depuis 2001
エクーアン城 Château d’Écouen (1538-50) の入り口。国立ルネサンス美術館 (1977) の表示がある。
右側はアンリ2世と王妃カトリーヌ・ド・メディシスが休暇を過ごす居室になっていた。建設途中にアンリ2世がフランスの王位に就き (1547) 、王室のアパートを収容するように城の計画と装飾が変更されて準王城の役目を果たした。アンリ2世の用いたクロワッサン (三日月) とモノグラム DH が外壁に残っている。
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エクーアン城 Château d’Écouen (1538-50) の入り口。国立ルネサンス美術館 (1977) の表示がある。
右側はアンリ2世と王妃カトリーヌ・ド・メディシスが休暇を過ごす居室になっていた。建設途中にアンリ2世がフランスの王位に就き (1547) 、王室のアパートを収容するように城の計画と装飾が変更されて準王城の役目を果たした。アンリ2世の用いたクロワッサン (三日月) とモノグラム DH が外壁に残っている。
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ルネサンス美術館が入っているエクーアン城 Château d’Écouen (1538-50) の正面。右上とその左空濠手前の鉄門扉右端の間に建設者であるアンヌ・ド・モンモランシー Anne de Montmorency (1492-1567) の紋章が残っている。名門貴族モンモランシー家の出でフランソワ1世、アンリ2世等に仕えたフランス元帥。名の由来モンモランシーはここから南東数キロ。
父が遺贈されたシャンティイ城で生まれ、改造したことでも知られる。彼の騎馬像が城の正面に置かれている。
45期 囲碁名人戦 芝野虎丸名人対井山裕太棋聖 第2局 ”宝塚ホテル” で始まる。
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フレンチバロック:フレンチクラシック様式の傑作とされてきたメゾン城 Château de Maison (メゾン・ラフィット城) (1630-51) 。傾斜のきついマンサード屋根が目立つ。
フランソワ・マンサール François Mansart (1598-1666) によるこの城はその後のヴォー=ル=ヴィコント城 Château de Vaux-le-Vicomte (1656-61) 、ヴェルサイユ城(宮殿) Château de Versailles (1661-65) 等のシャトーの規範となった。
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ブランデンブルク選帝侯でプロイセン公 (在位:1640-88) のフリードリヒ・ヴィルヘルム Friedrich Wilhelm (1620年-1688) が制作を依頼したことに始まる (1660 ou 1670) セダン型馬車。彼はこの馬車を使用して、ブランデンブルクのベルリンからフランスのパリまで行きセンセーションを巻き起こした。当時の他の車体より耐久性に優れ、便利で、軽量で、転倒の可能性も低かったからだ。パリではベルリンに因んで<berline>と呼称した。今もセダン型自動車をフランス語ではベルリン berline という。 馬車博物館 Musée des équipages にて。
車体にある紋章はヴォー=ル=ヴィコント城の現在の所有者ヴォギュエ一族 Famille de Vogüé の紋章。。前に御者席(エンジン)、後に荷台が完全分離されている。
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ヴォー=ル=ヴィコント城 (1661) の正面「三角破風 Fronton triangulaire」。ここに見られる紋章はニコラ・フーケのものではない。後に購入 (1764) し、建物部分に手を加えたルイ15世の外務大臣・海軍大臣を務めたプラズラン公セザール・ガブリエル・ド・ショワズール César Gabriel de Choiseul, duc de Praslin (1712-85) が属す名門貴族ショワズール家 Maison de Choiseul の紋章だ。紋章は内側をサン=ミッシェル勲章 Collier de l’ordre de Saint-Michel 、外側を聖霊勲章 Collier de l’ordre du Saint-Esprit のネックレスで囲まれている。
フーケ Nicolas Fouquet (1615-80) がルイ・ル・ヴォー Louis Le Vau(1612-70) に命じて建造した (1661) ヴォー=ル=ヴィコント城をルイ15世の外務大臣・海軍大臣を務めたプラズラン公セザール・ガブリエル・ド・ショワズール César Gabriel de Choiseul, duc de Praslin (1712-85) が購入 (1764) して建物部分に手を加えた。フランス革命で没収後、アルフレッド・ソミエ Alfred Sommier (1835-1908) が購入し (1875) 、修復した。古典主義建築。 2014.08.02.
