総本社 貴船神社の二之鳥居

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貴布禰總本宮 貴船神社の二之鳥居 / 京都

元祖川床の料理旅館 ”貴船 ふじや” 横に貴布禰總本宮 貴船神社の二之鳥居があります (献燈 ふじや)。
右横を流れる貴船川に川床が並ぶ納涼の時期や紅葉の時期が最高ですが、今は新緑にも暫くといったところです。

叡山電鉄鞍馬線の貴船口駅から30分ほど歩きました。
一之鳥居は貴船口より下流の鞍馬川沿いにあります。

2020.03.22.

 

ケーブル延暦寺駅展望台から琵琶湖を・・

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比叡山鉄道線の”坂本ケーブル”の終点:ケーブル延暦寺駅の展望台から琵琶湖の眺望です。
天気は良いのですが春霞でしょうか?北湖と南湖の境目に架かる”琵琶湖大橋”が見えています。こちら側は大津市今堅田で対岸は守山市です。

ケーブル延暦寺駅の展望台から琵琶湖の眺望

親鸞も日蓮も修行した延暦寺 / 宮沢賢治歌碑

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ねがはくは 妙法如来正偏知 大師のみ旨 成らしめたまへ
浄土真宗の父と日蓮に傾倒し対立していた賢治が延暦寺を訪れて(1921)、根本中堂で詠んだ歌です (妙法如來正遍知とは釈迦のこととも薬師如来のこととも。お釈迦さま、どうか伝教大師さまの忘己利他の願いを叶えさせてあげてください。といったところ)。
両者が修行した叡山に父が誘って賢治を思い留まらせようとしたと言われているそうです。

宮沢賢治歌碑 / 根本中堂横 / 延暦寺 / 大津

* 中学校の野外授業で根本中堂を訪れた。宮沢賢治歌碑 (1957) は未だなかった。

春日大社の神使 鹿 がお出迎え

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春日大社の神使 鹿 / 春日大社ニノ鳥居 / 奈良

春日大社一之鳥居から表参道を進んで春日大社二ノ鳥居を入ったところで可愛い鹿の出迎えを受けました。
春日大社の神使は鹿です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

メルケル首相に続き、ジョンソン首相罹患

”山の辺の道”沿いの古墳を見て回りました。

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”山の辺の道”を歩いているといくつもの古墳に出くわします。
渋谷向山古墳は景行天皇 山邊道上陵に治定されている柳本古墳群の一つで、すぐ北に行燈山古墳 / 崇神天皇山辺道勾岡上陵があります。
景行天皇陵拝所は前方部にあり、見えていない後円部の周りを山の辺の道が通っています。

渋谷向山古墳 / 景行天皇 山邊道上陵 / 柳本古墳群 / 山の辺の道 / 奈良・天理

 

石清水八幡宮参道ケーブル に”阿吽の鳩の巴紋”

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阿吽の鳩 / 石清水八幡宮参道ケーブル / ケーブル八幡宮山上駅 / 京都・八幡

リニューアルされた石清水八幡宮参道ケーブルの車両(あかねとこがね)に”阿吽の鳩”の左二つ巴紋が・・
八幡宮の神使は鳩で、楼門に”阿吽の鳩”の錺金具 (かざりかなぐ) が付いています。そして、神紋は”流れ左三つ巴”です。この二つをモチーフにしたロゴでしょう。
右側の鳩の口が開いています。阿の鳩です。
ケーブル八幡宮山上駅。

石清水八幡宮 御本社 阿吽の鳩

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石清水八幡宮の楼門です。奥に舞殿・幣殿・八幡造りの本殿(内殿・外殿)が続き四方を回廊が囲んでいます。
蟇股部分に”阿吽の鳩”の錺金具が見えます。鳩は神使です。神紋は”流れ左三つ巴”です。
源義家は石清水八幡宮で元服し自らを”八幡太郎義家”と名乗りました。
宇佐八幡宮 (725) から勧請された (860) ”やわたのはちまんさん”は伊勢神宮に次ぐ宗廟。

石清水八幡宮の楼門と回廊 / 阿吽の鳩 / 京都・八幡

京阪電鉄石清水八幡駅からケーブル八幡宮山上駅まで”石清水八幡宮参道ケーブル”に乗りました。* 樟葉に住んでいた頃は男山ケーブルと言ってました。

鞍馬寺仁王門 阿吽の虎

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鞍馬寺 / 仁王門(山門) / 阿吽の虎 / 京都

最終日の昨日は貴船神社から鞍馬寺を回りました。
鞍馬寺仁王門 (山門) 前には”阿(吽)の虎”がいます。本殿金堂前にもいます。本尊の毘沙門天の神使は虎(神獣)ですので。
寺紋は菊の花を横から見た菊紋の一種とされています。

