自由劇場 Théâtre-Libre (1887-96) で上演されたマルセル・ルゲー Marcel Luget (1865-1934) 作の演劇小説 ”宣教師 Le Missionnaire (1894)” の劇場プログラム。 トゥルーズ=ロートレックによるリトグラフで制作された。 フランス国立図書館 Bibliothèque nationale de France 所蔵。
自由劇場を創設・主宰し、リアリズム演劇の先駆けとなったアンドレ・アントワーヌ André Antoine (1858-1943) がプロデューサーで、ナレーションを自身が受け持ったらしい。
Victor Joze ことジョーズ・ドブルスキー Joze Dobrski (1861-1933) の小説 ”ドイツのバビロン Babylone d’Allemagne” の宣伝ポスター (1894) 。トゥールーズ=ロートレックの作品。パリ装飾芸術美術館 Musée des Arts Décoratifs が所有しているもの。 ペンネーム:ビクター・ジョーズ Victor Joze の作品”快楽の女王 Reine de joie par Victor Joze”の宣伝ポスター (1892) もロートレックが手掛けました。そのリトグラフは H.T. ロートレック美術館も所有しています。
ミリ=ラ=フォレのジャン・コクトーの家 Maison de Jean Cocteau に展示されていた<ハリウッドの夢 Rêve hollywoodien (1953)>です。ジャン・コクトーの自作ですが、色使いが気に入った猫にも見える(お留守番の愛猫 Rose を思いながら)ライオン部分を写しました。 2014.08.07.
ジャン・コクトーがパレロワイヤル (36 Rue de Montpensier) の煩わしさから逃れて晩年を過ごしたミリ=ラ=フォレのジャン・コクトーの家 Maison de Jean Cocteau 。 書斎からの入り口にはドアノッカーが付いている。デザインの異なる3脚の椅子は居間と書斎のものとも違う。暖炉の上の彫像は母方の祖父から受け継いだものらしい。
ジャン・コクトーがパレロワイヤル (36 Rue de Montpensier) の煩わしさから逃れて晩年を過ごしたミリ=ラ=フォレのジャン・コクトーの家 Maison de Jean Cocteau 。 居間 Salon では、恐らくコクトー選りすぐりの愛用品の数々を見ることができる。椅子を見るだけでも分かる気がした。 2014.08.07.
<犬のカーニヴァル Chiens savants ou Le Carnaval des chiens (1922)>。自作の乳白色の画材を用いた<モンパルナスのキキ>で成功を収めた年の作品。個人蔵。 上段に懸けられているのはジュイのトワル toile de Jouy 。ヴェルサイユに近い街ジュイ=アン=ジョザ Jouy-en-Josas で生産され (1759) インディアンの名で有名になった更紗 Chintz だ。ここで使われているのはジロンド県のボーティラン Beautiran で織られた「愛の芸術 L’art d’aimer (1800 頃)」という名の作品で、Musée de la Toile de Jouy で観れる。
ルネサンス美術館が入っているエクーアン城 Château d’Écouen (1538-50) の正面。右上とその左空濠手前の鉄門扉右端の間に建設者であるアンヌ・ド・モンモランシー Anne de Montmorency (1492-1567) の紋章が残っている。名門貴族モンモランシー家の出でフランソワ1世、アンリ2世等に仕えたフランス元帥。名の由来モンモランシーはここから南東数キロ。
父が遺贈されたシャンティイ城で生まれ、改造したことでも知られる。彼の騎馬像が城の正面に置かれている。
