ハノーヴァー朝初期のイギリスの国章

   depuis  2001

セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ St Martin-in-the-Fields (1721-26) の正面の切妻破風にはハノーヴァー朝 (1714-1901) 初期のイギリスの国章 Royal arms / Royal coat of arms of the United Kingdom が刻まれている。
シールドの左上にイングランドとスコットランドの王章を並べたグレートブリテンの王章、右上に共和国になるまで(1900)継承権を主張していたフランスの王章、左下にアイルランドの王章、右下に神聖ローマ帝国(皇帝冠)のハノーファー(パッサントホース)選帝侯:ブラウンシュヴァイク(二頭のパッサントライオン)=リューネブルク(ランパントライオンハート付き)選帝侯の紋章。
王の権威を示す聖エドワード王冠 St Edward’s Crown を載せている。クロスパティー Cross pattée とフルール・ド・リス Fleur de lys が基調。

Royal Arms of Great Britain, France, Ireland, Brunswick, Lüneburg and Hanover(1714-1800) /  St Martin-in-the-Fields (1721-26) 

トラファルガー広場から              セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ を

   depuis  2001

トラファルガー広場のネルソン記念柱下からセント・マーティン・イン・ザ・フィールズ St Martin-in-the-Fields (1721-26) を見たところ。左にナショナルギャラリー、中央にジョージ4世 (在位:1820₋30) の騎馬像、右にライオン。
教会はハノーヴァー朝 (1714-1901) の開祖ジョージ1世治世下で再建された新古典主義建築だが、起源は1222年に遡る。列柱を伴う切妻屋根と尖塔は北米植民地教会のモデルとなった。

St Martin-in-the-Fields (1721-26) / King George IV statue / The National Gallery / Trafalgar Square / Lion / London

ロンドン・ヒッポドローム の タワー

   depuis  2001

Hippodrome London (1900) / Casino Hippodrome Casino London / Cranbourn Street / London

1900年にオープンしたロンドン・ヒッポドローム London Hippodrome の建物外観。サーカスとバラエティの会場として建設された。幾多の変遷を経て現在はカジノ Hippodrome Casino になっている。
クランボーン・ストリートから見たところ。二頭立ての二輪戦車:チャリオット Chariot が載るタワーがあるのがチャーリング・クロス・ロードとの交差点角。ローマの戦車の下には槍と盾を持ったローマ兵士の像も見える。
ヴァンセンヌ競馬場 Hippodrome de Paris-Vincennes やロンシャン競馬場 Hippodrome de Longchamp など競馬場を連想してしまう。2019.08.03.

シンゲルグラハトにあった風車

   depuis  2001

アムステルダムの5本の環状運河の最も外側のシンゲル運河:シンゲルグラハト Singelgracht (1610-62) には運河の内側に26基の要塞(堡塁)があり、製粉所の風車が置かれていた。その内現存する2基の一つがデ・ホイエル(製粉所) の風車だ。1814年以降、1725年にはあった旧地から2基ほど北東になる現在地で稼働している。
欄干に ”夜明けの橋 Dageraadsbrug ” の表示がある (クザール・ペーテル通り) 。

Windmühle / De Gooyer / Dageraadsbrug / Czaar Peterstraat,/ Amsterdam

アムステルダム中央駅

ネオ・ゴシック様式とネオ・ルネサンス様式を組み合わせたピエール・カイパーズ  Pierre Cuypers (1827-1921) の作品:アムステルダム中央駅 (1881-1889) 。アムステルダム国立美術館 (1876-1885) と同時並行的に建設された。「聖アンデレ十字:Ⅹ」3つがアムステルダムの紋章 。   2012.08.10.

Station Amsterdam Centraal / Pierre Cuypers (1827-1921) / Amsterdam

最も外側の環状運河 / シンゲルグラハト

   depuis  2001

5本の環状運河の最も外側のシンゲル運河 Singelgracht (1610-62) は1660年頃 (黄金の17世紀) にアムステルダムの外堀となり内側に城壁が築かれた (19世紀末には撤去) 。
シンゲル運河の内側から外側にあるアムステルダム国立美術館 (1885) の正面を見たところ (当時はここに要塞があり、運河は美術館の裏正面前に湾曲していた) 。ネオ・ゴシック様式とネオ・ルネサンス様式を組み合わせたピエール・カイパーズ (1827-1921) の作品。アムステルダム市立美術館 (1895) 、ゴッホ美術館 (1973) はこの後方 (外側) にある。

Singelgracht / Rijksmuseum Amsterdam / Museumbrug / Amsterdam

シンゲル Singel / 最も内側の環状運河 – 2

3連泊したホテル エセレーア Hotel Estherea からアムステルダム中央駅に出るのにシンゲル Singel 沿いに南下して、屈曲点のワイデ・ハイ通りから見たシンゲル (運河) 。次の橋がトラムの通るコーニングス広場。右にネオゴシック様式のフランシスコ・ザビエル教会。   
シンゲルの内側に沿う1385年以前の外堀 (1884 埋塞) だったニーウェゼイス・フォールブルグワル通り Nieuwezijds Voorburgwal を通って駅に出た。2012.08.12.

Singel / Koningsplein / De Krijtberg / Amsterdam

中華人民共和国マカオ特別行政区 マカオの国旗

シンゲル Singel / 最も内側の環状運河 – 1

   depuis  2001

シンゲル Singel は最も内側の環状運河。アムステルダムがこれを超えて拡大する1585年 (ネーデルラント連邦共和国成立) までは1480年以降外堀としての役割を果たした。前方に見えるパレイス通りに架かる橋を右に行くとアムスの中心のダム広場 Dam 、旧市役所・現王宮がある。旧アムステル川を埋め立てたダムラック通り Damrak を進めばアムステルダム駅だ。
右側 (旧市街) のホテル エセレーア Hotel Estherea に3連泊した。

Singel / Amsterdam

ワルター・スースキント橋 / へーレン運河

   depuis  2001

アムステルダムの語源となったアムステル川 Amstel に架かる木造の跳開橋:マヘレの跳ね橋すぐ下流で合流する新へーレン運河に架けられたワルター・スースキントの跳開橋 。木製の古い外観を持って架け替えられた新しい橋 (1972) 。
ワルター・スースキント WalterSüskind (1906-45) はナチス占領下に約600人の子供達の逃亡を助けたが、自身は犠牲になった。
アムステルダムの5本の環状運河の2番目がへーレン運河で、オランダ東インド会社設立の頃に建設された (1612) 。

Walter Süskind brug / Nieuwe Herengracht / Amstel / Amsterdam

3540

マヘレの跳ね橋 / ショーン・コネリーを偲んで

アムステルダムに今なお木造の跳ね橋 (跳開橋) として残されているマヘレの跳ね橋 Magere Brug 伝統的な白い塗装の木製のダブルバスクル橋だ観光用のボートは両脇の桁下を通れるので1日数度しか跳開しないらしいのだが・・。アムステル川の下流側から。

Magere Brug / Amstel / Amsterdam

007シリーズ第7作「007 ダイヤモンドは永遠に (1971)」において、ボンドガールのジル・セント・ジョン Jill St. John とショーン・コネリー Sir Thomas Sean Connery が乗っているボートがマヘレの跳ね橋をアムステル川の上流側から通り抜けようとしているところ。50年も前のことだ。
ショーン・コネリー (1930-2020) は昨月31日死去した。合掌

007 Diamonds are forever ” / Amsteldam

3461

アムステルダムの跳開橋 / Hogesluis

   depuis  2001

アムステルダムでトラム (Tram 10 / サルファティ通り) に乗っていた時に出くわした。アムステル川に架かる Hogesluis 橋 (1662・1883・2012) のダブルデッキ型跳開橋部分。装飾された美しい古橋を350年後のこの時、復元供用開始したばかりだった。2012.08.10.

De Hogesluis / Sarphatistraat / Tram 10 / Amstel / Amsteldam

跳開橋が閉じ遮断機が挙がりかけている。右側一つ上流のニウウェ・アムステル橋もダブルデッキ型跳開橋部分があり、垂直に立った遮断機(4本の内)2本が見えている。右前方にインターコンチのアムステルホテル。

De Hogesluis / Sarphatistraat / Tram 10 / Amstel / InterContinental Amstel Amsterdam / Amsteldam

5075

カジミェシュの「スタラ・シナゴーグ」/ クラクフ

   depuis  2001

クラクフのカジミェシュ地区はユダヤ人が多く居住するシュテットル  Shtetl で元は独立した自治体だった。
15世紀にチェコから移住してきたのが始まりらしい。地区内には複数のシナゴーグ (ユダヤ教の会堂) があるが、スタラ Stara・シナゴーグ  Vieille Synagogue (1407 or 1492) はポーランドで現存する最古のシナゴークであり、”クラクフ歴史博物館分館” になっている。
バウォシュ広場 Place Bawół の北端から戦後復元されたゴシック・ネオルネサンス様式 (1560頃) の建物全景。四隅にあるレンガ造りの小尖塔 pinacle の内の2基が見えている。

Vieille (Stara) Synagogue / Kazimierz / Cracovie

コペルニクスが学んだ クラクフ (ヤギェウォ) 大学

   depuis  2001

カジミェシュ3世 (在位:1333-70) が創設したヤギェウォ大学 (1364-1816 :クラクフ大学) の本部があるコレギウムノヴム Nouveau Collège (1887) 。ネオゴシック様式で往古の建物風に再建された。中央に王冠を載せた白鷲の国章がある。また、左の花壇には “コペルニクスの記念碑” がある (台座しか見えていないが) 。
クラクフ大学 (1364) にはコペルニスク Nicolas Copernic (1473-1543) が在学 (1491-95) 、世界最古の大学 (1088) ボローニャ大学に進んだ (1496-1500) 。彼が学んだコレギウムマイウス Collegium Maius (1400頃) は左のゴウェンビャ通りに入って左折したところ。