二頭のラバが運ぶ椅子 Chaises à Mules 。馬車では通れない狭い道や悪路などに人力で使用された「セダン椅子 / 椅子駕籠 Chaises à porteurs」の一種。セダン椅子 は馬車よりも手軽なことから18世紀にはヨーロッパ各地に普及した。日本の手輿のようなもの。
フーケ Nicolas Fouquet (1615-80) が建設したヴォー・ル・ヴィコント城 (1661) の “馬車博物館” で展示されている。18世紀にフランスかポルトガルで制作されたラバ椅子と考えられている。
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クロアジー=シュル=セーヌ Croissy-sur-Seine のシャノリエ城 Château Chanorier 館入口前で向き合うライオン。スフィンクスの例が多い中珍しい。
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サン=ジェルマン=アン=レー城 Château de Saint-Germain-en-Laye の一角、ルイ14世が誕生したパヴィヨン・アンリ4世 Pavillon Henri IV のロビー。
鏡の前に置かれたルイ16世妃<マリー・アントワネットの胸像 Buste de Marie-Antoinette>と鏡の左端に写った<ルイ16世の胸像>。
右にムゼ・デュ・パヴィヨン・アンリ4世 Musée du Pavillon Henri IV があって、ルイ14世が生まれた部屋 Chambre où est né Louis XIV だ。
<アンリ4世の胸像>は写っていない左手前の階段に置かれている。
右側にレストラン Pavillon Henri IV Restaurant がある。
<Pavillon Henri IV Restaurant>-4
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サン=ジェルマン=アン=レー城 Château de Saint-Germain-en-Laye の一角、ルイ14世が誕生したパヴィヨン・アンリ4世 Pavillon Henri IV のロビー。
鏡前に置かれた・ルイ16世妃マリー・アントワネットと思われる胸像と鏡に写ったロビーの様子。右側にレストラン Pavillon Henri IV Restaurant がある。
<Pavillon Henri IV Restaurant>-4
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シャンティイ城を護るスフィンクスの手前に至る長い斜路の入り口に一対で置かれている猟犬像。フランス革命で破壊されたジャン・ティエリー Jean Thierry (1669-1739) 作のオリジナル (1707) をアントワーヌ・ワトリネル Antoine Watrinelle (1828-1913) がコピーした<猟犬 Molosse (1888) >。
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シャンティイ城 Château de Chantilly を護るスフィンクス。ニコラス・クストゥ Nicolas Coustou (1658-1733) の作品 (1707) のコピーとして、アントワーヌ・ワトリネル Antoine Watrinelle (1828-1913) が制作した<Sphinge (ou chimère) (1886)>。
フランス革命中に破壊されたオリジナルを復元したもの。スフィンジ/スフィンクスは、女性の胸像とライオンの体と鷲の翼を持つ怪物としてオイディプスの神話に登場する。
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シャンティイ城から庭園 Jardins du Château de Chantilly 側に出て、濠を渡って<裸のモナ・リザ展>が行われているジュ・ド・ ポーム Jeu de Paume (旧フランス式屋内テニスコート) へ向かう途中、振り返って・・
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シャンティイ城 Château de Chantilly で開催中の LA JOCONDE NUE / 裸のモナ・リザ 展に出かけた。
シャンティイ城内にあるコンデ美術館 Musée Condé 所蔵。
ダ・ヴィンチ (1452-1519) 没後500周年を機に分析・研究中。制作年 1514-16 の木炭画。
La Joconde / Mona Lisa は 1503-06、または 1513-16(19) の作品。
果たして両者の関係は?