ブランデンブルク選帝侯でプロイセン公 (在位:1640-88) のフリードリヒ・ヴィルヘルム Friedrich Wilhelm (1620年-1688) が制作を依頼したことに始まる (1660 ou 1670) セダン型馬車。彼はこの馬車を使用して、ブランデンブルクのベルリンからフランスのパリまで行きセンセーションを巻き起こした。当時の他の車体より耐久性に優れ、便利で、軽量で、転倒の可能性も低かったからだ。パリではベルリンに因んで<berline>と呼称した。今もセダン型自動車をフランス語ではベルリン berline という。 馬車博物館 Musée des équipages にて。
車体にある紋章はヴォー=ル=ヴィコント城の現在の所有者ヴォギュエ一族 Famille de Vogüé の紋章。。前に御者席(エンジン)、後に荷台が完全分離されている。
ルノワール Auguste Renoir (1841-1919) がココの胸像 Bust de Coco (1907~1908) を制作してから約1年後に描いた<ピエロに扮したクロード・ルノワール Claude Renoir en clown (1909)>。オランジュリー美術館で観れる。高さ120㎝ の等身大で描いたとみられている。
マネの<剣を持った少年 L’Enfant à l’épée (1861)>(メトロポリタン美術館所蔵) にポーズが似ているとも。
写真家で画家のドラ・マール Dora Maar (1907-97) はピカソ Pablo Picasso (1881-1973) の代表作 ”ゲルニカ Guernica (1937) ” の制作過程を記録したことで知られるピカソの愛人 (1936₋43) 。
前の愛人マリー・テレーズ・ウォルター Marie-Thérèse Walter (1909-77) との関係も続いていた。両者はゲルニカのモデルに使われているという。 <ドラ・マールの肖像 Portrait de Dora Maar (1937) >、キャンバスに油彩とパステル。
暗い色調で描いている。
パリのピカソ美術館にて。
プチ・パレの建築家シャルル・ジロー Charles Girault (1851-1932) が自らデザインしたというアールヌーヴォー様式の階段。ジャン=バティスト・カルポー Jean-Baptiste Carpeaux (1827-75) 作の<4人の子供に囲まれたウゴリーノ Ugolin entouré de ses quatre enfants (vers 1862) >の彫像(緑青石膏)が階段下に置かれている。
ゴーギャン Paul Gauguin (1848-1903) がゴッホと共同生活をしたアルルで描いたものとみられている<杖を持つ老人 Vieil homme au bâton (1888)>。彼が使用していた油壷や筆洗等が合わせて展示されていた。
ガラスケースの反射で見難いが、頭部と杖を持つ手以外の油彩が薄く未完作とされる。
年末までの2か月余りゴッホの招きを受けてポン=タヴァン Pont-Avenを離れてアルルに滞在した。
プチ・パレ美術館所蔵。 2018.07.19.
芝生に座っているような、そうでないような。しかも両足は野原に埋まっている。何とも奇妙で忘れられないアンリ・ルソー Henri Rousseau (1844-1910) の作品<人形を抱いた少女 L’Enfant à la poupée (1892)>。
少女らしくない少女の上半身は前向き、下半身は横向きのエジプトスタイル。細い右手に段ボール人形、左手に雛菊。
生粋のプリミティズム Primitivisme アートで素朴派 Art naïf の代表とされるルソーだが、初期イタリアルネサンスの画家パオロ・ウッチェロ Paolo Uccello (1397-1475) の影響を受けているとみられている。
オランジュリー美術館所蔵。
セーヌ川 La Seine にパリ万博 2000 の会場連絡路として架けられた人道橋ドゥビリ橋の下流左岸のブルドネ港 Port de la Bourdonnais と背後に初代イスラエル首相 の名を冠した(2010) Esplanade David Ben Gourion (1886-1973) 。 2017.08.11.
