シャンティイ城を護るスフィンクス

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シャンティイ城 Château de Chantilly を護るスフィンクス。ニコラス・クストゥ Nicolas Coustou (1658-1733) の作品 (1707) のコピーとして、アントワーヌ・ワトリネル Antoine Watrinelle (1828-1913) が制作した<Sphinge (ou chimère) (1886)>。
フランス革命中に破壊されたオリジナルを復元したもの。スフィンジ/スフィンクスは、女性の胸像とライオンの体と鷲の翼を持つ怪物としてオイディプスの神話に登場する。

Sphinge/Sphinx d’après Nicolas Coustou (1886) / Antoine Watrinelle (1828-1913) / Château de Chantilly / Chantilly

9月4日通りの吊るし看板 Enseigne / Le Bridgeur

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オペラ広場からブルス広場迄の9月4日通り Rue du Quatre Septembre で見られる吊るし看板 Enseigne 。トランプカード専門店 Le Bridgeur (ブリッジをする人) の看板。
左の建物は旧クレディリヨネ本社ビル (1883) 。火災 (1996) 後売却・改名され、ル・セントリアル Le Centorial となっている

Enseigne / Le Bridgeur / Rue du 4 septembre / Le Centorial

エドガー・ドガ の 彫刻「浴槽」1889 頃

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スコットランド国立美術館が所蔵しているエドガー・ドガ Edgar Degas (1834-1917) の 彫刻「浴槽 The Tub (about 1889)」。ドガの死後、アトリエにあった未公開の作品 (蝋、石膏、亜鉛、実物のスポンジ等が素材) を基にブロンズ鋳造された (1920) 22キャストの内の一つ。
湯あみする浴槽の女はドガが多数のパステル画を残したモチーフだが、全裸での入浴は娼婦を暗喩する。

The Tub (about 1889) / Edgar Degas (1834-1917) / National Galleries of Scotland / Edinburgh

北マリアナ諸島 北マリアナ諸島の旗

エドガー・ドガ による「アイロンかけの女達」

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ロートレックが影響を受けたエドガー・ドガ Edgar Degas (1834-1917) の著名な作品<アイロンかけの女達 Repasseuses (vers 1884-1886)>。ドガが描いた踊り子も洗濯女やアイロン工も当時のパリの底辺にいた労働者、娼婦を兼ねる者も多かった。(ロンドンのウォータールー橋 (ワーテルローの戦いでナポレオンに勝利したことを記念して命名) を舞台にした「哀愁 Waterloo Bridge (1940)」のヒロインもしかり。)ドガやロートレックは彼女らに温かい目を向けた。オルセー美術館所蔵。

白のブラウスを着た赤毛の女 / ロートレック

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ロートレック Toulouse-Lautrec (1864-1901) はモンマルトルで赤毛の女カルメン・ゴーディン Carmen Gaudin (1866?–1920) に出会い魅了されました (1884) 。彼女が頭髪を茶毛に変える迄モデルとして多くの作品を制作しました。

Femme rousse en caraco blanc (1889) / Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Museo Thyssen-Bornemisza (Madrid)

<白のブラウスを着た赤毛の女 Femme rousse en caraco blanc (1889)>もその一つです。
白のブラウスは当時の洗濯女の謂わば制服でした。そして洗濯女は夜は娼婦と相場が決まっていたようです。
マドリッドのティッセン=ボルネミッサ美術館 Museo Thyssen-Bornemisza が所有しています。
“トゥールーズ=ロートレック 断然モダン展” にて。

フランシス・ドレイク の ゴールデン・ハインド

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Golden Hind / Corsaire : Privateer / Francis Drake (about 1543-96) / St Mary Overie’s Dock / London