レオナルド・ダ・ヴィンチ工房
École de Léonard de Vinci によるコピーなのか・・
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パリ生まれでシャトー=ティエリに定住した漫画家でイラストレーターだったイヴ・ベケット Yves Becquet (1944-2016) 。
彼は<ラ・フォンテーヌの寓話>を題材に多くの作品を残した。その一部がマルヌ川に架かるアスピラントドルジェ橋 Pont Aspirant de Rougé (1950) で紹介されていた。
おべっか使いはそれを真に受ける人のお陰で生きていることを学べ:との教訓寓話「カラスとキツネ」はお世辞にのせられて落としてしまったチーズを両者が半々で食べている様で表現している。
ジャニー・キタガワはおべっか笑いを嫌ったという。
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パリ生まれでシャトー=ティエリに定住した漫画家でイラストレーターだったイヴ・ベケット Yves Becquet (1944-2016) 。
彼は<ラ・フォンテーヌの寓話>を題材に多くの作品を残した。その一部がマルヌ川に架かるアスピラントドルジェ橋 Pont Aspirant de Rougé (1950) で紹介されていた。
歩みが遅くとも着実に進むことが大切:との教訓寓話「ウサギとカメ」は両者が肩を組んでスタート (ゴール) する様で表現されている。スタートすることこそが肝心。油断大敵とは捉えていない。
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フランスルネサンス王:フランソワ1世がフォンテーヌブロー宮殿用 (受水盤置き) として、フィレンツェのニコロ・トリボロ Niccolò Tribolo (vers 1500-50) に作らせた「エフェソスのアルテミス Artémis à Éphèse 」、作品名:自然 La Nature (1529)。
アルテミスはギリシャ神話で狩猟・貞潔の女神、ローマ神話でディアナだが、元々はギリシャ先住民族の多産の神でエフェソスが信仰の中心地だったとされている。
ニコロ・トリボロはイタリアルネサンス後期 マニエリスム Maniérisme の彫刻家・建築家。
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ランブイエ城と庭園を飾る花々。左面が6つの島のある水域の正面を向いている。
第1回 G6 主要先進国サミットは仏・英・米・日・独・伊の6ヶ国によってここランブイエ城で開催された (1975) 。
フランソワ1世は背面のフランソワ1世塔でなくなった。
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ルイ16世が私的に取得した (1783) ランブイエ城 Château de Rambouillet 前の水面。王妃マリー・アントワネットはゴシックのこの城がお気に入りではなかったようだが。セーヌ川左支川ウール川の支川で城内を流れるゲヴィル川 La Guéville が水源。4つの大きい島と2つの小さい島の内、左からギ島 Île du Gui、フュザン島 Île des Fusains 、ポタジェ島 Île du Potager 。
彫像はエドゥアール・ド・コニー Édouard de Conny (1818-1900) の代表作<兄弟愛 La Charité fraternelle (1865)>。パリ万博 (1867) に展示された作品で、政府が買い上げてチュイルリー公園に置かれていた。
(見えないが) 奥の水際にはアンリ2世が愛妾 favorite ディアーヌ・ド・ポワチエ Diane de Poitiers (1500-66) に贈った (1531) アネ城 Château d’Anet の噴水に置かれていた<Diane d’Anet / 鹿に寄り掛かるディアーヌ Diane appuyée sur un cerf (1549)>のコピーが置かれている。
ジャン・グージョン Jean Goujon (1510-65) の作と長らくされてきた著名な作品でルーヴル美術館で見れる。
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マリー・アントワネットの義理の弟アルトワ伯 (後のシャルル10世) が建設した (1777) バガテル城 (後方) の中庭:クール・ドヌール Cour d’Honneur とハートフォード侯爵3代目から相続した (1870) ウォレス Richard Wallace (1818-90) が建設したトリアノン Le trianon 。
入口に一対の守衛室 Deux pavillons des gardes があり、その向こうに10体の立像が取り巻く円形広場 Cour circulaire がある。トリアノン前と右階段上をスフィンクスが守る。
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バガテル城 Château de Bagatelle (1777) はルイ16世の弟で後にシャルル10世となるアルトワ伯 Comte d’Artois が土地を取得 (1775) 、義理の姉マリー・アントワネットと”3ヵ月で完成できるかどうかの賭け”に勝ち63日で完工させたというエピソードを持つパーティ用の建物。シャトーは「アルトワ伯の狂気 Folie d’Artois」と呼ばれたという。
杮落しの宴はルイ16世王とマリー・アントワネット王妃を招いて催された。
ペディメントに Parva sed apta (小さいながらもうまく設計されている) と刻まれている。一対のスフィンクスが館正面を守る。フランソワ=ジョセフ・ベランジェ François-Joseph Bélanger (1744-1818) による新古典主義の建築。