ブルドネ港は”バトー・パリジャン Bateaux Parisiens ”の乗船基地(エッフェル塔とノートルダム)の一つで、着岸しているのが見える。緑地帯ダヴィド・ベン=グリオンの遊歩道の向こうにはケ・ブランリ美術館 Musée du quai Branly がある。
モーリス・ユトリロ Maurice Utrillo (1883-1955) がモンマルトルの古くからの急勾配の道モン=スニ通り Rue du Mont-Cenis の往来を描いた<ラ・メゾン・ベルノ La Maison Bernot (1924)>。ノルヴァン通りとの交差点付近からの風景(1912~14頃)かと‥右端にサクレクールの鐘楼。
この年の絵には人物が珍しく多い。女性の臀部も気になる。イーゼルを立てた男性はユトリロ自身かも。オランジュリー美術館所蔵。
母親のシュザンヌ・ヴァラドン Suzanne Valadon (1865-1938) と継父がユトリロのアルコール依存症対策のために購入した (1923) リヨン手前のサン=ベルナールの Château de Saint-Bernard (ユトリロの城) で、絵葉書と記憶を基に描いたとされている。
<二日酔い Gueule de bois (1987-88頃)>として有名なトゥールーズ=ロートレックの作品。<シュザンヌ・ヴァラドン Suzanne Valadon (1865-1938) の肖像>とも呼ばれる。アルビのトゥールーズ=ロートレック美術館所蔵。 彼女は曲芸師の経歴を持ち、ロートレックお気に入りのモデルでロートレックが最初に才能を認めた独学の画家だった。また、モンマルトルの画家 モーリス・ユトリロ Maurice Utrillo (1883-1955) の母としても知られる。
この鉛筆画のスケッチに基づく同名の油絵 (1888頃) はハーバード大学美術館 Fogg Art Museum が所有している。
トゥールーズ=ロートレックによる<フェルナンドサーカスにて、女曲馬師 Au cirque Fernando, l’écuyère (1888)>。キャンバスに油彩。シカゴ美術館 Art Institute of Chicago 所蔵。Galeries nationales du Grand Palais , Parisにて。
この女曲馬師のモデルは曲芸師の経歴を持ち、ロートレックお気に入りのモデルでロートレックが最初に才能を認めた画家だったシュザンヌ・ヴァラドン Suzanne Valadon (1865-1938) ではないかとする見方があります。
曲馬演技指揮者はムッシュ・ロイヤル Monsieur Loyal 、ピエロは用意された紙製の輪を差し出す準備に・・。女曲馬師の衣装はガーゼとスパンコール製のチュチュ tutu 。
当初 (1888₋1914) 、この絵はモンマルトルのキャバレー:ムーラン・ルージュ Moulin Rouge にありました。
* ミシェル・バトール仮想美術館 Musée imaginaire de Michel Butor にある105画家の105作品において、ロートレックの作品としてこれが取り上げられています。
55年ぶりにパリに帰ってきました (1964|2019)。
トゥールーズの日刊紙ラデペッシュ La Dépêche に連載された<トゥールーズの惨劇 Les Drames de Toulouse>の宣伝ポスター。
リトグラフは第一部の「殉教者ジャン・カラス Calas le martyr (1761)」が息子の遺体をローソクの明かりで見つけた瞬間をトゥールーズ=ロートレックが描いた作品<首吊り Le Pendu (1892)>。
周りの文字は後にラデペッシュの編集長になる Arthur Huc が作成した。作品名は<La Dépêche / Les Drames de Toulouse (1892)>。
アルビのトゥールーズ=ロートレック美術館にて。
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) は1900年の冬を、ボルドーでアパートとスタジオを借りて、ポール・ヴィオー Paul Viand (1846-1906) と過ごした。
元ボルドーの船主だった彼とは長い付き合いだったが、1899年にトゥールーズ=ロートレック家からアルコール依存症でアブサンに蝕まれたアンリの世話を依頼されていて、ロートレックは彼のことを”ヴィオー提督”と呼んでいた。
