ホテル雅叙園東京 の クリスマスオブジェ

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文雅叙情の ”旧目黒雅叙園:ホテル雅叙園東京” 。和敬清心をコンセプトとする館内装飾で知られていますが、富士山をクリスマスツリーに見立てたものでしょうか。歳末のオブジェです。2020.12.05.

ホテル雅叙園東京 / 下目黒1丁目 / 目黒区

ウインドウショッピング 55  ロジェ・ガレ

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Roger & Gallet 195 Rue Saint-Honoré – PARIS / Rue Saint-Honoré

ロジェ・ガレ Roger & Gallet 195 Rue Saint-Honoré – PARIS です。
この時のウインドウには英語で ”Say it with flowers. 思いを花に託して” と書かれていて、薔薇があしらわれていました (2019.03.17.)。
通りがかる度に替わるウインドウを発見するのも楽しいです。

ロレアル L’Oréal グループのブランド。

丸の内仲通りのイルミネーション

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丸の内仲通り師走のイルミネーション / 丸の内2丁目 / 千代田区

 

薄暮の丸の内仲通り師走のイルミネーション。
左の水玉風の店舗は「コムデギャルソン COMME des GARCONS  丸の内店」。その前右は「丸の内ブリックスクエア Brick Square」:ショッピングモールです。

* コムデギャルソンの西武池袋店やパリのヴィクトワール広場店などに出入りしていた時期がありました。
コムデギャルソンで身の周りを固めていました。

丸ビル の クリスマスツリー

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丸ビルのクリスマスツリー / 丸の内2丁目 / 千代田区

東京駅前の丸の内ビルディングのクリスマスツリー、というよりクリスマスイルミネーション。
愛と希望 LOVE & WISHES がテーマのようです。
木板で細工されています。
トップの星は八芒星です。

 

エルメスのクリスマスオブジェ / クリスマスオレンジ

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Hermès l’Orange de Noël

エルメス銀座店のオブジェ、クリスマスオレンジ l’Orange de Noël です。
背後の建物が銀座5丁目立地のエルメス銀座店です。
オブジェは Ginza Sony Parc に置かれています。
11日から25日の期間中オレンジに因むカフェ・カクテル・ワイン・スウィーツを楽しめます。

ロートレックのリトグラフ             ”宣教師 Le Missionnaire (1894)”

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Le Missionnaire (1894) / Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Théâtre-Libre (1887-96) / Bibliothèque nationale de France

自由劇場 Théâtre-Libre (1887-96) で上演されたマルセル・ルゲー Marcel Luget (1865-1934) 作の演劇小説 ”宣教師 Le Missionnaire (1894)” の劇場プログラム。
トゥルーズ=ロートレックによるリトグラフで制作された。
フランス国立図書館 Bibliothèque nationale de France 所蔵。

自由劇場を創設・主宰し、リアリズム演劇の先駆けとなったアンドレ・アントワーヌ André Antoine (1858-1943) がプロデューサーで、ナレーションを自身が受け持ったらしい。

 

”ドイツのバビロン” の宣伝ポスター / ロートレック

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Babylone d’Allemagne par Victor Joze (1894) / Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Musée des Arts Décoratifs

Victor Joze ことジョーズ・ドブルスキー Joze Dobrski (1861-1933) の小説 ”ドイツのバビロン Babylone d’Allemagne” の宣伝ポスター (1894) 。トゥールーズ=ロートレックの作品。パリ装飾芸術美術館 Musée des Arts Décoratifs が所有しているもの。
ペンネーム:ビクター・ジョーズ Victor Joze の作品 ”快楽の女王 Reine de joie par Victor Joze” の宣伝ポスター (1892) もロートレックが手掛けました。そのリトグラフは H.T. ロートレック美術館も所有しています。

エドゥアール・ヴュイヤールによる         トゥールーズ=ロートレックの横顔

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ナビ派 Mouvement Nabi 創設メンバーの一人であるエドゥアール・ヴュイヤール Édouard Vuillard (1868-1940) が描いた<トゥールーズ=ロートレックの横顔 Profil de Toulouse-Lautrec (vers 1898)>。
アルビのトゥールーズ=ロートレック美術館所蔵ですが、グランパレでの”断然モダン展”で撮りました。ナビ派創設メンバーの一人モーリス・ドニ Maurice Denis (1870-1943) が寄贈したもの。ナビ派はポール・ゴーギャンから強い影響を受けています。
ロートレックとヴュイヤールは文芸誌ラ・レヴュー・ブランシェ La Revue Blanche のミシア・セール Misia Sert (1872-1950)の仲間でした。

Profil de Toulouse-Lautrec (vers 1898) / Édouard Vuillard (1868-1940) / Musée Toulouse Lautrec d’Albi

 

西村伊作の旧チャップマン邸で思い出したこと

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母方の養子に入り山林王となった新宮市生まれのマルチ人間<西村伊作>の建築作品:旧チャップマン邸を訪ねました。応接型の住宅ではなく、生活重視の住宅を啓蒙しました。
同じような境遇の方が山梨におられ、お世話になったことを思い出しました。自作の別邸やログハウスでバーべキューや檜風呂を堪能させていただきました。

ショーン・コネリーも泊まっていた

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ショーン・コネリー Sir Thomas Sean Connery (1930-2020) が<007は二度死ぬ You Only Live Twice (1967)>のロケで那智勝浦町に来た時に泊まったのは「熊野別邸 中の島」だったそうです。
まだこの世にいなかったので知りませんでしたが。
熊野那智大社でボンドガールの浜美枝との神前結婚式の場面を撮ったようです。

盛り沢山のおもてなし有難う Thankyou for a stfaded stay 。

* ショーン・コネリーは10月31日に亡くなりました。合掌

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: image.png

熊野別邸 中の島 白龍会席

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夕食は宿泊した「碧き島の宿 熊野別邸 中の島」で、白龍会席にしました。

