ロートレックのリトグラフ             ”宣教師 Le Missionnaire (1894)”

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Le Missionnaire (1894) / Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Théâtre-Libre (1887-96) / Bibliothèque nationale de France

自由劇場 Théâtre-Libre (1887-96) で上演されたマルセル・ルゲー Marcel Luget (1865-1934) 作の演劇小説 ”宣教師 Le Missionnaire (1894)” の劇場プログラム。
トゥルーズ=ロートレックによるリトグラフで制作された。
フランス国立図書館 Bibliothèque nationale de France 所蔵。

自由劇場を創設・主宰し、リアリズム演劇の先駆けとなったアンドレ・アントワーヌ André Antoine (1858-1943) がプロデューサーで、ナレーションを自身が受け持ったらしい。

 

”ドイツのバビロン” の宣伝ポスター / ロートレック

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Babylone d’Allemagne par Victor Joze (1894) / Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Musée des Arts Décoratifs

Victor Joze ことジョーズ・ドブルスキー Joze Dobrski (1861-1933) の小説 ”ドイツのバビロン Babylone d’Allemagne” の宣伝ポスター (1894) 。トゥールーズ=ロートレックの作品。パリ装飾芸術美術館 Musée des Arts Décoratifs が所有しているもの。
ペンネーム:ビクター・ジョーズ Victor Joze の作品 ”快楽の女王 Reine de joie par Victor Joze” の宣伝ポスター (1892) もロートレックが手掛けました。そのリトグラフは H.T. ロートレック美術館も所有しています。

ジャン・コクトーによる「ハリウッドの夢」

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ミリ=ラ=フォレのジャン・コクトーの家 Maison de Jean Cocteau に展示されていた<ハリウッドの夢 Rêve hollywoodien (1953)>です。ジャン・コクトーの自作ですが、色使いが気に入った猫にも見える(お留守番の愛猫 Rose を思いながら)ライオン部分を写しました。                                                                                                                                                                                             2014.08.07.

Rêve hollywoodien (1953) / Jean Cocteau (1889-1963) / Maison de Jean Cocteau / Milly-la-Forêt

ジャン・コクトーの家を庭側から

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ジャン・コクトーの家の正面の内側はボンデ城 (手前側にある) に接する広大な庭になっている。邸内を共同洗濯場で見たエコール川が流れている。ここからは見えないが、カメラ方向直ぐにノートルダム教会がある。これらを合わせた一帯は「絵のように美しい場所の目録 Inventaire des sites pittoresques」に掲載された (1972) 。

Maison de Jean Cocteau / Milly-la-Forêt 

ジャン・コクトーの家の正面

La Maison Jean Cocteau / Milly la Forêt
La Maison Jean Cocteau / Milly-la-Forêt

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アンディ・ウォーホルによるジャン・コクトーの肖像

Gold Marilyn Monroe (1962) / The Museum of Modern Art

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アンディウォーホル Andy Warhol (1928-87) が描いたジャン・コクトー (1889-1963) の肖像画 (1983) とそのスクリーンプリント。ミリ=ラ=フォレのジャン・コクトーの家 Maison de Jean Cocteau 所蔵。
アンディ・ウォーホルはジャン・コクトーに強い影響を受けたといい、同性愛者の共通点もあった。コクトー没後20年に出版された書物の表紙の写真を使用した。
代表的なポップアーティストで ”キャンベルのスープ缶 (1962) ” や ”マリリン・モンロー (1962) 等の作品がある。
右の写真はニューヨーク近代美術館 (MoMA) の公式ホームページより借用した。
背景を金色にしたヴァージョン。モンローが死去した直後の作品で、映画「ナイアガラ Niagara」の映像を使った。

Portrait de Jean Cocteau par Andy Warhol (1983) / Maison de Jean Cocteau / Milly-la-Forêt

ジャン・コクトーの寝室 / ジャン・コクトーの家

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ジャン・コクトーがパレロワイヤル (36 Rue de Montpensier) の煩わしさから逃れて晩年を過ごしたミリ=ラ=フォレのジャン・コクトーの家 Maison de Jean Cocteau 。
書斎からの入り口にはドアノッカーが付いている。デザインの異なる3脚の椅子は居間と書斎のものとも違う。暖炉の上の彫像は母方の祖父から受け継いだものらしい。

Chambre de Jean Cocteau / Maison de Jean Cocteau / Milly-la-Forêt

ジャン・コクトーの居間 / ジャン・コクトーの家

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ジャン・コクトーがパレロワイヤル (36 Rue de Montpensier) の煩わしさから逃れて晩年を過ごしたミリ=ラ=フォレのジャン・コクトーの家 Maison de Jean Cocteau 。
居間 Salon では、恐らくコクトー選りすぐりの愛用品の数々を見ることができる。椅子を見るだけでも分かる気がした。 2014.08.07.

Salon de Jean Cocteau / Maison de Jean Cocteau / Milly-la-Forêt

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ジャン・コクトーの書斎 / ジャン・コクトーの家

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ジャン・コクトーがパレロワイヤル (36 Rue de Montpensier) の煩わしさから逃れて晩年を過ごしたミリ=ラ=フォレのジャン・コクトーの家 Maison de Jean Cocteau 。右側の寝室につながる書斎の机と二つの椅子が素晴らしい。

Bureau de Jean Cocteau / Maison de Jean Cocteau / Milly-la-Forêt

机上に絡み合った男女の置物がある。春画も壁にかかっていた。    4015

国立ルネサンス美術館 / エクーアン城

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エクーアン城 Château d’Écouen (1538-50) の入り口。国立ルネサンス美術館 (1977) の表示がある。
右側はアンリ2世と王妃カトリーヌ・ド・メディシスが休暇を過ごす居室になっていた。建設途中にアンリ2世がフランスの王位に就き (1547) 、王室のアパートを収容するように城の計画と装飾が変更されて準王城の役目を果たした。アンリ2世の用いたクロワッサン (三日月) とモノグラム DH が外壁に残っている。

Château d’Écouen (1538-50) / Musée national de la Renaissance / Écouen

<犬のカーニヴァル> 藤田嗣治

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<犬のカーニヴァル Chiens savants ou Le Carnaval des chiens (1922)>。自作の乳白色の画材を用いた<モンパルナスのキキ>で成功を収めた年の作品。個人蔵。
上段に懸けられているのはジュイのトワル toile de Jouy 。ヴェルサイユに近い街ジュイ=アン=ジョザ Jouy-en-Josas で生産され (1759) インディアンの名で有名になった更紗 Chintz だ。ここで使われているのはジロンド県のボーティラン Beautiran で織られた「愛の芸術 L’art d’aimer (1800 頃)」という名の作品で、Musée de la Toile de Jouy で観れる。

Chiens savants ou Le Carnaval des chiens (1922) / 藤田嗣治 / Collection particulière / Musée Maillol

初期の面影を残す エクーアン城 の正面

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ルネサンス美術館が入っているエクーアン城 Château d’Écouen (1538-50) の正面。右上とその左空濠手前の鉄門扉右端の間に建設者であるアンヌ・ド・モンモランシー Anne de Montmorency (1492-1567) の紋章が残っている。名門貴族モンモランシー家の出でフランソワ1世、アンリ2世等に仕えたフランス元帥。名の由来モンモランシーはここから南東数キロ。
父が遺贈されたシャンティイ城で生まれ、改造したことでも知られる。彼の騎馬像が城の正面に置かれている。
アン・ド・モンモランシー(1493-1567)

Coat of arms of Anne de Montmorency / Château d’Écouen / Écouen

Château d’Écouen

45期 囲碁名人戦 芝野虎丸名人対井山裕太棋聖 第2局 ”宝塚ホテル” で始まる。

ベルリンからパリまで駆けた馬車 Berline

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ブランデンブルク選帝侯でプロイセン公 (在位:1640-88) のフリードリヒ・ヴィルヘルム Friedrich Wilhelm (1620年-1688) が制作を依頼したことに始まる (1660 ou 1670) セダン型馬車。彼はこの馬車を使用して、ブランデンブルクのベルリンからフランスのパリまで行きセンセーションを巻き起こした。当時の他の車体より耐久性に優れ、便利で、軽量で、転倒の可能性も低かったからだ。パリではベルリンに因んで<berline>と呼称した。今もセダン型自動車をフランス語ではベルリン berline という。   馬車博物館 Musée des équipages にて。
車体にある紋章はヴォー=ル=ヴィコント城の現在の所有者ヴォギュエ一族 Famille de Vogüé  の紋章。。前に御者席(エンジン)、後に荷台が完全分離されている。
Image illustrative de l’article Famille de Vogüé

Berline:hippomobile / Musée des équipages / Château de Vaux-le-Vicomte / Maincy

 

ピエロの衣装を着た クロード・ルノワール

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Claude Renoir en clown (1909) / Auguste Renoir (1841-1919) / Musée de l’Orangerie

ルノワール Auguste Renoir (1841-1919) がココの胸像 Bust de Coco (1907~1908) を制作してから約1年後に描いた<ピエロに扮したクロード・ルノワール Claude Renoir en clown (1909)。オランジュリー美術館で観れる。高さ120㎝ の等身大で描いたとみられている。
マネの<剣を持った少年 L’Enfant à l’épée (1861)>(メトロポリタン美術館所蔵) にポーズが似ているとも。

L’Enfant à l’épée (1861) / Édouard Manet (1832-83) / Metropolitan Museum of Art

ルノワールの彫刻「ココの胸像」

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Bust de Coco / Auguste Renoir / Petit Palais

ルノワール Auguste Renoir (1841-1919) 60歳の時の三男クロード (幼少時ココ Coco と呼ばれていた) の胸像。
マイヨール Aristide Maillol (1861-1944) の影響を受けて彫刻にも関心を持つようになった (1906) ようだが、自らの手て制作したのは「ココの胸像 Bust de Coco (1907~1908)」他1点だけという。
プチパレ美術館所蔵のこのブロンズ作品には 21/30 の刻印がある。
また、妻の死後 (1915) 邸内に陶芸窯 “Les Collettes” を造り息子に陶芸を教えた。
クロード・ルノワール Claude Renoir (1901-69) は長じて陶芸家となった。