お土産は”京・くらま 林”の子持ちきくらげ、出町”ふたば”の京の生菓子 名代豆餅、”七味家”の辛口唐からし等にしました。

* <鞍馬の火祭>に行った52年前を思い出しました。

 

長さ日本一の ”坂本ケーブル” で比叡山延暦寺へ

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長さ日本一の ”坂本ケーブル” / ケーブル坂本駅 / 大津

昨日は比叡山延暦寺を訪れました。
比叡山鉄道線の”坂本ケーブル”に乗りました。縁号と福号で往復していますが、これは福号です。
観光客は非常に少ないです。

大神神社 / 山の辺の道を歩きました。

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昨日は 山の辺の道を歩きました。総歩数4万5千歩でした。
日本最古の神社、大和國一之宮<大神神社>の拝殿です。本殿は背後の三輪山です。
祭神は大物主大神、日本国(ヒノモト)を建国したニギハヤヒです。スサノオの息子です。

大神神社 / 山の辺の道

ブルゴーニュ門 / ボルドー

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ドーリア式の柱頭に乗るエンタブラチュアのフリーズ (垂直方向に取り付けられた飾り板状の部分トリグリフとトリグリフ間の部分メトープで構成される) に装飾がない等ブルゴーニュ門は簡素な仕上げの古典様式建造物。両サイドにあった人道門は取り除かれた (1807) 。
中世には、右側直ぐのガロンヌ川に架かるピエール橋 Pont de Pierre を通ってパリからボルドーへの入場門サリニエール門 Porte des Salinières があったところ。
ブルゴーニュ門 Porte de Bourgogne (1750-55) はルイ15世の王太子”フランスのルイ”の長男のブルゴーニュ公(後のルイ16世の兄)に捧げられた (1757) 。アンジュ=ジャック・ガブリエル Ange-Jacques Gabriel (1698-1782) と André Portier (1702-70) の作品。

Porte de Bourgogne (1750-55) / Ange-Jacques Gabriel (1698-1782) et André Portier (1702-70) / Bordeaux

コンコルドの勝利 / ジロンダンの噴水

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ボルドー Bordeaux のカンコンス広場 Place des Quinconces に置かれている高さ54mの<ジロンダンの記念柱 / Monument aux Girondins>の足元を取り囲む二つの<ジロンダンの噴水 Fontaine des Girondins>の内の一つ。
Achille Dumilatre (1844-1928)による<コンコルド (和解) の勝利 Triomphe de la Concorde>で、背面に<共和国の勝利 Triomphe de la République>がある。
<ジロンダンの馬 Chevaux des Girondins>と呼ばれる4頭の馬(タツノオトシゴ Chevaux marin)に曳かれたクワドリガ Quadriga にオリーブの小枝を持ち月桂冠を載せたローマ神話の和解・調和の女神コンコルド / コンコルディアが乗っている。
一見普通の馬に見えるが、足先を注視すると・・
記念柱の台座の左側にフランスの象徴である<ガリアの雄鶏 Coq gaulois>が見える。
左側へ12.6haもの巨大広場がガロンヌ川まで続く。     2009.08.04.

Triomphe de la Concorde / Fontaine des Girondins / Monument aux Girondins / Place des Quinconces / Bordeaux

モンテスキューの立像 / ボルドー カンコンス広場

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Statue de Montesquieu (1857) / Dominique Fortuné Maggesi (1801-92) / costume officiel de président à mortier du Parlement de Bordeaux / Place des Quinconces / Bordeaux

法の精神 De l’Esprit des lois (1748) で誰もが知っている啓蒙思想の哲学者のモンテスキュー Montesquieu (1689-1755) はボルドー近郊生まれ。100年後にフランス革命が起こる。
ボルドーの中心にある大広場 (12.6ha) :カンコンス広場 Place des Quinconces に置かれた<モンテスキューの立像 Statue de Montesquieu (1857)> 。叔父の死により、モンテスキュー男爵の爵位とボルドー議会高等法院副院長の官職を継承して (1716) 10年間その職にあったが、その当時の Président à mortier の公式衣装を身に着けている。白いフード付きの赤いローブだと思われる。モルティールは持っていない。マジジ Dominique Fortuné Maggesi (1801-92) の作品。