スライドショーには JavaScript が必要です。

***

「熊野別邸 中の島」での朝食です。湯豆腐の写真は紛失しました。
昨晩食べ過ぎたので朝食はこの程度でよろしいかと‥

紀州潮聞之湯 から夕陽を

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”熊野別邸 中の島” 自慢の 眼前に波が押し寄せる絶景露天風呂天然温泉 ”紀州潮聞之湯” 辺りからの夕日が沈んでいく夕焼けの風景です。これから夕食に向かいます。

紀州潮聞之湯 / 熊野別邸中の島 / 勝浦湾 / 那智勝浦町

熊野別邸 中の島 に泊まる 南紀勝浦温泉

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”紀の松島”の一島で勝浦湾に浮かぶ”中之島”の一島一旅館「碧き島の宿 熊野別邸 中の島」に泊まりました。南紀勝浦温泉旅館の一つで、専用船で往来します。
左側に置かれているマッサージチェアに腰かけて勝浦湾を楽しめます。

碧き島の宿 熊野別邸 中の島 / 南紀勝浦温泉 / 紀の松島 / 那智勝浦町

熊野速玉大社の神門

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熊野速玉大社の神門には、立派な左末右本の大注連縄の上に「全国熊野神社 総本宮」の扁額。
正面に上三殿と鈴門(礼拝所)が見えています。拝殿は左方になります。

熊野速玉大社の神門 / 上三殿と鈴門(礼拝所) / 新宮市

熊野本宮大社の神門 大注連縄・大絵馬・八咫烏注連縄

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熊野本宮大社の神門です。賑やかな飾り付けがされています。神門から見て真正面に家都美御子大神けつみみこおおかみを祀る証誠殿(第三殿)があります。ここから先は撮影禁止ですので写真はありませんが、妻入りの熊野造りの社殿の千木が内削ぎになっているのが不思議でした。
神門には大注連縄の上中央に今年の干支のウサギの大絵馬、両側に熊野大社の神使である八咫烏の注連縄が置かれています。

熊野本宮大社の神門 / 大注連縄 / 大絵馬 / 八咫烏注連縄 / 田辺市

左に行くと高野山からの熊野古道 小辺路こへちです。熊野川に出るまで少し歩いてみました。
* 拝殿は神門の左にあり、その真奥は熊野牟須美大神・事解之男神(西御前)と速玉之男神(中御前)を祀る平入り入母屋造り。確かに不可思議。
** 豊受神を祀る伊勢神宮外宮の千木が外削ぎなのが理解できなかったことを思い出しました。

熊野本宮大社の鳥居

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熊野本宮大社の鳥居です。大鳥居は旧社地にあります。
主祭神は家都美御子大神けつみみこのおおかみ、神額には熊野大権現、スサノオです。

熊野本宮大社の鳥居 / 田辺市

* 崇神はニギハヤヒ(大神神社の大物主)の復権を果たした。 熊野本宮大社はスサノオの子ニギハヤヒ(ヒノモト国建国の祖)を祀ったとする説を採りたい。

御神木 梛 / 熊野速玉大社

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熊野速玉大社の御神木「なぎ」。平重盛お手植えと伝わり樹齢800~1000年。天然記念物。梛は熊野神社の御神木です。

熊野速玉大社の御神木「なぎ」/ 新宮市

* 東京都北区志茂(赤羽)付近、今は荒川放水路になっている辺りは梛野原なぎのはらと呼ばれていた。志茂熊野神社には御神木の梛が育っている。マキ科ナギ属の常緑高木。

熊野速玉大社 拝殿

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熊野速玉大社の拝殿。主祭神は熊野速玉大神くまのはやたまのおおかみ (イザナキ゚) と熊野夫須美大神くまのふすみのおおかみ (イザナミ)です。外削ぎの千木が見えている速玉宮の左に内削ぎの結宮があります。右側の上三殿に高倉下を祭神とする神倉宮が入っています。

熊野速玉大社の拝殿 / 新宮市

熊野速玉大社の元宮 神倉神社の          御神体ゴトビキ岩と拝殿

急な石段を登ってきて見えてきた拝殿の右側にあるのがゴトビキ岩です。
もっと上方から見ないとよく分からないそうです。
祭神は高倉下命たかくらじのみことで、拝殿の千木が外削ぎになっています。

* 高倉下命はニギハヤヒの子アメノカゴヤマ:天香山(大香山)の別名で、その子天村雲が磐余彦だとする説がある。

熊野速玉大社の元宮 神倉神社の両部鳥居と石段

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熊野速玉大社の元宮 神倉神社の両部鳥居と鎌倉積み石段 / 新宮市

神倉神社はゴトビキ岩 (天ノ磐盾) という磐座が御神体です。
熊野大神が最初に降臨した聖地で、ここから源頼朝が寄進した(1193) 538段の急な鎌倉積み石段 (史跡) を登らなければなりません。熊野古道中の古道だそうです。
鳥居は稚児柱が支える両部(稚児)鳥居です。

3870

熊野那智大社 拝殿

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祭神は熊野夫須美大神くまのふすみのおおかみ (イザナミ)・御子速玉大神 くまのはやたまのおおかみ(イザナキ゚)・家都御子大神 けつみこのおおかみ(スサノオ) 等で、主祭神は熊野夫須美大神です。
護摩木鉢の左に神使:八咫烏の像があり、御縣彦社みあがたひこしゃで祀られています。

熊野那智大社 拝殿 / 那智勝浦町

那智の滝に 熊野古道を歩いて

那智の滝 / 133m

熊野古道 (中辺路なかへち) を訪ねて那智の瀧に来ています。大門坂の杉並木は見事です。
那智の御瀧は熊野那智大社の別宮である飛瀧ひろう神社の御神体です。

 

* 滝の原点は箕面の滝。那智の滝を初めて見たのは60年も前。
もっと山深い印象が残ってる。

アキヅハ:蜻蛉羽 を新宿御苑にて

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蜻蛉羽:アキヅハ がその名の通り美しく咲いていたので接写しました。大菊:管物:細管 の菊 (糸菊) です。

