (かもみおや) 神社 (下鴨神社) の御朱印です。
神紋の「二葉葵」が入っています。
”二葉と一輪の花”の「賀茂紋」の一つですが、神社によって少しづつデザインが違います。
祭神は賀茂建角身命と姫神の玉依媛命。
玉依媛命の御子神の賀茂別雷命が上賀茂神社の祭神。
両社合わせて賀茂社(賀茂神社)という。
貴船神社参拝の6年前の同月同日 (2014.03.21.) に参拝しています。
* 玉依媛命の夫神はニギハヤヒの子:事代主命(大山咋命)で、神武妃の五十鈴姫は賀茂別雷命と兄弟との説を採りたい。
緊急事態宣言発令(官報に告示):東京など4都県、大阪など2府県、福岡。5月6日まで。
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賀茂別雷 (かもわけいかづち) 神社 (上賀茂神社) の御朱印です。
神紋の「二葉葵」が入っています。
”二葉と一輪の花”の「賀茂紋」の一つですが、神社によって少しづつデザインが違います。
貴船神社参拝の6年前の同月同日 (2014.03.21.) に参拝しています。
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貴船神社の神紋は「左三つ巴」と「二葉葵」です。
御朱印には「二葉葵紋」が使われています。二葉と花です。
現奥宮社殿の流損により本宮が奉遷されて (1055) 以降、賀茂別雷神社 (上賀茂神社)の摂社であった痕跡と思われます。
「左三つ巴紋」は水神 (高龗神) かと。
賀茂御祖 (かもみおや) 神社 (下鴨神社) 、松尾大社の神紋も二葉葵です。いわゆる”賀茂葵”です。
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ロートレック Toulouse-Lautrec (1864-1901) はモンマルトルで赤毛の女カルメン・ゴーディン Carmen Gaudin (1866?–1920) に出会い魅了されました (1884) 。彼女が頭髪を茶毛に変える迄モデルとして多くの作品を制作しました。
<白のブラウスを着た赤毛の女 Femme rousse en caraco blanc (1889)>もその一つです。
白のブラウスは当時の洗濯女の謂わば制服でした。そして洗濯女は夜は娼婦と相場が決まっていたようです。
マドリッドのティッセン=ボルネミッサ美術館 Museo Thyssen-Bornemisza が所有しています。
“トゥールーズ=ロートレック 断然モダン展” にて。
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ルーアンのジャン・マリー・オーゾウ Jean-Marie Auzou 作のショコラ<ジャンヌ・ダルクの涙 Les Larmes de Jeanne d’Arc>をお土産にいただきました。ジャンヌ・ダルクは「オルレアンの乙女」と言われますがルーアンでは単に「乙女 la Pucelle」で通じるらしいです。
『1412年、ドンレミに生まれた貧しい羊飼いジャンヌダルクはその後騎士たちに囲まれ共に闘いました。彼女の闘志は優しさそのものでした。コンピエーヌで捕らえられ、ノルマンディー公国の首都ルーアンに連行され、宗教裁判で死刑宣告を受け、1431年5月30日、「さらし台広場」と呼ばれていた「旧市場広場」で火刑に処されました。”彼女の涙”は苦しみからではなく使命を果たせなかったことへの絶望から流されたものだったのです。ルーアンはジャンヌを支持し続けています。』とケースのサイドに、フランス語、英語と共に日本語で記載があります。
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ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) とゴッホ Vincent van Gogh (1853-90) は
モンマルトルのフェルナン・コルモン Fernand Cormon (1845-1927) の画塾 (1882-) に共に通っていた時期があります (1886-87) 。接点はこの2年間だけです。
両者アルコール依存症で、このパステル画<フィンセント・ファン・ゴッホ Vincent van Gogh (1887)>にも象徴的にアブサンを描きこんでいます。
先生の影響からかこの頃の二人の画風には共通性があるように見受けられます。お互いに才能を評価し合っていたようです。
アムステルダムのファン・ゴッホ美術館所有。7年前の現地では鑑賞できませんでした。
“トゥールーズ=ロートレック 断然モダン展” にて。
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ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) がパリに戻って、モンマルトルにあったレオン・ボナ Léon Bonnat の画塾に次いでフェルナン・コルモン Fernand Cormon の画塾に通っていた頃の作品<裸婦の習作 / 長椅子に座っている女性 Étude de nu , Femme assise sur un divan (1882)> 。
母親であるトゥールーズ=ロートレック伯爵夫人アデルがアルビのトゥールーズ=ロートレック美術館に寄贈したもの。
“トゥールーズ=ロートレック 断然モダン展” にて。
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セーヌ川の河口の町ル・アーヴル Le Havre にあったカフェ・コンセール cafés-concert の一つ、” Star ” のバーメイドだったイギリス人女性ドリィ嬢 Miss Dolly 。
毎年夏ボルドーへ船旅するため訪れていたロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) は彼女に魅了されてこれ<L’Anglaise du Star au Havre (1899)>を描いた。