そして、二人はアルカション沖の海に出かけるのが常だった。アルカション Arcachonはロートレック8歳の時 (1872) 母親のアデールに連れられて滞在した思い出の地だった。
18世紀の<提督服を着たポール・ヴィオー Paul Viaud en tenue d’Amiral (ヴィオー提督 L’Amiral Viaud )(1901)>はロートレックによって描かれた最後の絵画の一つで、ブラジルのサンパウロ美術館 Museu de Arte de São Paulo が所蔵している。
子供の頃から馬には特別の愛情を注いできたトゥールーズ=ロートレック Toulouse-Lautrec (1864-1901) 。アルコール依存症と精神障害で入院中に記憶に基づいて描いたサーカスの絵の一つ、<サーカスにて:スペインステップ Au Cirque : Le Pas espagnol (1899) >。ニューヨークのメトロポリタン美術館が所有。
無観客ではないものの、観客が少なく描かれているのは精神障害の表れとされている。
Pas espagnol とは前足を高く上げて前方に押し出す歩行で、サーカスや馬術ショーで披露されるもので馬場馬術競技にはない。
デンバー美術館 Denver Art Museum 所有の<仮面舞踏会での休息 Repos pendant le bal masqué (vers 1899)>。トゥールーズ=ロートレック Toulouse-Lautrec (1864-1901) の作品。
段ボール紙に油彩とグワッシュ。
画商ポール・デュラン=リュエルの画廊を通じてアメリカに渡った (1936) 。
Bal masqué はヴェネチア発祥の仮面舞踏会。
グラン・パレにて催された “トゥールーズ=ロートレック 断然モダン展” Toulouse-Lautrec / Résolument Moderne にて。
新聞を読んでいるロートレックの自画像が描かれているのは<ディバン・ジャポネ Divan Japonais (1893)>のポスターの裏。ジェーン・アヴリルの姿が反対に透けて見えている。
作品名は<ル・ディバン・ジャポネのポスターの裏にある新聞を読んでいる画家の自画像 Autoportrait du peintre lisant son journal, au dos de l’affiche Le Divan Japonais (1893)>。
スイスのピエール・ジアナダ財団 Fondation Pierre-Gianadda (Martigny) が所蔵。
マネの<オランピア Olympia (1863)>のテーマをセザンヌ Paul Cézanne (1839-1906) はこのように描いた。第一回印象派展に出品した<モデルヌ・オランピア Une moderne Olympia (現代のオランピア) (1873-4) がそれだ。印象派タッチの第2ヴァージョン。 ベッドに横たわるオランピアのヴェールを黒人の召使が剥がした瞬間をセザンヌ自身と思われる人物が見上げている。そして、女性器を意味した黒猫は尻尾を立てて足下に。 マネのオランピアと同様に本作品も酷評されたが、セザンヌの才能を見抜いたエミール・ゾラはマネの作品同様に援護したという。
スペイン王フェリペ4世の王女マリア・テレサ (1638-1683) は、ルイ14世と結婚 (1660) してフランス王妃マリー・テレーズ・ドートリッシュ Marie Thérèse d’Autricheになった。
ルーヴル美術館所蔵の<後のフランス王妃、王女マリー・テレーズの肖像 Portrait de l’infante Marie-Thérèse , future reine de France (vers 1653)>はウィーンの美術史美術館 Kunsthistorisches Museum Wien 所蔵の肖像画 (右:インファンタ・マリア・テレサ INFANTIN MARIA TERESA (1652/1653頃)、公式サイトから) のレプリカの断片 (下)。額縁がいい。
ジョルジョ・デ・キリコ Giorgio de Chirico (1888-1978) はパリで開かれたアンデパンダン展、サロン・ドートンヌに出展 (1913) し、ギョーム・アポリネールの注目を受けた。後のシュールレアリズムの先駆となった形而上絵画 Peinture métaphysique の創設者の一人 (1917) 。 <赤色と黄色のドレープに座っているヌード Nu assis à la draperie rouge et jaune>に制作年の記載はないが、モデルはキリコ夫婦の肖像画<Isa et Giorgio>の Isa (キリコの妻 Isabella Pakszwer) 。いずれも1940年前後の作品とみる向きがあるようだ。キリコの未亡人イザベラにより、パリ市立近代美術館に遺贈された (2011) 。
ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) がパリに戻って、モンマルトルにあったレオン・ボナ Léon Bonnat の画塾に次いでフェルナン・コルモン Fernand Cormon の画塾に通っていた頃の作品<裸婦の習作 / 長椅子に座っている女性 Étude de nu , Femme assise sur un divan (1882)> 。
母親であるトゥールーズ=ロートレック伯爵夫人アデルがアルビのトゥールーズ=ロートレック美術館に寄贈したもの。
セーヌ川の河口の町ル・アーヴル Le Havre にあったカフェ・コンセール cafés-concert の一つ、” Star ” のバーメイドだったイギリス人女性ドリィ嬢 Miss Dolly 。 毎年夏ボルドーへ船旅するため訪れていたロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) は彼女に魅了されてこれ<L’Anglaise du Star au Havre (1899)>を描いた。
<ディアーヌ 狩猟する女 Diane chasseresse (vers 1550)>エコール・ド・フォンテーヌブロー École de Fontainebleau の匿名の画家の作品。
この女性がディアーヌ・ド・ポワチエ Diane de Poitiers (1500-66) であることはルーヴル美術館も認めている。
フォンテーヌブロー宮殿にあった<アルテミスと雌鹿 Artémis à la biche / ディアーヌと雌鹿 Diane à la biche >の彫刻家ル・プリマティス Le Primatice (1504-70) によるコピーに触発されたポーズで描かれている。
フランソワ・クルーエ François Clouet (vers 1510-72) 作の<お風呂の女性 A Lady in Her Bath (1571)>。ワシントン国立美術館では女性を特定してはいないようだが、アンリ2世の愛妾ディアーヌ・ド・ポワチエ Diane de Poitiers (1500-66) とする説が有力。
フランソワ2世の王妃スコットランド女王メアリー・ステュアート説の他シャルル9世の愛人マリー・トゥシェ Marie Touchet 説もあるらしい。
エスティロ・トロバドールの画家アレクサンドル=エヴァリステ・フラゴナール Alexandre-Évariste Fragonard (1780-1850) が描いた< ジャン・グージョンのアトリエでのディアーヌ・ド・ポワチエ Diane de Poitiers chez (dans l’atelier de ) Jean Goujon (vers 1830) >。
ルネサンスの彫刻家ジャン・グージョン Jean Goujon (1511-67) がアンリ2世の愛妾ディアーヌ・ド・ポワチエをアトリエに迎えて<鹿に寄りかかったディアーヌ Diane appuyée sur un cerf (16世紀半ば)>を制作している様を想像して描いたもの。
作者不詳のこの彫刻が当時ジャン・グージョン作と思われていたことを窺える。
オルレアンの美術アカデミーの依頼を受けてドミニク・アングル Jean-Auguste-Dominique Ingres (1780-1867) が制作した<シャルル7世のランス大聖堂での戴冠式におけるジャンヌ・ダルク Jeanne d’Arc au sacre du roi Charles VII, dans la cathédrale de Reims (1855)>。
フランス絵画史上最初の全身裸体画とされる。フォンテーヌブロー派の画家・彫刻家 ジャン・クーザン Jean Cousin l’Ancien (vers 1490- vers 1560) 作の<エヴァ・プリマ・パンドラ Eva prima Pandora (1550頃)>。ルーヴル美術館所蔵。
右手にリンゴの小枝を持ち髑髏に肘をついている。蛇の絡みついた左手で壺の蓋を抑えている。リンゴを食べてしまったイヴ、壺の蓋を開けてしまったパンドラ。背景に新旧の世界。