上に見えるのは大菊:広物:一文字の菊です。

新宿御苑 菊花壇展 2020 にて (11.10) 。

* アキヅはトンボ / 蜻蛉の古名。秋津とも書く。

蜻蛉羽あきづははトンボの翅。

昨日、東京グローブ座の植え込みに停まっている赤トンボを見かけた。
川之江の家でもトンボを見ることが珍しくなった。ギンヤンマやオニヤンマが家の中に入ってきたりしたものだが・・シオカラトンボ、ムギワラトンボを見た最後はいつだっただろう。

新宿御苑 菊花壇展 2020 に行ってきました。

11月1日から15日までの新宿御苑 菊花壇展に今年も行ってきました (11月10日) 。
毎年新宿門を飾っている<大菊 兼六雪峰>です。勿論1株で、196?輪の花を咲かせています。

大菊 兼六雪峰 花数196輪 / 新宿御苑 菊花壇展 2020 / 新宿御苑 / 新宿

レコレットの閘門 / サンマルタン運河 – 3

レコレットの閘門 / サンマルタン運河 – 2 の横断歩道橋から クルーズ船の通過に支障となるグランジュ・オー・ベル回転橋 Pont tournant de la Grange-aux-Belles を見下ろしたところ。
閘門の下流端ゲートが開いて閘門内の水が流れ出たのが水面からうかがえる。遮断機が降り回転橋が回転を始めた。

 Pont tournant de la Grange-aux-Belles / Canal Saint Martin

回転橋が90度回転して左岸に平行の定位置に収まって、ロックを出たクルーズ船 ” CANAUXRAMA” が通過中。
この状態で上流に向かうクルーズ船 “Paris Canal” が下流左岸で待機中 (航路は右側通行) 。この後、レコレットの閘門 / サンマルタン運河 – 1 のように閘門に入る。
前方に、リシュラン歩道橋 Passerelle Richerand 、次のル・デュ回転橋 Pont tournant de la rue Dieu (通行中) 、アリベール歩道橋 Passerelle Alibert が見える。次のタンプル閘門 Les écluse du Temple は奥の緑:フレデリック・ルメートル公園 Square Frédérick-Lemaître の位置にあり、ロックを出るとメトロのバスティーユまで上空が塞がれた地下に入る。

Pont tournant de la Grange-aux-Belles / Canal Saint Martin

レコレットの閘門 / サンマルタン運河 – 2

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上りのクルーズ船” CANAUXRAMA” がロックを出た後、待機していた下りのクルーズ船 ”CANAUXRAMA” がロックに入ってきて停止したところをビシャ歩道橋 Passerelle Bichatから見たところ。
レコレットの閘門 / サンマルタン運河 – 1 を撮った横断歩道橋 Passerelle de la Grange-aux-Belles とその下に回転橋の グランジュ・オー・ベル橋 Pont tournant de la Grange-aux-Belles が見える。ゲートは閉じていて、まだ人が通行しているのが分かる。
これから上流側のゲートが閉じられ、下流側のゲートが徐々に開けられる。それから、船の航行に支障となる橋が回転する。

Les écluses des Récollets / Passerelle de la Grange-aux-Belles / Pont tournant de la Grange-aux-Belles / Canal Saint Martin

レコレットの閘門 / サンマルタン運河 – 1

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サンマルタン運河にある閘門の一つ<レコレットの閘門 Les écluses des Récollets>の下流端ゲート。上流に上るクルーズ船 ”CANAUXRAMA” がロックに入り、ゲートが閉められて(上流側ゲートは開けられて) 船体が浮き上がっている状態。ゲートから水が溢れるようになればロックを出れる。
歩道橋 Passerelle Bichat (この下に上流側ゲートがある) と右岸のヴィルマン庭園 Jardin Villemin の四阿あずまやが見えてる。閘門の両側はマロニエのレコレット公園になっている。      2014.06.18.

Les écluses des Récollets / Square des Récollets / Canal Saint Martin

小石川後楽園へ 4

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神田上水跡 / 小石川後楽園 / 彼岸花

小石川後楽園内を流れていた神田上水跡です。
彼岸花のコロニーがありました。

東京ドームシティのジェットコースターが左上方に見えてます。

* ”カラム”” を使用しました。スペーサーを挿入した。

小石川後楽園へ 2

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ヒガンバナ (彼岸花) が盛りと聞いたのが訪園の動機。小石川後楽園の絶景ポイントにも彼岸花が咲いていた。
「大泉水」の右に「一の松」、左に「弁才天祠のある蓬莱島」。
サクラの幹にノキシノブ (軒忍) が着生。
左上黄色の建物は東京ドームシティ。

小石川後楽園 / 大泉水 / 一の松 / 弁才天祠のある蓬莱島,/ ノキシノブ (軒忍) / 東京ドームシティ

ジェフロワのマーモセット / パリ動物園

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パリ動物園にいる<ジェフロワのマーモセット Ouistiti de Geoffroy> 。リスと同じくらいの大きさの小さいサル。常に双子。爪に注目。写っていませんが<フタイロタマリン Tamarin bicolore >も同じゲージにいます。砥部動物園にはいないようです。

Ouistiti de Geoffroy / Parc Zoologique de Paris

* リオデジャネイロの動物園で見た気がする。コモンマーモセットだったかも。

ロートレックの「女曲馬師」

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トゥールーズ=ロートレックによる<フェルナンドサーカスにて、女曲馬師 Au cirque Fernando, l’écuyère (1888)。キャンバスに油彩。シカゴ美術館 Art Institute of Chicago 所蔵。Galeries nationales du Grand Palais , Parisにて。
この女曲馬師のモデルは曲芸師の経歴を持ち、ロートレックお気に入りのモデルでロートレックが最初に才能を認めた画家だったシュザンヌ・ヴァラドン Suzanne Valadon (1865-1938) ではないかとする見方があります。
曲馬演技指揮者はムッシュ・ロイヤル Monsieur Loyal 、ピエロは用意された紙製の輪を差し出す準備に・・。女曲馬師の衣装はガーゼとスパンコール製のチュチュ tutu
当初 (1888₋1914) 、この絵はモンマルトルのキャバレー:ムーラン・ルージュ Moulin Rouge にありました。

