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落葉せずに残ったマロニエの紅葉と後方にセイヨウボダイジュ(ナツボダイジュ)の紅葉。背景は王妃の館。左にヴォージュ広場の中心に置かれたルイ13世の騎馬像。
台座に「この彫像はデュパティとコロットの作品。1829年11月4日に建立。1639年に建てられた古いブロンズ像を置き換た」とある。
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復古王政期ブルボン朝のルイ18世が荒廃していたヴォージュ広場を再整備した際に、広場中心の” ルイ13世スクエアー”の四方に噴水を設置した (1829) 。
南西側の噴水から紅葉した枯葉が若干残るマロニエの中にルイ13世の騎馬像が見えている。左側(北)の建物は王妃の館 Pavillon de la Reine 。2012.11.19.
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アンリ4世が創設した (1605) パリ最古の広場 (ロワイヤル、ヴォージュ) の中心に置かれていたルイ13世の騎馬像 (ブロンズ1639) はフランス革命で溶融された。
復古王政期ブルボン朝のルイ18世が荒廃していた広場を再整備した際に、広場中心の” ルイ13世スクエアー”の四方に噴水を設置したもの (1829) 。ジャン=ピエール・コルト Jean-Pierre Cortot (1787-1843) の彫刻、Jean-François-Julien Mesnager (1783-1864) による建造。
三段の水盤、二段目からは16のライオンの口から。水はナポレオン1世がパリの水道のためマルヌ川支流のウルク川から導水した(現)サンマルタン運河から。
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ブランシュ広場とテルトル広場 (サクレクール) を巡回しているプチ・トラン Petit Train de Montmartre 。モン=スニ通り Rue du Mont-Cenis からノルヴァン通り Rue Norvins に跨って下りの乗車を待っているところ。緑がテルトル広場 。
プチトランはイタリアが本社の Dotto Trains (1962) 社製<Muson River 1894 >。ムソン川は同社近くの小河川らしい。
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リッツホテル Ritz Paris の全額出資によって修復工事中 (2014-16) にヴァンドーム広場にあった<コロン ヴァンドーム に載った 3体のナポレオン像>の案内板。2014.08.11.
1代目、ローマ皇帝シーザーのいでたちのナポレオン像 Napoléon en César (1810-14) はアントワン=デニス・ショーデ Antoine-Denis Chaudet (1763-1810) の作品。ナポレオンⅠ世のアウステルリッツの戦勝記念として設置された。失脚に伴い占領中の連合国によって降ろされた後に溶融された (ポンヌフ広場のアンリ4世の騎馬像に転用) 。
2代目 (1833-63) のナポレオンⅠ世像は7月革命後の立憲王政下でのシャルル・エミール・セウル Charles Émile Seurre (1798-1858) の作品で、ちびの伍長 petit caporal とあだ名されたナポレオン・ボナパルトの像 Napoléon en petit caporal だ。
3代目 (1863-71) は第2帝政下にナポレオンⅢ世が元に戻して置き換えたナポレオン像 Napoléon en César 。1代目をベースにしたオーギュスト・デュモン Auguste Dumont (1801-84) によるレプリカでパリコミューンにより破壊され、現在の4代目 (1875-) はそれを復元したもの。右の手のひらに置いている”勝利の宝珠”は保存されていた唯一のオリジナルで元は左の手の平にあった。
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ルイ・マリン広場 Place Louis Marin に置かれているのはマラリアの特効薬キニーネの発見者 (1820) である二人の薬剤師ピエール・ジョセフ・ペルティエとジョセフ・ビエネメ・カヴェントウを称える顕彰碑 Monument en hommage à Pierre Joseph Pelletier et Joseph Bienaimé Caventou で、癒しの泉 Fontaine de la guérison になっている。
台座の上に載っていた二人の立像は占領下に溶融されたが、現在は台座の左右にブロンズメダル (Pierre-Marie Poisson 作(1951)) が貼られている。
背後の建物は1870年にアルマン・コラン Auguste Armand Colin によって設立された出版社Librairie Armand Colin のものだった。AC のモノグラムが残っている。
手前の道路はサン=ミッシェル大通り、こちらはリュクサンブール公園。
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ルーヴル宮の東面:ペロー コロネード Colonnade de Perrault 前のアミラル・ド・コリニー・通り Rue de l’Amiral de Colignyとパリ1区区役所庁舎及びサン ジェルマン ロクセロワ教会 Saint-Germain-l’Auxerrois に接するルーヴル広場 Place du Louvre 。
写真は憩いの場となっているその北側部分。左の建物はリヴォり通りとルーヴル通りの交差点で、地下にメトロ1号線の Louvre – Rivoli 駅。区役所はマロニエの並木の右側。
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アメリカのストリートアーチスト:シェパードフェアリー Shepard Fairey (1970-) の壁画がポンピドーセンター脇のストラヴィンスキー広場 Place Igor Stravinsky に登場した。
The future is unwritten. Knowledge+Action=Power とある。
彼はパリの同時多発テロ事件 (2015) の犠牲者へのオマージュとしてマリアンヌ (自由・平等・友愛) のポスターを制作したことで知られる。 2019.08.20.
