セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ St Martin-in-the-Fields (1721-26) の正面の切妻破風にはハノーヴァー朝 (1714-1901) 初期のイギリスの国章 Royal arms / Royal coat of arms of the United Kingdom が刻まれている。 シールドの左上にイングランドとスコットランドの王章を並べたグレートブリテンの王章、右上に共和国になるまで(1900)継承権を主張していたフランスの王章、左下にアイルランドの王章、右下に神聖ローマ帝国(皇帝冠)のハノーファー(パッサントホース)選帝侯:ブラウンシュヴァイク(二頭のパッサントライオン)=リューネブルク(ランパントライオンハート付き)選帝侯の紋章。 王の権威を示す聖エドワード王冠 St Edward’s Crown を載せている。クロスパティー Cross pattée とフルール・ド・リス Fleur de lys が基調。
アムステルダムに今なお木造の跳ね橋 (跳開橋) として残されているマヘレの跳ね橋 Magere Brug 。伝統的な白い塗装の木製のダブルバスクル橋だ。観光用のボートは両脇の桁下を通れるので1日数度しか跳開しないらしいのだが・・。アムステル川の下流側から。
007シリーズ第7作「007 ダイヤモンドは永遠に (1971)」において、ボンドガールのジル・セント・ジョン Jill St. John とショーン・コネリー Sir Thomas Sean Connery が乗っているボートがマヘレの跳ね橋をアムステル川の上流側から通り抜けようとしているところ。50年も前のことだ。 ショーン・コネリー (1930-2020) は昨月31日死去した。合掌
クラクフ:クラコヴィの中央市場広場 Place du marché principal de Cracovie (1257:4ha) に残るクラクフの市庁舎の塔 Tour de l’Hôtel de Ville de Cracovie (15世紀) 。北側 (右) 西側 にあった市庁舎 (1300₋1820) の南東角に当たる。
右手前の建物は広場の中心織物会館 Sukiennice (Halle aux Draps ) (13c) 。ネオゴシック様式のオジヴァルアーチのギャラリー (19世紀) が見えている。正面左端 (広場の南西端) の建物は牡羊宮殿 Palais aux Béliers 。
14 世紀に建造された城壁上の塔で「泥棒の塔 Tour des voleurs (1843 再建)」と呼ばれる。後に下層の囚人の牢屋として使用されたことによるらしい。下段の石積みとその上の段:右奥に残る城壁に寄り掛かる建物の高さで手前側に城壁があった様子を窺える。「サンドミエルスカ塔 Tour Sandomierz 」(後に、上層の囚人の牢獄として使われた) までヴァヴェル城 Château du Wawel の城壁の痕跡が残っている。右の建物はオーストリア領時代にその位置に建設された旧病院 (1856) 。寄棟の屋根が復元された (2015) 。 2008.08.10.
ヴァヴェル城 Château du Wawel からヴィスワ川 La Vistule / Wisla を見下ろしたところ。
クラクフ/クラコヴィは水源のチェコ、スロバキア国境に近い上流部の古都とあって大河には見えないが、ワルシャワ/ヴァルソヴィを経てバルト海に注ぐ流域面積:194,424 km²、長さ:1,047 km の大河だ (セーヌ川:78,650 km²、780 km) 。ウクライナ、ベラルーシの一部を流域に含む国際河川。 2008.08.10.
