「トラファルガーの海戦」に勝利して / エディンバラ

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スコットランド国立博物館 National Museum of Scotland の屋上から見たカールトンヒルの頂上にある<ネルソン記念碑 The Nelson Monument (1805-16)。ここからはその右に<スコットランドの国民記念碑 National Monument of Scotland (1826-29)>が見える。
望遠鏡の形をしたネルソン記念碑はトラファルガーの海戦 (1805) でフランス・スペインの連合軍に勝利し、戦死したホレーショ・ネルソン Horatio Nelson (1758-1805) を記念して建設された。因みに、ロンドンのトラファルガー広場のネルソン記念柱 (1843) はずっと後。
丸い球は Time ball と呼ばれ、エディンバラ港に停泊中の船に午後1時の時刻を告げるために追加された (1852) 。1時前に上方に吊り上げ1時丁度に落下させることで時刻を告げる仕掛けだが、霧がかかると見えないのでエディンバラ城に One O’Clock Gun を補完した (1861) 。
ゴシックリバイバル様式の尖塔はロイヤルマイル Royal Mile に面した元教会で現イヴェント会場の The Hub 。

The Nelson Monument (1805-16) / National Monument of Scotland (1826-29) / Calton Hill / Battle of Trafalgar (1805) / The Hub / National Museum of Scotland / Edinburgh

北のアテネ エディンバラの            スコットランドの国民記念碑

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アテネのパルテノン神殿をモデルにした<スコットランドの国民記念碑 National Monument of Scotland>。右上のカールトンヒルに見える。ナポレオン戦争 (1803-15) で亡くなった兵士と船員のための慰霊碑(1826₋29)だが未完。
画面中央左には王立スコットランド・アカデミー The Royal Scottish Academy (1836) 、その右に<スコットランド国立美術館 Scottish National Gallery (1859) 、いずれも新古典主義様式のギリシャ風建築。鉄道の通る谷地を埋めた”マウンド The Mound” と呼ばれ、エディンバラの旧新市街地を結ぶ南北の主軸。エディンバラ城より。 2013.07.31.

National Monument of Scotland / The Royal Scottish Academy (1836) / Scottish National Gallery (1859) / Athens of the North / Edinburph

北のアテネ エディンバラの            ロイヤル・スコティッシュ・アカデミー

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エディンバラは 北のアテネ Athens of the North と呼ばれる。それを頷かせる建物の一つがロイヤル・スコティッシュ・アカデミー The Royal Scottish Academy (1836) 。
破風の上にヴィクトリア女王の座像 Statue of Her Imperial Majesty : Queen Victoria  とスフィンクスが付け加えられた (1844) 。
背後に見えるゴシックリバイバル様式の尖塔は元教会で現イヴェント会場の The Hub 。ロイヤルマイル Royal Mile に位置し、エディンバラのランドマークの一つ。    2013.08.01.

The Royal Scottish Academy (1836) / Statue of Her Imperial Majesty : Queen Victoria (1844) / The Hub (1845) Royal Mile / Hanover Street / Edinburgh

パリの建物 43 国民議会の北正面

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国民議会 Assemblée Nationale (Palais Bourbon) のセーヌ川に面する北正面。
ナポレオン1世がブルボン宮に、コンコルド広場を介して対峙するマドレーヌ寺院と同じ新古典主義様式の外装を追加 (1810) したもの。破風にあったナポレオンのアウステルリッツでの戦勝図は失脚に伴い除去され、ルイ18世の復古王政によって置き換えられ、さらに7月革命後に現在のレリーフに置き換えられた (1841) 。
自由・平等・友愛 1830 を刻んだ法 に左手を置き、権力と正義を従えたフランス(の寓意像)を中心に、立憲君主制を寓意した浅浮彫。向かって右に君主等、左に市民。
ジャン=ピエール・コルト Jean-Pierre Cortot (1787-1843) の作品<La France, entre la Liberté et l’Ordre public>。

Assemblée Nationale (Palais Bourbon) / La France, entre la Liberté et l’Ordre public, appelant à elle les génies du Commerce, de l’Agriculture, de la Paix, de la Guerre et de l’Éloquence ( 1841) / Jean-Pierre Cortot (1787-1843)