Université Jagellon / Nouveau Collège / Nicolas Copernic / Cracovie

聖マリア聖堂のトランぺッターの塔 / 中世の伝統を今に

   depuis  2001

クラクフは朝夕、非常時等に城壁の門の開閉を告げるためにラッパを鳴らすという中世の伝統を今日まで伝える世界で唯一の都市だそうだ。
中央市場広場の北東端に、1406年には完成していたとされる煉瓦造りのゴシック建築:聖マリア聖堂 Basilique Sainte-Marie de Cracovie の北塔はトランペッターの塔 Tour du trompettiste と呼ばれ、毎正時「聖マリアの夜明け Hejnał」を演奏し続けている。1241年のタタール人襲撃の逸話を象徴しているという。
北塔の頂部に尖ったゴシック様式の “多角形のヘルメット” を被せ (1478) 、”黄金のマリアの王冠” で飾り (1666) 、クラクフの監視塔として機能してきた。バロック様式のポーチ (玄関) は18世紀中頃に付け加えられた。
聖マリア大聖堂はヴァヴェル城織物会館と共にユネスコ世界遺産登録第1号 (1978) の<クラクフ歴史地区>の代表建造物。<アダムミツキェヴィチ記念碑 (1898)>が右手前に。

Tour du trompettiste / Basilique Sainte-Marie de Cracovie / Place du marché principal de Cracovie / Monument d’Adam Mickiewicz / Cracovie

ヴィエリチカ岩塩坑 に入る

   depuis  2001

中央市場広場の織物会館で行われた交易でクラクフの輸出品目は織物、鉛、岩塩等だった。
クラクフ南東に隣接するヴィエリチカ (2000万年前には海だった) にあるヴィエリチカ岩塩坑 Mines de sel de Wieliczka (1044創業、1250 国営-1996 観光に特化) を見学した。「廃坑になっていない世界最古の岩塩坑」で、ユネスコ世界遺産登録第1号 (1978) 12件の一つ<ヴィエリチカとボフニアの王立岩塩坑群>。
深さ 327m、坑道延長 300㎞、急なシャフト(立坑梯子階段)で延々と下る。昇りは換気口を兼ねたマインシャフトのエレヴェーターで。”聖キンガ礼拝堂” のある大空間は圧巻だった。
マインシャフトを通して岩塩を搬出するためのヘッドフレーム Arbre Daniłowicz (1640) が中央に (D.は当時の鉱山マネージャーの名) 。塩坑のロゴ。
<クラクフ歴史地区>も最初の12件の世界遺産に含まれている。

Mines de sel de Wieliczka / Wieliczka / 1ère liste du Patrimoine mondial

クラクフの市庁舎の塔 と 織物会館 2

朝パリを出て12時11分 (2008.08.09.) にはポーランドの古都クラクフ:クラコヴィの中心:中央市場広場にいた。手荷物はホテル ポッド ロザ Hotel Pod Różą に預けた。
広場の北側から見たクラクフの市庁舎の塔 Tour de l’Hôtel de Ville de Cracovie (15世紀) 。左に織物会館の西面。「アダム・ミツキェヴィチ Adam Mickiewicz (1798-1855) の記念碑 」は東面の前にある。遠くに見える鐘楼 (南方向) はヴァヴェル城内の “ヴァヴェル大聖堂の時計塔” のもの。その下部を隠している建物はポトッキ宮殿 Palais des Potocki 。
旧市庁舎が解体され見えるようになった市庁舎の塔の入り口前には「第9回宮廷舞踊フェスティヴァル IX Festival Tańców Dworskich」の特設ステージが設けられている。

Tour de l’Hôtel de Ville de Cracovie / Sukiennice (Halle aux Draps ) / Palais des Potocki / Place du marché principal de Cracovie / Tour de l’horloge de Cathédrale du Wawel / Cracovie

クラクフの市庁舎の塔 と 織物会館 1

クラクフ:クラコヴィの中央市場広場 Place du marché principal de Cracovie (1257:4ha) に残るクラクフの市庁舎の塔 Tour de l’Hôtel de Ville de Cracovie (15世紀) 。北側 (右) 西側 にあった市庁舎 (1300₋1820) の南東角に当たる。
右手前の建物は広場の中心 織物会館 Sukiennice (Halle aux Draps ) (13c) 。ネオゴシック様式のオジヴァルアーチのギャラリー (19世紀) が見えている。正面左端 (広場の南西端) の建物は牡羊宮殿 Palais aux Béliers 。

Tour de l’Hôtel de Ville de Cracovie / Sukiennice (Halle aux Draps ) / Palais aux Béliers / Place du marché principal de Cracovie / Cracovie

パービカン (バルバカン) と フロリアン門

   depuis  2001

フロリアン門 Porte Florian の護りを強化するため、城外側に一体として設置されたパービカン/バルバカン Barbacane 。門の両側との接続壁の一部は撤去されている。
フロリアン門の城外側の塔に「ピアスト鷲 Piasto Aigle」の浅浮彫 (1820) 。ポーランド王プシェミスウ2世(在位:1295₋96) が初めて使用したとされる (1295) 白鷲の紋章 で、ピアスト朝から現在に至るまで形を変えつつも使われ続けてきたポーランドの象徴。

Porte Florian et Barbacane / Piasto Aigle / Cracovie

フロリアン門 と クラクフの城壁

   depuis  2001

Porte Florian / Muraille de Cracovie / Cracovie

旧クラクフの市街はヴァヴェル城 Château du Wawel と連携した城壁で囲まれており、現存するフロリアン門 / 聖フロリアン門 Porte Florian 等 8つの門があった。
フロリアン門 付近の城壁は残されることとなったが、19世紀初頭に解体された城壁跡はプランティ Planty 公園となっている。
城内のフロリアンスカ通りから見た “聖フロリアン” の浅浮彫の付いたフロリアン門 (13-14世紀) と 両側の城壁。
塔の部分はチャルトリスキ家の家族礼拝堂として改築された (1889) 。

泥棒の塔 と ヴァヴェル城の城壁跡

   depuis  2001

14 世紀に建造された城壁上の塔で「泥棒の塔 Tour des voleurs (1843 再建)」と呼ばれる。後に下層の囚人の牢屋として使用されたことによるらしい。下段の石積みとその上の段:右奥に残る城壁に寄り掛かる建物の高さで手前側に城壁があった様子を窺える。「サンドミエルスカ塔 Tour Sandomierz 」(後に、上層の囚人の牢獄として使われた) までヴァヴェル城 Château du Wawel の城壁の痕跡が残っている。右の建物はオーストリア領時代にその位置に建設された旧病院 (1856) 。寄棟の屋根が復元された (2015) 。               2008.08.10.

Tour des voleurs / Château du Wawel / Cracovie

<参考> 対岸から見たヴァヴェル城 (2009 , Castillo de Wawel より借用)

「泥棒の塔」と「「サンドミエルスカ塔」との間にも「泥棒の塔」の左に残るヴァヴェル城の城壁があった。

ヴァヴェル城から見下ろす大河 ヴィスワ川 La Vistule

ヴァヴェル城 Château du Wawel からヴィスワ川 La Vistule / Wisla を見下ろしたところ。
クラクフ/クラコヴィは水源のチェコ、スロバキア国境に近い上流部の古都とあって大河には見えないが、ワルシャワ/ヴァルソヴィを経てバルト海に注ぐ流域面積:194,424 km²、長さ:1,047 km の大河だ (セーヌ川:78,650 km²、780 km) 。ウクライナ、ベラルーシの一部を流域に含む国際河川。                                                                                                                 2008.08.10.

La Vistule / Château du Wawel / Cracovie

<参考> 対岸から見たヴァヴェル城 (2009 , Castillo de Wawel より借用)

 

サンドミエルスカ塔とベルナルディスカ門

   depuis  2001

サンドミエルスカ塔はヴァヴェル城 Château du Wawel の南西端にあり、大砲塔 (火の塔) としてカジミェシュ4世 (在位:1447-92) によって建設された (1462 , 1856再建) 。
ポーランド王国 (1025-1795) は第3次分割によりすべての領土を失い、クラクフ:クラコヴィはオーストリアの領土となった。ヴァヴェル城への入り口の一つ、ベルナルディスカ門 (1849-54) はナチスドイツによる占領下に改築された (1942) 。

Tour Sandomierz / Porte Bernardyńska / Château du Wawel / Cracovie

ルネサンス様式の ヴァヴェル城の中庭

   depuis  2001

Cracovia Danza / IX Festiwal Tańców Dworskich / Danses de cour

ヴァヴェル大聖堂の南側、ジグムント礼拝堂等に沿って東に進むと、ヴァヴェル城 Château du Wawel の中庭に出る (左に入口) 。
アレクサンデル (在位:1501-06) とジグムント1世 (在位:1506-48) によって現在見るルネサンス様式に改装された (1516-36) 。
12年前のこの日 (2008.08.10.) は Cracovia Danza による第IX回 宮廷舞踊フェスティヴァル  IX Festiwal Tańców Dworskich の最終日だった。