サン=テミリオンの庁舎とモノリシック教会の鐘楼等

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サン=テミリオンのオテル・ド・ヴィル Hôtel de ville de St-Emilion と背景左にモノリシック教会の鐘楼 Clocher de l’église monolithe と右に参事会教会 Collégiale de Saint-Émilion 。
葡萄畑を含む中世の都市、サン=テミリオン管轄区 Juridiction de Saint-Émilion (1999) として世界遺産に登録されて10周年の幟が立てられている。現在は20周年を超えた。

Hôtel de ville de St-Emilion / Clocher de l’église monolithe de Saint-Émilion/ Collégiale de Saint-Émilion / Saint-Émilion

マレの家 Logis de Mallet / サン=テミリオン

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マレの家 Logis de Mallet は古くからの貴族だったマレ・ロックフォール Malet Roquefort の家だったことに因む。右端に見える12世紀初頭からのサン=テミリオンの(城)壁を兼ねた住居を街側に拡築し造園したもの (18世紀) 。ヨーロッパ戦勝記念日大通り Avenue du 8 Mai 1945 に面した裏側は従前通りなので、二つの顔を持つ家 Logis aux deux visages とも呼ばれているらしい。

Logis de Mallet / Saint-Émilion

サン=テミリオンのモノリシック教会の鐘楼広場から

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サン=テミリオンのモノリシック教会のベルタワー Clocher de l’Église Monolithe 前の鐘楼広場 Place du Clocher からの遠望。町の周辺にはサン=テミリオンのブドウ農家:シャトー Château の葡萄畑が広がる。
右に王の塔 Tour du Roy のあるシャトー・ドゥ・ロア Château du Roi 、絶壁の眼下にトリニテシャペル Chapelle de la Trinité de Saint-Émilion 。岩山を穿った地下教会:モノリシック教会への入り口はシャペルにある。                                                                                    2009.08.03.

Clocher de l’Église Monolithe de Saint-Émilion / Château du Roi / Tour du Roi / Chapelle de la Trinité de Saint-Émilion / Vignoble / Saint-Émilion

サン=テミリオンのモノリシック教会

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岩山を穿って造られたヨーロッパ最大の地下教会サン=テミリオンのモノリシック教会 Église Monolithe de Saint-Émilion はボルドー近郊のサン=テミリオンにある。
教会のベルタワー Clocher de l’Église Monolithe から崖下のマルシェ広場に降りる急で長い坂道の途中・・前方遠方にロマネスク様式の Château du Roi の王の塔 Tour du Roy と手前下方にトリニテシャペル Chapelle de la Trinité de Saint-Émilion 。
築城はルイ8世 (1224) ともヘンリー3世とアキテーヌ公爵 (1237) とも。              2009.08.03.

Tour du Roy / Chapelle de la Trinité de Saint-Émilion / Église monolithe de Saint-Émilion / Saint-Émilion

 

ポール・ヴィオー提督とアルカションへ / ロートレック

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アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) は1900年の冬を、ボルドーでアパートとスタジオを借りて、ポール・ヴィオー Paul Viand (1846-1906) と過ごした。
元ボルドーの船主だった彼とは長い付き合いだったが、1899年にトゥールーズ=ロートレック家からアルコール依存症でアブサンに蝕まれたアンリの世話を依頼されていて、ロートレックは彼のことを”ヴィオー提督”と呼んでいた。
そして、二人はアルカション沖の海に出かけるのが常だった。アルカション Arcachon はロートレック8歳の時 (1872) 母親のアデールに連れられて滞在した思い出の地だった。
18世紀の<提督服を着たポール・ヴィオー Paul Viaud en tenue d’Amiral (ヴィオー提督 L’Amiral Viaud )(1901)>はロートレックによって描かれた最後の絵画の一つで、ブラジルのサンパウロ美術館 Museu de Arte de São Paulo が所蔵している。

Paul Viaud en tenue d’Amiral ou L’Amiral Viaud (1901) / Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Museu de Arte de São Paulo

アルカション Arcachon  大きな入り江になっていて、砂丘の向こうが大西洋。

ボルドーの滞在で描いた<マルトX夫人の像-ボルドー Madame Marthe X, Bordeaux (1900) >は大原美術館で鑑賞できる。

サーカスにて、舞台に入場 / ロートレック

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Au Cirque : Entrée en piste (1899) / Toulouse-Lautrec (1864-1901) / J. Paul Getty Museum