ヴォージュ広場の噴水

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アンリ4世が創設した (1605) パリ最古の広場 (ロワイヤル、ヴォージュ) の中心に置かれていたルイ13世の騎馬像 (ブロンズ1639) はフランス革命で溶融された。
復古王政期ブルボン朝のルイ18世が荒廃していた広場を再整備した際に、広場中心の” ルイ13世スクエアー”の四方に噴水を設置したもの (1829) 。ジャン=ピエール・コルト Jean-Pierre Cortot (1787-1843) の彫刻、Jean-François-Julien Mesnager (1783-1864) による建造。
三段の水盤、二段目からは16のライオンの口から。水はナポレオン1世がパリの水道のためマルヌ川支流のウルク川から導水した(現)サンマルタン運河から。

Fontaines de la place des Vosges / Jean-Pierre Cortot (1787-1843) / Jean-François-Julien Mesnager (1783-1864)

サレ館の紋章

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パリのピカソ美術館 / サレ館 Hôtel Salé (1659) の建設者は ピエール・オベール Pierre Aubert de Fontenay (1584-1668) 。フーケ Nicolas Fouquet の下で塩税に関わって財を成したが、フーケの失脚と共に没落した。死後この大豪邸は持ち主が次々代わり、ジュニエ侯爵 / ルイ・ルクレール Jacques-Gabriel-Louis Le Clerc (1727-1807) の妻が継承した (1771) 。
パリのピカソ美術館の正面のペディメントを飾る犬などの装飾は当初からのものだが、紋章は ルイ・ルクレール のもの。魚の歯形/鋸目の十字に4羽の鷲。

Pierre Aubert de Fontenay(1584-1668) / Jacques-Gabriel-Louis Le Clerc (1727-1807) / Hôtel Salé(1656-59) / Musée National Picasso-Paris

プチ・パレの階段とカルポーの彫像

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プチ・パレの建築家シャルル・ジロー Charles Girault (1851-1932) が自らデザインしたというアールヌーヴォー様式の階段。ジャン=バティスト・カルポー Jean-Baptiste Carpeaux (1827-75) 作の<4人の子供に囲まれたウゴリーノ Ugolin entouré de ses quatre enfants (vers 1862) >の彫像(緑青石膏)が階段下に置かれている。

Escalier Petit Palais de Paris / Charles Girault (1851-1932) / Ugolin entouré de ses quatre enfants / Jean-Baptiste Carpeaux (1827-75) / Petit Palais

パンテオン と サンテティエンヌ デュ モン教会の鐘楼

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シテ島とサン=ルイ島を結ぶサン=ルイ橋の右岸詰め上流からパンテオン Panthéon とサンテティエンヌ・デュ・モン教会 Saint-Étienne-du-Mont の 鐘楼 Clocher が見える。
バロックの建築家フランソワ・マンサール François Mansart (1598-1666) による大邸宅オテル・ド・ミラリオン Hôtel de Miramion の大屋根が手前に。

Panthéon / Clocher de Saint-Étienne-du-Mont / Hôtel de Miramion / Pont Saint-Louis

ポン・ヌフ と セーヌ川 / アンリ4世

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アミラル・ド・コリニー通りとルーヴル通りの交差点付近からのセーヌ川 La Seine 。現存するパリ最古の橋:ポン・ヌフ Pont Neuf (1607) のシテ島部分、ポン・ヌフ広場に置かれたアンリ4世騎馬像、右にパンテオン、左にサント・シャペルの尖塔とノートルダム寺院の尖塔 (2019消失) 、左端にコンシェルジュリーの塔 (Tour Bonbec,Tour César et Tour d’argent) 。
アンリ4世 Henri IV (1553-1610) が向いているのは王太子/ドフィーヌ(後のルイ13世) のために建設したドフィーヌ広場。それを囲む建物の内で西端に見えるアンリ4世様式 (ルイ13世様式) の低層2棟だけが現存する。
右端はシテ島の下流端にあるヴェール・ギャラン(アンリ4世) Vert Galant 公園。
クルーズ船 Vedettes du Pont-NeufLes と上流側に船上イヴェント会場 Jardins du Pont Neuf が着岸している。                    2018.08.10.