私掠船と言えばフランシス・ドレイク Francis Drake (about 1543-96) のゴールデン・ハインド Golden Hind (1577) 。フランスのガレオン船を改造したもの。
彼はスペイン船を攻撃し積み荷を奪う私掠 (しりゃく) 免許をエリザベス1世から得て、世界一周の略奪航海を成功させた (1577₋80) 。王室への略奪した財宝の分配 (30万ポンド) によりサーの称号を得る。
写真 (2013.08.05.) はフルサイズのレプリカ (1973) で、ロンドン橋上流右岸の St Mary Overie’s Dock に置かれている。

フリゲート・コルセール <Etoile du Roy>/ サン=マロ

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18世紀の英仏戦争では、民間船に敵国の船を攻撃しその船や積み荷を奪う私掠 (しりゃく) 免許を与えて海軍力を補完しあった。サン=マロは英仏海峡の要衝で、私掠船:フリゲート・コルセール Frégate corsaire が大いに活躍した。時に海賊にも。
1745年モデルのフリゲート・コルセールのレプリカ<Etoile du Roy>が係留されていた。イギリスでTVドラマ用に復元制作され (1996) 、後にサン=マロの企業が購入した (2010) もの。マストにサン=マロの市旗がはためく。
因みに、イギリス海軍初のフリゲートは鹵獲(ろかく/捕獲)したフランスの私掠船を模して建造された (1646) “Constant Warwick” とされている。

Etoile du Roy / Frégate corsaire / Saint-Malo

 

テーウーエル TER : ter / ブルターニュ地域圏

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フランス国鉄は地域圏ごとに地域圏急行輸送 Transport express régional :テーウーエル ter (TER のロゴタイプ) を運行している。特別料金不要の快速列車。
写真はブルターニュ地域圏 Région Bretagne を走行する TER 。ロゴはオコジョの毛皮模様のアーミン Hermine 。首府レンヌから乗車し、大西洋への出口イギリス海峡に面した終着駅サン=マロに到着したところ。

Transport express régional / Région Bretagne / Hermine / Gare de Saint Malo / Saint-Malo

ジョージア  ジョージアの国旗

レンヌ大聖堂 を リス市場 から

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レンヌ大聖堂 Cathédrale Saint-Pierre de Rennes (1845) の正面は崩壊したゴシック様式を古典様式で再建した (1704) もので、ルイ14世の王章が中央ペディメントに置かれている。太陽王ルイ14世のモットーであるNec pluribus impar “ (比類なき/全ての上に) のリボンが付いている。
左の建物はリス市場 Marché des Lices (Halles Martenot ouest) でレンヌ市の建築家マルテノ Jean-Baptiste Martenot (1828-1906) の作品のひとつ。

Cathédrale Saint-Pierre de Rennes / Marché des Lices (Halles Martenot ouest) / Rennes

ロートレックによる Le Photographe Sescau (1894)

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ロートレック Toulouse-Lautrec (1864-1901) 作のリトグラフ< 写真屋セソー Le Photographe Sescau (1894)>です。ピガール広場9番地にあった写真館 P. Sescau のポスターとして制作されました。?模様など斬新なデザインが盛り込まれています。右下に見られる ”象のモノグラム” は1895年以降にロートレックがしばしば使用したサインです。

Le Photographe Sescau (1894) / Toulouse-Lautrec (1864-1901)

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ジャンヌ・ダルクの涙 / Auzou のショコラ

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ルーアンのジャン・マリー・オーゾウ Jean-Marie Auzou 作のショコラ<ジャンヌ・ダルクの涙 Les Larmes de Jeanne d’Arc>をお土産にいただきました。ジャンヌ・ダルクは「オルレアンの乙女」と言われますがルーアンでは単に「乙女 la Pucelle」で通じるらしいです。