Cour du château de Wawel / Château de Wawel / Cracovie

ヴァヴェル城 と ヴァヴェル大聖堂 / クラクフ

   depuis  2001

ポーランド王国 (1025-1795) の旧都クラクフ/クラコヴィ Cracovie (1025-1596) のヴァヴェルの丘にある王宮:ヴァヴェル城 Château du Wawel とゴシックを基調とするヴァヴェル大聖堂 Cathédrale du Wawel 。ヴァヴェル城は右方から左方のヴィスワ川 La Vistule 河畔に展開する。
金色のドームを持つ礼拝堂はジグムント1世 (在位:1506-48) が命じたルネサンス様式のジグムント礼拝堂 (1519-33) 。この前を東(右)に進むとヴァヴェル城の中庭に出る。
大聖堂の正面 (1619) はバロック様式で右側の塔が “銀の鐘の塔 Tour des cloches d’argent ” 。その右奥の鐘楼がジグムントの塔 Tour Sigismond 、ジグムントの鐘 (1521) は20年前までポーランド最大だった。正面左に時計塔 Tour de l’horloge 。

Cathédrale du Wawel / Château du Wawel / Tour des cloches d’argent / Tour Sigismond / Cracovie

ティツィアーノ作「エウロペの略奪」 の縮小模写

   depuis  2001

ティツィアーノ Titian (1485-1576) による<エウロペの略奪 The Rape of Europa (1559-62)>の約三分の一縮小模写。作者不詳・18世紀の作とみられていて、ウォレスコレクション The Wallace Collection にあるもの。
牡牛に変身したゼウスがフェニキアの古代都市テュロスの王女エウロペを略奪しクレタに連れ去ろうとしているところ。エウロペはヴェールを振って助けを求めクピド/キューピッドの矢を避ける仕草の一方で牡牛の角をしっかり握っている。海を渡ったエウロペはクレタの王等を生みヨーロッパの語源となった。

The Rape of Europa (1559-62) After Titian / The Wallace Collection / London

「トラファルガーの海戦」に勝利して / エディンバラ

   depuis 2001

スコットランド国立博物館 National Museum of Scotland の屋上から見たカールトンヒルの頂上にある<ネルソン記念碑 The Nelson Monument (1805-16)。ここからはその右に<スコットランドの国民記念碑 National Monument of Scotland (1826-29)>が見える。
望遠鏡の形をしたネルソン記念碑はトラファルガーの海戦 (1805) でフランス・スペインの連合軍に勝利し、戦死したホレーショ・ネルソン Horatio Nelson (1758-1805) を記念して建設された。因みに、ロンドンのトラファルガー広場のネルソン記念柱 (1843) はずっと後。
丸い球は Time ball と呼ばれ、エディンバラ港に停泊中の船に午後1時の時刻を告げるために追加された (1852) 。1時前に上方に吊り上げ1時丁度に落下させることで時刻を告げる仕掛けだが、霧がかかると見えないのでエディンバラ城に One O’Clock Gun を補完した (1861) 。
ゴシックリバイバル様式の尖塔はロイヤルマイル Royal Mile に面した元教会で現イヴェント会場の The Hub 。

The Nelson Monument (1805-16) / National Monument of Scotland (1826-29) / Calton Hill / Battle of Trafalgar (1805) / The Hub / National Museum of Scotland / Edinburgh

北のアテネ エディンバラの            スコットランドの国民記念碑

   depuis  2001

アテネのパルテノン神殿をモデルにした<スコットランドの国民記念碑 National Monument of Scotland>。右上のカールトンヒルに見える。ナポレオン戦争 (1803-15) で亡くなった兵士と船員のための慰霊碑(1826₋29)だが未完。
画面中央左には王立スコットランド・アカデミー The Royal Scottish Academy (1836) 、その右に<スコットランド国立美術館 Scottish National Gallery (1859) 、いずれも新古典主義様式のギリシャ風建築。鉄道の通る谷地を埋めた”マウンド The Mound” と呼ばれ、エディンバラの旧新市街地を結ぶ南北の主軸。エディンバラ城より。 2013.07.31.

National Monument of Scotland / The Royal Scottish Academy (1836) / Scottish National Gallery (1859) / Athens of the North / Edinburph

北のアテネ エディンバラの            ロイヤル・スコティッシュ・アカデミー

   depuis  2001

エディンバラは 北のアテネ Athens of the North と呼ばれる。それを頷かせる建物の一つがロイヤル・スコティッシュ・アカデミー The Royal Scottish Academy (1836) 。
破風の上にヴィクトリア女王の座像 Statue of Her Imperial Majesty : Queen Victoria  とスフィンクスが付け加えられた (1844) 。
背後に見えるゴシックリバイバル様式の尖塔は元教会で現イヴェント会場の The Hub 。ロイヤルマイル Royal Mile に位置し、エディンバラのランドマークの一つ。    2013.08.01.

The Royal Scottish Academy (1836) / Statue of Her Imperial Majesty : Queen Victoria (1844) / The Hub (1845) Royal Mile / Hanover Street / Edinburgh

ワシの頭をしたプロテクティブスピリット      アプカル に囲まれた アッシュールナツィルパル2世王

   depuis  2001

アッシリア王国 (BC 2500-605) の王”アッシュールナツィルパル2世 Ashurnasirpal II (在位:BC 883-859 ) がワシの頭をしたプロテクティブスピリット:アプカルに囲まれた石膏の壁パネルのレリーフ (BC865-BC860) ”。円錐形のトップのあるロイヤルハットを被り5神のネックレスを付けている。
イーグルヘッドで有翼のアプカル Apkallu (Nimrud Apkallu) はアッシリアのバケツ banduddu とコーン/円錐 mullilu を持っている。宗教的儀式において、アプカルはバケツに液体を満たしてコーンをその中に浸し、アッシリアの王とその廷臣達に振りかけ浄化する。円錐体は左端に見える聖なる木:ナツメヤシの受粉のための雄花か・・。
両手首に見える16花弁のロゼットは幸運と保護の象徴。16弁菊花紋との類似性がなにかと。

Ashurnasirpal II (在位:BC 883-859 ) / Apkallu (Nimrud) / British Museum

シルク・フェルナンドの曲芸師 マドモアゼル・ララ

   depuis  2001

Mademoiselle La La au cirque Fernando (1879) / Edgar Degas (1834-1917) / National Gallery – London

モンマルトルのピガール広場の東側近くにあったシルク・フェルナンド/フェルナンドサーカス cirque Fernando (1873-97) の花形曲芸師であったララ嬢が釣具を口にくわえて引き上げられる様をドガ Edgar Degas (1834-1917) が描いた。
<シルク・フェルナンドでのララ嬢 Mademoiselle La La au cirque Fernando (1879)>。
昨夏オルセー美術館で開かれた<黒人モデル / ジェリコーからマティスまで Le Modèle Noir de Géricault à Matisse> 展で観て 1ヶ月後、ホームの<ロンドンのナショナルギャラリー>で再会した。ララ嬢は白人と黒人の混血児。

The Red Lion , Mayfair の「吊るし看板」

   depuis  2001

The Red Lion, Mayfair / Signage / Duke of York Street SW1 / London

ロンドンのヨーク公通りにあるパブ Public House <The Red Lion , Mayfair> (1821) の吊るし看板 Signage 。
裏側からの赤い起立(ランパント)ライオンの上にロンドンの”フラーズ醸造所 (1845) ”のロゴ Fuller’s が載っている。
RED LION PUBLIC HOUSE として歴史的パブの国家遺産リストに登録されている。

今日現在はコロナのため休業中らしい。

Hermes はドイツに本社を置く配送会社。

 

 

6085

カーペンターズ アームズ の「吊るし看板」

   depuis  2001

大工の紋章 The Carpenters Arms という名のパブ Pub の「吊るし看板 Signage」。”鑿(のみ)と金槌(かなづち)” がイラストされている。16世紀(1518)からの歴史があるパブらしいが、現在の建物は初期のビクトリア朝様式 (1846) 。
突き当りに Queen Charlotte (1744-1818:ジョージ3世妃) Pub 。The House of Cashmere、Nell Gwynn の吊るし看板も見える。。背景は洗礼者聖ヨハネ教会 Windsor Parish Church of St John the Baptist 。
ウインザー城横のキャッスル・ヒルからチャーチ・ストリートを見たところ。

The Carpenters Arms Pub / Signage / Windsor Parish Church of St John the Baptist / Windsor

ウィンザーロイヤルステーション

   depuis  2001

ヴィクトリア女王の即位60周年:ダイヤモンド・ジュビリー Diamond jubilee (1897) を祝って再建されたウインザー・イートン駅の正面。Windsor Royal Station の銘がある。<The Queen>GWR 3041 はこの時命名され、運行された。
時計の上に二つの紋章:左にロンドンの紋章(モットー:主よ、私たちを導きなさい Domine Dirige Nos) と右にブリストルの紋章(モットー:美徳と産業 Virtute et Industria) があるが、これは ロンドンとブリストルを結んだグレートウエスタン鉄道 GWR を表わす。
ランパント rampant のライオンと栄光に仕える Servire Gloria Qualitas の文字。

Windsor and Eton Central Station / Windsor Royal Station (1897)

機関車 <The Queen>GWR 3041 / ウインザー駅

   depuis  2001

ヴィクトリア女王 Queen Victoria (1819-1901、在位:1837-1901) の名を冠した機関車 GWR 3041 <The Queen>(1897) のレプリカ (1982) 。ウインザーとイートン中央駅 Windsor and Eton Central Station に置かれている。GWR は Great Western Railway の略。
女王は鉄道で旅行した最初のイギリス君主 (1842) 。