ロレーヌ公爵夫人                 エリザベート・シャルロット・ドルレアンのセダン椅子

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ロレーヌ公爵夫人エリザベート・シャルロット・ドルレアンが使用した「セダン椅子 Chaise à porteurs (Vers 1700-1715)」 。椅子駕籠、手輿に相当。
プチ・パレ美術館にある。

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ロレーヌ公レオポルト1世 LéopoldIer (1679-1729) とルイ14世の姪エリザベート・シャルロット・ドルレアン Élisabeth-Charlotte d’Orléans (1676-1744) が結婚し (1698) 、公妃となって用いた紋章が椅子の前面と後面に描かれている。シールド(盾)の左側にロレーヌ公の紋章、右側にオルレアン公の紋章。

Élisabeth-Charlotte d'Orléans

ピカソのミノタウロス

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ミノタウロス Minotaure はギリシア神話に登場する牛頭人身の怪物。男をなぶり殺し、女を凌辱し快楽の限りを貪る怪物とされる。
ピカソ Pablo Picasso がエッチングした<La Minotauromachie (1935)の解釈には諸説あるようだが・・ミノタウロスはピカソ自身であり、はらわたの出た瀕死の雌馬がオルガ Olga Picaso であり、その背に乗りかかっている闘牛士のいでたちの女性が妊娠中のマリー・テレーズ Marie-Thérèse に見えてしまう。            パリのピカソ美術館にて。

La Minotauromachie (1935) / Pablo Picasso (1881-1973) / Musée National Picasso-Paris

ゲルニカの制作過程を記録した写真家 ドラ・マール

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Portrait de Dora Maar (1937) / Pablo Picasso (1881-1973) / Dora Maar (1907-97) / Musée National Picasso-Paris

写真家で画家のドラ・マール Dora Maar (1907-97) はピカソ Pablo Picasso (1881-1973) の代表作 ”ゲルニカ Guernica (1937) ” の制作過程を記録したことで知られるピカソの愛人 (1936₋43) 。
前の愛人マリー・テレーズ・ウォルター Marie-Thérèse Walter (1909-77) との関係も続いていた。両者はゲルニカのモデルに使われているという。
<ドラ・マールの肖像 Portrait de Dora Maar (1937) 、キャンバスに油彩とパステル。
暗い色調で描いている。
パリのピカソ美術館にて。

*池袋の人出も相当でした。有名店のコロナ対策は行き届いているように感じました。

マヤ・ピカソの母 マリー・テレーズ・ウォルター

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Portrait de Marie-Thérèse (1937) / Pablo Picasso (1881-1973) / Musée National Picasso-Paris

マリー・テレーズ・ウォルター Marie-Thérèse Walter (1909-77) はピカソ Pablo Picasso (1881-1973) の愛人 (1927-35頃) で、美術史家 マヤ・ピカソ Maya Widmaier-Picasso (1935-) の母。モデルであり画家だった。ピカソの死から4年後首吊り自殺した。
マリー・テレーズの肖像 Portrait de Marie-Thérèse (1937)>。キャンバスに油彩。ブロンドで華やかで明るい女性に見える。
パリのピカソ美術館にて。

この頃写真家で画家のドラ・マール Dora Maar (1907-97) が愛人(1936₋43) だった。

サレ館の紋章

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パリのピカソ美術館 / サレ館 Hôtel Salé (1659) の建設者は ピエール・オベール Pierre Aubert de Fontenay (1584-1668) 。フーケ Nicolas Fouquet の下で塩税に関わって財を成したが、フーケの失脚と共に没落した。死後この大豪邸は持ち主が次々代わり、ジュニエ侯爵 / ルイ・ルクレール Jacques-Gabriel-Louis Le Clerc (1727-1807) の妻が継承した (1771) 。
パリのピカソ美術館の正面のペディメントを飾る犬などの装飾は当初からのものだが、紋章は ルイ・ルクレール のもの。魚の歯形/鋸目の十字に4羽の鷲。

Pierre Aubert de Fontenay(1584-1668) / Jacques-Gabriel-Louis Le Clerc (1727-1807) / Hôtel Salé(1656-59) / Musée National Picasso-Paris

プチ・パレの階段とカルポーの彫像

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プチ・パレの建築家シャルル・ジロー Charles Girault (1851-1932) が自らデザインしたというアールヌーヴォー様式の階段。ジャン=バティスト・カルポー Jean-Baptiste Carpeaux (1827-75) 作の<4人の子供に囲まれたウゴリーノ Ugolin entouré de ses quatre enfants (vers 1862) >の彫像(緑青石膏)が階段下に置かれている。

Escalier Petit Palais de Paris / Charles Girault (1851-1932) / Ugolin entouré de ses quatre enfants / Jean-Baptiste Carpeaux (1827-75) / Petit Palais

ゴーギャンによる「杖を持つ老人」

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Vieil homme au bâton (1888) / Paul Gauguin (1848-1903) / Petit Palais

ゴーギャン Paul Gauguin (1848-1903) がゴッホと共同生活をしたアルルで描いたものとみられている<杖を持つ老人 Vieil homme au bâton (1888)>。彼が使用していた油壷や筆洗等が合わせて展示されていた。
ガラスケースの反射で見難いが、頭部と杖を持つ手以外の油彩が薄く未完作とされる。
年末までの2か月余りゴッホの招きを受けてポン=タヴァン Pont-Aven を離れてアルルに滞在した。
プチ・パレ美術館所蔵。 2018.07.19.

アンリ・ルソーによる ”人形を抱いた少女”

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L’Enfant à la poupée (1892) / Henri Rousseau (1844-1910) / Musée de l’Orangerie

芝生に座っているような、そうでないような。しかも両足は野原に埋まっている。何とも奇妙で忘れられないアンリ・ルソー Henri Rousseau (1844-1910) の作品<人形を抱いた少女 L’Enfant à la poupée (1892)>。
少女らしくない少女の上半身は前向き、下半身は横向きのエジプトスタイル。細い右手に段ボール人形、左手に雛菊。
生粋のプリミティズム Primitivisme アートで素朴派 Art naïf の代表とされるルソーだが、初期イタリアルネサンスの画家パオロ・ウッチェロ Paolo Uccello (1397-1475) の影響を受けているとみられている。
オランジュリー美術館所蔵。

ソルフェリノ港からルーブル美術館を・・

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コンコルド橋の上流左岸、ソルフェリノ港 Port de Solférino からルーブル宮を見たところ。
港には、バトー・コンコルド・アトランティック Bateau Concorde Atlantique (イヴェント、パーティ会場等) とパリ・キャナル Paris Canal の LaGuêpeBuissonnière (サンマルタン運河クルーズ等の起点) が係船している。                      2017.08.08.
建物はルーブル宮、左側国旗が揚がっているのがシュリー館 Pavillon Sully :反対側からは時計館 Pavillon de l’Horloge 、右側はフロール館 Pavillon de Flore からドゥノン翼。
チュイルリー公園とオルセー美術館を結ぶ人道橋レオポール・セダール・サンゴール橋 Passerelle Léopold-Sédar-Senghor (1999) がセーヌ川 La Seine を跨ぐ。セネガルの大統領の名。

Port de Solférino / Pavillon Sully du Louvre (Pavillon de l’Horloge) / Passerelle Léopold-Sédar-Senghor / La Seine

 

エッフェル塔百態 162         ブルドネ港とエスプラナード・ダヴィド・ベン=グリオン

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セーヌ川 La Seine にパリ万博 2000 の会場連絡路として架けられた人道橋ドゥビリ橋の下流左岸のブルドネ港 Port de la Bourdonnais と背後に初代イスラエル首相 の名を冠した(2010) Esplanade David Ben Gourion (1886-1973) 。                                                                     2017.08.11.
ブルドネ港は”バトー・パリジャン Bateaux Parisiens ”の乗船基地(エッフェル塔とノートルダム)の一つで、着岸しているのが見える。緑地帯ダヴィド・ベン=グリオンの遊歩道の向こうにはケ・ブランリ美術館 Musée du quai Branly がある。

Tour Eiffel / Port de la Bourdonnais / Esplanade David Ben Gourion / Passerelle Debilly / La Seine

サン=ベルナール城で描いた「ラ・メゾン・ベルノ」 モーリス・ユトリロ

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モーリス・ユトリロ Maurice Utrillo (1883-1955) がモンマルトルの古くからの急勾配の道モン=スニ通り Rue du Mont-Cenis の往来を描いた<ラ・メゾン・ベルノ La Maison Bernot (1924)>。ノルヴァン通りとの交差点付近からの風景(1912~14頃)かと‥右端にサクレクールの鐘楼。
この年の絵には人物が珍しく多い。女性の臀部も気になる。イーゼルを立てた男性はユトリロ自身かも。オランジュリー美術館所蔵。
母親のシュザンヌ・ヴァラドン Suzanne Valadon (1865-1938) と継父がユトリロのアルコール依存症対策のために購入した (1923) リヨン手前のサン=ベルナールの Château de Saint-Bernard (ユトリロの城) で、絵葉書と記憶を基に描いたとされている。

La Maison Bernot (1924) / Maurice Utrillo (1883-1955) / En Château de Saint-Bernard / Rue du Mont Cenis : Montmartre / Musée de l’Orangerie

シュザンヌ・ヴァラドンの肖像 / 二日酔い

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二日酔い Gueule de bois (1987-88頃)>として有名なトゥールーズ=ロートレックの作品。<シュザンヌ・ヴァラドン Suzanne Valadon (1865-1938) の肖像>とも呼ばれる。アルビのトゥールーズ=ロートレック美術館所蔵。
彼女は曲芸師の経歴を持ち、ロートレックお気に入りのモデルでロートレックが最初に才能を認めた独学の画家だった。また、モンマルトルの画家 モーリス・ユトリロ Maurice Utrillo (1883-1955) の母としても知られる。
この鉛筆画のスケッチに基づく同名の油絵 (1888頃) はハーバード大学美術館 Fogg Art Museum が所有している。