アルビのトゥールーズ=ロートレック美術館所蔵。
“トゥールーズ=ロートレック 断然モダン展” にて。
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手前左に在仏アメリカ合衆国大使館があるので警備が厳しい。この日 (2019.10.21.) は何時にも増した態勢だった。
エルメス本店屋上の騎馬像
SNCF (国鉄) とRATP (パリ交通公団) の年金改革に対するストライキが継続中。
ダイヤ通りに運行されているのはメトロ1号線と14号線のみ。RER A と RER B 線は朝夕のラッシュ時でも2本に1本の運行。
正月休暇を終えパリから帰ってきたMonsieur H. は交通渋滞に悩まされたと・・。
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神楽坂通りを入った本田横丁にある Lugdunum Bouchon Lyonnais でのパーティ (コース料理) がありました。
フランスのリヨン料理のお店です。
おせち料理を予約により提供しています。
Fête des Lumières Lyon の蝋燭。
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現在フランス学士院として使われているジュール・マザラン Jules Mazarin (1602-61) が創設した (旧) 大学 Collège des Quatre-Nations の礼拝堂にマザランの慰霊碑 (墓所) はあります。
リシュリュー枢機卿・宰相の後任として実質上の宰相であったマザラン枢機卿はソルボンヌの礼拝堂に墓所を持った先任に倣って自ら大学を創設したとも伝えられているようです。
棺の上にマザラン像とファスケス Faisceau を抱く天使。頂部にマザラン枢機卿の紋章。シールドにあるマザリンの紋章はファスケスに3個の五芒星。
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フランス革命後ナポレオン1世はルーヴル宮にあったフランス学士院をマザランの創設した大学 Collège des Quatre-Nations に移転しました (1805) 。 フランス学士院
大学の礼拝堂だったクーポール (丸屋根) のニッチにナポレオンの全身像が置かれています。フィリップ=ローラン・ローランド Philippe-Laurent Roland (1746-1816) の作品<Napoléon empereur (1807)>です。
頭に月桂冠、ミツバチ模様のコートを着、レジオン・ドヌール勲章を付けた鷲のネックレス、左手に王杖、右手に月桂樹の花輪を持っています。花輪を置いた台座にはローマ神話で「知恵と戦略の女神ミネルヴァ Minerve 」の浅浮彫が・・
ミツバチ、鷲は皇帝ナポレオンの属性です。
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パリ消防旅団 Brigade des sapeurs-pompiers de Paris の河川救助部隊基地:CS ラモネ Centre de secours La Monnaie (セーヌ川左岸コンティ通りにある造幣局 La Monnaie に因んで) が画面下に見えています。パリ消防のロゴ Logo des Pompiers de Paris も。
セーヌ川に突き出ているのがシテ島の下流端で、2段の高水敷になっています。アンリ4世の愛称:伊達男 / ヴェール=ギャラン Vert-Galant という名の公園です。右岸左の建物はルーヴル美術館の東端 ペロー コロネード Colonnade de Perrault です。
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ブタペスト美術館 Szépművészeti Múzeum 所蔵のロートレックの <食堂の女性達 Ces dames au réfectoire (1893-94)>をグラン・パレで開催中の「トゥールーズ=ロートレック断然モダン展」で観ることができた。(30年近く前ブタペストを訪れた時に観た気がするが・・)
高級売春宿「ムーラン通り Rue des Moulins / 白い花 La Fleur blanche」の食堂での作品。
三人の女性は<ムーラン通りのサロン Salon de la rue des Moulins (1894-95)>の二人と<長椅子 Le Divan (1893頃)>の女性と思われます。前者の二人は同じ衣装を着けていることから愛人関係にあることを匂わせています。背後の鏡と左に他の二人、合わせて五人の女性が描かれています。
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トゥールーズ=ロートレックが足繁く出入りしていた高級売春宿「ムーラン通り Rue des Moulins / 白い花 La Fleur blanche」のサロンをキャンバスに油彩で描いた作品<Salon de la rue des Moulins (1894-95)>です。
中央の女性がロートレックお気に入りのミレイユでその右が女主人:マダムです。アルビ Albi のトゥールーズ=ロートレック美術館が所有。
ブラジルから来た ロートレックの「長椅子 Le Divan」の背景を見ると、同じ長椅子を描いているようです。
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グラン・パレにて開催中の “トゥールーズ=ロートレック 断然モダン展” Toulouse-Lautrec / Résolument Moderne で鑑賞できた<長椅子 Le Divan (1893頃)>です。豪華売春宿「ムーラン通り」のサロンを描いた作品のようです。ブラジルのサンパウロ美術館 Museu de arte de São Paulo からの出展でした。初めて本物を見れました。段ボールに油彩の作品。