GWR 3041 <The Queen>(1897) / The Queen’ Locomotive 3041 / Windsor and Eton Central Station

ホース・ガーズ・パレードとヨーク公記念碑

   depuis  2001

観兵式等イギリス王室の主要儀式が行われるホース・ガーズ・パレード Horse Guards Parade から見える「ヨーク公記念碑 Duke of York Column (1834)」。右の建物は政府機関が入る旧海軍本部 Old Admiralty Building 。間に、第一次大戦で戦死した王立海軍師団記念碑。左方の緑はセント・ジェームズ・パーク St James’s Park 。
ヨーク公:ジョージ3世の第2王子 Prince Frederick (1763-1827) はフランス革命戦争時のイギリス陸軍最高司令官。

Duke of York Column / Horse Guards Parade / Royal Naval Division War Memorial / Old Admiralty Building

* イギリスも6月8日から入国制限を緩和したが、2週間の自己隔離が必要。

アンドロメダとペルセウス / フランソワ・レモイン

   depuis  2001

Perseus and Andromeda / François Lemoyne (1688-1737) / The Wallace Collection / London

母カシオペによりポセイドンの生贄にされたエチオピアの王女アンドロメダを、結婚を条件に助けるため海の怪獣と戦うペルセウス。メドウサの首を取った青銅の盾 (アテナより) と金剛の鎌 (エルメスより) を持ち、隠れ兜 (ハデスより) と翼のあるサンダルを着けている。が、メドウサの首を入れた袋:キビシスは見えない。
ティツィアーノ Titian (1485-1576) の<Perseus and Andromeda (1554-56頃)>に触発されて描いたとされるロココの画家フランソワ・レモイン François Lemoyne (ou Le Moine) (1688-1737) による同名の作品 (1723) 。いずれもウォレスコレクション所蔵。
アンドロメダを右側に置くヴェロネーゼの構図を採っている。ドラクロワもこの構図で同名の作品 (1853) を。

エドガー・ドガ の 彫刻「浴槽」1889 頃

   depuis  2001

スコットランド国立美術館が所蔵しているエドガー・ドガ Edgar Degas (1834-1917) の 彫刻「浴槽 The Tub (about 1889)」。ドガの死後、アトリエにあった未公開の作品 (蝋、石膏、亜鉛、実物のスポンジ等が素材) を基にブロンズ鋳造された (1920) 22キャストの内の一つ。
湯あみする浴槽の女はドガが多数のパステル画を残したモチーフだが、全裸での入浴は娼婦を暗喩する。

The Tub (about 1889) / Edgar Degas (1834-1917) / National Galleries of Scotland / Edinburgh

北マリアナ諸島 北マリアナ諸島の旗

フランシス・ドレイク の ゴールデン・ハインド

   depuis  2001

Golden Hind / Corsaire : Privateer / Francis Drake (about 1543-96) / St Mary Overie’s Dock / London

私掠船と言えばフランシス・ドレイク Francis Drake (about 1543-96) のゴールデン・ハインド Golden Hind (1577) 。フランスのガレオン船を改造したもの。
彼はスペイン船を攻撃し積み荷を奪う私掠 (しりゃく) 免許をエリザベス1世から得て、世界一周の略奪航海を成功させた (1577₋80) 。王室への略奪した財宝の分配 (30万ポンド) によりサーの称号を得る。
写真 (2013.08.05.) はフルサイズのレプリカ (1973) で、ロンドン橋上流右岸の St Mary Overie’s Dock に置かれている。

ウォータールー広場 / ワーテルローの戦い 勝利記念広場

   depuis  2001

ウォータールー広場 Waterloo Place はワーテルローの戦い (1815) でナポレオンに勝利したことを記念した広場で、都市計画道路リージェント・ストリートの一部として建設された (1816) 。パリのヴァンドーム広場を意識して ジェームズ・バートン James Burton が計画したという。
突き当りがピカデリーサーカス。左の緑はウォータールー庭園 Waterloo Gardens
広場には後にエドワード7世の顕彰騎馬像 (1921) 、クリミア戦争記念碑 (1860) 、手前で写っていないヨーク公記念柱 (1834) など多くの彫像が置かれた。

Waterloo Place / Waterloo Gardens / Battle of Waterloo (1815) / Regent St, St. James’s / London

ワーテルローの戦勝記念 ウェリントン・アーチ

   depuis  2001

勝利の象徴である4頭立ての戦闘用馬車:クアドリガの載るウェリントン・アーチ Wellington Arch (1827・移動 1883) 。ワーテルローの戦い Battle of  Waterloo (1815) でナポレオンに勝利した英雄ウェリントン公爵の凱旋門といってもよいかと。
デシマス・バートン Decimus Burton (1800-81) 作の凱旋門にエイドリアン・ジョーンズ Adrian Jones (1845–1938) の代表作<戦争のクアドリガに降り注ぐ平和 Peace descending on the Quadriga of War (1912)>。クアドリガには両手に月桂冠と月桂樹の小枝を持つ有翼の勝利の女神:ギリシャ神話ではニーケー・ローマ神話ではヴィクトリアが。
グリーンパークの園路であるコンスティテューション・ヒルの左がグリーンパークで、右がバッキンガム宮殿庭園。庭園は外壁で囲まれていて出入りできない。

Wellington Arch (1827・1883) / Peace descending on the Quadriga of War (1912) / Decimus Burton (1800-81) / Adrian Jones (1845–1938) / Battle of Waterloo (1815) / London

ウェリントン公爵騎馬像 と ウェリントン・アーチ

   depuis  2001

初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリー Arthur Wellesley (1769-1852) はワーテルローの戦い Battle of  Waterloo (1815) でナポレオンに勝利した英雄で、後に首相も務めた。
エイドリアン・ジョーンズ Adrian Jones (1845–1938) の彫刻<戦争のクアドリガに降り注ぐ平和 (1912)>が載るウェリントン・アーチ Wellington Arch (1827) には当初、マシュー・コーツ・ワイアット Matthew Cotes Wyatt (1777-1862) 作のウェリントン公爵騎馬像 Equestrian Statue Of The Duke Of Wellington が載せられていた (1846₋85) 。
が、バランス上の不評から撤去・移設され、代わりにジョセフ・ベーム Joseph Boehm (1834–90) 作の同名の騎馬像が隣接して置かれた (1888) 。
背景はバッキンガム宮殿庭園、アーチを通るグリーンパークの園路がコンスティテューション・ヒル。

Equestrian Statue Of The Duke Of Wellington (1888) / Wellington Arch (1830/1883) / Battle of Waterloo (1815)

グリフォンと雌馬の間に生まれたというヒッポグリフ

   depuis  2001

ドミニク・アングル Jean-Auguste-Dominique Ingres (1780-1867) による<ルッジェーロに救われたアンジェリカ Angelica saved by Ruggiero (1819-39)>、ナショナルギャラリー所蔵。
ルーヴル美術館所蔵の Roger délivrant Angélique (1819) の縮小版レプリカ。

Hippogriffe / Angelica saved by Ruggiero (1819-39) / Jean-Auguste-Dominique Ingres (1780-1867) / The National Gallery

上半身が鷲、下半身がライオンの伝説上の生物 グリフォン Griffon / Griffin と雌馬の間に生まれたという伝説の生物がヒッポグリフ Hippogriff 。
上半身が鷲、下半身が雌馬のヒッポグリフに乗ったルッジェーロが鎖で繋がれモンスターの餌食になりかけのアンジェリカを救出する。
ルドヴィーコ・アリオストによるルネサンス期イタリアの叙事詩「狂えるオルランド Orlando Furioso」が題材。
アンドロメダとペルセウス Persée et Andromède と似た話。

 

バッキンガム宮殿 正面中央の紋章

   depuis  2001

バッキンガム宮殿 (1837 ヴィクトリア女王即位以降 王宮) 正面中央の門扉とその両側の門扉に見られる The Royal Cypher  VR は「ヴィクトリア女王 Victoria Regina」のモノグラム 。
王冠はセントエドワードの王冠 St Edward’s Crown / Queen Victoria Crown 、エリザベス2世が用いているものと同じ。
底部にイングランドの守護聖人セント・ジョージの竜退治のメダルが付いたガーター勲章。
門扉の上にはヴィクトリア女王からジョージ6世まで (1837-1952) スコットランド以外で用いた王の紋章 Royal arms 。左にライオン、右にユニコーン。底部に<神と我が権利 Dieu et Mon Droit>のリボンが付いている。

左上壁の紋章はヴィクトリア女王からジョージ6世まで (1837-1952) 使用された王の紋章 Arms 。右上壁の紋章は左にジョージ5世、右に王妃メアリー・オブ・テックの紋章。
いずれも中世フランス語で<悪意を抱く者に災いあれ Honi soit qui mal y pense>と記した英国騎士団のガーター勲章で囲まれ、チューダー王冠 Tudor Crown を頂いている。

Royal Cypher VR : Victoria Regina / Royal arms used by Queen Victoria / Buckingham Palace

参考

ロンドン / バッキンガム宮殿の門扉に付けられているヴィクトリア女王からジョージ6世まで (1837-1952) の間使用された<連合王国イギリス  United Kingdom の紋章>。

938

ここはイングランド。イングランドの3頭の匍匐ライオン Lion passant がシールド (盾) の左上と右下に、右上にスコットランドの起立ライオン Lion rampant 、そして左下にアイルランドの竪琴が。
左をイングランドのライオン、右をスコットランドのユニコーンがシールドを支えている。
イングランドの守護聖人セント・ジョージの竜退治のメダルが付いている。

後期ゴシック様式の トムタワー / オックスフォード

   depuis  2001

オックスフォード大学の中で最大のカレッジであるクライスト・チャーチ Christ Church の中庭とトムタワー。                                                                                                   2011.08.11.
トムタワー Tom Tower (1681-82) はセントポール大聖堂等の建築を手がけたクリストファーレン Christopher Wren (1632-1723) による後期ゴシック様式のベルタワー。
Tom Quad と呼ばれる中庭 The Great Quadrangle (1525-29) にマーキュリーの噴水がある。

Tom Tower / Christopher Wren (1632-1723) / The Great Quadrangle / The Mercury fountain / Christchurch College / Oxford

ヴェネチアゴシック様式の メドウズ / オックスフォード

   depuis  2001

オックスフォード大学の中で最大のカレッジであるクライスト・チャーチ Christ Church の建物の一つメドウビルディング The Meadow Building / Meadows (1862–66) 。
ヴェネチアゴシック様式だが、中央最上部のペディメントは段付き切妻になっている。トーマス・ディーン Thomas Deane (1792-1871) の建築作品。    2011.08.11.