二日酔い Gueule de bois (1987-88頃) / Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Musée Toulouse-Lautrec d’Albi

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シュザンヌ・ヴァラドンを描いたルノワール Pierre-Augustê Renoir (1841-1919) の<ブージヴァルのダンス Bal à Bougival (1882-83)>と<都会のダンス Danse à la campagne (1883)>。

ロートレックの「女曲馬師」

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トゥールーズ=ロートレックによる<フェルナンドサーカスにて、女曲馬師 Au cirque Fernando, l’écuyère (1888)。キャンバスに油彩。シカゴ美術館 Art Institute of Chicago 所蔵。Galeries nationales du Grand Palais , Parisにて。
この女曲馬師のモデルは曲芸師の経歴を持ち、ロートレックお気に入りのモデルでロートレックが最初に才能を認めた画家だったシュザンヌ・ヴァラドン Suzanne Valadon (1865-1938) ではないかとする見方があります。
曲馬演技指揮者はムッシュ・ロイヤル Monsieur Loyal 、ピエロは用意された紙製の輪を差し出す準備に・・。女曲馬師の衣装はガーゼとスパンコール製のチュチュ tutu
当初 (1888₋1914) 、この絵はモンマルトルのキャバレー:ムーラン・ルージュ Moulin Rouge にありました。

Au cirque Fernando, l’écuyère (1888) / Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Art Institute of Chicago

* ミシェル・バトール仮想美術館 Musée imaginaire de Michel Butor  にある105画家の105作品において、ロートレックの作品としてこれが取り上げられています。
55年ぶりにパリに帰ってきました (1964|2019)。

スタンランが描いた黒猫 – 1

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ル・シャ・ノワール/黒猫 Le Chat noir (1881-97) はモンマルトルにあった文芸キャバレー。オーナーはロドルフサリス Rodolphe Salis (1851∸97) 。その広告宣伝ポスターであるスタンラン Théophile Alexandre Steinlen (1859-1923) 作の<ロドルフサリスの黒猫の巡業 Tournée du Chat noir de Rodolphe Salis (1896)>はパリ土産として人気の高いポスターとして有名。
ポスターの右上に懸けてある三日月に黒猫の吊るし看板 Enseigne はキャバレーに付けられていたもので、カルナヴァレ博物館所蔵。
右側に展示されている、ワシントンのナショナルギャラリーから里帰りした<ボレロを踊るマルセル・ランデ Marcelle Lender dansant le boléro dans “Chilpéric” (1895-96)>はトゥールーズ=ロートレックの大作。
パリ市立のプチ・パレ美術館で開催された (2014) <La Ville Spectacle  PARIS 1900>にて。

Tournée du Chat noir de Rodolphe Salis (1896) / Théophile Alexandre Steinlen (1859-1923) / Petit Palais

メイ・ベルフォート May Belfort の黒猫

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May Belfort (1895) / Toulouse-Lautrec (1864-1901)

アイルランド生まれの歌手、女優、コメディアンでロンドン、パリ、アメリカ等で活動したメイ・ベルフォートがロートレックに依頼したポスター <May Belfort (1895)>に描かれたメイ・ベルフォート May Belfort (1872頃-1929) の黒猫。
黒猫は彼女のショウに欠かせぬ存在だった。
彼女のパフォーマンスの象徴だったフリルドレスを身に着けボンネットを被って黒猫を抱いている。パリ土産として人気の作品の一つ。

マネの黒猫

ロートレックによる木炭画 / 首吊り

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Le Pendu (1892) / Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Musée Toulouse-Lautrec d’Albi

殉教者ジャン・カラス Calas le martyr が息子の遺体をローソクの明かりで見つけた瞬間をトゥールーズ=ロートレックが描いた作品<首吊り Le Pendu (1892)>
トゥールーズの商人ジャン・カラス (プロテスタント) は息子殺害の嫌疑で裁判に掛けられ拷問のうえ処刑された宗教的不寛容の象徴的な犠牲者の一人。ヴォルテールが名誉回復に関わったことでも知られる。
トゥールーズの日刊紙ラデペッシュ La Dépêche に連載された三部作<トゥールーズの惨劇 Les Drames de Toulouse>の宣伝ポスターとして制作されたリトグラフのための習作。紙に木炭で描いたもの。

トゥールーズの惨劇/首吊り/ラデペッシュ

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La Dépêche / Les Drames de Toulouse (1892) / Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Musée Toulouse-Lautrec d’Albi / Albi

トゥールーズの日刊紙ラデペッシュ La Dépêche に連載された<トゥールーズの惨劇 Les Drames de Toulouse>の宣伝ポスター。
リトグラフは第一部の「殉教者ジャン・カラス Calas le martyr (1761)」が息子の遺体をローソクの明かりで見つけた瞬間をトゥールーズ=ロートレックが描いた作品<首吊り Le Pendu (1892)>。
周りの文字は後にラデペッシュの編集長になる Arthur Huc が作成した。作品名は<La Dépêche / Les Drames de Toulouse (1892)>。
アルビのトゥールーズ=ロートレック美術館にて。

アルビのトゥールーズ=ロートレック美術館前景

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アルビのサント・セシル大聖堂横のサント・セシル広場に面した (元) 司教の宮殿 Palais de la Berbie を使用した<アルビのトゥールーズ=ロートレック美術館>前景。
13世紀にタルン川 Le Tarn 畔に聳え立つ要塞として建設された赤レンガ造り。入口のゲートにロートレック生誕 150周年 (2014) のポスターが貼られている。サント・セシル大聖堂 (下の写真を参照) の一部が左端にちらりと。

Musée Toulouse-Lautrec d’Albi / Place Sainte-Cécile / Albi

Cathédrale Sainte-Cécile / Palais de la Berbie / Musée Toulouse-Lautrec
Cathédrale Sainte-Cécile / Palais de la Berbie / Musée Toulouse-Lautrec d’Albi

ドラクロワによる 砂漠のマドレーヌ

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ウジェーヌ・ドラクロワ Eugène Delacroix (1798-1863) が描いた「砂漠のマドレーヌ Madeleine au désert (1845)」。ルーベンスから着想を得た作品と考えられていて、笑顔が謎めいている。
お気に入りの作品の一つだったようで、ルーヴル美術館が買い戻し (1991) 、ドラクロワ美術館 Musée National Eugène Delacroix で展示されている。

ポール・ヴィオー提督とアルカションへ / ロートレック

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アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) は1900年の冬を、ボルドーでアパートとスタジオを借りて、ポール・ヴィオー Paul Viand (1846-1906) と過ごした。
元ボルドーの船主だった彼とは長い付き合いだったが、1899年にトゥールーズ=ロートレック家からアルコール依存症でアブサンに蝕まれたアンリの世話を依頼されていて、ロートレックは彼のことを”ヴィオー提督”と呼んでいた。
そして、二人はアルカション沖の海に出かけるのが常だった。アルカション Arcachon はロートレック8歳の時 (1872) 母親のアデールに連れられて滞在した思い出の地だった。
18世紀の<提督服を着たポール・ヴィオー Paul Viaud en tenue d’Amiral (ヴィオー提督 L’Amiral Viaud )(1901)>はロートレックによって描かれた最後の絵画の一つで、ブラジルのサンパウロ美術館 Museu de Arte de São Paulo が所蔵している。

Paul Viaud en tenue d’Amiral ou L’Amiral Viaud (1901) / Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Museu de Arte de São Paulo

アルカション Arcachon  大きな入り江になっていて、砂丘の向こうが大西洋。

ボルドーの滞在で描いた<マルトX夫人の像-ボルドー Madame Marthe X, Bordeaux (1900) >は大原美術館で鑑賞できる。

サーカスにて、舞台に入場 / ロートレック

   depuis  2001

Au Cirque : Entrée en piste (1899) / Toulouse-Lautrec (1864-1901) / J. Paul Getty Museum

子供の頃から馬には特別の愛情を注いできたトゥールーズ=ロートレック Toulouse-Lautrec (1864-1901) 。
アルコール依存症と精神障害で入院中に記憶に基づいて描いたサーカスの絵の一つ、<サーカスにて:サーカスの舞台に入場 Au Cirque : Entrée en piste (1899)>。
ロサンジェルスの J・ポール・ゲティ美術館 が所有。
無観客ではないものの、観客が少なく描かれているのは精神障害の表れとされている。
紙に黒と色のチョークで描いた作品。
グラン・パレにて催された  Toulouse-Lautrec / Résolument Moderne 展にて。

サーカスにて、スペインステップする馬 / ロートレック

   depuis  2001

Au Cirque : Le Pas espagnol (1899) / Toulouse-Lautrec (1864-1901) / The Metropolitan Museum of Art

子供の頃から馬には特別の愛情を注いできたトゥールーズ=ロートレック Toulouse-Lautrec (1864-1901) 。アルコール依存症と精神障害で入院中に記憶に基づいて描いたサーカスの絵の一つ、<サーカスにて:スペインステップ Au Cirque : Le Pas espagnol (1899) >。ニューヨークのメトロポリタン美術館が所有。
無観客ではないものの、観客が少なく描かれているのは精神障害の表れとされている。
Pas espagnol とは前足を高く上げて前方に押し出す歩行で、サーカスや馬術ショーで披露されるもので馬場馬術競技にはない。

仮面舞踏会での休息 / トゥールーズ=ロートレック

   depuis  2001

Repos pendant le bal masqué (vers 1899) / Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Denver Art Museum

デンバー美術館 Denver Art Museum 所有の<仮面舞踏会での休息 Repos pendant le bal masqué (vers 1899)>。トゥールーズ=ロートレック Toulouse-Lautrec (1864-1901) の作品。
段ボール紙に油彩とグワッシュ。
画商ポール・デュラン=リュエルの画廊を通じてアメリカに渡った (1936) 。
Bal masqué はヴェネチア発祥の仮面舞踏会。
グラン・パレにて催された “トゥールーズ=ロートレック 断然モダン展”  Toulouse-Lautrec / Résolument Moderne にて。