ポーランド王国 (1025-1795) の旧都クラクフ/クラコヴィ Cracovie (1025-1596) のヴァヴェルの丘にある王宮:ヴァヴェル城 Château du Wawel とゴシックを基調とするヴァヴェル大聖堂 Cathédrale du Wawel 。ヴァヴェル城は右方から左方のヴィスワ川 La Vistule 河畔に展開する。
金色のドームを持つ礼拝堂はジグムント1世 (在位:1506-48) が命じたルネサンス様式のジグムント礼拝堂 (1519-33) 。この前を東(右)に進むとヴァヴェル城の中庭に出る。
大聖堂の正面 (1619) はバロック様式で右側の塔が “銀の鐘の塔 Tour des cloches d’argent ” 。その右奥の鐘楼がジグムントの塔 Tour Sigismond 、ジグムントの鐘 (1521) は20年前までポーランド最大だった。正面左に時計塔 Tour de l’horloge 。
ティツィアーノ Titian (1485-1576) による<エウロペの略奪 The Rape of Europa (1559-62)>の約三分の一縮小模写。作者不詳・18世紀の作とみられていて、ウォレスコレクション The Wallace Collection にあるもの。
牡牛に変身したゼウスがフェニキアの古代都市テュロスの王女エウロペを略奪しクレタに連れ去ろうとしているところ。エウロペはヴェールを振って助けを求めクピド/キューピッドの矢を避ける仕草の一方で牡牛の角をしっかり握っている。海を渡ったエウロペはクレタの王等を生みヨーロッパの語源となった。
スコットランド国立博物館 National Museum of Scotland の屋上から見たカールトンヒルの頂上にある<ネルソン記念碑 The Nelson Monument (1805-16)>。ここからはその右に<スコットランドの国民記念碑 National Monument ofScotland (1826-29)>が見える。
望遠鏡の形をしたネルソン記念碑はトラファルガーの海戦 (1805) でフランス・スペインの連合軍に勝利し、戦死したホレーショ・ネルソン Horatio Nelson (1758-1805) を記念して建設された。因みに、ロンドンのトラファルガー広場のネルソン記念柱 (1843) はずっと後。
丸い球は Time ball と呼ばれ、エディンバラ港に停泊中の船に午後1時の時刻を告げるために追加された (1852) 。1時前に上方に吊り上げ1時丁度に落下させることで時刻を告げる仕掛けだが、霧がかかると見えないのでエディンバラ城に One O’Clock Gun を補完した (1861) 。 ゴシックリバイバル様式の尖塔はロイヤルマイル Royal Mile に面した元教会で現イヴェント会場の The Hub 。
アテネのパルテノン神殿をモデルにした<スコットランドの国民記念碑 National Monument of Scotland>。右上のカールトンヒルに見える。ナポレオン戦争 (1803-15) で亡くなった兵士と船員のための慰霊碑(1826₋29)だが未完。
画面中央左には<王立スコットランド・アカデミー The Royal Scottish Academy (1836)>、その右に<スコットランド国立美術館 Scottish National Gallery (1859)> 、いずれも新古典主義様式のギリシャ風建築。鉄道の通る谷地を埋めた”マウンド The Mound” と呼ばれ、エディンバラの旧新市街地を結ぶ南北の主軸。エディンバラ城より。 2013.07.31.
エディンバラは 北のアテネ Athens of the North と呼ばれる。それを頷かせる建物の一つがロイヤル・スコティッシュ・アカデミー The Royal Scottish Academy (1836) 。
破風の上にヴィクトリア女王の座像 Statue of Her Imperial Majesty : Queen Victoria とスフィンクスが付け加えられた (1844) 。
背後に見えるゴシックリバイバル様式の尖塔は元教会で現イヴェント会場の The Hub 。ロイヤルマイル Royal Mile に位置し、エディンバラのランドマークの一つ。 2013.08.01.
モンマルトルのピガール広場の東側近くにあったシルク・フェルナンド/フェルナンドサーカス cirque Fernando (1873-97) の花形曲芸師であったララ嬢が釣具を口にくわえて引き上げられる様をドガ Edgar Degas (1834-1917) が描いた。 <シルク・フェルナンドでのララ嬢 Mademoiselle La La au cirque Fernando (1879)>。
昨夏オルセー美術館で開かれた<黒人モデル / ジェリコーからマティスまで Le Modèle Noir de Géricault à Matisse> 展で観て 1ヶ月後、ホームの<ロンドンのナショナルギャラリー>で再会した。ララ嬢は白人と黒人の混血児。