Pont Neuf (1607) / La Seine / Statue équestre d’Henri IV / Place Dauphine / Square du Vert Galant

ゴーギャンによる「杖を持つ老人」

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Vieil homme au bâton (1888) / Paul Gauguin (1848-1903) / Petit Palais

ゴーギャン Paul Gauguin (1848-1903) がゴッホと共同生活をしたアルルで描いたものとみられている<杖を持つ老人 Vieil homme au bâton (1888)>。彼が使用していた油壷や筆洗等が合わせて展示されていた。
ガラスケースの反射で見難いが、頭部と杖を持つ手以外の油彩が薄く未完作とされる。
年末までの2か月余りゴッホの招きを受けてポン=タヴァン Pont-Aven を離れてアルルに滞在した。
プチ・パレ美術館所蔵。 2018.07.19.

ワシの頭をしたプロテクティブスピリット      アプカル に囲まれた アッシュールナツィルパル2世王

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アッシリア王国 (BC 2500-605) の王”アッシュールナツィルパル2世 Ashurnasirpal II (在位:BC 883-859 ) がワシの頭をしたプロテクティブスピリット:アプカルに囲まれた石膏の壁パネルのレリーフ (BC865-BC860) ”。円錐形のトップのあるロイヤルハットを被り5神のネックレスを付けている。
イーグルヘッドで有翼のアプカル Apkallu (Nimrud Apkallu) はアッシリアのバケツ banduddu とコーン/円錐 mullilu を持っている。宗教的儀式において、アプカルはバケツに液体を満たしてコーンをその中に浸し、アッシリアの王とその廷臣達に振りかけ浄化する。円錐体は左端に見える聖なる木:ナツメヤシの受粉のための雄花か・・。
両手首に見える16花弁のロゼットは幸運と保護の象徴。16弁菊花紋との類似性がなにかと。

Ashurnasirpal II (在位:BC 883-859 ) / Apkallu (Nimrud) / British Museum

無原罪の聖母マリア / サン=シュルピス教会

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聖母の足が蛇を踏みつけることによって、エデンの園で蛇に唆された”エヴァの罪”から人間を解き放つ存在であることを示す。
サン=シュルピス教会の聖母礼拝堂のニッチに置かれたジャン=バティスト・ピガール  Jean-Baptiste Pigalle (1714-85) 作の大理石像<聖母子 Vierge à l’Enfant (1774)>
その上に、アヴェ・マリアのモノグラム AM と「無原罪の 聖母マリア / ノートルダム B・M・V・IMMACULATAE 」。
B・M・V : Beatae Mariae Virginis = Notre-Dame / 我らの貴婦人 / 我らの聖母マリア。

アンリ・ルソーによる ”人形を抱いた少女”

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L’Enfant à la poupée (1892) / Henri Rousseau (1844-1910) / Musée de l’Orangerie

芝生に座っているような、そうでないような。しかも両足は野原に埋まっている。何とも奇妙で忘れられないアンリ・ルソー Henri Rousseau (1844-1910) の作品<人形を抱いた少女 L’Enfant à la poupée (1892)>。
少女らしくない少女の上半身は前向き、下半身は横向きのエジプトスタイル。細い右手に段ボール人形、左手に雛菊。
生粋のプリミティズム Primitivisme アートで素朴派 Art naïf の代表とされるルソーだが、初期イタリアルネサンスの画家パオロ・ウッチェロ Paolo Uccello (1397-1475) の影響を受けているとみられている。
オランジュリー美術館所蔵。

世界最古のペット墓地 /  シアン墓地 Cimetière des Chiens                                

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世界最古の動物霊園:シアン (犬) 墓地 Cimetière des Chiens 。ペットを含む家畜を家庭ゴミとして捨てることを禁止する法制定に伴い建設された (1899) 。正面入り口の建築はウジェーヌ・プチ Eugène Petit によるアール・ヌーヴォー Art nouveau 様式。
バリー Barry (1800-1814) の記念碑 Monument funéraire de Barry le sauveteur >が入口を入って正面に置かれている。

Cimetière des Chiens / Art nouveau / Asnières-sur-Seine

<山岳救助犬バリー Barry (1800-1814) の記念碑

Monument funéraire de Barry le sauveteur / Cimetière des Chiens / Asnières-sur-Seine

ライオンが向き合う シャノリエ城 Château Chanorier

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クロアジー=シュル=セーヌ Croissy-sur-Seine のシャノリエ城 Château Chanorier 館入口前で向き合うライオン。スフィンクスの例が多い中珍しい。

Une paire de lions / Château Chanorier / Croissy-sur-Seine

 