新聞を読んでいるロートレックの自画像

   depuis  2001

Autoportrait du peintre lisant son journal, au dos de l’affiche Le Divan Japonais (1893) / Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Fondation Pierre-Gianadda (Martigny)

新聞を読んでいるロートレックの自画像が描かれているのは<ディバン・ジャポネ Divan Japonais (1893)>のポスターの裏。ジェーン・アヴリルの姿が反対に透けて見えている。Divan Japonais / Henri de Toulouse-Lautrec
作品名は<ル・ディバン・ジャポネのポスターの裏にある新聞を読んでいる画家の自画像 Autoportrait du peintre lisant son journal, au dos de l’affiche Le Divan Japonais (1893)>。
スイスのピエール・ジアナダ財団 Fondation Pierre-Gianadda (Martigny) が所蔵。

ミレー最晩年の「乳しぼりの女」

   depuis  2001

Laitière normande à Gréville (1874) / Jean-François Millet (1814-75) / Musée d’Orsay

パリでのコレラ流行を機にパルビゾンに移住した (1849) 農民画家ジャン=フランソワ・ミレー Jean-François Millet (1814-75) の作品。
故郷ノルマンジーのグレヴィルで見慣れた「乳しぼりの女」は長らく彼のテーマで複数の作品があるが、古くは初めてのパリから戻った1840年迄遡れるという。
搾乳し草で蓋をした容器を肩に置いて運ぶ女性と遠景に大きな牛。本作<グレヴィルでのノルマンジーの乳しぼりの女 Laitière normande à Gréville (1874)>は最晩年のもの。オルセー美術館で観れる。

アイメ・ムパネ Aimé Mpane (1968-) の オランピア

   depuis  2001

合板片を素材にするコンゴ人アーチストアイメ・ムパネ Aimé Mpane (1968-) がマネのオランピアをテーマにした作品<Olympia II (2013)>。Collection Gérard Valerius 。
構図はエドゥアール・マネの<オランピア (1863)>と同一だが、オランピアがターバンを巻いた黒人に、召使いが髪を後ろに束ね花飾りを付けた(マネの)オランピアに入れ替えられている。そして、召使いのオランピアが手にしているブーケには頭蓋骨 (西洋からアフリカへの酷い贈り物を暗喩) が入っている。黒猫は同じ位置にいる。
壁から浮かして掛けられている合板片群の影が左・下に写っている。

Olympia II (2013) / Aimé Mpane (1968-) / Collection Gérard Valerius

オルセー美術館で催された<黒人モデル / ジェリコーからマティスまで Le Modèle Noir de Géricault à Matisse> 展にて。2019.07.07.

Olympia / Edouard Manet / Le Modèle Noir de Géricault à Matisse / Musée d’Orsay

セザンヌのオランピア・・マネのオランピアに対して

   depuis  2001

マネの<オランピア Olympia (1863)>のテーマをセザンヌ Paul Cézanne (1839-1906) はこのように描いた。第一回印象派展に出品した<モデルヌ・オランピア Une moderne Olympia (現代のオランピア) (1873-4) がそれだ。印象派タッチの第2ヴァージョン。
ベッドに横たわるオランピアのヴェールを黒人の召使が剥がした瞬間をセザンヌ自身と思われる人物が見上げている。そして、女性器を意味した黒猫は尻尾を立てて足下に。
マネのオランピアと同様に本作品も酷評されたが、セザンヌの才能を見抜いたエミール・ゾラはマネの作品同様に援護したという。

Une moderne Olympia (vers 1873-74) / Paul Cézanne (1839-1906) / Musée d’Orsay

後のフランス王妃 王女マリー・テレーズの肖像

   depuis  2001

スペイン王フェリペ4世の王女マリア・テレサ (1638-1683) は、ルイ14世と結婚 (1660) してフランス王妃マリー・テレーズ・ドートリッシュ Marie Thérèse d’Autriche になった。
ルーヴル美術館所蔵の<後のフランス王妃、王女マリー・テレーズの肖像 Portrait de l’infante Marie-Thérèse , future reine de France (vers 1653)>はウィーンの美術史美術館 Kunsthistorisches Museum Wien 所蔵の肖像画 (右:インファンタ・マリア・テレサ INFANTIN MARIA TERESA (1652/1653頃)、公式サイトから) のレプリカの断片 (下)。額縁がいい。

Portrait de l’infante Marie-Thérèse (1638-83), future reine de France (vers 1653) / Diego Velásquez (1599-1660) / Musée du Louvre

結婚のアレゴリー / マルスとヴィーナス等

   depuis  2001

ローマ神話の「マルスMars (戦争の神)ヴィーナス Vénus (愛と美の女神) 」を題材としてティツィアーノ Titien (1485-1576) が描いた<結婚のアレゴリー Allégorie conjugale, dite à tort Allégorie d’Alphonse d’Avalos (vers 1530)>。ルーヴル美術館所蔵。
マルスとヴィーナスの他の登場人物は結婚の守護神であるキューピッド Cupidon とウェスタ Vesta とヒュメナイオス Hymen 。愛の神クピードーは矢を運び、家庭の女神ヴェスタはキンバイカの冠を載せ、結婚の祝祭神ヒメンが花と果物の籠を差し出している。花嫁のヴィーナスが手にしているのは水晶玉。

Allégorie conjugale, dite à tort Allégorie d’Alphonse d’Avalos (vers 1530) / Titien (1488/90–1576) / Musée du Louvre

ローマ神話の「マルス(戦争の神)とヴィーナス (愛と美の女神) 」を題材としてヴェロネーゼ Paolo Veronese (1528-1588) が描いた<Venus,Cupid and Mars (about 1580-88)>

形而上絵画の創始者 ジョルジョ・デ・キリコ が描いた裸体

   depuis  2001

Nu assis à la draperie rouge et jaune / Giorgio de Chirico (1888-1978) / Musée d’art moderne de la ville de Paris

ジョルジョ・デ・キリコ Giorgio de Chirico (1888-1978) はパリで開かれたアンデパンダン展、サロン・ドートンヌに出展 (1913) し、ギョーム・アポリネールの注目を受けた。後のシュールレアリズムの先駆となった形而上絵画 Peinture métaphysique の創設者の一人 (1917) 。
<赤色と黄色のドレープに座っているヌード Nu assis à la draperie rouge et jauneに制作年の記載はないが、モデルはキリコ夫婦の肖像画<Isa et Giorgio>の Isa (キリコの妻 Isabella Pakszwer) 。いずれも1940年前後の作品とみる向きがあるようだ。キリコの未亡人イザベラにより、パリ市立近代美術館に遺贈された (2011) 。

Pavillon Henri IV の ロビー 2

   depuis  2001

サン=ジェルマン=アン=レー城 Château de Saint-Germain-en-Laye の一角、ルイ14世が誕生したパヴィヨン・アンリ4世 Pavillon Henri IV のロビー。
鏡の前に置かれたルイ16世妃<マリー・アントワネットの胸像 Buste de Marie-Antoinette>と鏡の左端に写った<ルイ16世の胸像>。
右にムゼ・デュ・パヴィヨン・アンリ4世 Musée du Pavillon Henri IV があって、ルイ14世が生まれた部屋 Chambre où est né Louis XIV だ。
<アンリ4世の胸像>は写っていない左手前の階段に置かれている。
右側にレストラン Pavillon Henri IV Restaurant がある。
<Pavillon Henri IV Restaurant>-4

Buste de Marie-Antoinette / Paris Pavillon Henri IV / Château de Saint-Germain-en-Laye

ティツィアーノが描いたマドレーヌ/マグダラのマリア

   depuis  2001

Madeleine pénitente (1533) / Titian (1485-1576) / Palais Pitti

裸身を豊かな金髪で覆い潤んだ目で天を仰ぎ見て<悔悛するマグダラのマリア Madeleine pénitente (1533頃)>。ティツィアーノTitian (1485-1576) が描いたマドレーヌ。フィレンツェのピッティ宮殿 Palais Pitti 所蔵。
長くて豊かなブロンドの髪、左下隅に描かれた香油壺はマグダラのマリアの属性/アトリビュート。イエスの足に香油を塗ったのはマドレーヌ。

シャンティイ城 Château de Chantilly で開かれた LA JOCONDE NUE / 裸のモナ・リザ 展にて。

メルキュール 商業の神 / ペタソスとカドケウスと巾着

   depuis  2001

Mercure ou le Commerce (1780) / Augustin Pajou (1730-1809) / Pétase / Caducée / bourse / Musée du Louvre

ローマ神話の<メルキュール 或いは商業の神 Mercure ou le Commerce (1780)>、オーギュスタン・パジュー Augustin Pajou (1730-1809) の作品。ルーヴル美術館所蔵。
メルキュール/メルクリウスはギリシャ神話の神々の伝令使であり旅人や商人の守護神であるエルメス/ヘルメース。
有翼の帽子/羽根兜:ペタソス Pétase と蛇の巻き付いた有翼の杖/エルメスの杖:カドケウス Caducée はともにエルメスの属性。右手に持っている巾着/財布 bourse はメルキュールの属性で、商品に左手を置いている。

エドガー・ドガ による「アイロンかけの女達」

   depuis  2001

ロートレックが影響を受けたエドガー・ドガ Edgar Degas (1834-1917) の著名な作品<アイロンかけの女達 Repasseuses (vers 1884-1886)>。ドガが描いた踊り子も洗濯女やアイロン工も当時のパリの底辺にいた労働者、娼婦を兼ねる者も多かった。(ロンドンのウォータールー橋 (ワーテルローの戦いでナポレオンに勝利したことを記念して命名) を舞台にした「哀愁 Waterloo Bridge (1940)」のヒロインもしかり。)ドガやロートレックは彼女らに温かい目を向けた。オルセー美術館所蔵。

白のブラウスを着た赤毛の女 / ロートレック

   depuis  2001

ロートレック Toulouse-Lautrec (1864-1901) はモンマルトルで赤毛の女カルメン・ゴーディン Carmen Gaudin (1866?–1920) に出会い魅了されました (1884) 。彼女が頭髪を茶毛に変える迄モデルとして多くの作品を制作しました。