ロンドンのヨーク公通りにあるパブ Public House <The Red Lion , Mayfair> (1821) の吊るし看板 Signage 。
裏側からの赤い起立(ランパント)ライオンの上にロンドンの”フラーズ醸造所 (1845) ”のロゴ Fuller’s が載っている。
RED LION PUBLIC HOUSE として歴史的パブの国家遺産リストに登録されている。
大工の紋章 The Carpenters Arms という名のパブ Pub の「吊るし看板 Signage」。”鑿(のみ)と金槌(かなづち)” がイラストされている。16世紀(1518)からの歴史があるパブらしいが、現在の建物は初期のビクトリア朝様式 (1846) 。
突き当りに Queen Charlotte (1744-1818:ジョージ3世妃) Pub 。The House of Cashmere、Nell Gwynn の吊るし看板も見える。。背景は洗礼者聖ヨハネ教会 Windsor Parish Church of St John the Baptist 。
ウインザー城横のキャッスル・ヒルからチャーチ・ストリートを見たところ。
ヴィクトリア女王 Queen Victoria (1819-1901、在位:1837-1901) の名を冠した機関車 GWR 3041 <TheQueen>(1897) のレプリカ (1982) 。ウインザーとイートン中央駅 Windsor and Eton Central Station に置かれている。GWR は Great Western Railway の略。
女王は鉄道で旅行した最初のイギリス君主 (1842) 。
GWR 3041 <The Queen>(1897) / The Queen’ Locomotive 3041 / Windsor and Eton Central Station
観兵式等イギリス王室の主要儀式が行われるホース・ガーズ・パレード Horse Guards Parade から見える「ヨーク公記念碑 Duke of York Column (1834)」。右の建物は政府機関が入る旧海軍本部 Old Admiralty Building 。間に、第一次大戦で戦死した王立海軍師団記念碑。左方の緑はセント・ジェームズ・パーク St James’s Park 。 ヨーク公:ジョージ3世の第2王子 Prince Frederick (1763-1827) はフランス革命戦争時のイギリス陸軍最高司令官。
Duke of York Column / Horse Guards Parade / Royal Naval Division War Memorial / Old Admiralty Building
スコットランド国立美術館が所蔵しているエドガー・ドガ Edgar Degas (1834-1917) の 彫刻「浴槽 The Tub (about 1889)」。ドガの死後、アトリエにあった未公開の作品 (蝋、石膏、亜鉛、実物のスポンジ等が素材) を基にブロンズ鋳造された (1920) 22キャストの内の一つ。
湯あみする浴槽の女はドガが多数のパステル画を残したモチーフだが、全裸での入浴は娼婦を暗喩する。
The Tub (about 1889) / Edgar Degas (1834-1917) / National Galleries of Scotland / Edinburgh
Golden Hind / Corsaire : Privateer / Francis Drake (about 1543-96) / St Mary Overie’s Dock / London
私掠船と言えばフランシス・ドレイク Francis Drake (about 1543-96) のゴールデン・ハインド Golden Hind (1577) 。フランスのガレオン船を改造したもの。
彼はスペイン船を攻撃し積み荷を奪う私掠 (しりゃく) 免許をエリザベス1世から得て、世界一周の略奪航海を成功させた (1577₋80) 。王室への略奪した財宝の分配 (30万ポンド) によりサーの称号を得る。
写真 (2013.08.05.) はフルサイズのレプリカ (1973) で、ロンドン橋上流右岸の St Mary Overie’s Dock に置かれている。
勝利の象徴である4頭立ての戦闘用馬車:クアドリガの載るウェリントン・アーチ Wellington Arch (1827・移動 1883) 。ワーテルローの戦い Battle of Waterloo (1815) でナポレオンに勝利した英雄ウェリントン公爵の凱旋門といってもよいかと。
デシマス・バートン Decimus Burton (1800-81) 作の凱旋門にエイドリアン・ジョーンズ Adrian Jones (1845–1938) の代表作<戦争のクアドリガに降り注ぐ平和 Peace descending on the Quadriga of War (1912)>。クアドリガには両手に月桂冠と月桂樹の小枝を持つ有翼の勝利の女神:ギリシャ神話ではニーケー・ローマ神話ではヴィクトリアが。