Au cirque Fernando, l’écuyère (1888) / Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Art Institute of Chicago

* ミシェル・バトール仮想美術館 Musée imaginaire de Michel Butor  にある105画家の105作品において、ロートレックの作品としてこれが取り上げられています。
55年ぶりにパリに帰ってきました (1964|2019)。

日枝神社 の御朱印に”二葉葵紋”

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日枝神社の御朱印 / 日枝神社

“皇城の鎮 (しずめ) ” 日枝神社の御朱印です。
神紋の「二葉葵」が入っています。
大山咋:オオヤマクイを祭神とする日吉大社、松尾大社と同じですがデザインは違います。
賀茂御祖 (かもみおや) 神社 (下鴨神社) 、賀茂別雷 (かもわけいかづち) 神社 (上賀茂神社) の神紋も二葉葵 (賀茂葵紋) です。
貴船神社もそうでした。
元准勅祭社 (1868₋70) 12社の内、都区内10社:”東京十社” の一社であることの印。

フランス学士院の日時計 – 2

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Cadran solaire / Institut de France / Cour d’honneur

フランス学士院 Institut de France の中庭 Cour d’honneur に面した壁面に ”午後の日時計” と一対になっている ”午前の日時計”  (2008年復元) 。
冬時間の午後3時半頃なので影はありません。
モットーは<Nocte pulsa refulgen mentibus 夜を追い払い心を啓発す>
時間を示すローマ数字の他、上から黄道十二宮 Signe du zodiaque のやぎ座 (12.22-01.20)、おひつじ座 (03.21-04.20)及びてんびん座 (09.23-10.22)、かに座(06.22-07.22) のシンボルマークと日蔭線が入っていて月日の目安になります。
10月26日なので、♑と ♎♈ ラインとの間に影の先端が入るはずです。

 

フランス学士院の日時計

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Cadran solaire / Institut de France / Cour d’honneur

フランス学士院 Institut de France  の科学アカデミー350周年 (2016) に合わせて復元された”午後の日時計”。
中庭 Cour d’honneur に面した壁面に”午前の日時計”と一対になっています。歴史的建造物と一体で保全されている日時計がフランスには63あるそうです。
Sol maturat fructus Minervae 太陽がミネルヴァの実を熟す>、ここでのミネルヴァは知恵を司る女神でマザラン枢機卿創設の大学に相応しい標語 / モットーと思いました。

サイクリストのカウントシステム

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Nouveau système de comptage des cyclistes / Rue de Rivoli

夏にはなかったパリ市の”サイクリストのカウントシステム”がパリ市庁舎横のリヴォリ通りに設置されました。
サイクリストロードを走行する員数をカウントします。今年の員数 Cyclistes cette année の表示が79になっていますが・・
Paris à Vélo はパリの自転車レンタル サービス会社です。

2019.10.26.

右の建物がパリ市庁舎 Hôtel de Ville de Paris 。

石上神宮の御朱印に「七支刀 (しちしとう) 」

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石上神宮の御朱印 / 七支刀(しちしとう) / 奈良

石上神宮の社宝で国宝になっている「七支刀 (しちしとう) 」が入っている御朱印です。
百済からの朝貢品とされています。日本書紀にある七枝刀 (ななつさやのたち) との関連も指摘されているようです (370頃?) 。

石上神宮の拝殿

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ニギハヤヒを祖とする物部氏が祭祀してきた布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)を主祭神として創建された石上神宮の拝殿です。崇神7年(247頃)と社伝にあります。
注連縄は左末右本です。国宝。

石上神宮の拝殿 / 石上神宮 / 奈良

石上神宮の楼門

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記紀に記された神宮は<石上神宮(いそのかみじんぐう)>と<伊勢神宮>のみ。
ニギハヤヒを祖とする物部氏が祭祀してきた布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)を主祭神としています。
国宝の摂社 出雲建雄神社拝殿前から石上神宮の楼門と拝殿(国宝)を見下ろしたところです。

石上神宮の楼門 / 拝殿 / 摂社 出雲建雄神社拝殿 / 奈良

* 伊勢神宮の古名とされる磯宮(いそのみや)との類似性が気になる。トヨスキイリヒメに天照大神を祀らせたり、オオタタネコを大物主大神を祀る祭主にしたのと崇神同時期の創建。
スサノオが八岐大蛇を斬った十握剣が石上布都魂神社(吉備)から遷されたと伝わる。
スサノオ(フツシ)の父はフツ、子のニギハヤヒはフル。拝殿の北に布留川、東に布留山。

ホケノ山古墳:豊鍬入姫命の墓?

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ホケノ山古墳 / 箸墓古墳 / 纒向型前方後円墳 / 纒向古墳群 / 奈良

大神神社が崇神天皇の皇女豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメ)の墓としている”ホケノ山古墳”です。右端の木の向こうに倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメ)の墓とされる”箸墓古墳”がちらっと見えています。
古墳時代前期初頭の纒向型前方後円墳ともいわれるホタテ貝型の前方後円墳で三段の後円部になってます。3世紀中頃の築造とみられています。

三輪山と山の辺の道

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左の山が三輪山です。山全体が大神神社の境内です。その山裾を日本最古の古道”山の辺の道”が走っています。右側の山裾に大神神社、画面外の右側に倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメ)の墓とされる箸墓古墳があります。

三輪山と山の辺の道 / 奈良

* 倭迹迹日百襲姫命が卑弥呼とする説を支持している。

狹井坐大神荒魂神社 (狭井神社) の注連柱と拝殿

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大神神社の摂社の一つ狹井坐大神荒魂神社 (狭井神社) の注連柱と拝殿と後ろに本殿。注連柱の注連縄は普通に見られるのとは逆の”左本右末”になっています。左に御神体登拝申し込み受付所があり、”霊泉薬井”もありますので人で賑わっていました。