Les Larmes de Jeanne d’Arc / Jean-Marie Auzou / Rouen

『1412年、ドンレミに生まれた貧しい羊飼いジャンヌダルクはその後騎士たちに囲まれ共に闘いました。彼女の闘志は優しさそのものでした。コンピエーヌで捕らえられ、ノルマンディー公国の首都ルーアンに連行され、宗教裁判で死刑宣告を受け、1431年5月30日、「さらし台広場」と呼ばれていた「旧市場広場」で火刑に処されました。”彼女の涙”は苦しみからではなく使命を果たせなかったことへの絶望から流されたものだったのです。ルーアンはジャンヌを支持し続けています。』とケースのサイドに、フランス語、英語と共に日本語で記載があります。

ウォータールー広場 / ワーテルローの戦い 勝利記念広場

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ウォータールー広場 Waterloo Place はワーテルローの戦い (1815) でナポレオンに勝利したことを記念した広場で、都市計画道路リージェント・ストリートの一部として建設された (1816) 。パリのヴァンドーム広場を意識して ジェームズ・バートン James Burton が計画したという。
突き当りがピカデリーサーカス。左の緑はウォータールー庭園 Waterloo Gardens
広場には後にエドワード7世の顕彰騎馬像 (1921) 、クリミア戦争記念碑 (1860) 、手前で写っていないヨーク公記念柱 (1834) など多くの彫像が置かれた。

Waterloo Place / Waterloo Gardens / Battle of Waterloo (1815) / Regent St, St. James’s / London

ワーテルローの戦勝記念 ウェリントン・アーチ

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勝利の象徴である4頭立ての戦闘用馬車:クアドリガの載るウェリントン・アーチ Wellington Arch (1827・移動 1883) 。ワーテルローの戦い Battle of  Waterloo (1815) でナポレオンに勝利した英雄ウェリントン公爵の凱旋門といってもよいかと。
デシマス・バートン Decimus Burton (1800-81) 作の凱旋門にエイドリアン・ジョーンズ Adrian Jones (1845–1938) の代表作<戦争のクアドリガに降り注ぐ平和 Peace descending on the Quadriga of War (1912)>。クアドリガには両手に月桂冠と月桂樹の小枝を持つ有翼の勝利の女神:ギリシャ神話ではニーケー・ローマ神話ではヴィクトリアが。
グリーンパークの園路であるコンスティテューション・ヒルの左がグリーンパークで、右がバッキンガム宮殿庭園。庭園は外壁で囲まれていて出入りできない。

Wellington Arch (1827・1883) / Peace descending on the Quadriga of War (1912) / Decimus Burton (1800-81) / Adrian Jones (1845–1938) / Battle of Waterloo (1815) / London

ウェリントン公爵騎馬像 と ウェリントン・アーチ

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初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリー Arthur Wellesley (1769-1852) はワーテルローの戦い Battle of  Waterloo (1815) でナポレオンに勝利した英雄で、後に首相も務めた。
エイドリアン・ジョーンズ Adrian Jones (1845–1938) の彫刻<戦争のクアドリガに降り注ぐ平和 (1912)>が載るウェリントン・アーチ Wellington Arch (1827) には当初、マシュー・コーツ・ワイアット Matthew Cotes Wyatt (1777-1862) 作のウェリントン公爵騎馬像 Equestrian Statue Of The Duke Of Wellington が載せられていた (1846₋85) 。
が、バランス上の不評から撤去・移設され、代わりにジョセフ・ベーム Joseph Boehm (1834–90) 作の同名の騎馬像が隣接して置かれた (1888) 。
背景はバッキンガム宮殿庭園、アーチを通るグリーンパークの園路がコンスティテューション・ヒル。

Equestrian Statue Of The Duke Of Wellington (1888) / Wellington Arch (1830/1883) / Battle of Waterloo (1815)

穴八幡宮からの帰りはバスで / 早大正門

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徒歩で穴八幡宮に出かけ一陽来復のお守りを頂いた後、始発の早大正門から JR 高田馬場駅行きのバスで帰宅した。ロマネスクとゴシックの折衷様式の大隈講堂右側がバス停。神田川は奥直ぐ。暖かい好天だったので早稲田大学まで遠回りした。
今年の恵方は申酉 (西南西) 。 2020.01.13.

