伏見櫓と二重橋

   depuis 2001

馬場先門で日比谷濠を渡って坂下門に向かう途中で、伏見櫓と二重橋を見た。
手前の2連アーチの石橋が皇居正門に二重橋濠を渡る正門石橋で、奥の鉄橋 (てつばし) が二重橋 (正門鉄橋) で再度濠を渡って西の丸玄関門に至る。1径間のアーチ上路橋だが、江戸初期 (1614) 、橋脚用の長尺の材木が無く脚部の石垣を張り出して桁を掛けその上に橋脚と桁を乗せて架橋したため、橋の上に橋が載る二重橋と呼ばれた。
伏見櫓は秀吉の伏見城から移築されたと伝えられ、月見用を兼ねた多聞を付置している。
無粋にも背後に紀尾井町ビルの頭が写っている。

伏見櫓と二重橋

駐日英国大使館の桜

   depuis 2001

千鳥ヶ淵 (半蔵濠) に面した駐日英国大使館の南側からの桜。
南門の門扉越しに見ているのだが、前に見える鉄柵を乗せた新しい塀までの土地は環境省が公園として整備中。1872年以来の借地 3.5ha をこの土地を返還することで残り約8割を譲渡することとしたもの。

駐日英国大使館 / 千代田区1番町1

皇居乾門を出た後、北の丸には入らず千鳥ヶ淵沿いに所謂<千鳥ヶ淵の桜>を遠望しながら、千鳥ヶ淵砲台跡を通って英国大使館前を進んだ。半蔵門から新宿通りに出て麹町4丁目からバスで帰宅した。

富士見多聞櫓 / 皇居乾通り – 3

   depuis 2001

桜の背後、城郭の石垣の上に富士見多聞櫓が見える。富士山を見るための櫓でもあり、明暦の大火で天守閣同様焼失したが多聞櫓は再建された。多門櫓は姫路城では渡櫓、金沢城では五十間長屋等という。

富士見多聞櫓 / 皇居乾通り / 皇居東御苑

富士見櫓 / 皇居乾通り – 2

   depuis  2001

江戸城の天守閣は振袖火事 (1657) により焼失して再建されなかったため、江戸庶民が天守閣と思い込んでいたとされる<富士見櫓>を皇居内乾通りから見たところ。
足元に蓮池濠、櫓は常時公開されている「皇居東御苑」にあり、桜は満開のようだ。背景は大手町のビル群。

富士見櫓 / 皇居乾通り / 皇居東御苑

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江戸彼岸 / 皇居乾通り – 1

   depuis 2001

昨日は朝から晴れで気温も高く、土曜日から春季一般公開されている「皇居乾通り」の花見に行ってきた。山手線で有楽町下車、9時半には入口の坂下門の遥か先から長蛇の列だったが10時前には入城できた。
出口の乾門近くの<江戸彼岸>。まだ若木だが先が楽しみ。
寿命の長さは格別で、山梨県北杜市武川町山高の神代桜 (山高神代ザクラ) は樹齢 2000 年ともいわれる。

江戸彼岸桜 / 皇居乾通り

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シリル・リニャック の ケーキとチョコレート

   depuis  2001

ヴァンセンヌからバス46で Charonne – Chanzy 下車、あるいは56で Charonne 下車、徒歩数100mで行ける< La Chocolaterie Cyril Lignac – Paul Ber >の店先です。
シャンジー通り Rue Chanzy 斜め前にある< La Pâtisserie Cyril Lignac – Paul Bert >のケーキも買いました。
シリル・リニャック Cyril Lignac (1977-) は今人気沸騰中の パティシエでもありショコラティエ でもあり、料理人 Cuisinier でもあります。                             24/08/2017.