Femme rousse en caraco blanc (1889) / Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Museo Thyssen-Bornemisza (Madrid)

<白のブラウスを着た赤毛の女 Femme rousse en caraco blanc (1889)>もその一つです。
白のブラウスは当時の洗濯女の謂わば制服でした。そして洗濯女は夜は娼婦と相場が決まっていたようです。
マドリッドのティッセン=ボルネミッサ美術館 Museo Thyssen-Bornemisza が所有しています。
“トゥールーズ=ロートレック 断然モダン展” にて。

ロートレックによる Le Photographe Sescau (1894)

   depuis  2001

ロートレック Toulouse-Lautrec (1864-1901) 作のリトグラフ< 写真屋セソー Le Photographe Sescau (1894)>です。ピガール広場9番地にあった写真館 P. Sescau のポスターとして制作されました。?模様など斬新なデザインが盛り込まれています。右下に見られる ”象のモノグラム” は1895年以降にロートレックがしばしば使用したサインです。

Le Photographe Sescau (1894) / Toulouse-Lautrec (1864-1901)

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ロートレックが描いたフィンセント・ファン・ゴッホ

   depuis  2001

ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) とゴッホ Vincent van Gogh (1853-90) は

Vincent van Gogh (1887) / Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Van Gogh Museum , Amsterdam

モンマルトルのフェルナン・コルモン Fernand Cormon (1845-1927) の画塾 (1882-) に共に通っていた時期があります (1886-87) 。接点はこの2年間だけです。
両者アルコール依存症で、このパステル画<フィンセント・ファン・ゴッホ Vincent van Gogh (1887)>にも象徴的にアブサンを描きこんでいます。
先生の影響からかこの頃の二人の画風には共通性があるように見受けられます。お互いに才能を評価し合っていたようです。
アムステルダムのファン・ゴッホ美術館所有。7年前の現地では鑑賞できませんでした。
“トゥールーズ=ロートレック 断然モダン展” にて。

ロートレックによる「裸婦の習作」

   depuis  2001

Étude de nu , Femme assise sur un divan (1882) / Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Musée Toulouse Lautrec d’Albi

ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) がパリに戻って、モンマルトルにあったレオン・ボナ Léon Bonnat の画塾に次いでフェルナン・コルモン Fernand Cormon の画塾に通っていた頃の作品<裸婦の習作 / 長椅子に座っている女性 Étude de nu , Femme assise sur un divan (1882)> 。
母親であるトゥールーズ=ロートレック伯爵夫人アデルがアルビのトゥールーズ=ロートレック美術館に寄贈したもの。

“トゥールーズ=ロートレック 断然モダン展” にて。

ロートレックが魅了されたイギリス人女性 Miss Dolly

   depuis  2001

L’Anglaise du Star au Havre (1899) / Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Musée Toulouse Lautrec d’Albi

セーヌ川の河口の町ル・アーヴル Le Havre にあったカフェ・コンセール cafés-concert の一つ、” Star ” のバーメイドだったイギリス人女性ドリィ嬢 Miss Dolly
毎年夏ボルドーへ船旅するため訪れていたロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) は彼女に魅了されてこれ<L’Anglaise du Star au Havre (1899)>を描いた。

アルビのトゥールーズ=ロートレック美術館所蔵。
“トゥールーズ=ロートレック 断然モダン展” にて。

狩猟する ディアーヌ・ド・ポワチエ / Diane chasseresse

   depuis  2001

Diane chasseresse (vers 1550) / Diane de Poitiers (1500-66) / École de Fontainebleau / Artémis (Diane) à la biche / Musée du Louvre

<ディアーヌ 狩猟する女 Diane chasseresse (vers 1550)>エコール・ド・フォンテーヌブロー École de Fontainebleau の匿名の画家の作品。
この女性がディアーヌ・ド・ポワチエ Diane de Poitiers (1500-66) であることはルーヴル美術館も認めている。
フォンテーヌブロー宮殿にあった<アルテミスと雌鹿 Artémis à la biche / ディアーヌと雌鹿 Diane à la biche >の彫刻家ル・プリマティス Le Primatice (1504-70) によるコピーに触発されたポーズで描かれている。

ディアーヌ・ド・ポワチエ ? / お風呂の女性

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A Lady in Her Bath (1571) / François Clouet (vers 1510-72) / Diane de Poitiers (1500-66) / National Gallery of Art, Washington

フランソワ・クルーエ François Clouet (vers 1510-72) 作の<お風呂の女性 A Lady in Her Bath (1571)>。ワシントン国立美術館では女性を特定してはいないようだが、アンリ2世の愛妾ディアーヌ・ド・ポワチエ Diane de Poitiers (1500-66) とする説が有力。
フランソワ2世の王妃スコットランド女王メアリー・ステュアート説の他シャルル9世の愛人マリー・トゥシェ Marie Touchet 説もあるらしい。

シャンティイ城での「LA JOCONDE NUE 展 」にて。
115年振りの里帰りだとか‥

鹿に寄りかかったディアーヌ と             ディアーヌ・ド・ポワチエ

   depuis  2001

エスティロ・トロバドールの画家アレクサンドル=エヴァリステ・フラゴナール Alexandre-Évariste Fragonard (1780-1850) が描いた< ジャン・グージョンのアトリエでのディアーヌ・ド・ポワチエ Diane de Poitiers chez  (dans l’atelier de ) Jean Goujon (vers 1830) >。
ルネサンスの彫刻家ジャン・グージョン Jean Goujon (1511-67) がアンリ2世の愛妾ディアーヌ・ド・ポワチエをアトリエに迎えて<鹿に寄りかかったディアーヌ Diane appuyée sur un cerf  (16世紀半ば)>を制作している様を想像して描いたもの。
作者不詳のこの彫刻が当時ジャン・グージョン作と思われていたことを窺える。

Diane de Poitiers chez  (dans l’atelier de ) Jean Goujon (vers 1830) / Alexandre-Évariste Fragonard (1780-1850) / Diane appuyée sur un cerf / Musée du Louvre

鹿に寄りかかったディアーヌ               ディアーヌ・ド・ポワチエ と アンリ2世

   depuis  2001

<鹿に寄りかかったディアーヌ Diane appuyée sur un cerf  (16世紀半ば)>は、ディアーヌ・ド・ポワチエ Diane de Poitiers をローマ神話で狩猟の女神ディアーヌとして表わしたマニエリスム様式の彫刻。ディアーヌ・ダネ Diane d’Anet またはフォンテーヌ・ド・ディアーヌ Fontaine de Diane とも呼ばれている。元々、アンリ2世の愛妾だったディアーヌ・ド・ポワチエの居城:シャトー・ダネ Château d’Anet 中庭の噴水に置かれたもの。
狩猟の女神ディアーヌがディアーヌ・ド・ポワチエと重ねて捉えられ、寄り掛かっている牡鹿はアンリ2世を象徴しているとみられている。
台座には 二人のモノグラム DH (DianeのDとHenriのH) が刻まれている。

Diane appuyée sur un cerf / Diane d’Anet / Diane de Poitiers et Henri Ⅱ/ Monogramme DH / Musée du Louvre

ヴェルサイユのディアーヌ / アンリ2世への贈り物

   depuis  2001

ギリシャ彫刻 (BC 4-5世紀) のローマンコピー<アルテミスと雌鹿 Artémis à la biche (BC 1-2世紀)>は<ヴェルサイユのディアーヌ Diane de Versailles >として知られる。
教皇パウロ4世がアンリ2世に贈った (1556) ものだが、アンリ2世の愛妾だったディアーヌ・ド・ポワチエ Diane de Poitiers を意識したものと考えられている。
フォンテーヌブロー宮殿 (アンリ2世) 、ルーヴル宮殿 (アンリ4世) 、ヴェルサイユ宮殿 (ルイ14世) を経て、現在はルーヴル美術館のカリアティード (頭上のエンタブラチュアを支える柱の役目を果たす女性の立像) の間に置かれている。
アルテミスはギリシャ神話で狩猟の女神、ローマ神話ではディアーヌ Diane / ディアナ。

Artémis à la biche / Diane de Versailles / Salle des Caryatides / Musée du Louvre

ドミニク・アングル の ヴィーナス・アナディオメネ

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ドミニク・アングル Jean-Auguste-Dominique Ingres (1780-1867) が40年かけて制作した (1808-48) 海から上がるヴィーナス / ヴィーナス・アナディオメネ Vénus Anadyomène 
シャンティイ城内のコンデ美術館所蔵。

Vénus Anadyomène (1808-1848) / Jean-Auguste-Dominique Ingres (1780-1867) / Musée Condé / Chantilly

古代ギリシャの画家 アペレス Apelles が描いたとされるこの主題での有名な絵、<海から上がる (生まれる) ヴィーナス (アフロディテ)  Aphrodite Anadyomene  /Apelles  (紀元前330年頃) >に関して残されている記述を基に描いたとされるティツィアーノ Tiziano Vecellio (1488 or 90-1578) による同名の作品 (スコットランド・ナショナルギャラリー) は既に紹介した。

オルセー美術館で観れる<泉 La Source (1820-56) >の女性がとるポーズは本作品が原型と考えられている。

シャルル7世の ランス大聖堂での戴冠式 における ジャンヌ・ダルク

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オルレアンの美術アカデミーの依頼を受けてドミニク・アングル Jean-Auguste-Dominique Ingres (1780-1867) が制作した<シャルル7世のランス大聖堂での戴冠式におけるジャンヌ・ダルク Jeanne d’Arc au sacre du roi Charles VII, dans la cathédrale de Reims (1855)>。

Jeanne d’Arc au sacre du roi Charles VII, dans la cathédrale de Reims (1855) / Jean-Auguste-Dominique Ingres (1780-1867) / Musée du Louvre

甲冑姿で、ヘルメットと手袋は外して足下に置いている。
ラップドレスの模様に彼女の紋章が入っている。
フランスの勝利を確信して、旗をかざし天を仰ぐ姿を描いている。
常に彼女に付き添った従軍司祭 Aumônier ジャン・パスケレル Jean Pasquerel の後ろに立っている甲冑を付けた侍者はアングル自身らしい。
トルバドールスタイル Style troubadour の画家として歴史を細部にわたって再現する最大限の努力がされているという。