早稲田大学大隈講堂

穴八幡 今昔 / 一陽来復

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<一陽来復>のお守りを頂きに、節分・立春はまだ先だが、穴八幡宮に出かけた。
広重の「絵本江戸土産 (1850-67)」にある穴八幡。拝殿・幣殿・本殿側から随神門 (光寮門) と早稲田の低地を見たところを刻んだ。豊島台地 (武蔵野台地) の東端に随神門はある。

穴八幡宮 随神門 (光寮門) / 絵本江戸土産 (1850-67) 広重

穴八幡宮の拝殿・本殿前から随神門 (光寮門) を望む (2014.02.02.) 。
東京大空襲 (1945) で焼失、御鎮座900年事業 (1961-) として再建された (1998) 。

穴八幡宮 随神門 (光寮門)

 

ロートレックが描いたフィンセント・ファン・ゴッホ

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ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) とゴッホ Vincent van Gogh (1853-90) は

Vincent van Gogh (1887) / Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Van Gogh Museum , Amsterdam

モンマルトルのフェルナン・コルモン Fernand Cormon (1845-1927) の画塾 (1882-) に共に通っていた時期があります (1886-87) 。接点はこの2年間だけです。
両者アルコール依存症で、このパステル画<フィンセント・ファン・ゴッホ Vincent van Gogh (1887)>にも象徴的にアブサンを描きこんでいます。
先生の影響からかこの頃の二人の画風には共通性があるように見受けられます。お互いに才能を評価し合っていたようです。
アムステルダムのファン・ゴッホ美術館所有。7年前の現地では鑑賞できませんでした。
“トゥールーズ=ロートレック 断然モダン展” にて。

ロートレックによる「裸婦の習作」

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Étude de nu , Femme assise sur un divan (1882) / Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Musée Toulouse Lautrec d’Albi

ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) がパリに戻って、モンマルトルにあったレオン・ボナ Léon Bonnat の画塾に次いでフェルナン・コルモン Fernand Cormon の画塾に通っていた頃の作品<裸婦の習作 / 長椅子に座っている女性 Étude de nu , Femme assise sur un divan (1882)> 。
母親であるトゥールーズ=ロートレック伯爵夫人アデルがアルビのトゥールーズ=ロートレック美術館に寄贈したもの。

“トゥールーズ=ロートレック 断然モダン展” にて。

ロートレックが魅了されたイギリス人女性 Miss Dolly

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L’Anglaise du Star au Havre (1899) / Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Musée Toulouse Lautrec d’Albi

セーヌ川の河口の町ル・アーヴル Le Havre にあったカフェ・コンセール cafés-concert の一つ、” Star ” のバーメイドだったイギリス人女性ドリィ嬢 Miss Dolly
毎年夏ボルドーへ船旅するため訪れていたロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) は彼女に魅了されてこれ<L’Anglaise du Star au Havre (1899)>を描いた。

アルビのトゥールーズ=ロートレック美術館所蔵。
“トゥールーズ=ロートレック 断然モダン展” にて。

ボワシー・ダングラ通り から エルメス本店を

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Hermès / Rue Boissy d’Anglas / Rue du Faubourg Saint-Honoré

手前左に在仏アメリカ合衆国大使館があるので警備が厳しい。この日 (2019.10.21.) は何時にも増した態勢だった。
エルメス本店屋上の騎馬像

SNCF (国鉄) とRATP (パリ交通公団) の年金改革に対するストライキが継続中。
ダイヤ通りに運行されているのはメトロ1号線と14号線のみ。RER A と RER B 線は朝夕のラッシュ時でも2本に1本の運行。

正月休暇を終えパリから帰ってきたMonsieur H. は交通渋滞に悩まされたと・・。

 

甲州街道から江戸への入り口 四谷大木戸

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麹町の「うなぎ秋本」からの帰り、新宿通りの裏通りを徒歩で帰宅途中、四谷4丁目交差点の大木戸門跡を通過した。<四谷大木戸>は甲州街道から江戸 (左) への入り口 (関所) として設置された (1616) が、後に木戸は撤去された (1792) 。       2020.01.09.