グリーンパークの園路であるコンスティテューション・ヒルの左がグリーンパークで、右がバッキンガム宮殿庭園。庭園は外壁で囲まれていて出入りできない。
Wellington Arch (1827・1883) / Peace descending on the Quadriga of War (1912) / Decimus Burton (1800-81) / Adrian Jones (1845–1938) / Battle of Waterloo (1815) / London
初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリー Arthur Wellesley (1769-1852) はワーテルローの戦い Battle of Waterloo (1815) でナポレオンに勝利した英雄で、後に首相も務めた。
エイドリアン・ジョーンズ Adrian Jones (1845–1938) の彫刻<戦争のクアドリガに降り注ぐ平和 (1912)>が載るウェリントン・アーチ Wellington Arch (1827) には当初、マシュー・コーツ・ワイアット Matthew Cotes Wyatt (1777-1862) 作のウェリントン公爵騎馬像 Equestrian Statue Of The Duke Of Wellington が載せられていた (1846₋85) 。
が、バランス上の不評から撤去・移設され、代わりにジョセフ・ベーム Joseph Boehm (1834–90) 作の同名の騎馬像が隣接して置かれた (1888) 。
背景はバッキンガム宮殿庭園、アーチを通るグリーンパークの園路がコンスティテューション・ヒル。
Equestrian Statue Of The Duke Of Wellington (1888) / Wellington Arch (1830/1883) / Battle of Waterloo (1815)
バッキンガム宮殿 (1837 ヴィクトリア女王即位以降 王宮) 正面中央の門扉とその両側の門扉に見られる The Royal Cypher VR は「ヴィクトリア女王 Victoria Regina」のモノグラム 。 王冠はセントエドワードの王冠 St Edward’s Crown / Queen Victoria Crown 、エリザベス2世が用いているものと同じ。 底部にイングランドの守護聖人セント・ジョージの竜退治のメダルが付いたガーター勲章。 門扉の上にはヴィクトリア女王からジョージ6世まで (1837-1952) スコットランド以外で用いた王の紋章 Royal arms 。左にライオン、右にユニコーン。底部に<神と我が権利 Dieu et Mon Droit>のリボンが付いている。
左上壁の紋章はヴィクトリア女王からジョージ6世まで (1837-1952) 使用された王の紋章 Arms 。右上壁の紋章は左にジョージ5世、右に王妃メアリー・オブ・テックの紋章。 いずれも中世フランス語で<悪意を抱く者に災いあれ Honi soit qui mal y pense>と記した英国騎士団のガーター勲章で囲まれ、チューダー王冠 Tudor Crown を頂いている。
Royal Cypher VR : Victoria Regina / Royal arms used by Queen Victoria / Buckingham Palace
参考
ロンドン / バッキンガム宮殿の門扉に付けられているヴィクトリア女王からジョージ6世まで (1837-1952) の間使用された<連合王国イギリス United Kingdom の紋章>。
オックスフォード大学の中で最大のカレッジであるクライスト・チャーチ Christ Church の中庭とトムタワー。 2011.08.11. トムタワー Tom Tower (1681-82) はセントポール大聖堂等の建築を手がけたクリストファーレン Christopher Wren (1632-1723) による後期ゴシック様式のベルタワー。
Tom Quad と呼ばれる中庭 The Great Quadrangle (1525-29) にマーキュリーの噴水がある。
Tom Tower / Christopher Wren (1632-1723) / The Great Quadrangle / The Mercury fountain / Christchurch College / Oxford
オックスフォード大学の中で最大のカレッジであるクライスト・チャーチ Christ Church の建物の一つメドウビルディング The Meadow Building / Meadows (1862–66) 。
ヴェネチアゴシック様式だが、中央最上部のペディメントは段付き切妻になっている。トーマス・ディーン Thomas Deane (1792-1871) の建築作品。 2011.08.11.