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ソー公園 Parc de Sceaux に残る(旧) コルベール城 Château de Colbert (1670-83) のカスケード。カスケードの両側からも噴水が上がるようになっているがこの時は休止。8角形の池:オクトゴーヌ L’Octogone に流れ込む。上段の建物が現在のソー城 Château de Sceaux で、イル=ド=フランス博物館となっている。正門であるオナール門 Entrée d’Honneur はその右側。
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ルイ14世の宮殿ヴェルサイユの別宮でここに招待されることがステータスだったというマルニー宮殿 Château de Marly (1676) 。フランス革命により廃墟と化し礎石のみを残す宮殿跡から嘗てはカスケードだったグリーンベルトの斜面を望む。彫像が点々と見える。
カメラ後方に位置するセーヌ川から左方に至る (正面より標高の高い) マルリーの水道橋まで「マルニーの機械 Machine de Marly」を使って揚水し、当宮殿はもとよりヴェルサイユ宮殿まで (サイホンで) 噴水用の水を送っていた。変遷を経て現在は電気ポンプ揚水に代わり、水路も地下パイプとなっているが、当時の水道橋や貯水池は残されている。
揚水を成功させたリエージュ出身のレンネキン・スアレム Rennequin Sualem (1645-1708) はルイ14世により王のプレミアエンジニア Premier ingénieur du Roy の称号を与えられた (1684)。マルニーの機械は133年にわたって稼働し続けた。
カスケード跡下からマルリー宮殿跡、セーヌ川方面を望むと
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ヴォー=ル=ヴィコント城 の館から見るル・ノートル Le Nôtre 作のバロックのフランス庭園。ムランでセーヌ川に合流するアルモン川の支流 Ru d’Ancoeuil 川が庭園を横切る。
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ヴォー=ル=ヴィコント城 Château de Vaux-le-Vicomte (1661) のゲートを入って振り返ると‥その先にもう一つ屋敷に入るゲートが見える。
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余りの素晴らしさにルイ14世の不興を買い、没落の道を歩むこととなったフーケ Nicolas Fouquet (1615-80) の居城:バロック建築の傑作ヴォー=ル=ヴィコント城 Château de Vaux-le-Vicomte (1661) を濠で囲まれたシャトー前のゲートから。
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セーヌ川を下って (クロード・モネの) ジヴェルニー Giverny の手前の町:ラ・ロシュ=ギヨンのラ・ロシュ=ギヨン城 Château de La Roche-Guyon の全景。 2015.08.05.
石灰岩の山肌を切って造られたシャトーとその上にドンジョン (1190) 、そして手前にセーヌ川までのフランス式庭園 (1741、2004復元) 。庭園部分は菜園になっていて公開されている。セーヌ川に面した展望台の前に置かれている彫像はベルナール・パジェ BernardPagès (1939-) の作品:離脱 L’échappée III 。
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シュノンソー城 は<貴婦人たちの城 Château des Dames >と呼ばれるが、その一人目は城をデザインし、監督した (1513-21) キャサリン・ブリソネ Katherine Briçonnet (1494-1526) 。シャルル8世の侍従トマ・ボイエ Thomas Bohier 夫人だ。
シェール川を利用したマルクの製粉所跡にルネサンス様式の城を建設した。左の<マルクの塔 Tour des Marques >(1430頃) はドンジョンの上に鐘楼を追加する等の改造をして残した屋敷の一部。
アンリ2世の愛妾 (1538-66) ディアーヌ・ド・ポワチエ Diane de Poitiers (1500-66)、王妃カトリーヌ・ド・メディチ Catherine de Médicis (1519-89 : 在位 1547-59) 、アンリ3世王妃ルイーズ・ド・ロレーヌ=ヴォーデモン、アンリ4世の愛妾ガブリエル・デストレ、ヴァンドーム公セザール夫人のフランソワーズ・ド・ロレーヌ、啓蒙運動にサロンを提供し、フランス革命を乗り切ったルイーズ・デュパン等錚々たる貴婦人達に愛された。
シェール川に架かるディアーヌ橋 Pont de Diane を建設したのはディアーヌ・ド・ポワチエであり、橋上のギャラリー部分は王妃カトリーヌ・ド・メディチ によって増築された。
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アンリ2世の愛妾 (1538-66) で、王妃カトリーヌ・ド・メディチ Catherine de Médicis (1519-89 : 在位 1547-59) との確執で知られる、ディアーヌ・ド・ポワチエ Diane de Poitiers (1500-66) がアンリ2世から貰った (1547) シュノンソー城 Château de Chenonceau 。
モノグラムが HC なのか HD なのかで話題となるディアーヌ・ド・ポワチエだ。
そのシュノンソー城入口に置かれているスフィンクス。 2015.01.14.