ルーヴル美術館所有。

エヴァ・プリマ・パンドラ / ジャン・クーザン

   depuis  2001

フランス絵画史上最初の全身裸体画とされる。フォンテーヌブロー派の画家・彫刻家 ジャン・クーザン Jean Cousin l’Ancien (vers 1490- vers 1560) 作の<エヴァ・プリマ・パンドラ Eva prima Pandora (1550頃)>。ルーヴル美術館所蔵。
右手にリンゴの小枝を持ち髑髏に肘をついている。蛇の絡みついた左手で壺の蓋を抑えている。リンゴを食べてしまったイヴ、壺の蓋を開けてしまったパンドラ。背景に新旧の世界。
アンリ2世のパリ入城 (1549) に際し、ジャン・クーザンはパリのアレゴリーである「ニンフに身を包んだ新しいパンドラ」で凱旋門を装飾した。その新しいパンドラを画面中央に描いている。これからの災厄を抑えるアンリ2世に期待をかけたものかと‥

Eva prima Pandora (vers 1550) / Jean Cousin l’Ancien (vers 1490- vers 1560) / Musée du Louvre

エッフェル塔百態 160 ジョジャード門

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ルーヴル宮フロール翼に入っているエコール・ドュ・ルーヴル École du Louvre の入り口:ジョジャード門 Porte Jaujard 前からのエッフェル塔。
門前一対のライオン像はオーギュスト・カイン Auguste Cain (1821-94) の作品。カルーゼル広場にはマイヨール作の<着衣のポモナ  Pomone drapée (1921)> 、<横たわった若い女性 Jeune fille allongée (1921)>、<苦痛 Douleur (1922)> (左から) 。
ジャック・ジョジャード Jacques Jaujard (1895-1967) は第二次大戦中のルーヴル美術館長で、ドイツ軍がパリに入る前に美術品を避難し、護り切った。それを顕彰して命名された。

Porte Jaujard / École du Louvre / Palais du Louvre / Tour Eiffel / Place du Carrousel

レンヌ包囲 に耐え抜いた ベルトラン・デュ・ゲクラン

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<ベルトラン・デュ・ゲクラン Bertrand du Guesclin の死>。ゴブランのタピスリーで1994年のブルターニュ議会宮殿 火災からの唯一の生き残り。エドゥアール・トゥードゥーズ Edouard Toudouze (1848-1907) が描いた原画 (1904) はレンヌ美術館にある。
サン=マロで英仏海峡に注ぐランス川中流の町ディナン近郊生まれのベルトラン・デュ・ゲクラン (1320頃-80) は百年戦争 Guerre de Cent Ans (1337-1453) 初期、ブルターニュ継承戦争 (1341-65) において、イングランドのランカスター公による「レンヌの包囲 (1356-57)」を籠城で耐え抜き、シャルル5世の信任を得た。即位 (1364) 後は王に仕え、コネタブル Connétable de France として各地で活躍しブルターニュをはじめ失地の回復に貢献した。王命によりサン=ドニ教会に埋葬され、シャルル5世の足下に彼の石棺はある。
紋章は双頭の鷲に細いバンド Cotice 。上隅にフランス王とブルターニュ公国の紋章。遺骸の両脇に Bertrand du Guesclin  connétable de France  のリボン。上に不滅・永遠のヤシの葉。・・

La mort de Duguesclin. Tapisserie des Gobelins / Palais du Parlement de Bretagne / Rennes

レジオン・ドヌール勲章 グランクロワのバッジ

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レジオン・ドヌール勲章のグランクロワのバッジ Plaque de grand’croix de l’ordre de la Légion d’honneur 。レジオン・ドヌール博物館で観れる。
航空機製造会社の創設者 マルセル・ダッソー Marcel Dassault (1892-1986) が授与された (1956) バッジをヴァンクリーフ&アーペルに複製させたもの。目が眩む輝き。
共和国の象徴である「マリアンヌ Marianne」と「フランス共和国 République Française」と「名誉と祖国 Honneur et Patrie」の刻印。後者は勲章のモットー。

Plaque de grand’croix de l’ordre de la Légion d’honneur / Musée de la Légion d’honneur / Marianne

ロートレックの “ホイール La Roue” サンパウロ美術館

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La Roue (1893) / Museu de arte de São Paulo / Grand Palais

グラン・パレにて開催中の “トゥールーズ=ロートレック 断然モダン展”  Toulouse-Lautrec / Résolument Moderne で鑑賞できた サンパウロ美術館所有の<ホイール La Roue (1893)>  です。段ボール紙に油彩です。
足を挙げた踊り子のスカートがホイールか車輪のように見えます。ドガの影響を受けているかなと思ったりしました。

シャンティイの ”馬の博物館” で見たカルーゼル

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回転木馬:メリーゴーラウンド:カルーゼル Carrousel は蒸気機関を動力として1860年頃にフランスで初めて作られたとされている。日本と同じで反時計回り。
パリ郊外のシャンティイにある<馬の博物館 Musée du Cheval>に展示されているカルーゼルはまるで芸術品。

Carrousel / Musée du Cheval / Chantilly

Carrousel / Musée du Cheval / Chantilly

ゴーギャンが模写した マネのオランピア

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エドゥアール・マネの熱烈な崇拝者だったポール・ゴーギャンが模写したマネのオランピアCopie de l’Olympia de Manet (1891) 。個人蔵 Collection particulière 。
リュクサンブール美術館で公開されると直ちに模写した。左下に D’après Manet / P. Gauguin とサインがあるのだが・・
その後間もなくタヒチに旅立つのだが、この作品の写真だけは携行したという。オランピアへの想いも尋常でなかったようだ。
オルセー美術館で催された<黒人モデル / ジェリコーからマティスまで Le Modèle Noir de Géricault à Matisse> 展にて (2019.07.07.) 。

Copie de l’Olympia de Manet (1891) / Paul Gauguin (1848-1903) / Collection particulière

エドゥアール・マネ Edouard Manet (1832-83) の<オランピア Olympia (1863)>

Olympia / Edouard Manet / Le Modèle Noir de Géricault à Matisse / Musée d’Orsay

 

ロートレックの石版画 ” 放蕩 ”

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三色三枚の石版を使って作成された石版画 (リトグラフ)<放蕩 Débauche (1896)>。
フランスの国旗のようにデザインされているように見える。放蕩しているのは画家・イラストレーターでトゥールーズ=ロートレックの親友だったマキシム・デトマス Maxime Dethomas (1867-1929) 。グラン・パレにて。

Débauche (1896) / Toulouse-Lautrec (1864-1901)

ブタペスト美術館から ロートレックの “食堂の女性達”

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ブタペスト美術館 Szépművészeti Múzeum 所蔵のロートレックの <食堂の女性達 Ces dames au réfectoire (1893-94)>をグラン・パレで開催中の「トゥールーズ=ロートレック断然モダン展」で観ることができた。(30年近く前ブタペストを訪れた時に観た気がするが・・)
高級売春宿「ムーラン通り Rue des Moulins / 白い花 La Fleur blanche」の食堂での作品。
三人の女性は<ムーラン通りのサロン Salon de la rue des Moulins (1894-95)>の二人と<長椅子 Le Divan (1893頃)>の女性と思われます。前者の二人は同じ衣装を着けていることから愛人関係にあることを匂わせています。背後の鏡と左に他の二人、合わせて五人の女性が描かれています。

Ces dames au réfectoire (1893-94) / Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Szépmuvészeti Muzéum (Budapest)

フランス学士院から見た 秋のセーヌ川

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La Seine / Institut de France / Pont des Arts / Quai de Conti

フランス学士院の中から見たセーヌ川の秋の風景です。
セーヌ川に架かる人道橋のポンデザール Pont des Arts とカルーゼル橋が見えています。
右岸の建物はルーヴル美術館です。

フランス最古の公共図書館:マザラン図書館

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Bibliothèque Mazarine

ルイ14世の摂政:オーストリアのアン / アンヌ・ドートリッシュ Anne d’Autriche を補佐したマザラン枢機卿 (1602-61) が私的に開設し学者等に解放した図書館に起源 (1643) を持つ。
マザラン図書館 Bibliothèque Mazarine の閲覧室の様子。

ムーラン・ルージュにて / トゥールーズ=ロートレック

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シカゴ美術館所有の<ムーラン・ルージュにて Au Moulin-Rouge (1892-95)>にはトゥールーズ=ロートレックお気に入りの女性達と男性のお友達 (評論家、写真家、画家等) が描かれている。コートールド美術研究所での「ジェーン・アヴリル展 (2011) 」でも機会があった。
中央に後ろ向きのジェーン・アヴリル Jane Avril 、後方にやはり後ろ向きのラ・グーリュ La Goulue とレスビアンの友人ラ・モム・フロマージュ la Môme Fromage 、右端にイギリス人ダンサーのメイ・ミルトン May Milton とテーブルにスペイン人ダンサーのラ・マカロナ La Macarona の5人。後方にロートレック自身がいる。

Au Moulin-Rouge (1892-95) / Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Art Institute of Chicago

ムーラン通りのサロン / トゥールーズ=ロートレック

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トゥールーズ=ロートレックが足繁く出入りしていた高級売春宿「ムーラン通り Rue des Moulins / 白い花 La Fleur blanche」のサロンをキャンバスに油彩で描いた作品<Salon de la rue des Moulins (1894-95)>です。
中央の女性がロートレックお気に入りのミレイユでその右が女主人:マダムです。アルビ Albi のトゥールーズ=ロートレック美術館が所有。
ブラジルから来た ロートレックの「長椅子 Le Divan」の背景を見ると、同じ長椅子を描いているようです。

Salon de la rue des Moulins (1894-95) / Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Musée Toulouse-Lautrec