Chocolaterie と Pâtisserie :チョコレートとケーキ・・・ちなみに、ピエール・エルメは<パティシエ pâtissier>なのでケーキ職人、パトリック・ロジェやジャンポール・エヴァンは<ショコラティエ chocolatier>つまりチョコレート職人ということで、厳密には違う職業ということですね。

La Chocolaterie Cyril Lignac – Paul Bert / La Pâtisserie Cyril Lignac- Paul Bert / Rue Paul Bert

Bahrain  Flag of Bahrain

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パリの街燈 réverbère 48 陸海空軍のクラブ

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1887年創設の軍隊のクラブ Cercle National des Armées が空軍を加えてオペラ大通りから移転した (1927) もの。シャルル・レマレスキア Charles Lemaresquier (1870-1972) による新古典主義 Néo-classique の堂々たる建築。街燈も素晴らしい。                                                 26/07/2011.
ジャンヌ・ダルクの騎馬像のあるサントギュスタン広場8番地。

Cercle national des armées de terre, de mer et de l’air / Place Saint-Augustin

Zambia  ザンビアの国旗

パリの街燈 réverbère 47 クリヨン Hôtel de Crillon

コンコルド広場10番地 (北面の西側建物 (1758完成) ) に位置するクリヨン Hôtel de Crillon の街燈。改装が終わった (2017) ばかり。リヴォリ通りから続く広場の街燈に馴染むデザインになっている。

Hôtel de Crillon / 10 Place de la Concorde

マイヨール美術館で開催中の藤田展に行ってきました

   depuis  2001

inouerose  副題にある「Années folles:狂った年」とは 1920-29 の10年間を指し、第一次大戦後恐慌までの芸術の花開いた期間のこと。この時期に Foujita が描いた作品を集めた展覧会。
革命記念日の翌日まで観れるので、訪仏後に改めて紹介することとしたい

Foujita : Peindre dans les Années folles / Musée Maillol

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パリの街燈 réverbère 46 ホテルプラザアテネ

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モンテーニュ大通り25番地の<ホテルプラザアテネ Hôtel Plaza Athénée >の街燈。
「赤い日除け Auvent と赤のゼラニウム」が特徴。
玄関の雨除け:コーニス Corniche を含めアールヌーヴォー建築 (1911) 。05/08/2008.

Hôtel Plaza Athénée / 25 Avenue Montaigne

 

パリの街燈 réverbère 45 ブリストル Le Bristol Paris

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フォーブール・サント=ノレ通り112番地 <ルブリストルパリ Le Bristol Paris >の門燈と街燈。アールヌーヴォー風の雨除け / コーニス Corniche の装飾に権威の象徴であるファスケス Fasces が使われている。アールデコ建築 (1925:改装) 。

Le Bristol Paris / 112 Rue du Faubourg Saint-Honoré

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パリの街燈 réverbère 44 ホテル・リッツ Ritz Paris

   depuis  2001

ヴァンドーム広場15番地、ホテル・リッツ Ritz Paris の街燈。

オテル・ド・グラモン Hôtel de Gramont (1705) をセザール・リッツが購入しホテルに改装したもの (1897) 2016年に改装が終わったばかり。

Ritz Paris / Place Vendôme

パリの鉄柵 51 パリ植物園

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植物園正門付近の鉄柵。門燈付きのゲートを入ると真正面が国立自然史博物館の<進化の大ギャラリー>。
その手前左にある「鉱物学と地質学のギャラリー (1837)」で行われていた展示会の案内ポスター。30/07/2017.
国立自然史博物館入口の鉄柵とは似ているが異なる。

Grille de Paris / Jardin des Plantes

国立自然史博物館の<進化の大ギャラリー>

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国立自然史博物館はフランス革命の最中、ルイ13世による王立薬草植物園 (1635) の一角に自然史博物館が設立された (1793) ことに始まる。
1994年以降「進化の大ギャラリー Grande Galerie de l’Évolution 」と呼ばれている現在の建物はルイ=ジュール・アンドレ Louis-Jules André (1819-90) による建築 (1777-89) で、当初は動物学のギャラリー Galerie de Zoologie と言った。
フランス革命100周年を記念して開催された、4回目のパリ万国博覧会の目玉「エッフェル塔」序幕の直後にオープンした。