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ヴェルサイユ宮殿北側の階段に置かれている<しゃがんだ ヴィーナス Vénus accroupie>。アントワーヌ・コワズヴォ Antoine Coysevox (1640-1720) の作品 (1685-86) 。
ブロンズに置き換えられる前にはルーヴル美術館 (ランス Lens 分館) にあるマーブルの原像があった (1692-1871) 。古代ギリシャの彫刻家フィディアス Phidias のサインがある (偽らしいが) 古代の彫像をコワズヴォがコピーしたものとされる。一見して、< レリーのヴィーナス Lely’s Venus (Aphrodite)>に骨格が似ている。。。
今朝早朝、Musée H.T. Lautrec のオーナーがパリに向け出発しました。ヴェルサイユ宮殿 Château de Versailles も訪れる予定のようです。
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フランス革命期、王党派鎮圧のためにナポレオン1世が敢えて処刑したと伝わるコンデ家の当主:アンギャン公 Duc d’Enghien (Louis Antoine Henri de Bourbon-Condé (1772-1804)) が生まれ住んだ アンギャン城 Château d’Enghien 。シャンティイ城のゲストルームとしてネオ・クラシック様式で建てられた (1769) もの。投獄され処刑されたのはヴァンセンヌ城。
右端がシャンティイ城への入り口、左端にシャンティイ城 Château de Chantilly 。馬列はシャンティイ競馬場 (右~右手前後方) か馬の博物館 Musée Vivant du Cheval (左手前後方) ?
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池の城 Château de L’Etang (1873) が建つこの高台には元々、南南西に下った位置にあったバニョレの領主の館 (1600頃) の水源である池があった。オルレアン公爵夫人が大規模に手を加えたバニョレ城 Château de Bagnolet / オルレアン城 (1725) の大噴水には不十分だったようだが。
オルレアン公爵夫人のフランソワーズ=マリー・ド・ブルボン Françoise-Marie de Bourbon (1677-1749) はルイ14世に唯一人認知された王女。
ヴァンセンヌから北へモントルイユを少し挟んで隣接。CDG への途中通ることもある。
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シャンティイ城 Château de Chantilly の原型を造った「アンヌ・ド・モンモランシー (1492-1567) の騎馬像 Monument à Anne de Montmorency (1886:Paul Dubois (1829-1905) )」と「コンデ家の紋章 Armes de la maison de Condé 付きゲート」とアンリ・ドルレアン (オマール公) がオノレ・ドメ Honoré Daumet (1826-1911) に命じて再建した (1875-82) シャンティイ城の東南面。
奥にはセーヌ川の支流オワーズ川の支流ノネット川 La Nonette の湿地を利用した大運河があり、右方にはル・ノートル Le Nôtre によるフランス庭園が広がる。
権威の象徴、ファスケス fasces は槍を束ねたものになっている。
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シャンティイ城を含むコンデ家の遺産を相続したルイ・フィリップの五男アンリ・ドルレアン (オマール公) (1822-97) は自らのコレクション付きの「コンデ博物館」という形でフランス学士院に遺贈した。馬の博物館 Musée Vivant du Cheval 前にシャンティイの町が建立した (1899) 彼の騎馬像がある。ジャン=レオン・ジェローム Jean-Léon Gérôme (1824-1904) の作品。
博物館になっている元大厩舎 Écuries du château de Chantilly は ジャン・オベール Jean Aubert (vers 1680-1741) による建築 (1719-35) 。ロダン美術館になっている Hôtel Biron (1732) は彼の作品。フランス革命後取り壊されたシャンティイ城のグランシャトーの建築も彼による。
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姫路城と姉妹協定を結んでいるという<シャンティイ城 Château de Chantilly>へ行ってきた。ヴァンセンヌから RER A に乗車、リヨンで RER D に乗り換えてシャンティイ・グヴュー Chantilly Gouvieux 下車、徒歩。土曜日で晴天とあって思い思いの徒歩が目立った。