アンリ2世のパリ入城 (1549) に際し、ジャン・クーザンはパリのアレゴリーである「ニンフに身を包んだ新しいパンドラ」で凱旋門を装飾した。その新しいパンドラを画面中央に描いている。これからの災厄を抑えるアンリ2世に期待をかけたものかと‥
ルーヴル宮フロール翼に入っているエコール・ドュ・ルーヴル École du Louvre の入り口:ジョジャード門 Porte Jaujard 前からのエッフェル塔。
門前一対のライオン像はオーギュスト・カイン Auguste Cain (1821-94) の作品。カルーゼル広場にはマイヨール作の<着衣のポモナ Pomone drapée (1921)> 、<横たわった若い女性 Jeune fille allongée (1921)>、<苦痛 Douleur (1922)> (左から) 。
ジャック・ジョジャード Jacques Jaujard (1895-1967) は第二次大戦中のルーヴル美術館長で、ドイツ軍がパリに入る前に美術品を避難し、護り切った。それを顕彰して命名された。
<ベルトラン・デュ・ゲクラン Bertrand du Guesclin の死>。ゴブランのタピスリーで1994年のブルターニュ議会宮殿 火災からの唯一の生き残り。エドゥアール・トゥードゥーズ Edouard Toudouze (1848-1907) が描いた原画 (1904) はレンヌ美術館にある。
サン=マロで英仏海峡に注ぐランス川中流の町ディナン近郊生まれのベルトラン・デュ・ゲクラン (1320頃-80) は百年戦争 Guerre de Cent Ans (1337-1453) 初期、ブルターニュ継承戦争 (1341-65) において、イングランドのランカスター公による「レンヌの包囲 (1356-57)」を籠城で耐え抜き、シャルル5世の信任を得た。即位 (1364) 後は王に仕え、コネタブル Connétable de France として各地で活躍しブルターニュをはじめ失地の回復に貢献した。王命によりサン=ドニ教会に埋葬され、シャルル5世の足下に彼の石棺はある。
紋章は双頭の鷲に細いバンド Cotice 。上隅にフランス王とブルターニュ公国の紋章。遺骸の両脇に Bertrand du Guesclin connétable de France のリボン。上に不滅・永遠のヤシの葉。・・
レジオン・ドヌール勲章のグランクロワのバッジ Plaque de grand’croix de l’ordre de la Légion d’honneur 。レジオン・ドヌール博物館で観れる。
航空機製造会社の創設者 マルセル・ダッソー Marcel Dassault (1892-1986) が授与された (1956) バッジをヴァンクリーフ&アーペルに複製させたもの。目が眩む輝き。
共和国の象徴である「マリアンヌ Marianne」と「フランス共和国 République Française」と「名誉と祖国 Honneur et Patrie」の刻印。後者は勲章のモットー。
グラン・パレにて開催中の “トゥールーズ=ロートレック 断然モダン展” Toulouse-Lautrec / Résolument Moderne で鑑賞できた サンパウロ美術館所有の<ホイール La Roue (1893)> です。段ボール紙に油彩です。
足を挙げた踊り子のスカートがホイールか車輪のように見えます。ドガの影響を受けているかなと思ったりしました。
ブタペスト美術館 Szépművészeti Múzeum 所蔵のロートレックの <食堂の女性達 Ces dames au réfectoire (1893-94)>をグラン・パレで開催中の「トゥールーズ=ロートレック断然モダン展」で観ることができた。(30年近く前ブタペストを訪れた時に観た気がするが・・)
高級売春宿「ムーラン通り Rue des Moulins / 白い花 La Fleur blanche」の食堂での作品。
三人の女性は<ムーラン通りのサロン Salon de la rue des Moulins (1894-95)>の二人と<長椅子 Le Divan (1893頃)>の女性と思われます。前者の二人は同じ衣装を着けていることから愛人関係にあることを匂わせています。背後の鏡と左に他の二人、合わせて五人の女性が描かれています。