四谷大木戸:江戸名所図会(1834-36): / 国立国会図書館デジタルコレクション

甲州街道 (国道20号線) 側から。上図で立札のある右の石垣あたり。上図では左が江戸、下写真では左が内藤新宿。

四谷大木戸碑 / 四谷4丁目甲州街道と外苑西通り(環状4号線)との交差点 / 新宿

 

干し草を材料にしたエコ彫刻 Gratte-ciel

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ルーマニアのエコ彫刻家エルニ・バルサ Ernő Bartha (1958-) による干し草を材料にした作品<摩天楼 Gratte-ciel (2007)>がリュクサンブール公園に置かれた (2019.6.12.) 。
背景はフランス元老院 Sénat として使用されているリュクサンブール宮殿。    2019.07.06.

Gratte-ciel (2007) / Ernő Bartha (1958-) / Jardin du Luxembourg / Palais du Luxembourg Sénat

 

狩猟する ディアーヌ・ド・ポワチエ / Diane chasseresse

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Diane chasseresse (vers 1550) / Diane de Poitiers (1500-66) / École de Fontainebleau / Artémis (Diane) à la biche / Musée du Louvre

<ディアーヌ 狩猟する女 Diane chasseresse (vers 1550)>エコール・ド・フォンテーヌブロー École de Fontainebleau の匿名の画家の作品。
この女性がディアーヌ・ド・ポワチエ Diane de Poitiers (1500-66) であることはルーヴル美術館も認めている。
フォンテーヌブロー宮殿にあった<アルテミスと雌鹿 Artémis à la biche / ディアーヌと雌鹿 Diane à la biche >の彫刻家ル・プリマティス Le Primatice (1504-70) によるコピーに触発されたポーズで描かれている。

ディアーヌ・ド・ポワチエ ? / お風呂の女性

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A Lady in Her Bath (1571) / François Clouet (vers 1510-72) / Diane de Poitiers (1500-66) / National Gallery of Art, Washington

フランソワ・クルーエ François Clouet (vers 1510-72) 作の<お風呂の女性 A Lady in Her Bath (1571)>。ワシントン国立美術館では女性を特定してはいないようだが、アンリ2世の愛妾ディアーヌ・ド・ポワチエ Diane de Poitiers (1500-66) とする説が有力。
フランソワ2世の王妃スコットランド女王メアリー・ステュアート説の他シャルル9世の愛人マリー・トゥシェ Marie Touchet 説もあるらしい。

シャンティイ城での「LA JOCONDE NUE 展 」にて。
115年振りの里帰りだとか‥

鹿に寄りかかったディアーヌ と             ディアーヌ・ド・ポワチエ

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エスティロ・トロバドールの画家アレクサンドル=エヴァリステ・フラゴナール Alexandre-Évariste Fragonard (1780-1850) が描いた< ジャン・グージョンのアトリエでのディアーヌ・ド・ポワチエ Diane de Poitiers chez  (dans l’atelier de ) Jean Goujon (vers 1830) >。
ルネサンスの彫刻家ジャン・グージョン Jean Goujon (1511-67) がアンリ2世の愛妾ディアーヌ・ド・ポワチエをアトリエに迎えて<鹿に寄りかかったディアーヌ Diane appuyée sur un cerf  (16世紀半ば)>を制作している様を想像して描いたもの。
作者不詳のこの彫刻が当時ジャン・グージョン作と思われていたことを窺える。