狹井坐大神荒魂神社 (狭井神社) / 大神神社摂社 / 山の辺の道 / 奈良

* サイとはヤマユリの古語。
祭神は大神荒魂神(大物主神の荒魂) 大物主神 姫蹈鞴五十鈴姫命 勢夜多多良姫命 事代主神の五座。ニギハヤヒと息子夫婦とその娘(神武皇后)。
淳名城入姫命 (ぬなきいりひめ) に勅して宮殿から日本大国魂大神を移して創起した(大和神社)のと同じ社伝があるという。

大神神社の「注連柱」

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大和国一之宮、大物主大神を祭る大神神社 (おおみわじんじゃ) の「注連柱 (しめはしら)」です。拝殿側から見ていますが、注連縄の左側が細くなっています。出雲大社も同様です。

注連柱 / 大神神社 / 奈良

* 拝殿・本殿を見て右側が細くて左側が太い注連縄のことを”左本右末”の注連縄と言います。

橿原神宮の外拝殿から内拝殿を

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橿原神宮の外拝殿(げはいでん)から廻廊に囲まれた外院斎庭越しに内拝殿を見たところです。
屋根の上に幣殿の千木(外削ぎ)と鰹木が覗いています。本殿はその後方で見えません。

橿原神宮の外拝殿・内拝殿 / 奈良

橿原神宮の第一鳥居

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橿原神宮は神武天皇の宮:畝傍橿原宮があったとされる地に創建された (1890) 神宮です。
祭神は神武天皇と皇后の媛蹈韛五十鈴媛命です。          2020.03.20.

橿原神宮第一鳥居/ 橿原神宮 / 奈良

媛蹈韛五十鈴媛命 (ひめたたらいすずひめ) はニギハヤヒの息子事代主命(大山咋命)の娘。

賀茂御祖神社 (下鴨神社) の御朱印に”二葉葵紋”

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賀茂御祖神社 (下鴨神社) の御朱印 / 賀茂御祖神社 / 京都

山城國一之宮である賀茂御祖 (かもみおや) 神社 (下鴨神社) の御朱印です。
神紋の「二葉葵」が入っています。
”二葉と一輪の花”の「賀茂紋」の一つですが、神社によって少しづつデザインが違います。
祭神は賀茂建角身命と姫神の玉依媛命。
玉依媛命の御子神の賀茂別雷命が上賀茂神社の祭神。
両社合わせて賀茂社(賀茂神社)という。

貴船神社参拝の6年前の同月同日 (2014.03.21.) に参拝しています。

* 玉依媛命の夫神はニギハヤヒの子:事代主命(大山咋命)で、神武妃の五十鈴姫は賀茂別雷命と兄弟との説を採りたい。

緊急事態宣言発令(官報に告示):東京など4都県、大阪など2府県、福岡。5月6日まで。

賀茂別雷神社 (上賀茂神社) の御朱印に”二葉葵紋”

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賀茂別雷神社 (上賀茂神社) の御朱印 / 賀茂別雷神社 (上賀茂神社) /京都

賀茂別雷 (かもわけいかづち) 神社 (上賀茂神社) の御朱印です。
神紋の「二葉葵」が入っています。
”二葉と一輪の花”の「賀茂紋」の一つですが、神社によって少しづつデザインが違います。

貴船神社参拝の6年前の同月同日 (2014.03.21.) に参拝しています。

貴船神社の御朱印に”二葉葵紋”

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貴船神社の御朱印に”二葉葵紋” / 貴船神社 / 京都

貴船神社の神紋は「左三つ巴」と「二葉葵」です。
御朱印には「二葉葵紋」が使われています。二葉と花です。
現奥宮社殿の流損により本宮が奉遷されて (1055) 以降、賀茂別雷神社 (上賀茂神社)の摂社であった痕跡と思われます。
「左三つ巴紋」は水神 (高龗神) かと。

賀茂御祖 (かもみおや) 神社 (下鴨神社)松尾大社の神紋も二葉葵です。いわゆる”賀茂葵”です。

春日灯籠が連なる貴船神社の石段参道

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貴船神社の石段参道 / 春日灯篭 / 貴船神社 / 京都

貴船神社の二之鳥居を入ってすぐの石段参道です。
参道の左右に春日灯籠の”献燈”が連なっています。
頂上に見える神門をくぐって左に階段を昇ると本宮です。
祭神は奥宮と同じ高龗神(たかおかみのかみ)です。

本宮、奥宮に参って貴船川沿いを下り、二之鳥居の少し下流にある”鞍馬寺 西門”から鞍馬寺に向かいました。
”義経公背比べ石”のある”木の根道”に至れば鞍馬寺はもうすぐです。

貴船神社 奥宮 (創建の地)

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貴船神社 本宮から貴船川上流に創建の地:奥宮(おくのみや)があります。祭神は高龗神(たかおかみのかみ)です。
洪水によって社殿が流損 (1046) したため現在の本宮に奉遷 (1055) されました。
入母屋造妻入の拝殿の奥に見える本殿の真下には”龍穴”があり、大和の室生龍穴、備前岡山の龍穴と共に日本三大龍穴の一つになっています。本殿の左に伝説の黄船を囲った”御 船形石”。

貴船神社奥宮 / 船形石 / 京都

* 高龗神・・瀬織津姫を思い起こさせます。末社の祭神:味耜高彦根命、大山咋神、五十鈴姫命・・ニギハヤヒの影が見えるようです。そしてアマテルとセオリツヒメが。

絵馬発祥の社 貴船神社

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水神 貴船神社は「絵馬発祥の社」としても知られています。
歴代天皇が炎旱の時には黒馬を霖雨の時には白馬(又は赤馬)の生き馬を献じて雨乞い・雨止みを祈願していたものを馬形の板(板立馬)に替えたことが絵馬の起源になったといいます。
この石垣の上が本宮です。

絵馬発祥の社 / 貴船神社 本宮 / 黒馬と白馬 / 京都

総本社 貴船神社の二之鳥居

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貴布禰總本宮 貴船神社の二之鳥居 / 京都

元祖川床の料理旅館 ”貴船 ふじや” 横に貴布禰總本宮 貴船神社の二之鳥居があります (献燈 ふじや)。
右横を流れる貴船川に川床が並ぶ納涼の時期や紅葉の時期が最高ですが、今は新緑にも暫くといったところです。

叡山電鉄鞍馬線の貴船口駅から30分ほど歩きました。
一之鳥居は貴船口より下流の鞍馬川沿いにあります。

2020.03.22.