Grande Galerie de l’Évolution / Muséum National d’Histoire Naturelle / Jardin des Plantes

プラタナスの並木道 / パリ植物園

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パリ植物園 Jardin des Plantes で真夏の日差しを避けるには両サイドのプラタナスの並木道が良い。写真は南側のアユイ通り Allée Haüy 。突き当りが自然史博物館 Grande Galerie de l’Évolution 。
「結晶学の父」とされる鉱物学者ルネ=ジュスト・アユイ René Just Haüy (1743-1822) に因む。元素クロムの名付け親でもある。

Platane / Alley Haüy / Jardin des Plantes

Bermuda バミューダの

エッフェル塔百態 149 ダビデ像とヴァルカン像

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リュクサンブール公園からのエッフェル塔。円柱 Colonne に乗っているのが<ゴリアトに勝利したダビデ像 David vainqueur de Goliath >で、手前が<ヴァルカン像 Statue de Vulcain (1781) >。
右に見える上院に納められているダビデ像のオリジナルは16世紀のものらしいが作者も不詳。ローマ神話で火の神 (鍛冶神) のヴァルカン / ウゥルカーヌス Vulcānus は Charles-Antoine Bridan (1730-1805) の作品。

Tour Eiffel / David vainqueur de Goliath / Statue de Vulcain / Jardin du Luxembourg

マルクスが大晦日 (1847) を過ごした白鳥の家

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足掛け2年のパリ滞在後ブリュッセルに移った (1845) カール・マルクス Karl Marx (1818-83) はグランプラスのギルドハウスの一つ、「白鳥の家 Maison du Cygne (1698)」で2年目の大晦日を過ごしました。翌年早々「万国のプロレタリアよ、団結せよ。」の共産党宣言が発刊され、フランスでは2月革命が勃発しました。その銘板が貼られています。
右は「星の家 Maison de l’Étoile」、左はビール問屋「黄金の木の家 Maison de l’Arbre d’Or 」です。
昨晩降った雪が残っています(24/03/2013)。この時一緒したお友達が今年初め亡くなりました。

Maison du Cygne / Grand-Place / Brussel / Karl Marx

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フィッシャーマンズワーフ の アシカ

   depuis 2001

襟裳岬でトドの大群に驚いたことがあるが、サンフランシスコのアシカ Sea lion にも驚いた。釧路のそれの原形、フィッシャーマンズワーフ Fisherman’s Wharf で有名な「ピア 39」の風景。接近したり、餌をやったり、物を投げたりすることは法で禁じられている。浮き桟橋はアシカの休憩場所だ。                    27/11/2007.
2年後、アシカが去ったという報道があったのを覚えているが、今はどうなっているのだろう?名物の一つ、クラムチャウダー clam chowder の味は忘れられない旅の味だ。。

Sea Lion / Pier 39 / Fisherman’s Wharf / San Francisco

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ゴールデンゲートブリッジ

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サンフランシスコ湾に架かる吊り橋「ゴールデンゲートブリッジ (1937) 」、金門橋をサンフランシスコ側から。太平洋 (左) とサンフランシスコ湾 (右) との狭窄部をゴールデンゲート海峡という。最大支間長 1280m。                        27/11/2007.
明石海峡大橋 (1998) は最大支間長 1991mで世界最長。姉妹橋になっている瀬戸大橋の南備讃瀬戸大橋 1100m、しまなみ海道の来島海峡第三大橋 1030m。

Golden Gate Bridge / Golden Gate Strait / San Francisco Bay

国立美術工芸保存院とマルク・スガンの胸像

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Buste de Marc Seguin / Conservatoire des Arts et Métiers / Rue Saint-Martin