The Meadow Building / Christchurch College / University of Oxford / Oxford / Venetian Gothic Style

パプアニューギニア パプアニューギニアの国旗

エドワードバロック様式の メリルボーン駅 / ロンドン

   depuis  2001

マンチェスターやオックスフォード等への路線を持つチルターン・レイルウェイズ Chiltern Railways のテルミナであるメリルボーン駅 Marylebone station (1899)。
エドワードバロック様式 (ネオ-バロック様式) の駅舎は周辺のオランダ切妻を持つ住宅との調和を企図してデザインされた。

Marylebone station / Chiltern Railways / Edwardian Baroque / Neo-Baroque style / London

 

シャンドスの肖像 / ウィリアム・シェイクスピア

   depuis  2001

Chandos portrait of William Shakespeare / John Taylor / National Portrait Gallery / London

生前に描かれた唯一のウィリアム・シェイクスピア William Shakespeare (1564-1616 ) の肖像画とされている<シャンドスの肖像 Chandos portrait (1600-10)>。
元の所有者だったシャンドス公爵に因んでこう呼ばれている。
俳優で画家だったジョン・テーラー John Taylor (?-1651) の作とされている。
ナショナル・ポートレート・ギャラリー National Portrait Gallery 所蔵作品の第1号 NPG 1 だ。
この肖像画に倣って後世複数の肖像画が描かれている。

ウイリアム・シェークスピアの像 / レスタースクエア

   depuis  2001

ウェストミンスター寺院 Westminster Abbey にあるシェークスピアのモニュメント (Peter Scheemakers (1691-1781) 作 (1740) ) をベースにして Giovanni Fontana (1821-93) がコピーしたもの (1874) 。There is no darkness but ignorance 暗闇とは無知 / 十二夜 Twelfth Night の一節。
シェークスピアの風貌は見慣れたものとは違う。

Statue of William Shakespeare (1847) / Giovanni Fontana (1821-93) / Leicester Square / There is no darkness but ignorance / London

パリ動物園の シロサイ

   depuis  2001

パリ動物園 Parc Zoologique de Paris の全面リニューアル5周年の今夏、お目当てで訪れたシロサイ。二頭ともオスのワミ君とアンガス君 Wami et Angus 。大きい方がワミ君のようです。

Wami et Angus / Rhinocéros blanc / Parc Zoologique de Paris

スコットランドヤード New Scotland Yard

   depuis  2001

手前のテームズ川沿いのヴィクトリア・エンバンクメントに面したロンドン警視庁 New Scotland Yard (2016:3回目の移転) 。右側の建物は国防省。間を真直ぐ抜けるとダウニング街10番地:首相官邸の真ん前。

New Scotland Yard / Metropolitan Police / Victoria Embankment / London

ダウニング街10番地 10 Downing Street 入口ゲート

   depuis  2001

英国の首相官邸:ダウニング街10番地 10 Downing Street のホワイトホール Whitehall に面した入口ゲートから。
この日 (2019.08.03.) は自転車天国の日。パリの Vélib をモデルにしたSantander Cycles (2010) はボリス・ジョンソン  Boris Johnson 首相がロンドン市長の時に推進した。ボリス・バイクと愛称されているとか。

10 Downing Street / Whitehall / Santander Cycles (2010) / London

ムーラン・ルージュにて / トゥールーズ=ロートレック

   depuis  2001

シカゴ美術館所有の<ムーラン・ルージュにて Au Moulin-Rouge (1892-95)>にはトゥールーズ=ロートレックお気に入りの女性達と男性のお友達 (評論家、写真家、画家等) が描かれている。コートールド美術研究所での「ジェーン・アヴリル展 (2011) 」でも機会があった。
中央に後ろ向きのジェーン・アヴリル Jane Avril 、後方にやはり後ろ向きのラ・グーリュ La Goulue とレスビアンの友人ラ・モム・フロマージュ la Môme Fromage 、右端にイギリス人ダンサーのメイ・ミルトン May Milton とテーブルにスペイン人ダンサーのラ・マカロナ La Macarona の5人。後方にロートレック自身がいる。

Au Moulin-Rouge (1892-95) / Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Art Institute of Chicago

イスラエル の テルアビブ へ

   depuis  2001

オルリー空港からイスラエルのテルアビブ Tel Aviv に向かいました。ベン・ガーオン空港 Ben Gurion Airport 到着後、エルトン・ジョン Elton John も泊まった Dan Hotels Israel へ。
ホテルからすぐ前の地中海に面した西向の浜辺 Frishman Beach です。パリではコートにマフラーでしたが、ここでは半袖に短パンです。

Frishman Beach / Mer Méditerranée / Mediterranean Sea / Tel Aviv / Israel

スコットランドに快勝 / 失望し、怒り、見捨てた

   depuis  2001

ラグビーワールドカップ 2019 スコットランド戦を 28 – 21 で快勝、一次リーグ戦  プール A を全勝 1位で抜け出し、初めてベスト8・決勝トーナメントに進んだ。準々決勝はプールー B  2位の南アフリカと対戦する。
ラグビー発祥の地スコットランドの地元紙スコッツマンは「失望し、怒り、見捨てた」と決勝トーナメントに進めなかった悔しさを伝えているという。
写真はエディンバラ城から北海を遠望した風景 (2013.07.31.) 。

Edinburgh Castle / Scotland

川之江秋まつり2019 (13日-15日) が始まった。台風一過の晴天に恵まれた。

バッキンガム宮殿前のヴィクトリア女王像

   depuis  2001

バッキンガム宮殿前の「ヴィクトリア記念碑」に見られるヴィクトリア女王像 (坐像) 。

Victoria : Regina imperatrix / Victoria Memorial / Buckingham Palace

ヴィクトリア女王の崩御を受けてバッキンガム宮殿前に記念庭園と記念碑が建設された (1901-26) 。ヴィクトリア女王像は ザ・マル The Mall を向いた正面にある。台座に Victoria Regina imperatrix ヴィクトリア女王皇后と刻まれている。Thomas Brock (1847-1922) の作品。
権力を象徴する宝珠 Orb と笏 Sceptre を持ち、「未亡人の帽子」の上に小さなダイヤモンドの王冠 Small Diamond Crown of Queen Victoria を載せている。
碑のトップには地球の上に立つ金色で月桂冠を被った有翼の「勝利の女神 ヴィクトリア Victoria」を置き、手には不死・不滅 (すなわち、勝利) を寓意するヤシ (パーム) の葉を持つ。

ウィンザー城前のヴィクトリア女王像

   depuis  2001

ウィンザー城前キャッスルヒルに置かれているヴィクトリア女王の立像 Queen Victoria Statue 。ジョゼフ・エドガー・ベーム Joseph Edgar Boehm (1834-1890) の作品 (1887) 。在位50周年を記念して地元ウィンザー及び周辺の人々によって建立された。
王冠はアルバート Albert (1819-61) 王配殿下 Prince Consort (1857) の死後着用し続けた「未亡人の帽子 Widow’s cap(喪服の一部) に載せるため特別に作らせた (1871) 小ぶりの Small Diamond Crown of Queen Victoria 。その間10年は悲しみのあまり公務から遠ざかっていたという。
権力の象徴である宝珠 Orb と笏 Sceptre を手にしている。

Queen Victoria Statue / Small Diamond Crown of Queen Victoria / Widow’s Cap / Windsor Castle / Castle Hill /Windsor

ウォレスコレクション での ティータイム

   depuis  2001

ガラス屋根の付いた素敵なウォレスコレクションの中庭でのティータイムです。一昨年はランチを食べました。
南部鉄瓶はロンドンでも人気のようです。

The Wallace Collection

女装のジャンヌ・ダルクを描いたポール・ドラローシュ

Joan of Arc in Prison / Jeanne d’Arc malade interrogée dans sa prison par le cardinal de Winchester / The Wallace Collection / London

   depuis  2001

ルーアン美術館が所蔵しているポール・ドラローシュ Paul Delaroche (1797-1856) の作品<ウィンチェスター枢機卿の尋問を受ける独房のジャンヌ・ダルク Jeanne d’Arc malade interrogée dans sa prison par le cardinal de Winchester (1824) >の縮小版 <Joan of Arc in Prison (1825)>。ロンドンのウォレス美術館が所蔵している。
「ジャンヌ・ダルク処刑裁判 (1431)」では二度と男装はしないという誓約を2日後に破って異端再犯者として処刑されることになるのだが、「異端無効化裁判 (1456)」でこれが謀略だったとする証言等々により復権を果たす。