ブラジルから来た ロートレックの「長椅子 Le Divan」

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グラン・パレにて開催中の “トゥールーズ=ロートレック 断然モダン展”  Toulouse-Lautrec / Résolument Moderne で鑑賞できた<長椅子 Le Divan (1893頃)>です。豪華売春宿「ムーラン通り」のサロンを描いた作品のようです。ブラジルのサンパウロ美術館 Museu de arte de São Paulo からの出展でした。初めて本物を見れました。段ボールに油彩の作品。

Le Divan (vers 1893) / Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Museu de arte de São Paulo

グラン・パレから 水鏡の泉 と ロン・ポワン劇場 を

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グラン・パレ ナショナルギャラリーの入り口バルコニーから<水鏡の泉 Fontaine Miroir d’eau>とプラタナスに隠れて夏には見えない<ロン・ポワン劇場 Théâtre du Rond Point>を見れました。
水鏡の泉は<セーヌ川とその支流 la Seine et ses affluents >の水でできた水面を鏡に見立てた泉 (噴水) で、アール・ヌーヴォーの彫刻家 Raoul Larche (1860-1912) の作品です。セーヌと9支流の寓意像を3つのグループにして鏡の額縁を飾るデザインになってます。
劇場の向こうにシャンゼリゼ大通り、泉との間にアイゼンハワー将軍 (ジェネラル・アイゼンオウエ) 大通り Avenue du Général Eisenhower 。

“トゥールーズロートレック 断然モダン展” グランパレ

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“トゥールーズ=ロートレック 断然モダン展”  Toulouse-Lautrec / Résolument Moderne が開かれているグラン・パレ ナショナルギャラリーの入り口です。
掛けられた垂れ幕にはオルセー美術館で見れる<クロウネス (ピエロ) チャウ・カオ Clownesse Cha-U-Kao (1895) >が使われています。
これも段ボール紙に油彩の作品です。
人気の作品のようで、オルセー美術館に行っても中々お目にかかれません。

リンガー ロンガー ルー を歌う イヴェット ギルベール / トゥールーズ=ロートレック     

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「トゥールーズ=ロートレック / 断然モダン展 Toulouse-Lautrec / Résolument Moderne 」でポスターとして使われているもののオリジナル<リンガー ロンガー ルー を歌う イヴェット・ギルベール Yvette Guilbert chantant Linger,Longer,Loo (1894)>です。
高価なキャンパスに代えて段ボール紙に描いたリトグラフのための下絵です。モスクワのプーシキン美術館 Musée d’Etat des Beaux-Arts Pouchkine (Moscou) が所有しています。

 

リンガー ロンガー ルー Linger Longer , Loo (1892) はイギリスの作曲家 シドニー・ジョーンズ Sidney Jones (1861-1946) によるワルツの作品で当時英語圏で人気を博していました。

右は川之江の H.T. ロートレック美術館  MUSÉE H.T. LAUTREC が所有しているリトグラフ
10/11/1894 Le Rire です。

“トゥールーズロートレック 断然モダン展” を鑑賞する

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グラン・パレ Grand Palais で開催中の「トゥールーズ=ロートレック / 断然モダン展 Toulouse-Lautrec / Résolument Moderne 」に行ってきました。
オルセー美術館とオランジュリー美術館とグラン・パレナショナルギャラリーが、アルビ市とトゥールーズ=ロートレック美術館の特別な支援を受けて共同制作した大規模展覧会。

Yvette Guilbert  (1894)
dans “Linger,Longer, Loo”
イヴェット・ギルベール (1865-1944) はロートレックお気に入りの歌手・女優でした。この頃の彼女はトレードマークの黒い長手袋に黄色の服が定番だったようですが・・

1774年のフランス女王マリー・アントワネット

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Marie-Antoinette (1755-1793) , reine de France en 1774 / Louis Simon Boizot (1743-1809) / Musée du Louvre

1774年はマリー・アントワネットが女王になった年。その年の彼女の胸像<Marie-Antoinette (1755-1793) , reine de France en 1774>の制作を1781年にヴェルサイユの外務省がルイ=シモン・ボワゾ Louis Simon Boizot (1743-1809) に命じた。1781年は待望の王太子ルイ=ジョゼフ・ド・フランス Louis-Joseph de France が誕生した年だ。
ルーヴル美術館にて。
版画家の妹、Marie-Louise-Adélaïde Boizot (1744-1800) もこれを版画<Marie Antoinette d’Autriche , Rein de France>(1781) にしている。

タンプルでのマリー・アントワネット / マルチェロ

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マルチェロ Marcello として知られる女流彫刻家のアデール・ダフリー Adèle d’Affry (1836-79) の作品<1793年、タンプルでのマリー・アントワネット Marie-Antoinette au Temple en 1793 >(1866) 。

Marie-Antoinette au Temple en 1793 / Adèle d’Affry ,duchesse Colonna,dit Marcello / Tour Temple / Musée d’Orsay

サン=ルイ王 (ルイ9世) 時代のテンプル騎士団 (1240) の本拠地だったタンプルのタンプル塔 Tour du Temple はフランス革命においてルイ16世、マリー・アントワネット等王族の監獄として使用された (1792-95 、取り壊し:1808) 。
マリー・アントワネットに憧憬を有していたアデール・ダフリーは監獄内でも威厳を失わない彼女をこのように表現した。収監されて約1年後 (1793.08.02.) コンシェルジュリーに移され、革命広場 (コンコルド広場) で処刑された (1793.10.16.) 。
オルセー美術館所蔵。

へーべに扮した王太子妃マリー・アントワネット

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ロココを代表する画家フランソワ・ブーシェ François Boucher の弟子である肖像画家フランソワ=ユベール・ドルーエ François-Hubert Drouais (1727-75) が描いた<へーべに扮した王太子妃マリー・アントワネット Marie-Antoinette , Dauphine , en Hébé (1773)>。

Marie-Antoinette,dauphine,en Hebe / François-Hubert Drouais (1727-75) / Musée Condé / Chantilly

Hébéはギリシャ神話で青春の女神。マリー・アントワネット (1755-93):1770-74 王太子妃 Dauphine de France、74-92 王妃 Reine des Français。コンデ美術館 Musée Condé で見れる。
右手にアンフォラ amphora /水差し、左手に酒盃を持っていて (不老不死の薬酒)、雲に乗る鷲 (不死) を右膝上に描いている。衣装は袖のないドレス enHébé 。薔薇は見当たらない。

テュイルリー宮殿等の火災 / パリコミューン

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カトリーヌ・ド・メディシスが建設を始めたチュイルリー宮殿 (1564-1867) はパリコミューン時に放火によって焼失し (1871) 、再建されることなく取り壊された (1883) 。
1871年5月23日の火災の様子を描いたレオン・オーギュスト・メル Léon-Auguste Mellé (1816-89) の作品<チュイルリー(宮殿)の火災 L’Incendie des Tuileries (1871)>をレジオンドヌール博物館 Musée de la Légion d’honneur で鑑賞できる。
セーヌ川に架かるカルーゼル橋下流右岸の大きな火の手がフロール館を含む「チュイルリー宮殿 Palais des Tuileries」、左岸の二つの火の手が右からレジオンドヌール博物館となっている「サルム館 Hôtel de Salm」とオルセー美術館の場所にあった「オルセー宮殿 Palais d’Orsay (1810-98) 」でいずれも放火による火災。サルム館のみ再建された。再建第一号だった。

L’Incendie des Tuileries (1871) / Léon-Auguste Mellé / Palais des Tuileries / Hôtel de Salm / Palais d’Orsay / La Seine / Pont du Carrusel / Musée de la Légion d’honneur

カルーゼル橋 から ライオン門 を・・

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フロール館 Pavillon de Flore とフロール翼 Aile de Flore が面するセーヌ河岸からカルーゼル公園への入り口であるライオン門 Porte des Lions を、カルーゼル橋から見たところです。
フロール館はカトリーヌ・ド・メディシスが建設したチュイルリー宮殿 (1564-パリ・コミューンで消失、取り壊し1883) との接続部で、ナポレオン1世が修復して使用していました。
2頭の座ったライオンの彫像はいずれも、動物彫刻家のバリー Antoine-Louis Barye (1795-1875) によるもので、左が1847のオリジナル、右が1846のレプリカ (オリジナルはオルセー美術館) 、同じものに見えますが尻尾の位置が明らかに異なります。ブロンズ。
セーヌ川には BatoBus の Louvre 乗降場があります。2019.07.06.

Porte des Lions / Pavillon de Flore / Aile de Flore / La Seine / Pont du Carrousel

パリ解放博物館等をルドゥー・パヴィリオン(西)に統合

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「パリの解放」75周年を機に、<パリ解放博物館>、<ルクレール将軍博物館>、<ジャン・ムーラン博物館>の3博物館がダンフェール=ロシュロー広場の (元) 地獄の関税徴収所と呼ばれたルドゥー・パヴィリオン西館 Pavillon Ledoux (1785) ouest 一か所に統合された。
ジャン・ムーランは全国レジスタンス評議会代表を務めたフランスレジスタンスの英雄。
博物館前の道路はアンリ・ロール・タンガイ大佐大通り Avenue du Colonel Henri Rol-Tanguy 。
その広告に使われている写真にはパリ駐屯独軍司令官コルティッツ将軍がドイツ軍本部を置いていたオテル・ムーリス Le Meurice 前のリヴォリ通りで開放を祝う市民達。

Musée de la Libération de Paris / Musée du Général Leclerc / Musée Jean Moulin / Place Denfert-Rochereau / Le Meurice / Rue de Rivoli

ラファエロの三美神 / コンデ美術館

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Les Trois Grâces de Raphaël (entre 1504 et 1505) / Musée Condé / Château de Chantilly

ラファエロ・サンティ Raphaël (1483-1520) 作の三美神 Les Trois Grâces de Raphaël (entre 1504 et 1505) 。
シャンティイ城のコンデ美術館 Musée Condé 所蔵。

庭園側からのシャンティイ城

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シャンティイ城から庭園 Jardins du Château de Chantilly 側に出て、濠を渡って<裸のモナ・リザ展>が行われているジュ・ド・ ポーム Jeu de Paume (旧フランス式屋内テニスコート) へ向かう途中、振り返って・・