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ロン=ポアン・ド・シャンゼリゼ Rond-Point des Champs-Élysées Marcel-Dassault の噴水は長らく停止されていたが、落下型の新タイプで復活した。24 Paris に向けてパリ市内至る所工事中だが、当ロータリーも改修工事中。フランクラン・ドラノ・ルーズヴェルト大通りからマティニョン大通りへ Bus 93 系統で通過中の車窓から。
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マリ
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テアトル広場のアルレット・ドニ Arlette Denis 。彼女は作詞・作曲家で歌手 (1968) 。Macadam Manivelle 手回しオルガン Orgue de Barbarie を回しながら歌っているところ。
ストリートシンガー Chanteurs de Rue でもある。
ウズベキスタン
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モンマルトルのテルトル広場に面したレストラン La Crémaillère 1900 (1926) の吊るし看板 / アンセーニュ Enseigne 。店名の「自在鉤 Crémaillère」を図案化したデザイン。ベルエポック Belle Époque のパリの雰囲気を味わえた気にさせてくれる。
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ヴァンドーム広場の西面のクリスマスツリー Sapin de Noël 2018 です。
国旗が掲げられている所が司法省で、その向こう隣がリッツ・パリになります。
夜ではありません。撮影時間は午前8時10分 (2018.12.04.) です。
この日、Ritz PARIS で朝食しました。
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バルザック通りに貼られた銘板にあるパリの市章 (1894) 。当時使用されたパリ市のロゴと言った方が正確だが。
バルザック Honoré de Balzac (1799-1850) が購入し (1846) ここで亡くなったバルザックの屋敷 Maison de Balzac は取り壊され、オテル・サロモン・ド・ロートシルト Hôtel Salomon de Rothschild の一部になってしまっている (1890) 。
「人間喜劇」の作者、オノレ・ド・バルザックがここで幕を閉じたことを示すこの銘板とバルザック通り Rue Balzac の名に往時が偲ばれる。また、右に進んだところのジョルジュ・ギヨマン広場 Place Georges Guillemin にバルザックの像 Statue Honoré de Balzac が置かれている。
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パンテオン (1792) を背景に、シテ島のポン・ヌフ広場のモニュメントであるアンリ4世の騎馬像 。1618年に設置された「アンリ4世 (在位:1589-1610) の騎馬像」はフランス革命時に破壊されたが後に復元された (1818) 。ルイ13世となる息子のために名付けたドフィーヌ (王太子) 広場 (1611) を向いている。フランソワ・レモー François Lemot (1772-1827) の作品。
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ヴァロア通り Rue de Valois の街燈。
嘗て、オルレアン公ルイ・フィリップ Louis-Philippe d’Orléans (1747-93) / フィリップ平等 Philippe Égalité の所有だったパレ・ロワイヤル。
税対策で切り離した (1784) ヴァロア広場 Place de Valois 、ヴァロア通りからフランス革命時に没収された (1793) パレ・ロワイヤルを覗くと、中庭にあるビュランの円 (列) 柱 Colonnes de Buren/Les Deux Plateaux が見える。
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ヴェルサイユ門広場 Place de la Porte de Versailles はその20周年記念 でベルリンとパリ市長立会いの下に「ベルリンの壁 Mur de Berlin 」が置かれて (06/2009) 以降<1989年11月9日広場 Esplanade du 9 Novembre 1989 >とも呼ばれている。