 

ケーブル延暦寺駅展望台から琵琶湖を・・

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比叡山鉄道線の”坂本ケーブル”の終点:ケーブル延暦寺駅の展望台から琵琶湖の眺望です。
天気は良いのですが春霞でしょうか?北湖と南湖の境目に架かる”琵琶湖大橋”が見えています。こちら側は大津市今堅田で対岸は守山市です。

ケーブル延暦寺駅の展望台から琵琶湖の眺望

親鸞も日蓮も修行した延暦寺 / 宮沢賢治歌碑

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ねがはくは 妙法如来正偏知 大師のみ旨 成らしめたまへ
浄土真宗の父と日蓮に傾倒し対立していた賢治が延暦寺を訪れて(1921)、根本中堂で詠んだ歌です (妙法如來正遍知とは釈迦のこととも薬師如来のこととも。お釈迦さま、どうか伝教大師さまの忘己利他の願いを叶えさせてあげてください。といったところ)。
両者が修行した叡山に父が誘って賢治を思い留まらせようとしたと言われているそうです。

宮沢賢治歌碑 / 根本中堂横 / 延暦寺 / 大津

* 中学校の野外授業で根本中堂を訪れた。宮沢賢治歌碑 (1957) は未だなかった。

春日大社の神使 鹿 がお出迎え

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春日大社の神使 鹿 / 春日大社ニノ鳥居 / 奈良

春日大社一之鳥居から表参道を進んで春日大社二ノ鳥居を入ったところで可愛い鹿の出迎えを受けました。
春日大社の神使は鹿です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

メルケル首相に続き、ジョンソン首相罹患

”山の辺の道”沿いの古墳を見て回りました。

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”山の辺の道”を歩いているといくつもの古墳に出くわします。
渋谷向山古墳は景行天皇 山邊道上陵に治定されている柳本古墳群の一つで、すぐ北に行燈山古墳 / 崇神天皇山辺道勾岡上陵があります。
景行天皇陵拝所は前方部にあり、見えていない後円部の周りを山の辺の道が通っています。

渋谷向山古墳 / 景行天皇 山邊道上陵 / 柳本古墳群 / 山の辺の道 / 奈良・天理

 

石清水八幡宮参道ケーブル に”阿吽の鳩の巴紋”

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阿吽の鳩 / 石清水八幡宮参道ケーブル / ケーブル八幡宮山上駅 / 京都・八幡

リニューアルされた石清水八幡宮参道ケーブルの車両(あかねとこがね)に”阿吽の鳩”の左二つ巴紋が・・
八幡宮の神使は鳩で、楼門に”阿吽の鳩”の錺金具 (かざりかなぐ) が付いています。そして、神紋は”流れ左三つ巴”です。この二つをモチーフにしたロゴでしょう。
右側の鳩の口が開いています。阿の鳩です。
ケーブル八幡宮山上駅。

石清水八幡宮 御本社 阿吽の鳩

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石清水八幡宮の楼門です。奥に舞殿・幣殿・八幡造りの本殿(内殿・外殿)が続き四方を回廊が囲んでいます。
蟇股部分に”阿吽の鳩”の錺金具が見えます。鳩は神使です。神紋は”流れ左三つ巴”です。
源義家は石清水八幡宮で元服し自らを”八幡太郎義家”と名乗りました。
宇佐八幡宮 (725) から勧請された (860) ”やわたのはちまんさん”は伊勢神宮に次ぐ宗廟。

石清水八幡宮の楼門と回廊 / 阿吽の鳩 / 京都・八幡

京阪電鉄石清水八幡駅からケーブル八幡宮山上駅まで”石清水八幡宮参道ケーブル”に乗りました。* 樟葉に住んでいた頃は男山ケーブルと言ってました。

鞍馬寺仁王門 阿吽の虎

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鞍馬寺 / 仁王門(山門) / 阿吽の虎 / 京都

最終日の昨日は貴船神社から鞍馬寺を回りました。
鞍馬寺仁王門 (山門) 前には”阿(吽)の虎”がいます。本殿金堂前にもいます。本尊の毘沙門天の神使は虎(神獣)ですので。
寺紋は菊の花を横から見た菊紋の一種とされています。

お土産は”京・くらま 林”の子持ちきくらげ、出町”ふたば”の京の生菓子 名代豆餅、”七味家”の辛口唐からし等にしました。

* <鞍馬の火祭>に行った52年前を思い出しました。

 

長さ日本一の ”坂本ケーブル” で比叡山延暦寺へ

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長さ日本一の ”坂本ケーブル” / ケーブル坂本駅 / 大津

昨日は比叡山延暦寺を訪れました。
比叡山鉄道線の”坂本ケーブル”に乗りました。縁号と福号で往復していますが、これは福号です。
観光客は非常に少ないです。

大神神社 / 山の辺の道を歩きました。

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昨日は 山の辺の道を歩きました。総歩数4万5千歩でした。
日本最古の神社、大和國一之宮<大神神社>の拝殿です。本殿は背後の三輪山です。
祭神は大物主大神、日本国(ヒノモト)を建国したニギハヤヒです。スサノオの息子です。

大神神社 / 山の辺の道

白のブラウスを着た赤毛の女 / ロートレック

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ロートレック Toulouse-Lautrec (1864-1901) はモンマルトルで赤毛の女カルメン・ゴーディン Carmen Gaudin (1866?–1920) に出会い魅了されました (1884) 。彼女が頭髪を茶毛に変える迄モデルとして多くの作品を制作しました。

Femme rousse en caraco blanc (1889) / Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Museo Thyssen-Bornemisza (Madrid)