シカゴ美術館所有の<ムーラン・ルージュにて Au Moulin-Rouge (1892-95)>にはトゥールーズ=ロートレックお気に入りの女性達と男性のお友達 (評論家、写真家、画家等) が描かれている。コートールド美術研究所での「ジェーン・アヴリル展 (2011) 」でも機会があった。
中央に後ろ向きのジェーン・アヴリル Jane Avril 、後方にやはり後ろ向きのラ・グーリュ La Goulue とレスビアンの友人ラ・モム・フロマージュ la Môme Fromage 、右端にイギリス人ダンサーのメイ・ミルトン May Milton とテーブルにスペイン人ダンサーのラ・マカロナ La Macarona の5人。後方にロートレック自身がいる。
トゥールーズ=ロートレックが足繁く出入りしていた高級売春宿「ムーラン通り Rue des Moulins / 白い花 La Fleur blanche」のサロンをキャンバスに油彩で描いた作品<Salon de la rue des Moulins (1894-95)>です。
中央の女性がロートレックお気に入りのミレイユでその右が女主人:マダムです。アルビ Albi のトゥールーズ=ロートレック美術館が所有。 ブラジルから来た ロートレックの「長椅子 Le Divan」の背景を見ると、同じ長椅子を描いているようです。
グラン・パレにて開催中の “トゥールーズ=ロートレック 断然モダン展” Toulouse-Lautrec / Résolument Moderne で鑑賞できた<長椅子 Le Divan (1893頃)>です。豪華売春宿「ムーラン通り」のサロンを描いた作品のようです。ブラジルのサンパウロ美術館 Museu de arte de São Paulo からの出展でした。初めて本物を見れました。段ボールに油彩の作品。
グラン・パレ ナショナルギャラリーの入り口バルコニーから<水鏡の泉 Fontaine Miroird’eau>とプラタナスに隠れて夏には見えない<ロン・ポワン劇場 Théâtre du Rond Point>を見れました。
水鏡の泉は<セーヌ川とその支流 la Seine et ses affluents >の水でできた水面を鏡に見立てた泉 (噴水) で、アール・ヌーヴォーの彫刻家 Raoul Larche (1860-1912) の作品です。セーヌと9支流の寓意像を3つのグループにして鏡の額縁を飾るデザインになってます。
劇場の向こうにシャンゼリゼ大通り、泉との間にアイゼンハワー将軍 (ジェネラル・アイゼンオウエ) 大通り Avenue du Général Eisenhower 。
1774年はマリー・アントワネットが女王になった年。その年の彼女の胸像<Marie-Antoinette (1755-1793) , reine de France en 1774>の制作を1781年にヴェルサイユの外務省がルイ=シモン・ボワゾ Louis Simon Boizot (1743-1809) に命じた。1781年は待望の王太子ルイ=ジョゼフ・ド・フランス Louis-Joseph de France が誕生した年だ。
ルーヴル美術館にて。
版画家の妹、Marie-Louise-Adélaïde Boizot (1744-1800) もこれを版画<Marie Antoinette d’Autriche , Rein de France>(1781) にしている。
オルセー美術館で催されている<黒人モデル / ジェリコーからマティスまで Le Modèle Noir de Géricault à Matisse> 展に行ってきた。
Bibliothèque François Mitterrand 駅で偶々会ったマダムがこの展示会関係者との約束でこの企画展のためにオルセー美術館に行くと聞いて同行することにした。セネガル在住で埼玉県が実家の日本政府関係者を御主人にもつフランス人。休暇でパリに立ち寄り中だとか。 パネルの女性はマネ Edouard Manet (1832-83) 作の<オランピア Olympia (1863)>の女性。
ソー公園 Parc de Sceaux に残る(旧) コルベール城 Château de Colbert (1670-83) のカスケード。カスケードの両側からも噴水が上がるようになっているがこの時は休止。8角形の池:オクトゴーヌ L’Octogone に流れ込む。上段の建物が現在のソー城 Château de Sceauxで、イル=ド=フランス博物館となっている。正門であるオナール門 Entrée d’Honneur はその右側。