それから10年、何時見ても違反広告と落書きが・・気が付かない人が多いのではと思う。
後方のドームはアルミパネル製の軽量ドームで、エッフェル塔建設のエッフェル社 (現 エファージュ Eiffage Metal) が建設した (1960) 。ドーム・ド・パリ ‐ パレ・デ・スポーツ Dôme de Paris – Palais des Sports と呼ばれ、演劇、音楽、バレエ、ショー等多様に利用されてきた。
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アルザスのベルフォールでプロイセンの包囲に対し抵抗した (1870-71) ダンフェール・ロシュロー大佐 (1823-78) は<ベルフォールのライオン Lion de Belfort >と愛称された。ナポレオン3世による第2帝政が崩壊し、臨時の国防政府が存在した時期に重なる。
第2次大戦においてルクレール将軍がパリ解放時に通った Avenue du Général Leclerc からダンフェール・ロシュロー広場 Place Denfert Rochereau の中心に置かれた Lion de Belfort と Avenue Denfert-Rochereau を望んだ。8月7日も暑かった。
今日は朝方雷雨があり、気温は23度まで下がって長袖に着替えた。
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長らく修繕工事中だった<川のニンフの噴水 Fontaine de la Nymphe fluviale (Fontaine De Théâtre Français ともいうらしい) >が蘇った。水盤が奇麗ので夏の観光客のフォトスポットになっている。ガブリエル・ダヴュー作の噴水だが、彫像 Nymphe fluviale はロダンの師 キャリア – ベルース Carrier-Belleuse (1824-87) による。
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フランス政府が独立100周年を記念して寄贈したニューヨーク港入り口の「自由の女神像 Statue de la Liberté (1886) 」が掲げるトーチの自由の炎 Flamme de la Liberté と等身大のレプリカ (1986) 。100周年記念の改修に伴い寄贈されたもの。
像の正面下に今なおダイアナ妃を偲ぶ写真や献花がされているのが分かる。死に至る事故に会ったアルマトンネルはこの下を走っている。
今日も一日暑かったのでごろ寝を決め込んだ。夕方6時から8時過ぎまで本格的な夕立があった。雷鳴が轟き、一時雹も降った。でも、23時 (27日) の今も室温は31度。
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1900年創業のホテル レジーナ Hôtel Regina の街燈。点灯している門灯と、右側リヴォり通り沿いの街燈。ピラミッド通りの街燈も写っている。左にアール・ヌーヴォーのステンドグラス Vitrail が見えている。
ジャンヌ・ダルクの騎馬像 Statue de Jeanne d’Arc を中央に置いたピラミッド広場 Place des Pyramides の西側から見た。
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「エクトール・ギマール Hector Guimard (1867-1940) によるアールヌーヴォーのメトロ出入り口」から100年 (メトロ100年) を記念したジャン=ミッシェル・オオニエル Jean-Michel Othoniel (1964-) 作の奇抜な出入り口 (Kiosque des Noctambules 夜遊びのキオスク (2000) ) が右に見えるコレット広場 Place Colette 。左はコメディフランセーズ。右端に改装工事中の Hôtel du Louvre 。
中央で植物の天然成分を化粧品に使用することで名の通る「イヴロシェ Yves Rocher」がイヴェントを行っていた。
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デュゴミエ Dugommier に住んでいたころ直ぐ近くにあったジャン=モリン広場 Square Jean- Morin 。パリに入る物流に課した税の徴収場所の一つシャラントン門 Barrière de Charenton のあった所。前の道路 Boulevard de Bercy にフェルミエー・ジェネローの城壁 Mur des Fermiers généraux があリ、手前側が当時のパリ市内だった。建物に沿うコリオリ通りを左方に下って右折するとサン=テミリオンに至る。01/08/2007.