The Meadow Building / Christchurch College / University of Oxford / Oxford / Venetian Gothic Style
シカゴ美術館所有の<ムーラン・ルージュにて Au Moulin-Rouge (1892-95)>にはトゥールーズ=ロートレックお気に入りの女性達と男性のお友達 (評論家、写真家、画家等) が描かれている。コートールド美術研究所での「ジェーン・アヴリル展 (2011) 」でも機会があった。
中央に後ろ向きのジェーン・アヴリル Jane Avril 、後方にやはり後ろ向きのラ・グーリュ La Goulue とレスビアンの友人ラ・モム・フロマージュ la Môme Fromage 、右端にイギリス人ダンサーのメイ・ミルトン May Milton とテーブルにスペイン人ダンサーのラ・マカロナ La Macarona の5人。後方にロートレック自身がいる。
Au Moulin-Rouge (1892-95) / Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Art Institute of Chicago
オルリー空港からイスラエルのテルアビブ Tel Aviv に向かいました。ベン・ガーオン空港 Ben Gurion Airport 到着後、エルトン・ジョン Elton John も泊まった Dan Hotels Israel へ。
ホテルからすぐ前の地中海に面した西向の浜辺 Frishman Beach です。パリではコートにマフラーでしたが、ここでは半袖に短パンです。
Frishman Beach / Mer Méditerranée / Mediterranean Sea / Tel Aviv / Israel
ウィンザー城前キャッスルヒルに置かれているヴィクトリア女王の立像 Queen Victoria Statue 。ジョゼフ・エドガー・ベーム Joseph Edgar Boehm (1834-1890) の作品 (1887) 。在位50周年を記念して地元ウィンザー及び周辺の人々によって建立された。
王冠はアルバート Albert (1819-61) 王配殿下 Prince Consort (1857) の死後着用し続けた「未亡人の帽子 Widow’s cap」(喪服の一部) に載せるため特別に作らせた (1871) 小ぶりの Small Diamond Crown of Queen Victoria 。その間10年は悲しみのあまり公務から遠ざかっていたという。
権力の象徴である宝珠 Orb と笏 Sceptre を手にしている。
Queen Victoria Statue / Small Diamond Crown of Queen Victoria / Widow’s Cap / Windsor Castle / Castle Hill /Windsor
Joan of Arc in Prison / Jeanne d’Arc malade interrogée dans sa prison par le cardinal de Winchester / The Wallace Collection / London
depuis 2001
ルーアン美術館が所蔵しているポール・ドラローシュ Paul Delaroche (1797-1856) の作品<ウィンチェスター枢機卿の尋問を受ける独房のジャンヌ・ダルク Jeanne d’Arc malade interrogée dans sa prison par le cardinal de Winchester (1824) >の縮小版 <Joan of Arc in Prison (1825)>。ロンドンのウォレス美術館が所蔵している。
「ジャンヌ・ダルク処刑裁判 (1431)」では二度と男装はしないという誓約を2日後に破って異端再犯者として処刑されることになるのだが、「異端無効化裁判 (1456)」でこれが謀略だったとする証言等々により復権を果たす。
バッキンガム宮殿 Buckingham Palace に向かって左側方からカナダ門のあるグリーンパークと「ヴィクトリア記念堂 Victoria Memorial 」を見たところ。まるで柵内から撮っているよう。
記念堂は宮殿正門から真直ぐのザ・マルを向いているので背面が見えている。ビクトリア女王皇后 Victoria regina imperatrix の像は見えない。
Buckingham Palace / Victoria Memorial / Green Park / Canada Gate / London
ロンドン・セント・パンクラス London St Pancras International 17:01 発パリ・ノルド Paris Nord 行きのユーロスター1等車 Standard Premier の夕食 Le dîner です。
時差が1時間ありますので、パリには20:20に着きます。
車両は最後尾 (ロンドン側) の1号車、最新型でした。2019.08.04.
レディネにはお酒が付いています。選択ができ追加もできます。
Le dîner / Eurostar : London St Pancras International 17:01~ Paris Nord 20:20
パリ・ノルド Paris Nord 7:43 発ロンドン・セント・パンクラス London St Pancras International 行きのユーロスター1等車 Standard Premier の朝食 Petit déjeuner です。
ノンストップで時差が1時間ありますので、ロンドンには9:00に着きます。
車両は最後尾 (パリ側) の16号車、最新型でした。2019.08.01.