エリザベス1世戴冠式の肖像 / アーミンのローブ

   depuis 2001

Queen Elizabeth I / The Coronation portrait / Hermine / National Portrait Gallery / London

オコジョ (シロテン) 模様のアーミン Hermine のローブを纏ったエリザベス1世 Queen Elizabeth I 、「戴冠式の肖像 The Coronation portrait」として知られる。権力の象徴である宝珠 Orb と笏 Sceptre を手にし、王冠を載せている。
前女王のメアリー1世が着用した衣装 (1553) を使用した (1559) とみられている。この絵の作者は不詳、戴冠式の後描かれ失われた肖像のコピー (1600頃) とされている。
王冠は聖エドワード王冠 St. Edward’s Crown だが、クロムウェルによって破壊されて復刻された現王冠 (1661) とは若干異なっている。
額縁のトップの王冠 は現王冠の様なので後世のものかと。ボトムには縄文土器や「隼人の盾」に見られる一筆書きの<S字渦巻き>の装飾が・・
ローブに<テューダーローズ Tudor rose >の紋様。ロンドンの国立肖像画美術館所蔵。

メアリー (ステュアート) スコットランド女王の肖像 – 2

Mary, Queen of Scots / National Portrait Gallery / London

   depuis  2001

メアリー・ステュアート Mary Stuart の肖像<Mary, Queen of Scots >、ロンドンの国立肖像画美術館 National Portrait Gallery 所蔵。

Mary, Queen of Scots / Scottish National Portrait Gallery / Edinburgh

エディンバラのスコットランド国立肖像画美術館 Scottish National Portrait Gallery 所蔵の肖像と同じく、投獄されて10年目、1578 の記載があるが、描かれたのは息子のスコットランド王ジェームス6世がイングランド王・アイルランド王ジェームス1世を兼ねて (1603) 以降の作品 (1610-15 頃) と思われる。

 

作者は不詳だが、ニコラス・ヒリアードの作品 (1578-9) に倣った after Nicholas Hilliard (vers 1547-1619) とみられている。

十字架は”敬虔”を、聖書の「スザンナと長老達」のエピソードを彫り込んだロザリオは”不正な告発と救済”を暗喩していて、殉教者として名誉を回復したことを匂わせているようだ。

フレデンスボー宮殿 と 衛兵 / コペンハーゲン郊外

   depuis  2001

デンマーク王・ノルウェー王フレデリク4世 (在位:1699-1730) が建設したフレデンスボー宮殿 Fredensborg Slot (1720-53) 。コペンハーゲンのあるシェラン島の北方スウェーデンとの国境に近い。スウェーデンとの大北方戦争 (1700-21) 終結を記念してこの宮殿を平和の城 Fredensborg と命名した。王室お気に入りのバロック式宮殿は春・秋の住居ともなっている。
チボリ公園 Tivoli の写真が見当たらなかったので代わりに掲載した。2006.08.13.

Fredensborg Slot / Sjælland / Danmark

バッキンガム宮殿から「ヴィクトリア記念堂」を

   depuis  2001

バッキンガム宮殿 Buckingham Palace に向かって左側方からカナダ門のあるグリーンパークと「ヴィクトリア記念堂 Victoria Memorial 」を見たところ。まるで柵内から撮っているよう。
記念堂は宮殿正門から真直ぐのザ・マルを向いているので背面が見えている。ビクトリア女王皇后 Victoria regina imperatrix の像は見えない。

Buckingham Palace / Victoria Memorial / Green Park / Canada Gate / London

ヴィクトリア記念堂から「バッキンガム宮殿」の全景

   depuis  2001

ヴィクトリア記念堂 Victoria Memorial を背にして撮った「バッキンガム宮殿 Buckingham Palace 」の全景。
この日 (2019.08.03.) は自転車天国の日でこの辺りは地下鉄でしかアクセスできなかったのだが、そろそろ<プルデンシャルライドロンドン Prudential RideLondon FreeCycle >が始まる時間19:30とあって人が集まってきていた。私はハイドパークコーナーからグリーンパークを通り抜けてカナダ門から入った。
王室旗でなくユニオンジャックが見えるので女王は不在、土日はウインザー城で過ごされる。

Buckingham Palace / Victoria Memorial / London

5715

トラファルガー広場とチャールズ1世騎馬像

   depuis  2001

ナショナルギャラリーの東側からネルソンの円柱と4頭のライオンの「トラファルガー広場 Trafalgar Square」と広場前のロータリーに置かれた「チャールズ1世騎馬像 Equestrian Statue of Charles I 」(左端) を見たところ (2019.08.03.)。
円柱の左にザ・マル The Mall を通してバッキンガム宮殿に向き合う
アドミラルティ・アーチ Admiralty Arch 、右端にカナダハウス。ネルソンの円柱とチャールズ1世騎馬像を結ぶ左側への線上がホワイトホール Whitehall でダウニング街10番地やスコットランドヤードがある (右側はナショナルギャラリーの正面) 。

Trafalgar Square / Equestrian statue of Charles I / Admiralty Arch / Whitehall / Canada House

 

ピカデリー・サーカス と シャフツベリー記念噴水

   depuis 2001

ロンドンのピカデリー・サーカス Piccadilly Circus は今日 (2019.08.03.) も人と車で溢れていました。シャフツベリー記念噴水 Shaftesbury Memorial Fountain の足下は人でいっぱいです。
左側の道がここからハイドパークコーナーまでピカデリー(通り)、右側奥へリージェント・ストリート、警察車が止まっているのがコベントリー・ストリートです。

Piccadilly Circus / Shaftesbury Memorial Fountain / Piccadilly / Regent Street / Coventry Street / London

ロンドン発パリ行きユーロスターの レディネ

   depuis  2001

ロンドン・セント・パンクラス London St Pancras International 17:01 発パリ・ノルド Paris Nord 行きのユーロスター1等車 Standard Premier の夕食 Le dîner です。
時差が1時間ありますので、パリには20:20に着きます。
車両は最後尾 (ロンドン側) の1号車、最新型でした。2019.08.04.
レディネにはお酒が付いています。選択ができ追加もできます。

Le dîner / Eurostar : London St Pancras International 17:01~ Paris Nord 20:20

 

パリ発ロンドン行きユーロスターの プチデジュネ

   depuis 2001

パリ・ノルド Paris Nord  7:43 発ロンドン・セント・パンクラス London St Pancras International 行きのユーロスター1等車 Standard Premier の朝食 Petit déjeuner です。
ノンストップで時差が1時間ありますので、ロンドンには9:00に着きます。
車両は最後尾 (パリ側) の16号車、最新型でした。2019.08.01.

Petit déjeuner / Eurostar : Paris Nord 7:43 ~ London St Pancras International 9:00

<京はやしや>の菓子をいただきました。

東ティモール 東ティモールの国旗

バッキンガム宮殿の衛兵交代 と ロイヤルサイファー

   depuis  2001

バッキンガム宮殿前の The Mall で行われているプルデンシャルライドロンドン Prudential RideLondon 白熱の中での衛兵交代。
EIIR : Elizabeth II Regina は現エリザベス2世女王のロイヤルサイファー Royal Cypher で、聖エドワードの王冠 St Edward’s Crown が載っている。

Buckingham Palace / Royal Cypher

「イートン校 Eton College」外観

   depuis  2001

カレッジチャペルこちらの2階建て建物に正面入り口。左端にそこから真正面のゴシックの尖塔の一部が見えている。新英国首相ボリス・ジョンソン Boris Johnson (1964-) はイートン校からオックスフォードに進んだ。

Eton College / Eton College Chapel / Eton

11000

ウインザー・イートンを流れるテムズ川

   depuis  2001

ウインザー・イートン橋 Windsor Eton Bridge から見たテームズ川。左側 (右岸) の丘にウインザー城の門限塔 The Curfew Tower 。左岸はイートンでヘンリー6世が創設した (1440) かの有名なイートン校がある。

Windsor Eton Bridge / River Thames / Windsor Castle

ユーロスター パリ・ノルド駅に到着

   depuis  2001

17時01分セントパンクラス発のユーロスターは定刻の20時20分 (ロンドン時間 19:20) にパリ・ノルドに到着。1号車だったのでここまで10分かかった。行きのパリ発は16号車だった。パリが起点でロンドンが終点ということ。先頭2両と後尾2両が1等車 Standard Premier 。
日曜日は改修工事のため  RER A 線を利用できないので、Gare du Nord 始発の BUS 46 系統を使って 終着 Château de Vincennes に帰った。

Eurostar / Paris-Nord

15時過ぎから1時間ほど、今夏滞在中、昼間初めてのまとまった雨がありました。

Prudential RideLondon-Surrey 100 の完走者 と

セント・パンクラス駅 St Pancras International で17:01発パリ行きユーロスター乗車手続きを待つ間に、日曜日に行われた Prudential RideLondon-Surrey 100 の完走者と隣り合わせました。リール Lille 在住のフランス人サイクリストで、17:55発ブラッセル行きのユーロスターを待っていました。
メダルに Finisher 2019 、Sunday 4 August 2019 と刻まれています。シャツにはイタリアの競技用自転車メーカー:ウィリエール・トリエスティーナ Wilier Triestina のロゴとフランスの三色旗が襟と袖に。ハワイやサンフランシスコにも遠征したようでした。四国は知っているものの「しまなみ街道」は知らないようでしたが、日本のハワイ:沖縄には関心があるようでした。