<白のブラウスを着た赤毛の女 Femme rousse en caraco blanc (1889)>もその一つです。
白のブラウスは当時の洗濯女の謂わば制服でした。そして洗濯女は夜は娼婦と相場が決まっていたようです。
マドリッドのティッセン=ボルネミッサ美術館 Museo Thyssen-Bornemisza が所有しています。
“トゥールーズ=ロートレック 断然モダン展” にて。

ロートレックによる Le Photographe Sescau (1894)

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ロートレック Toulouse-Lautrec (1864-1901) 作のリトグラフ< 写真屋セソー Le Photographe Sescau (1894)>です。ピガール広場9番地にあった写真館 P. Sescau のポスターとして制作されました。?模様など斬新なデザインが盛り込まれています。右下に見られる ”象のモノグラム” は1895年以降にロートレックがしばしば使用したサインです。

Le Photographe Sescau (1894) / Toulouse-Lautrec (1864-1901)

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ジャンヌ・ダルクの涙 / Auzou のショコラ

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ルーアンのジャン・マリー・オーゾウ Jean-Marie Auzou 作のショコラ<ジャンヌ・ダルクの涙 Les Larmes de Jeanne d’Arc>をお土産にいただきました。ジャンヌ・ダルクは「オルレアンの乙女」と言われますがルーアンでは単に「乙女 la Pucelle」で通じるらしいです。

Les Larmes de Jeanne d’Arc / Jean-Marie Auzou / Rouen

『1412年、ドンレミに生まれた貧しい羊飼いジャンヌダルクはその後騎士たちに囲まれ共に闘いました。彼女の闘志は優しさそのものでした。コンピエーヌで捕らえられ、ノルマンディー公国の首都ルーアンに連行され、宗教裁判で死刑宣告を受け、1431年5月30日、「さらし台広場」と呼ばれていた「旧市場広場」で火刑に処されました。”彼女の涙”は苦しみからではなく使命を果たせなかったことへの絶望から流されたものだったのです。ルーアンはジャンヌを支持し続けています。』とケースのサイドに、フランス語、英語と共に日本語で記載があります。

ロートレックが描いたフィンセント・ファン・ゴッホ

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ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) とゴッホ Vincent van Gogh (1853-90) は

Vincent van Gogh (1887) / Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Van Gogh Museum , Amsterdam

モンマルトルのフェルナン・コルモン Fernand Cormon (1845-1927) の画塾 (1882-) に共に通っていた時期があります (1886-87) 。接点はこの2年間だけです。
両者アルコール依存症で、このパステル画<フィンセント・ファン・ゴッホ Vincent van Gogh (1887)>にも象徴的にアブサンを描きこんでいます。
先生の影響からかこの頃の二人の画風には共通性があるように見受けられます。お互いに才能を評価し合っていたようです。
アムステルダムのファン・ゴッホ美術館所有。7年前の現地では鑑賞できませんでした。
“トゥールーズ=ロートレック 断然モダン展” にて。

ロートレックによる「裸婦の習作」

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Étude de nu , Femme assise sur un divan (1882) / Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Musée Toulouse Lautrec d’Albi

ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) がパリに戻って、モンマルトルにあったレオン・ボナ Léon Bonnat の画塾に次いでフェルナン・コルモン Fernand Cormon の画塾に通っていた頃の作品<裸婦の習作 / 長椅子に座っている女性 Étude de nu , Femme assise sur un divan (1882)> 。
母親であるトゥールーズ=ロートレック伯爵夫人アデルがアルビのトゥールーズ=ロートレック美術館に寄贈したもの。

“トゥールーズ=ロートレック 断然モダン展” にて。

ロートレックが魅了されたイギリス人女性 Miss Dolly

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L’Anglaise du Star au Havre (1899) / Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Musée Toulouse Lautrec d’Albi

セーヌ川の河口の町ル・アーヴル Le Havre にあったカフェ・コンセール cafés-concert の一つ、” Star ” のバーメイドだったイギリス人女性ドリィ嬢 Miss Dolly
毎年夏ボルドーへ船旅するため訪れていたロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) は彼女に魅了されてこれ<L’Anglaise du Star au Havre (1899)>を描いた。

アルビのトゥールーズ=ロートレック美術館所蔵。
“トゥールーズ=ロートレック 断然モダン展” にて。

ボワシー・ダングラ通り から エルメス本店を

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Hermès / Rue Boissy d’Anglas / Rue du Faubourg Saint-Honoré

手前左に在仏アメリカ合衆国大使館があるので警備が厳しい。この日 (2019.10.21.) は何時にも増した態勢だった。
エルメス本店屋上の騎馬像

SNCF (国鉄) とRATP (パリ交通公団) の年金改革に対するストライキが継続中。
ダイヤ通りに運行されているのはメトロ1号線と14号線のみ。RER A と RER B 線は朝夕のラッシュ時でも2本に1本の運行。

正月休暇を終えパリから帰ってきたMonsieur H. は交通渋滞に悩まされたと・・。

 

ルグドゥノム・ブション・リヨネ / 神楽坂 本田横丁

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Lugdunum Bouchon Lyonnais / Fête des Lumières Lyon / 神楽坂・本田横丁

神楽坂通りを入った本田横丁にある Lugdunum Bouchon Lyonnais でのパーティ (コース料理) がありました。
フランスのリヨン料理のお店です。

おせち料理を予約により提供しています。
Fête des Lumières Lyon の蝋燭。

パリ動物園の シロサイ

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パリ動物園 Parc Zoologique de Paris の全面リニューアル5周年の今夏、お目当てで訪れたシロサイ。二頭ともオスのワミ君とアンガス君 Wami et Angus 。大きい方がワミ君のようです。

Wami et Angus / Rhinocéros blanc / Parc Zoologique de Paris

ロートレックの “ホイール La Roue” サンパウロ美術館

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La Roue (1893) / Museu de arte de São Paulo / Grand Palais

グラン・パレにて開催中の “トゥールーズ=ロートレック 断然モダン展”  Toulouse-Lautrec / Résolument Moderne で鑑賞できた サンパウロ美術館所有の<ホイール La Roue (1893)>  です。段ボール紙に油彩です。
足を挙げた踊り子のスカートがホイールか車輪のように見えます。ドガの影響を受けているかなと思ったりしました。