Diane de Poitiers chez  (dans l’atelier de ) Jean Goujon (vers 1830) / Alexandre-Évariste Fragonard (1780-1850) / Diane appuyée sur un cerf / Musée du Louvre

鹿に寄りかかったディアーヌ               ディアーヌ・ド・ポワチエ と アンリ2世

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<鹿に寄りかかったディアーヌ Diane appuyée sur un cerf  (16世紀半ば)>は、ディアーヌ・ド・ポワチエ Diane de Poitiers をローマ神話で狩猟の女神ディアーヌとして表わしたマニエリスム様式の彫刻。ディアーヌ・ダネ Diane d’Anet またはフォンテーヌ・ド・ディアーヌ Fontaine de Diane とも呼ばれている。元々、アンリ2世の愛妾だったディアーヌ・ド・ポワチエの居城:シャトー・ダネ Château d’Anet 中庭の噴水に置かれたもの。
狩猟の女神ディアーヌがディアーヌ・ド・ポワチエと重ねて捉えられ、寄り掛かっている牡鹿はアンリ2世を象徴しているとみられている。
台座には 二人のモノグラム DH (DianeのDとHenriのH) が刻まれている。

Diane appuyée sur un cerf / Diane d’Anet / Diane de Poitiers et Henri Ⅱ/ Monogramme DH / Musée du Louvre

ヴェルサイユのディアーヌ / アンリ2世への贈り物

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ギリシャ彫刻 (BC 4-5世紀) のローマンコピー<アルテミスと雌鹿 Artémis à la biche (BC 1-2世紀)>は<ヴェルサイユのディアーヌ Diane de Versailles >として知られる。
教皇パウロ4世がアンリ2世に贈った (1556) ものだが、アンリ2世の愛妾だったディアーヌ・ド・ポワチエ Diane de Poitiers を意識したものと考えられている。
フォンテーヌブロー宮殿 (アンリ2世) 、ルーヴル宮殿 (アンリ4世) 、ヴェルサイユ宮殿 (ルイ14世) を経て、現在はルーヴル美術館のカリアティード (頭上のエンタブラチュアを支える柱の役目を果たす女性の立像) の間に置かれている。
アルテミスはギリシャ神話で狩猟の女神、ローマ神話ではディアーヌ Diane / ディアナ。

Artémis à la biche / Diane de Versailles / Salle des Caryatides / Musée du Louvre

「新井薬師」に 初詣 2

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中野区にある真言宗豊山派の梅照院は特に眼病に御利益のある「新井薬師」として有名。
JR 中野駅から中野サンモール商店街、中野ブロードウエイ、早稲田通り、新井薬師参道 (薬師あいロード) のルートで、新井薬師へ元旦に初詣した。途中非常な賑わいだった。
梅照院の山門を入って本堂 (仏殿) を見たところ。常香炉が手前に、右に手水舎。灯篭の安全対策は万全。左右に桜の老木。

新井薬師 / 梅照院 本堂 (仏殿) / 中野 / 初詣

「新井薬師」に 初詣

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中野区にある真言宗豊山派の梅照院は特に眼病に御利益のある「新井薬師」として有名。
JR 中野駅から中野サンモール商店街、中野ブロードウエイ、早稲田通り、新井薬師参道 (薬師あいロード) のルートで、新井薬師へ元旦に初詣した。途中非常な賑わいだった。
梅照院の山門前から本堂 (仏殿) を見たところ。ご本尊は薬師如来と如意輪観音。
松竹梅の門松が山門前と本堂前に。右に松原智恵子や左時枝などの名が見えるのは節分会の豆まきの予定者らしい。

新井薬師 / 梅照院 山門 / 中野 / 初詣

新年あけましておめでとうございます 2020

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新年あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願い申し上げます H.T. ロートレック美術館・ギャラリーイグレック

新年の御挨拶 / H.T. ロートレック美術館・ギャラリーイグレック

川上 徹 作

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