Finisher 2019 / Prudential RideLondon-Surrey 100 / Sunday 4 August 2019 / St Pancras International / London

プルデンシャルライドロンドンFreeCycle

   depuis  2001

バッキンガム宮殿前の The Mall を行くプルデンシャルライドロンドン Prudential RideLondon FreeCycle 参加の一周目先頭集団。昨日土曜日に行われた。右側のセント ジェームズ パーク St James’s Park の外縁を時計回りで周回する。

Prudential RideLondon FreeCycle / The Mall / St James’s Park / London

9875

2019 MINERVA がマルギャラリーズで

   depuis  2001

One Voice Resonates / Hosui Kanasaki / Mall Galleries / London / 2019 MINERVA

232人の日本人現代アーチストによる展覧会<2019 MINERVA>に行ってきました。ロンドンのマルギャラリーズ Mall Galleries で8月3日まで開催されています。川之江在住の書道家 金崎峰萃 氏が出品されています。作品名:One Voice Resonates 

マルギャラリーズ入り口に氏の出展作品を貼り付けました。

前はマル通り The Mall 、左の突き当りはバッキンガム宮殿 Buckingham Palace 、右はアドミラルティ・アーチAdmiralty Arch からトラファルガー広場が直ぐ。

 

7320

”フェルメール”と”デルフトブルー”のまち デルフト

   depuis  2001

Stadhuis van Delft / Markt / Delft / Nederlands

デルフト焼きとフェルメールの生誕地:デルフトの中心、マルクト (広場) Markt と市庁舎Stadhuis van Delft (1618-20) 。
オランダルネサンス様式の建物。後方にそれより古い鐘楼。
市庁舎にはオランダ Hollandia の国章とその下に右手に剣、左手に天秤を持つ「正義 Justitia の女神像」。その下、1階中央にバルコニー。                                                           2012.08.11.

デルフトで見た「手回しオルガン Drehorgel 」

   depuis  2001

オランダのデルフト Delft のマルクト広場 Markt 付近のヤコブ・ゲリト通りで撮った「手回しオルガン Drehorgel 」、La Fleur 花号、カール・フライ Carl Frei 社製。
デルフト出身画家のフェルメール Johannes Vermeer (1632-75) の<真珠の首飾りの少女>の絵を付けている。三体の人形の中心に指揮者、左右に女性がいて、音楽に合わせてタクトを振り鐘を叩く動作をする仕掛けになっている。              2012.08.11.

Drehorgel:Orgue de Barbarie / Delft / Nederlands

象徴主義の画家 フェルナン・クノップフ の 愛撫

   depuis  2001

象徴主義の画家 フェルナン・クノップフ Fernand Khnopff (1858-1921) の代表作<愛撫 Des caresses (ou l’Art, ou le Sphinx) (1896)>。ベルギー王立美術館  Musées royaux des beaux-arts de Belgique で (2010.07.30.) 。
横長で何とも意味不明の絵だけにかえってインパクトは強い。象徴主義の画家が好んで取り上げたギリシャ神話の「オイディプスとスフィンクス Œdipe et le Sphinx 」がテーマ。クノップフは女性の大半を姉妹のマルガリータ Margarita をモデルに描いたということから、オイディプスを悩ますヒョウ柄のスフィンクス (運命の女 Femme fatale を暗示) も彼女と目されている。戸惑って見えるオイディプスはクノップフ自身かもしれない。

Des caresses (ou l’Art, ou le Sphinx) (1896) / Fernand Khnopff / Musées royaux des beaux-arts de Belgique

 

ムーランサール駅を降りたタンタンとスノーウイ

   depuis 2001

ブリュッセル南駅 Bruxelles-Midi にあるエルジェ Hergé (1907-83) のサインと彼の代表作タンタンの冒険 Les Aventures de Tintin の一コマ:ハドック船長 Capitaine Haddock の居城:ムーランサール城の最寄り駅ムーランサール駅で降りたタンタン Tintin とスノーウイ Milou 。
ベルギー生まれのエルジェの漫画は勿論フランスでも人気で、パリのあちこちでそのキャラクターを使ったイラストを見かけます。
白のフォックステリアがスノーウイ/ミルゥ、その後ろコート姿がタンタン。言わずもがなですが。

Tintin et Milou / Château de Moulinsart / Hergé / Les Aventures de Tintin / Bruxelles-Midi

グランプラスの「ブリュッセル市庁舎」と「星の家」

   depuis  2001

Hôtel de ville de Bruxelles / Maison de l’Étoile / Grand- Place / Bruxelles

グランプラスの中心はブラバントゴシック建築 Gothique brabançon の「ブリュッセルの市庁舎 」(1455) です。ネオゴシック様式で再建された (1896) 王の家 Maison du Roi に向き合っています。高さ96mのランドマークになっています。尖塔にはブリュッセルの守護聖人サンミッシェルがドラゴンを踏みつけています。
市庁舎の左が再建された (1897) ギルドハウス「星の家」で、六芒星が載っています。
建物地上階を含む市庁舎との間の道がグランプラスを守った市長シャルル・ビュルス通りRue Charles Buls です。

古い街並みを残したシャルル・ビュルスの顕彰碑   グランプラス

   depuis  2001

前に紹介したマルクスが大晦日 (1847) を過ごした「白鳥の家」の隣「星の家」の地上階 (シャルル・ビュルス通り) の壁にあるシャルル・ビュルスの顕彰碑 Monument à Charles Buls です。

Monument à Charles Buls / Gildenhuis De Sterre : Maison de l’Étoile / Grand-Place / Bruxelles

パリで都市改造が進む中、彼はベルギーの古い町並みの保存に尽力しました。グランプラスの一角を占める古くからのギルドハウスの一つ「星の家」は馬車鉄道の建設のため破壊されました (1852) が、市長の地位にあった時 (1881₋99) に鉄道敷きの上空:元の位置にそれを再建した (1897) のはその成果の象徴です。
アールヌーボー建築家の ビクターオルタ Victor Horta (1861-1947) がデザインし、Victor Rousseau (1865-1954) が彫刻したものです。
フランス語とオランダ語で併記した標識の設置も彼の功績です。

Maison du Cygne / Grand-Place / Brussel / Karl Marx

黒帯の小便小僧 Manneken-Pis

   depuis  2001

Manneken Pis / Jérôme Duquesnoy l’Ancien / Bruxelles

小便小僧は衣装持ちですがこの日は柔道着に黒帯でした。
ブラバント公国の彫刻家ジェローム・デュケノワ Jérôme Duquesnoy l’Ancien (1570-1641) の作品 (1619) のレプリカです (1965)  。

身長 55.5cm 、台座を含めても 61cm と非常に小さい彫像ですので余計に可愛らしいです。
日本の柔道着もよく似合っています。

 

 

昨日帰国しました。

5223

ストリートアート<マネケン・ピース> / 小便小僧

   depuis 2001

Manneken Peace (Pis) / Choux de Bruxelles / GardeRobe MannekenPis / Bruxelles

小便小僧の衣装Musée < GardeRobe MannekenPis >横壁面のストリートアート Art de rue です。
小便小僧 Manneken Pis を捩って Manneken Peace ( 平和小僧 ) と名付けています。身に着けている衣装には 30 Belgian hip hop 1986-2016 とあってベルギーのヒップホップの走りが分かります。ここにもカセットが描かれています。音楽の象徴なのでしょう。
柱には Choux de Bruxelles (メキャベツのこと) がいます。
アート空間を提供してくれてありがとう Grâce  Espace d’art とも。

STROKAR INSIDE で見た ドリー・ヘミングウェイ

   depuis  2001

Paco Rabanne Lady Million Eau De Toilette (2012) キャンペーンモデル Dree Hemingway (1987-) を使ったストリートアートがありました。
彼女は「誰がために鐘は鳴る」「日はまた昇る」のアーネスト・ヘミングウェイ Ernest Miller Hemingway (1899-1961) の曾孫で、レディ・ミリオン (2010) の初代のキャンペーンガールでもありました。
パコ・ ラバンヌ Paco Rabanne (1934-) はスペイン生まれのファッションデザイナーです。ドリー・ヘミングウェイが着ていたオリジナルの衣装は彼の作かと思います (髪の先に痕跡が見えています) 。コンボン通りRue Cambon にパリ1号店 (2016) があります。

Dree Hemingway / Lady MILLION / STOROKAR INSIDE / Bruxelles

ストリートアーティストの STROKAR INSIDE を覗く / ブリュッセル

   depuis  2001

ベルギーのブリュッセルにあるストリートアーティストの殿堂<STROKAR INSIDE (2016)>に行ってきました。
パリのアーティストStew とVincent Bargis との共同作品<Wanna dance?>の一部です。
Stew は日本文化の底にある武士 (侍) に関心があり、広重・北斎・国吉などの版画に興味を持つという。Vincent Bargis が描いたカセットに StEW , STROKAR INSiDE の文字があります。

Wanna dance? / Stew et Vincent Bargis / STROKAR INSIDE / Bruxelles

「黄色いベスト運動、16日ションで暴徒化。フーケ Fouquet’s Paris 炎上。横のヴィトン?」
テュイルリーからエトワールまではメトロ停車しません。サントノレのお店の半数は閉店しています。現場には近寄れませんので分かりません。