幻のラグビー ”イングランド v フランス” 戦チケット

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関東・甲信から東北にかけて大災害を惹き起こした台風19号 (ハギビス/Hagibis) の接近により、ラグビーワールドカップ2019 の予選の好カードだった 「イングランド v フランス」戦は開催中止となりました。これはその時のチケットです。
被災された方々にお見舞いを申し上げます。

Rugby World Cup 2019

マザランの慰霊碑 / フランス学士院

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Cénotaphe de Mazarin / Coupole de l’Institut de France / Chapelle du collège des Quatre-Nations

現在フランス学士院として使われているジュール・マザラン Jules Mazarin (1602-61) が創設した (旧) 大学 Collège des Quatre-Nations の礼拝堂にマザランの慰霊碑 (墓所) はあります。
リシュリュー枢機卿・宰相の後任として実質上の宰相であったマザラン枢機卿はソルボンヌの礼拝堂に墓所を持った先任に倣って自ら大学を創設したとも伝えられているようです。
棺の上にマザラン像とファスケス Faisceau を抱く天使。頂部にマザラン枢機卿の紋章。シールドにあるマザリンの紋章はファスケスに3個の五芒星。

フランス学士院 の ナポレオン1世像

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フランス革命後ナポレオン1世はルーヴル宮にあったフランス学士院をマザランの創設した大学 Collège des Quatre-Nations に移転しました (1805) 。         フランス学士院

Napoléon empereur (1807) / Philippe-Laurent Roland (1746-1816) / Coupole de l’Institut de France

大学の礼拝堂だったクーポール (丸屋根) のニッチにナポレオンの全身像が置かれています。フィリップ=ローラン・ローランド Philippe-Laurent Roland (1746-1816) の作品<Napoléon empereur (1807)>です。
頭に月桂冠、ミツバチ模様のコートを着、レジオン・ドヌール勲章を付けた鷲のネックレス、左手に王杖、右手に月桂樹の花輪を持っています。花輪を置いた台座にはローマ神話で「知恵と戦略の女神ミネルヴァ Minerve 」の浅浮彫が・・
ミツバチ、鷲は皇帝ナポレオンの属性です。

”パリ消防旅団” の河川救助部隊基地 CS La Monnaie

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パリ消防旅団 Brigade des sapeurs-pompiers de Paris の河川救助部隊基地:CS ラモネ Centre de secours La Monnaie  (セーヌ川左岸コンティ通りにある造幣局 La Monnaie に因んで) が画面下に見えています。パリ消防のロゴ Logo des Pompiers de Paris も。
セーヌ川に突き出ているのがシテ島の下流端で、2段の高水敷になっています。アンリ4世の愛称:伊達男 / ヴェール=ギャラン Vert-Galant という名の公園です。右岸左の建物はルーヴル美術館の東端 ペロー コロネード Colonnade de Perrault です。

Centre de secours La Monnaie / Brigade de sapeurs-pompiers de Paris / Square du Vert-Galant / Colonnade de Perrault / La Seine

 

ブタペスト美術館から ロートレックの “食堂の女性達”

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ブタペスト美術館 Szépművészeti Múzeum 所蔵のロートレックの <食堂の女性達 Ces dames au réfectoire (1893-94)>をグラン・パレで開催中の「トゥールーズ=ロートレック断然モダン展」で観ることができた。(30年近く前ブタペストを訪れた時に観た気がするが・・)
高級売春宿「ムーラン通り Rue des Moulins / 白い花 La Fleur blanche」の食堂での作品。
三人の女性は<ムーラン通りのサロン Salon de la rue des Moulins (1894-95)>の二人と<長椅子 Le Divan (1893頃)>の女性と思われます。前者の二人は同じ衣装を着けていることから愛人関係にあることを匂わせています。背後の鏡と左に他の二人、合わせて五人の女性が描かれています。

Ces dames au réfectoire (1893-94) / Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Szépmuvészeti Muzéum (Budapest)

フランス学士院から見た 秋のセーヌ川

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La Seine / Institut de France / Pont des Arts / Quai de Conti

フランス学士院の中から見たセーヌ川の秋の風景です。
セーヌ川に架かる人道橋のポンデザール Pont des Arts とカルーゼル橋が見えています。
右岸の建物はルーヴル美術館です。

フランス最古の公共図書館:マザラン図書館

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Bibliothèque Mazarine

ルイ14世の摂政:オーストリアのアン / アンヌ・ドートリッシュ Anne d’Autriche を補佐したマザラン枢機卿 (1602-61) が私的に開設し学者等に解放した図書館に起源 (1643) を持つ。
マザラン図書館 Bibliothèque Mazarine の閲覧室の様子。

ムーラン通りのサロン / トゥールーズ=ロートレック

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トゥールーズ=ロートレックが足繁く出入りしていた高級売春宿「ムーラン通り Rue des Moulins / 白い花 La Fleur blanche」のサロンをキャンバスに油彩で描いた作品<Salon de la rue des Moulins (1894-95)>です。
中央の女性がロートレックお気に入りのミレイユでその右が女主人:マダムです。アルビ Albi のトゥールーズ=ロートレック美術館が所有。
ブラジルから来た ロートレックの「長椅子 Le Divan」の背景を見ると、同じ長椅子を描いているようです。

Salon de la rue des Moulins (1894-95) / Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Musée Toulouse-Lautrec

ブラジルから来た ロートレックの「長椅子 Le Divan」

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グラン・パレにて開催中の “トゥールーズ=ロートレック 断然モダン展”  Toulouse-Lautrec / Résolument Moderne で鑑賞できた<長椅子 Le Divan (1893頃)>です。豪華売春宿「ムーラン通り」のサロンを描いた作品のようです。ブラジルのサンパウロ美術館 Museu de arte de São Paulo からの出展でした。初めて本物を見れました。段ボールに油彩の作品。

Le Divan (vers 1893) / Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Museu de arte de São Paulo