Petit déjeuner / Eurostar : Paris Nord 7:43 ~ London St Pancras International 9:00
バッキンガム宮殿前の The Mall で行われているプルデンシャルライドロンドン Prudential RideLondon白熱の中での衛兵交代。 EIIR : Elizabeth II Regina は現エリザベス2世女王のロイヤルサイファー Royal Cypher で、聖エドワードの王冠 St Edward’s Crown が載っている。
17時01分セントパンクラス発のユーロスターは定刻の20時20分 (ロンドン時間 19:20) にパリ・ノルドに到着。1号車だったのでここまで10分かかった。行きのパリ発は16号車だった。パリが起点でロンドンが終点ということ。先頭2両と後尾2両が1等車 Standard Premier 。
日曜日は改修工事のため RER A 線を利用できないので、Gare du Nord 始発の BUS 46 系統を使って 終着 Château de Vincennes に帰った。
象徴主義の画家 フェルナン・クノップフ Fernand Khnopff (1858-1921) の代表作<愛撫 Des caresses (ou l’Art, ou le Sphinx) (1896)>。ベルギー王立美術館Musées royaux des beaux-arts de Belgique で (2010.07.30.) 。 横長で何とも意味不明の絵だけにかえってインパクトは強い。象徴主義の画家が好んで取り上げたギリシャ神話の「オイディプスとスフィンクス Œdipe et le Sphinx 」がテーマ。クノップフは女性の大半を姉妹のマルガリータ Margarita をモデルに描いたということから、オイディプスを悩ますヒョウ柄のスフィンクス (運命の女 Femme fatale を暗示) も彼女と目されている。戸惑って見えるオイディプスはクノップフ自身かもしれない。
Des caresses (ou l’Art, ou le Sphinx) (1896) / Fernand Khnopff / Musées royaux des beaux-arts de Belgique
Hôtel de ville de Bruxelles / Maison de l’Étoile / Grand- Place / Bruxelles
グランプラスの中心はブラバントゴシック建築 Gothique brabançon の「ブリュッセルの市庁舎 」(1455) です。ネオゴシック様式で再建された (1896) 王の家 Maison du Roi に向き合っています。高さ96mのランドマークになっています。尖塔にはブリュッセルの守護聖人サンミッシェルがドラゴンを踏みつけています。
市庁舎の左が再建された (1897) ギルドハウス「星の家」で、六芒星が載っています。
建物地上階を含む市庁舎との間の道がグランプラスを守った市長シャルル・ビュルス通りRue Charles Buls です。
小便小僧の衣装Musée < GardeRobe MannekenPis >横壁面のストリートアート Art de rue です。
小便小僧 Manneken Pis を捩って Manneken Peace ( 平和小僧 ) と名付けています。身に着けている衣装には 30 Belgian hip hop 1986-2016 とあってベルギーのヒップホップの走りが分かります。ここにもカセットが描かれています。音楽の象徴なのでしょう。
柱には Choux de Bruxelles (メキャベツのこと) がいます。
アート空間を提供してくれてありがとう Grâce Espace d’art とも。
Self-Portrait in a Black Cap (1637) / Rembrandt van Ryn (1606-69) / The Wallace Collection / London
イングランドの政治家でコレクターでもあったハートフォード侯爵3代目の息子4代目が購入 (1864) した<黒い帽子を被った自画像 Self-Portrait in a Black Cap (1637)>。ハートフォードハウス:ウォレスコレクション所蔵。
近年レンブラントRembrandt van Ryn (1606-69) の真作と認められた作品。
4代目はパリやブーローニュのバガテル城 Château de Bagatelle (1848 から) で人生の大半を過ごしコレクションを充実させた。
「ウォレス / ヴァラスの噴水」等に名を遺す庶子の Richard Wallace (1818-90) が相続した (1870) 。
カンタベリーのブラックフライアーズ Blackfriars (ドミニコ修道士の家) の跡がグレートストア川の両岸に残っている。現存する2棟の左が修道士の食堂、右がホールの建物だった。
ヘンリー3世 Henry IIIに土地を与えられて設立され (1237) 、ローマ・カトリック教会からイングランド国教会を分離したヘンリー8世 Henry VIII によって解散させられ資産は没収された (1538) 。直後は製織工場として使われたようだ。橋はフライアーズ通り The Friars 。王の橋 (12世紀) はもう一つ上流に架かる。
ドミニコ会は聖ドミニコが設立した (1206、1216認可) カトリックの修道会で、黒い修道士 Black Friars と呼ばれたのは黒の外衣を着ていたことによる。
Blackfriars / River Great Stour / Canterbury / Kent / South east / Engrand
オールドウィーバーズハウス:織工の家 The Old Weavers House (1500) 。12世紀には存在したとみられているが、エリザベス1世 (在位:1558-1603) の許可を得て宗教弾圧から逃れてきたフランドルの製織業者が住み着いたことにその名を由来する。
The Old Weavers House の吊るし看板 Signage が切妻に、The Weavers / Restaurant のそれが1階の軒下に吊るされている。
右端: River Great Stour に架かる王の橋 King’s bridge (12世紀) を境に St Peter’s Steet から High Street に変わる。
2017.08.20.
The Old Weavers House / Canterbury / Kent / South east / Engrand