子供の頃から馬には特別の愛情を注いできたトゥールーズ=ロートレック Toulouse-Lautrec (1864-1901) 。
アルコール依存症と精神障害で入院中に記憶に基づいて描いたサーカスの絵の一つ、<サーカスにて:サーカスの舞台に入場 Au Cirque : Entrée en piste (1899)>。
ロサンジェルスの J・ポール・ゲティ美術館 が所有。
無観客ではないものの、観客が少なく描かれているのは精神障害の表れとされている。
紙に黒と色のチョークで描いた作品。
グラン・パレにて催された  Toulouse-Lautrec / Résolument Moderne 展にて。

サーカスにて、スペインステップする馬 / ロートレック

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Au Cirque : Le Pas espagnol (1899) / Toulouse-Lautrec (1864-1901) / The Metropolitan Museum of Art

子供の頃から馬には特別の愛情を注いできたトゥールーズ=ロートレック Toulouse-Lautrec (1864-1901) 。アルコール依存症と精神障害で入院中に記憶に基づいて描いたサーカスの絵の一つ、<サーカスにて:スペインステップ Au Cirque : Le Pas espagnol (1899) >。ニューヨークのメトロポリタン美術館が所有。
無観客ではないものの、観客が少なく描かれているのは精神障害の表れとされている。
Pas espagnol とは前足を高く上げて前方に押し出す歩行で、サーカスや馬術ショーで披露されるもので馬場馬術競技にはない。

仮面舞踏会での休息 / トゥールーズ=ロートレック

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Repos pendant le bal masqué (vers 1899) / Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Denver Art Museum

デンバー美術館 Denver Art Museum 所有の<仮面舞踏会での休息 Repos pendant le bal masqué (vers 1899)>。トゥールーズ=ロートレック Toulouse-Lautrec (1864-1901) の作品。
段ボール紙に油彩とグワッシュ。
画商ポール・デュラン=リュエルの画廊を通じてアメリカに渡った (1936) 。
Bal masqué はヴェネチア発祥の仮面舞踏会。
グラン・パレにて催された “トゥールーズ=ロートレック 断然モダン展”  Toulouse-Lautrec / Résolument Moderne にて。

新聞を読んでいるロートレックの自画像

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Autoportrait du peintre lisant son journal, au dos de l’affiche Le Divan Japonais (1893) / Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Fondation Pierre-Gianadda (Martigny)

新聞を読んでいるロートレックの自画像が描かれているのは<ディバン・ジャポネ Divan Japonais (1893)>のポスターの裏。ジェーン・アヴリルの姿が反対に透けて見えている。Divan Japonais / Henri de Toulouse-Lautrec
作品名は<ル・ディバン・ジャポネのポスターの裏にある新聞を読んでいる画家の自画像 Autoportrait du peintre lisant son journal, au dos de l’affiche Le Divan Japonais (1893)>。
スイスのピエール・ジアナダ財団 Fondation Pierre-Gianadda (Martigny) が所蔵。

ミレー最晩年の「乳しぼりの女」

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Laitière normande à Gréville (1874) / Jean-François Millet (1814-75) / Musée d’Orsay

パリでのコレラ流行を機にパルビゾンに移住した (1849) 農民画家ジャン=フランソワ・ミレー Jean-François Millet (1814-75) の作品。
故郷ノルマンジーのグレヴィルで見慣れた「乳しぼりの女」は長らく彼のテーマで複数の作品があるが、古くは初めてのパリから戻った1840年迄遡れるという。
搾乳し草で蓋をした容器を肩に置いて運ぶ女性と遠景に大きな牛。本作<グレヴィルでのノルマンジーの乳しぼりの女 Laitière normande à Gréville (1874)>は最晩年のもの。オルセー美術館で観れる。

アイメ・ムパネ Aimé Mpane (1968-) の オランピア

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合板片を素材にするコンゴ人アーチストアイメ・ムパネ Aimé Mpane (1968-) がマネのオランピアをテーマにした作品<Olympia II (2013)>。Collection Gérard Valerius 。
構図はエドゥアール・マネの<オランピア (1863)>と同一だが、オランピアがターバンを巻いた黒人に、召使いが髪を後ろに束ね花飾りを付けた(マネの)オランピアに入れ替えられている。そして、召使いのオランピアが手にしているブーケには頭蓋骨 (西洋からアフリカへの酷い贈り物を暗喩) が入っている。黒猫は同じ位置にいる。
壁から浮かして掛けられている合板片群の影が左・下に写っている。

Olympia II (2013) / Aimé Mpane (1968-) / Collection Gérard Valerius

オルセー美術館で催された<黒人モデル / ジェリコーからマティスまで Le Modèle Noir de Géricault à Matisse> 展にて。2019.07.07.