シェイクスピアの妻 アン・ハサウェイ の生家

   depuis  2001

アン・ハサウェイのコテージ Anne Hathaway’s Cottage はチューダー様式の民家としてよく紹介される。ストラトフォード=アポン=エイヴォン Stratford-upon-Avon 近接のショッタリー Shottery にある「シェイクスピアの妻アン・ハサウェイ Anne Hathaway (1556 -1623) の生家」。木骨造り Timber Framing で、漆喰壁と煉瓦壁併用となっている。36ha の農地を持つ豪農だったらしい。

Anne Hathaway’s Cottage / Shottery / England

1595年築の木骨造り / ストラトフォード=アポン=エイヴォン             

   depuis  2001

ストラトフォード=アポン=エイヴォン の目抜き通り High Street に残る1595年築の木骨造りの建物。当時 (2011.08.11) 劇作家クリストファ・マーロウ Christopher Marlowe (1564-93 ?) の名を取った?Marlowe’s Restaurant が入っていて、吊るし看板 Signage に「1595年新築」と書かれている。
マーロウの出身地カンタベリーには劇場 The Marlowe (2011再建) がある。
彼はシェイクスピアに先駆けたケンブリッジ卒の劇作家でシェイクスピアのゴーストでないかと言われたりする。

Timber Framing (1595) / High Street / Stratford-upon-Avon / England

 

ウイリアム・シェイクスピア の 生家

   depuis  2001

ウイリアム・シェイクスピア William Shakespeare (1564-1616) の生家。イングランド中部のストラトフォード=アポン=エイヴォン Stratford-upon-Avon の Henley Steet に面す。
誕生当時から存在していたとされているが、現状は1769年の版画に基づいて1864年に修復された木骨造り。
シェイクスピアに先駆けた劇作家でシェイクスピアのゴーストでないかと言われたりするクリストファ・マーロウ Christopher Marlowe (1564-93 ?) の名を取った?Marlowe’s Restaurant (1595) は最近廃業してしまったと聞く。

Shakespeare’s Birthplace / Timber Framing / Stratford-upon-Avon / England

シェイクスピア・エイヴォン Shakespeare Avon

   depuis  2001

シェイクスピア William Shakespeare (1564-1616 ) の生誕地ストラトフォード=アポン=エイヴォン Stratford-upon-Avon を流れるエイヴォン川はシェイクスピア・エイヴォンとも呼ばれる。テームズ川とは真逆にブリストル海峡に流れ込むセヴァーン川 River Severn (11,420㎢) の左支流。
一帯は良く整備・管理された水郷になっていて、ローマ街道もこの付近を渡河した。
渡って町に入る Bridge Foot 橋上から下流方向を望んだところ。正面の建物がシェイクスピア・メモリアル・シアター (1879) に起源をもつロイヤル・シェイクスピア・シアター Royal Shakespeare Theatre 。

River Avon / Shakespeare Avon / Royal Shakespeare Theatre / Stratford-upon-Avon / England

エルキュール・ポワロ / ひらいたトランプ

   depuis  2001

アガサ・クリスティー原作の Agatha Christie’s Poirot 第55話「ひらいたトランプ Cards on the Table」 の一シーンにケンジントンガーデンズの「アルバートメモリアル」前の階段が使われている。デヴィッド・スーシェ David Suchet 演じるエルキュール・ポワロ Hercule Poirot は左から2人目。

Cards on the Table / Albert Memorial / Kensington Gardens

そのやや右側から撮った (2011.08.09)  Albert Memorial (1872) と階段。

Albert Memorial / Kensington Gardens

 

鳥を捕らえた猫 ネバムンの思い描いた死後の世界

   depuis 2001

ルクソールのカルナック Karnak のアムン (アメン) 大神殿 The great Temple of Amun の会計担当 (員数管理) だったネバムン Nebamun の墓付属の礼拝所の壁に描いたレリーフの一部で、生前の仕事ぶりと合わせて描いた「死後の世界を思い描いた部分」の一部 (BC 1350) 。大英博物館所蔵。
家族そろっての沼地での狩りの様子。田舟のような船に妻子共に乗っている。家族の一員の猫はパピルスの茂みで鳥を捕まえ、ネバムンも別種の鳥2羽を捕獲している。3羽を描いて動きを表現しているものと‥

Nebamun hunting in the marshes / Fragment of a scene from the tomb-chapel of Nebamun / British Museum

アッシュールバニパルの「ライオン狩り」/ 大英博物館

   depuis  2001

アッシリア王国 (BC 2500-605) の王アッシュールバニパル Ashurbanipal (在位:BC 668-627頃) が行った「ライオン狩り Royal Lion Hunts」のレリーフ (BC 645-635頃) 。
円錐のついたバケツ型の Royal Hut で弓を持つ人物が王であることが分かる。約220年前の<アッシュールナツィルパル2世の石柱>に見られる帽子と同じ。
戦車 Chariot の通り過ぎた後に死んだライオン、傷ついたライオン・・なお襲い掛かるライオンには従者の槍が。。
ライオンはやや小型のアジアライオン Asiatic lion で、盾で囲まれたフィールドに放たれたという。他にも槍を持ち騎馬でのライオン狩りなど多様なレリーフが王の宮殿の壁を飾っていた。
象狩り、野生牛 (オーロックス) 狩り、ライオン狩りは王のスポーツだった。

Royal Lion Hunts / Ashurbanipal (BC 668-627 about) / British Museum

アッシュールナツィルパル2世の石柱 / 大英博物館

   depuis 2001

Stela of Ashurnasirpal II / Ishtal / Adat / Sin / Shamash / Ashur / Mace / Royal Hat / British Museum

アッシリア王国 (BC 2500-605) の王アッシュールナツィルパル2世 (Ashurnasirpal II 在位:BC 883-859 ) の石柱。楔形文字で碑文が刻まれている。
ロイヤルハットを被り、権力の象徴である権標 :マース Mace を左手に持ち、右手で愛と戦争の女神イナンナ Inanna /イシュタ ール Ishutal を示す八芒星を始めとするシュメール以来の神々を指差している。右へ Adat:雷神  、Sin:月神 / Inanna の父ナンナ、Shamash:太陽神 / ウトゥ、Ashur:最高神 / シュメールのアン、エンリル 、エンキ/ アヌンナキの三重冠のエンブレム。王自らもこの五神のネックレスを着けている。

 

エルキュール・ポワロ at 大英博物館 / 五匹の子豚

   depuis  2001

アガサ・クリスティー原作の Agatha Christie’s Poirot 第50話「五匹の子豚 Five Little Pigs」の一場面。< レリーのヴィーナス Lely’s Venus (Aphrodite)>が置かれている大英博物館の部屋が使われている。エルキュール・ポワロ Hercule Poirot は右端に立っている。
「五匹の子豚」は英国の伝統童謡:マザー・グースのひとつ。

Five Little Pigs / Agatha Christie’s Poirot / Lely’s Venus (Aphrodite) / The British Museum

レンブラントの自画像 – 2 (1637)

   depuis  2001

Self-Portrait in a Black Cap (1637) / Rembrandt van Ryn (1606-69) / The Wallace Collection / London

イングランドの政治家でコレクターでもあったハートフォード侯爵3代目の息子4代目が購入 (1864) した<黒い帽子を被った自画像 Self-Portrait in a Black Cap (1637)>。ハートフォードハウス:ウォレスコレクション所蔵。
近年レンブラントRembrandt van Ryn (1606-69) の真作と認められた作品。
4代目はパリやブーローニュのバガテル城 Château de Bagatelle (1848 から) で人生の大半を過ごしコレクションを充実させた。
「ウォレス / ヴァラスの噴水」等に名を遺す庶子の Richard Wallace (1818-90) が相続した (1870) 。

ブラックフライアーズ の 跡 / カンタベリー

   depuis  2001

カンタベリーのブラックフライアーズ Blackfriars (ドミニコ修道士の家) の跡がグレートストア川の両岸に残っている。現存する2棟の左が修道士の食堂、右がホールの建物だった。
ヘンリー3世 Henry IIIに土地を与えられて設立され (1237) 、ローマ・カトリック教会からイングランド国教会を分離したヘンリー8世 Henry VIII によって解散させられ資産は没収された (1538) 。直後は製織工場として使われたようだ。橋はフライアーズ通り The Friars 。王の橋 (12世紀) はもう一つ上流に架かる。
ドミニコ会は聖ドミニコが設立した (1206、1216認可) カトリックの修道会で、黒い修道士 Black Friars と呼ばれたのは黒の外衣を着ていたことによる。

Blackfriars / River Great Stour / Canterbury / Kent / South east / Engrand

The Old Weavers House オールドウィーバーズハウス

   depuis  2001

オールドウィーバーズハウス:織工の家 The Old Weavers House (1500) 。12世紀には存在したとみられているが、エリザベス1世 (在位:1558-1603) の許可を得て宗教弾圧から逃れてきたフランドルの製織業者が住み着いたことにその名を由来する。
The Old Weavers House の吊るし看板 Signage が切妻に、The Weavers / Restaurant のそれが1階の軒下に吊るされている。
右端: River Great Stour に架かる王の橋 King’s bridge (12世紀) を境に St Peter’s Steet から High Street に変わる。

   2017.08.20.

The Old Weavers House / Canterbury / Kent / South east / Engrand