ルイ・フィリップの息子 Henri d’Orléans, duc d’Aumale (1822-97) が<コンデ博物館 Musée Condé>としてフランス学士院に遺贈した。
モンモランシー家による改装 (16-17世紀) : プチシャトーとグランシャトーの雰囲気を残す西面。プチシャトーはエクーアン城 Château d’Écouen を建築したジャン・ビュラン Jean Bullant (1515-78) によるルネサンス様式の作品。
一昨年のツール・ド・フランス 2016 最終ステージはここから凱旋門に向かった。
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Château de Champs-sur-Marne の庭園側に置かれているスフィンクス。
向き合った一対の彫像で、背に矢筒を肩掛けしたエンジェル Ange を乗せている。修復前のもの (31/07/2014) で、天使の指先等が損傷している。
奥に見える彫像はアポロベルベデール Apollon du Belvédère ( du Vatican) のレプリカ、建物はオランジュリー。
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中世からの封建領主 Paul Gautier de Beauvais が建てた (1754) シャトーをジャン・シャノリエが購入した (1779) 。農場と館が一体となった荘園領主の館 : マナー Manoir の本館で、シャノリエ城 Château Chanorier とも呼ばれる。一対のライオンの彫像が正面に置かれている。現在は町が所有、バルコニーに紋章が見える。館の入り口にはライオンが向き合っている。
ジャン・シャノリエ Jean Chanorier (1746-1806) はスペイン原産の羊 : メリノをフランスに導入した農学者であり、政治家であった。セーヌ川の対岸にあるシャトー・ド・マルメゾンChâteau de Malmaison の敷地をナポレオン1世の皇妃ジョセフィーヌ Joséphine de Beauharnais (1763-1814) に斡旋した人物でもある。
RER A 線 Chatou – Croissy 下車、セーヌ右岸沿いに下る。
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モルサン (モッソン)=シュル=オルジュ Morsang-sur-Orge とサント=ジュヌヴィエーヴ=デ=ボワ Sainte-Geneviève-des-Bois の領主だった Pierre Durey d’Harnoncourt (1682-1769) が建設した屋敷 (1740-) 、モルサン城 Château de Morsang の屋敷正門から。
門を入るとすぐ階段があってシャトーの向こうを流れるセーヌ川の左支川オルジュ川 L’Orge に向かってゆるい傾斜になっている。
隣接のサヴィニー=シュル=オルジュの城 Château de Savigny-sur-Orge と見比べてみて…
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ルイ11世、シャルル8世、ルイ12世の廷臣だった Etienne de Vesc (1445頃-1501) が周辺の広大な土地を順次取得し、中世の城に代えて迎賓を兼ねる本格的なサヴィニー城 Château de Savigny を構えた。
ナポレオン配下で「不敗のダヴー」と呼ばれたルイ=ニコラ・ダヴー Louis-Nicolas d’Avout / Davout (1770-1823) が購入し (1802) 、晩年には市長 (1822-23)を務めた。夫人はナポレオン最愛の妹ポーリーヌ・ボナパルト Pauline Bonaparte の最初の夫シャルル・ルクレールの妹 Louise-Aimée-Julie Leclerc / Aimée Davout (1772-1868) で、息子の Napoléon Louis Davout も市長を務めた (1843-46) 。この頃にはほぼ現在の外観になった。1948年に国が購入し、コロー高校 Lycée Corot となる。
RER C3、C4 線の Savigny Sur Orge 駅の東側出口前すぐ。
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ドビッシー Claude Debussy (1862-1918) が洗礼を受けたサン=ジェルマン=アン=レーのサンジェルマン教会の鐘楼横の広場 Place de l’Abbé-Pierre-de-Porcaro に置かれた<クロード・ドビッシーの像 Claude Debussy>。
アメリカの彫刻家 Mico Kaufman (1924-2016) の作品 (1987) で、在米のドビッシー音楽友の会により1998年に設置された。
この手前左近くにドビッシーの生家、ドビッシー美術館 Musée Claude Debussy がある。