マルク・スガン Marc Seguin (1786-1875) はフランスの発明家で事業家。
国立美術工芸保存院 Conservatoire des Arts et Métiers 正面、古のパリの南北軸 (カルド Cardo) であるサン=マルタン通りを挟んだ公園 Square Emile-Chautemps (オスマンのパリ改造計画の一環で建設された) に彼の胸像がある。
水管式蒸気機関、 最初のフランス鉄道 (1833) 、ワイヤー吊り橋 (1825) と功績が記されている。
水管式蒸気機関の発明 (1827) と実用化はスチブンソンのロケット号の成功 (1829) にも貢献した。

ミキモト 銀座4丁目本店 に<コロンヴァンドーム>

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ミキモト銀座4丁目本店 / Place Vendôme et Colonne Vendôme

昨年改築された (2017.06)「MIKIMOTO  銀座4丁目本店」のウインドウにパリのヴァンドーム広場と<コロンヴァンドーム>が・・。
ヴァンドーム広場の「MIKIMOTO Paris」前からの風景だ。

銀座1丁目の「LA BETTOLA da Ochiai ラ・ベットラ・ダ・オチアイ」で食事後、銀座三越で買い物をした際に通りがかった。

エッフェル塔嫌いだったモーパッサン

   depuis  2001

「女の一生」の自然主義作家ギ・ド・モーパッサン Guy de Maupassant (1850-93) はエッフェル塔嫌いでも有名だった。それで、エッフェル塔を見ないで済む塔のレストランがお気に入りだったという。
晩年は気を病んだが、文人協会が依頼した顕彰碑<Monument à Guy de Maupassant (1897)>がモンソー公園に置かれている。ラウル・ヴェレ Raoul Verlet (1857-1923) の作品。胸像の足元に、右肘をつき左手に本を持ち微睡んでいる女性を配している。
文壇の大御所だったエミール・ゾラ (1840-1902) が除幕式で挨拶をしている (葬儀でも) 。
背後の列柱 /ナウマキア naumachia は破壊された (1719) サン・ドニの Rotonde des Valois から移されたものらしい。

Monument à Guy de Maupassant / Parc Monceau

メアリー (ステュアート) スコットランド女王の肖像

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Mary, Queen of Scots / Scottish National Portrait Gallery / Edinburgh

メアリー・ステュアート Mary Stuart の肖像<Mary, Queen of Scots (1610-15 頃)>、エディンバラのスコットランド国立肖像画美術館 Scottish National Portrait Gallery 所蔵。
投獄されて10年目、1578 の記載があるが、描かれたのは息子のスコットランド王ジェームス6世がイングランド王・アイルランド王ジェームス1世を兼ねて (1603) 以降の作品とされている。作者は不詳。
十字架は”敬虔”を、聖書の「スザンナと長老達」のエピソードを彫り込んだロザリオは”不正な告発と救済”を暗喩していて、殉教者として名誉を回復したことを匂わせているようだ。

 

「京懐石 柿傳」の一輪挿し コンプラ瓶

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コンプラ瓶 / オランダ東インド会社 / 京懐石 柿傳

オランダの東インド会社 (1602 設立) のロゴ  VOC (右) が焼き込まれたコンプラ瓶。
南蛮人が描かれている。
コンプラは  Comprador がポルトガル語なので P は …と思ったりしたが不詳。
醤油や酒を入れてヨーロッパ等に輸出していたもので勿論伊万里焼。