Château de Chantilly / Jardin du Château de Chantilly / Chantilly

LA JOCONDE NUE / 裸のモナ・リザ

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La Joconde nue / Musée Condé / Château de Chantilly / Chantilly

シャンティイ城 Château de Chantilly で開催中の LA JOCONDE NUE / 裸のモナ・リザ 展に出かけた。
シャンティイ城内にあるコンデ美術館 Musée Condé 所蔵。
ダ・ヴィンチ (1452-1519) 没後500周年を機に分析・研究中。制作年 1514-16 の木炭画。
La Joconde / Mona Lisa は 1503-06、または 1513-16(19) の作品。

果たして両者の関係は?
レオナルド・ダ・ヴィンチ工房
École de Léonard de Vinci によるコピーなのか・・

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マネのオランピア

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オルセー美術館で催されている<黒人モデル / ジェリコーからマティスまで Le Modèle Noir de Géricault à Matisse> 展に行ってきた。
エドゥアール・マネ Edouard Manet (1832-83) 作の<オランピア Olympia (1863)>は1865年のサロンに出品され入選したのだが、草上の昼食 (1863) 以上のスキャンダルを引き起こした。
オランピアが娼婦の源氏名として多用されていたこと、黒人が娼館のメイドに多かったこと、黒猫に性的イメージがあること等が不興の理由かと・・花束は前夜の客から。

Olympia / Edouard Manet / Le Modèle Noir de Géricault à Matisse / Musée d’Orsay

オランピアのモデルは画家でもあったヴィクトリーヌ・ムーラン Victorine Meurent 。
履物はミュール Mule 。

<黒人モデル / ジェリコーからマティスまで> 展

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オルセー美術館で催されている<黒人モデル / ジェリコーからマティスまで Le Modèle Noir de Géricault à Matisse> 展に行ってきた。
Bibliothèque François Mitterrand 駅で偶々会ったマダムがこの展示会関係者との約束でこの企画展のためにオルセー美術館に行くと聞いて同行することにした。セネガル在住で埼玉県が実家の日本政府関係者を御主人にもつフランス人。休暇でパリに立ち寄り中だとか。
パネルの女性はマネ Edouard Manet (1832-83) 作の<オランピア Olympia (1863)>の女性。

Le Modèle Noir de Géricault à Matisse / Musée d’Orsay

Tour de France 2019 アルビ Albi に入る

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ツール・ド・フランス 2019 第10ステージの今日、ガロンヌ川の支流タルン川を渡ってロートレックの生誕地アルビに入った。
左下にトゥールーズ=ロートレック美術館 Musée Toulouse-Lautrec のあるアルビ大聖堂 Cathédrale d’Albi 、その右にヴュー橋、堰を挟んで上流の新橋 / 1944年8月22日橋を通過中。残り502m。France 2 映像をスニッピング。
明日16日は初めての休養日。第11ステージは17日、アルビからトゥールーズに向かう。

Albi / Tour de France 2019

Albi / Tour de France 2019

ルーヴル美術館からパレロワイヤル広場を

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今日はフランスの革命記念日 Le 14 Juillet 。昨年、一昨年に続きルーヴル美術館に行った。シャンゼリゼ大通り、コンコルド広場での行事を終え、パレロワイヤル広場前のリヴォリ通りを歩く二組の参加兵士達をルーヴル美術館から。右の建物はサントノーレ通り前の国務院 Conseil d’État 。
画面の曇りはルーヴルの窓ガラスのせい。外は晴れ。

Rue de Rivoli / Place du Palais Royal / Musée du Louvre / Le 14 Juillet

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(旧)コルベール城の「カスケード」と「オクトゴーヌ」

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ソー公園 Parc de Sceaux に残る(旧) コルベール城 Château de Colbert (1670-83) のカスケード。カスケードの両側からも噴水が上がるようになっているがこの時は休止。8角形の池:オクトゴーヌ L’Octogone に流れ込む。上段の建物が現在のソー城 Château de Sceaux で、イル=ド=フランス博物館となっている。正門であるオナール門 Entrée d’Honneur はその右側。

Château de Colbert / Château de Sceaux / Parc de Sceaux / Sceaux

マルメゾン城を飾ったルネ・フレミン作のフロール

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Flore (1706-1709) / René Frémin (1672-1744) / Château de Marly / Château de Malmaison / Cour Marly du Musée du Louvre

ナポレオン・ボナパルトが統領政府を樹立して独裁権を得る直前のエジプト出征中に妻ジョセフィーヌ・ド・ボアルネが独断でマルメゾン城 Château de Malmaison を購入した (1799) 。その正面に置かれた (1801₋77) のがルネ・フレミン René Frémin (1672-1744) 作のフロール Flore (1706-1709) だった。
元々はルイ14世の別宮マルリー宮殿 (城) Château de Marly に置かれていた作品で、現在はルーヴル美術館のマルニーの間 Cour Marly にある。

フロールはローマ神話で花の女神。

「蜂の巣」で藤田嗣治の隣室にはシャイム・スーチンが

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La Femme en rouge (Vers 1923-24) / Chaïm Soutine (1893-1943) / Musée d’Art Moderne de la Ville de Paris

フランスに渡った (1913) 藤田嗣治が住んだ蜂の巣 / ラ・リューシュ La Ruche の隣室にはロシア生まれのシャイム・スーチン Chaïm Soutine (1893-1943) がいた。そのまた隣はアメデオ・モディリアーニだった。藤田は蚤を膝枕で捕ってやったり、モディリアーニは画商のポール・ギョーム Paul Guillaume (1891-1934 )を紹介してやったりしたという。アメリカのコレクター:バーンズに評価されて (1923) 名をあげた。
<赤の女 La Femme en rouge (Vers 1923-24)>はその頃の作品。パリ市立近代美術館所蔵。

ナイーブアートのアンリ・ルソーが描いた「結婚式」

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La Noce (1905) / Henri Rousseau / Musée de l’Orangerie

ナイーブアート (Art naïf) / 素朴派の画家アンリ・ルソー Henri Rousseau (1844-1910) の作品<結婚式 La Noce (1905) >。
両側の樹が遠近法であるのに人物は平面的。犬は大きく花嫁は宙に浮いているように見える。
彼はキュービズム、シュール・リアリズムの先駆けともされ、ロートレックやピカソは早くからの理解者だった。
藤田嗣治も影響を受けた画家の一人とされる。
オランジュリー美術館所蔵。

ピカソが所持したカミーユ・コローの作品      La petite Jeannette

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カミーユ・コロー Jean-Baptiste Camille Corot (1796-1875) は後世の多くの画家に影響を与えたとされるが、ピカソ Pablo Picasso (1881-1973) もその一人で<小さなジャネット La Petite Jeannette (Vers 1848)>は彼が収集していた作品の一つ。ピカソ美術館 Musée National Picasso-Paris にある。
パリで活動したドイツ人アートディーラー・コレクターであり美術評論家だったヴィルヘルム・ウーデ Wilhelm Uhde の肖像画を描いた (1910) 見返りとして手に入れたもの (或いは反対かも) 。彼は「キュービズム Cubisme 」とアンリ・ルソーに代表される「ナイーヴ・アート Art naïf 」のよき理解者だった。

La petite Jeannette / Camille Corot (1796-1875) / Musée National Picasso-Paris

藤田嗣治の二人目の妻フェルナンド・バレエ

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Les trois danseuses ou la ronde (1918) / Collection particulière / 巴里 T. Foujita / 藤田嗣治 / au Musée Maillol

黒田が幅を利かせる画壇に嫌気がさして渡仏した (1913) 藤田嗣治が二人目の妻とした (1917) のがモデルのフェルナンド・バレエ Fernande Barrey 。
彼女の伝手で画壇で知られるようになり、絵も売れるようになったという。第一次大戦後の好景気も追い風となった。<輪舞 Les trois danseuses ou la ronde (1918)> (個人蔵) はその頃の作品だ。
金箔の上に透明水彩とグワッシュ (不透明水彩) とインクで。
巴里  T. Foujita とサインしている。
彼は生涯5人の妻を娶った。

藤田嗣治の3人目の妻ユキ

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嗣治 Foujita の作品<横たわる女、ユキ Femme allongée, Youki (1923)>(個人蔵) 。
モデルだったユキ Youki ( 本名 Lucie Badoud ) はこの6年後、藤田の3人目の妻となる (1929) 。
雪のように肌の白い女性だったようで、乳白色で売り出した藤田の恰好のモデルだった。
彼は生涯5人の妻を娶った。

嗣治 Foujita / Femme allongée, Youki (1923) / Collection particulière / au Musée Maillol

藤田嗣治の4人目の妻マドレーヌの肖像

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嗣治 Foujita / Portrait de Madeleine (1931) / au Musée Maillol

嗣治 Foujita の作品<Portrait de Madeleine (1931)> (個人蔵) 、カジノ・ド・パリのダンサーだったマドレーヌ・レクー  Madeleine Lequeux の肖像。
この2年後藤田の4人目の妻となるが、日本に帰国中 (現) 高田馬場シチズンプラザ裏にあった藤田の姉の嫁ぎ先の軍医総監宅で亡くなった (1936) 。27歳だった。
彼は生涯5人の妻を娶った。

嗣治 Foujita が描いた屏風絵

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嗣治 Foujita が描いた横長の絵。屏風絵のように金箔を貼った4分割連続絵 (一隻四扇) だ。<4 panneaux : 鳥の食事 Repas de l’oiseau , 雄鶏と雌鶏 Coqs et poules , 雉と芥子 Faisans et pavots , ムクドリとバンと匍匐猫 Etourneaux, poules d’eau et chat rampant (1929)>。
フォーブール・サン=トノレ通りの在仏日本大使公邸と在仏イギリス大使館の間にある日本を含む第一次大戦の連合国のサークル Cercle de l’Union Interallié (1917設立) が所有している。

4 panneaux : Repas de l’oiseau , Coqs et poules , Faisans et pavots , Etourneaux, poules d’eau et chat rampant / 嗣治 Foujita / Cercle de l’Union Interallié