Olympia / Edouard Manet / Le Modèle Noir de Géricault à Matisse / Musée d’Orsay

セザンヌのオランピア・・マネのオランピアに対して

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マネの<オランピア Olympia (1863)>のテーマをセザンヌ Paul Cézanne (1839-1906) はこのように描いた。第一回印象派展に出品した<モデルヌ・オランピア Une moderne Olympia (現代のオランピア) (1873-4) がそれだ。印象派タッチの第2ヴァージョン。
ベッドに横たわるオランピアのヴェールを黒人の召使が剥がした瞬間をセザンヌ自身と思われる人物が見上げている。そして、女性器を意味した黒猫は尻尾を立てて足下に。
マネのオランピアと同様に本作品も酷評されたが、セザンヌの才能を見抜いたエミール・ゾラはマネの作品同様に援護したという。

Une moderne Olympia (vers 1873-74) / Paul Cézanne (1839-1906) / Musée d’Orsay

後のフランス王妃 王女マリー・テレーズの肖像

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スペイン王フェリペ4世の王女マリア・テレサ (1638-1683) は、ルイ14世と結婚 (1660) してフランス王妃マリー・テレーズ・ドートリッシュ Marie Thérèse d’Autriche になった。
ルーヴル美術館所蔵の<後のフランス王妃、王女マリー・テレーズの肖像 Portrait de l’infante Marie-Thérèse , future reine de France (vers 1653)>はウィーンの美術史美術館 Kunsthistorisches Museum Wien 所蔵の肖像画 (右:インファンタ・マリア・テレサ INFANTIN MARIA TERESA (1652/1653頃)、公式サイトから) のレプリカの断片 (下)。額縁がいい。

Portrait de l’infante Marie-Thérèse (1638-83), future reine de France (vers 1653) / Diego Velásquez (1599-1660) / Musée du Louvre

結婚のアレゴリー / マルスとヴィーナス等

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ローマ神話の「マルスMars (戦争の神)ヴィーナス Vénus (愛と美の女神) 」を題材としてティツィアーノ Titien (1485-1576) が描いた<結婚のアレゴリー Allégorie conjugale, dite à tort Allégorie d’Alphonse d’Avalos (vers 1530)>。ルーヴル美術館所蔵。
マルスとヴィーナスの他の登場人物は結婚の守護神であるキューピッド Cupidon とウェスタ Vesta とヒュメナイオス Hymen 。愛の神クピードーは矢を運び、家庭の女神ヴェスタはキンバイカの冠を載せ、結婚の祝祭神ヒメンが花と果物の籠を差し出している。花嫁のヴィーナスが手にしているのは水晶玉。

Allégorie conjugale, dite à tort Allégorie d’Alphonse d’Avalos (vers 1530) / Titien (1488/90–1576) / Musée du Louvre

ローマ神話の「マルス(戦争の神)とヴィーナス (愛と美の女神) 」を題材としてヴェロネーゼ Paolo Veronese (1528-1588) が描いた<Venus,Cupid and Mars (about 1580-88)>

砲塔 tourelle が残るムラン市庁舎

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ムラン市庁舎に残る右側の砲塔 tourelle は中世のサンドニ=アン=フランス修道院に起源を持ち、アンシャン・レジームの税を徴収していたオテル・デ・センス Hôtel des Cens の建物の唯一の名残だ。左側の砲塔は市庁舎として建て替えられた際に新たに加えられた (1848)  。
門扉の前の敷石にムラン市のロゴが埋め込まれている。

Tourelle de l’Hôtel des Cens / Hôtel de Ville de Melun / Melun

ムランを流れるセーヌ川 / ジャンヌ・ダルク橋

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ガロ・ローマン時代から存在したセーヌ川河畔のムラン Melun
旧市街は写真のセーヌ右派流の左側の中州:サン=テティエンヌ島にあってジャンヌ・ダルク橋 Pont Jeanne d’Arc の位置に連絡橋があった (現橋は4代目:1950) 。パリのシテ島のようだったという。河岸道路の名はアルザス=ロレーヌ河岸 Quai Alsace-Lorraine 。
百年戦争の頃にはジャンヌ・ダルクの一派が「ムランの包囲 (1420)」を受けたりした。現在のセーヌ=エ=マルヌ県の県庁とムランの市庁舎は右岸にある。

Pont Jeanne d’Arc / Quai Alsace-Lorraine / La Seine / Melun

新型コロナウィルスの影響で週末の新宿界隈のレストランは閑古鳥。だが、街中には予想外に大勢の人が・・観光客でない東南アジア系・中央アジア系が目立つ。