左に接続する Boulevard de Reuilly での朝市の規模は大きい。
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パリの南南東セーヌ川沿いのムラン Melun はセーヌ=エ=マルヌ県 Seine-et-Marne の県庁所在地。県はセーヌ川の右支川:マルヌ川と左支川:ヨンヌ川 の流域に跨る。
ムランの中心広場であるサン=ジャン広場 Place Saint-Jean (1737) に置かれたサン=ジャンの噴水 Fontaine Saint-Jean (1864) はこれら3川の寓意女神像で飾られている。
写真正面がセーヌ川 (アマルテイアの角 Corne d’abondance を持つ)、左がマルヌ川 (鎌、トウモロコシ) 、右がヨンヌ川 (オール) 。
パリのリシュリュー通りに面した「ルヴォアの噴水 Fontaine Louvois (1844)」の彫刻家
ジュール・クラグマン Jean-Baptiste-Jules Klagmann (1810-67) の作品。
ルイ・フィリップが選んだ著名な王妃と女性 4 サント・クロチルド
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アンドレ・タルデュー広場 Place André Tardieu には詩人<フランソワ・コッペ (1842-1908) の顕彰碑 Monument à François Coppée (1910 / 1959) >が置かれている。
メダリオンが載せられている 1910年建造の台座の上には彼の立像があったが、第2次大戦のヴィーシー政権下において多くの他の像と同様に溶融されたもののひとつ。遺族による補償請求は却下され、再建は認められたものの費用の面で現状に落ち着いたもののようだ。
アンドレ・タルデュー (1876-1945) は政治家の名。
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パリのノートルダム大聖堂 / ノートルダム寺院の広場:ヨハネ・パウロ2世広場 Parvis Notre-Dame – Place Jean-Paul II に置かれているヨハネ・パウロ2世のモニュメント Monument Saint Jean-Paul II 。オミナエシ Patrinia の花が咲いている。19/08/2016.
ヨハネ・パウロ2世は 2011年に「列福」、2014年に「列聖」され聖人となった。クラクフ Cracovie を訪れた 2008年は「尊者」の位にあった。
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<ロムルスとレムス Romulus et Rémus に授乳する雌狼の像 Statue de la louve avec Romulus et Rémus>がポール・パンルヴェ広場 Place Paul Painlevé にある。
ローマのカピトリーノ美術館 (1471) にある、カピトリーノの狼 Louve Capitoline (作者、制作年とも定説はないが、11-12世紀の狼に15世紀後半に双子が加えられたか) のレプリカだ。パリとローマの姉妹都市提携 (1956) の記念にローマから寄贈された (1962) 。(京都 1958、東京 1982) 。
ローマの名は初代ローマ王ロムルスに由来する。オオカミはローマのシンボル。31/07/2012.
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コンコルド広場の四隅には二体づつ都市の寓意像が置かれている。
パリから見て南東方向の代表都市、リヨンとマルセイユの像が広場の南東隅にある。後方はチュイルリー公園の「オランジュリーのテラス」で、美術館はすぐ右。
左がリヨンで、水が溢れ出す壺がローヌ川の恵みを寓意、右がマルセイユで (ボートの) 舵が地中海の恵みを寓意している。
いずれもルイ・プティトー Louis Petitot (1794-1862) の作品 (1836) で、城壁をあしらった冠を被せている。
ヒットルフ Jacques Ignace Hittorff (1792-1867) による吻側付き燭台型街燈とパリ市の紋章付きの街燈も。
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パリのノートルダム寺院後方、ジャン23世公園の中央に置かれた<聖母の噴水 Fontaine de la Vierge (1845)>。
パリの噴水 (水道) 建築に携わった Alphonse Vigoureux (1802-54) によるネオゴシック様式の作品で、「キュヴィエの噴水 (1840) 」も彼の作品。
聖母子像 Vierge à l’Enfant (1844) はコンコルド広場の「大河の噴水 Fontaine des Fleuves 」と「海の噴水 Fontaine des Mers 」の彫刻家 Louis-Parfait Merlieux (1896-1955) の作品。
3大天使の足元から噴水している。
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映画の広告等で見かけるパリの広告塔<コロンモリス Colonne Morris >に付けられたパリの市章。
パレ・ブロンニャール前のブルス広場に置かれたコロンモリスにはこの時、「パリ夏祭り Festival Paris quartier d’été 2014 」(7月14日~8月15日) の広告が貼られていた。が、これだけではプログラムは分からない。
両替のメルソン Merson はヴィヴィエンヌ通りの右奥。
12/07/2014.
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ドビッシー Claude Debussy (1862-1918) が洗礼を受けたサン=ジェルマン=アン=レーのサンジェルマン教会の鐘楼横の広場 Place de l’Abbé-Pierre-de-Porcaro に置かれた<クロード・ドビッシーの像 Claude Debussy>。
アメリカの彫刻家 Mico Kaufman (1924-2016) の作品 (1987) で、在米のドビッシー音楽友の会により1998年に設置された。
この手前左近くにドビッシーの生家、ドビッシー美術館 Musée Claude Debussy がある。