ユリ科の貝母 (バイモ) 別名、編笠百合 (アミガサユリ) の花は屋上で咲かせたものだそうだ。

出島はポルトガル貿易 (1636-39) とオランダ貿易 (1641-1859) で、過渡期間が存在する。

「京懐石 柿傳」の料理

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「スコット記念塔」の後方にエディンバラ城

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エディンバラ生まれの小説家・詩人のウォルター・スコット Walter Scott (1771-1832) の記念塔 (1844) 。塔の中央に彼と犬の像が見える。
ヴィクトリア朝ゴシック様式で建てられたこの塔にはスコットの歴史小説に登場する人物像が多数飾られている。「The Abbot (1820) 」に登場するスコットランド女王でフランス王妃でもあった「マリー・スチュワートの立像」は写真の左側にあるらしいのだが確認できなかった。
背後にエディンバラ城、塔の左に「リヴィングストンの像」が見えている。
昨晩 (31/07/2013.) の雨でトラムウェイの走る車道 Princes Street が濡れている。

Scott Monument / Edinburgh Castle / David Livingstone Statue / Edinburgh

エディンバラ城からエディンバラの新市街を・・

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エディンバラ城下の緑地 Princes Street Gardens は谷地になっていて鉄道が走る。鉄道敷きを横切って見える建物がスコットランド国立美術館 Scottish National Gallery 。
その向こうの小緑地 Princes St Gardens Eastにネオゴシックの「スコット記念塔 Scott Monument」、その足元すぐ右に David Livingstone の像。
右端にネルソン記念碑 The Nelson Monument (円柱) 、National Monument (列柱) のあるカールトン・ヒル Calton Hill 。
水面はフォース川 River Forth の河口、フォース湾で北海に繋がる。
旧市街はザ・ロイヤルマイル The Royal Mile を軸に城の右側で、視野に入らない。

Edinburgh Castle / Princes Street Gardens / Scottish National Gallery / Scott Monument / Calton Hill

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ザンビアへの旅 27 リヴィングストンの像

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Statue of David Livingstone / Edinburgh / Scotland

デイヴィッド・リヴィングストン David Livingstone (1813‐73) はスコットランドの探検家・宣教師。
スコットランドのエディンバラのランドマーク「スコット記念塔 Scott Monument」を囲むプリンシズ・ストリート・ガーデンズ・イースト Princes St Gardens East に彼の立像が置かれている。
女性彫刻家 Amelia Robertson Hill (18821-1904) の作品。
後方右にエディンバラ城。

Livingstone Statue / Victoria Falls / Zambia

 

 

 

 

 

ヨーロッパ人として初めて(1855) ヴィクトリアの滝を見てから150年記念としてザンべジ川河畔に建てられた彼の立像。カヌーで上流から流下し、「リヴィングストンアイランド Livingstone Island 」と名付けられた滝際の中州にあがって観たという。

コルベールのソー城から来た<冬の像>

コルベール Jean-Baptiste Colbert (1619-83) が強く支持した王立絵画彫刻アカデミー (1648設立) の教授も務めたミシェル・アンギエ Michel Anguier(1612-86) の作品、<冬の像 Statue de L’Hiver >。マントを纏って両手を火に翳した、冬の寓意像。
ソー城を購入した (1670) コルベールル・ノートル André Le Nôtre (1613-1700) に改変させたフランス式庭園 Jardins du Château de Sceaux の装飾のために用意した彫像の一つとされている。フランス革命で政府に没収され (1793) 破壊されたが、この像はリュクサンブール公園に移された (1802) 。                     29/07/2013.

Statue de L’Hiver / Michel Anguier / Jardin du Luxembourg

28/07/2011.

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アントワーヌ・ヴァトーの記念碑 

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ロココ様式の代表画家で、後世に評価の高まったアントワーヌ・ヴァトー Jean-Antoine Watteau (1684-1721) の顕彰碑。アンリ・ゴキヱ Henri Gauquié (1858-1927) の作品、Monument à Antoine Watteau (1896)。
ロレーヌの大理石にエタンの胸像の組み合わせで、リュクサンブール公園にある。存在感のある若い女性が一輪を右手に残して薔薇束を差し出していて、「ヴァトーと若者 Watteau et la Jeunesse 」とも呼ばれるらしい。

Monument à Antoine Watteau / Watteau et la Jeunesse / Henri Gauquié / Jardin du Luxembourg

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