パリの街燈 réverbère 58             ゴブラン公園 (ルネ・ル・ガル公園) / ビエーヴル川

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ゴブラン織りを育んだビエーヴル川 La Bièvreを暗渠とし、その周辺を公園としたもの (1938) 。新古典主義の建築家ジャン=シャルル・モリュー Jean-Charles Moreux (1889-1956) が設計した。街燈の下に見られる大きな球石がオブジェとして多数置かれているのが印象に残った。

Jardin des Gobelins / Square René-Le Gall / Jean-Charles Moreux (1889-1956) / La Bièvre

今は見れない 「パリのノートルダム大聖堂の尖塔」

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2019年4月の火災で焼失し、今は見れない 「パリのノートルダム大聖堂の尖塔 Flèche de Notre-Dame de Paris」。ヴィオレ・ル・デュク Eugène Viollet-le-Duc (1814-79) によって建造された (1859) 二代目だった。翼廊と身廊の交差部にあり、足元四方に十二使徒の像がある。先頭の最上部には雄鶏 Le coq がいる。十二使徒の像は火災直前に修復のため取り外されていた。雄鶏は瓦礫の中から発見された。オテル・ド・ヴィル広場から。2017.07.31.

Flèche de Notre-Dame de Paris / Eugène Viollet-le-Duc (1814-79) / Notre-Dame de Paris / Place de l’Hôtel de ville

花々に飾られた 2017 夏のチュイルリー公園

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レヴェック Edmond Louis Auguste Levêque (1814 – 1875) の作品<ディアーヌ Diane (1866)>。弓は持っていないが矢筒を肩にかけ犬を連れている。
3年前の7月・・この年のチュイルリー公園は夏花で満ちていた。今はどうだろう?
ドゥノン翼のモリエン館  Pavillon Mollien とドゥノン館 Pavillon Denon が重なって見え、右側の二つの鐘楼の間はセーヌ河畔に出るレディギエールの潜り門 Guichets Lesdiguières  /ナポレオン3世の門になっている。

Diane (1866) / Edmond Louis Auguste Levêque (1814 – 1875) / Jardin des Thuileries / Guichets Lesdiguières

エッフェル塔百態 164 ルーヴル・ピラミッド

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シュリー翼からほぼ真西に(ルーヴル美術館への入り口になっている)ルーヴル・ピラミッド Pyramide du Louvre を見下したところ。
左にドゥノン翼のモリエン館 Pavillon Mollien 、エッフェル塔の右にフロール館 Pavillon de Flore 。チュイルリー公園の右手前にカルーゼル凱旋門。
小高い丘は要塞のあるシュレーヌ Suresnes のモン・ヴァレリアン Mont Valérien 。

エッフェル塔百態 163 オテル・ド・カンバセレス

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ネオ・ルイ13世様式 Style néo-Louis XIII と思われるオテル・ド・カンバセレス Hôtel de Cambacérès の後ろに見えるエッフェル塔。
第一次大戦時に、オーストリアの連合国との単独講和交渉の中心人物として知られる(最後のパルマ公ロベルト1世の長男)シクスト Sixte de Bourbon-Parme が、開戦前に住んでいたようだ。
カンバセレス  Cambacérès といえば、ナポレオンによる第一帝政でパルマ公 Duc de Parme に叙された (1808-14) Jean-Jacques-Régis de Cambacérès (1753-1824) が思い浮かぶ。彼は第二統領の時期 (1799₋1804) にナポレオン法典を起草した。

Tour de Eiffel / Hôtel de Cambacérès / Avenue d’Iéna

ソルフェリノ港からルーブル美術館を・・

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コンコルド橋の上流左岸、ソルフェリノ港 Port de Solférino からルーブル宮を見たところ。
港には、バトー・コンコルド・アトランティック Bateau Concorde Atlantique (イヴェント、パーティ会場等) とパリ・キャナル Paris Canal の LaGuêpeBuissonnière (サンマルタン運河クルーズ等の起点) が係船している。                      2017.08.08.
建物はルーブル宮、左側国旗が揚がっているのがシュリー館 Pavillon Sully :反対側からは時計館 Pavillon de l’Horloge 、右側はフロール館 Pavillon de Flore からドゥノン翼。
チュイルリー公園とオルセー美術館を結ぶ人道橋レオポール・セダール・サンゴール橋 Passerelle Léopold-Sédar-Senghor (1999) がセーヌ川 La Seine を跨ぐ。セネガルの大統領の名。

Port de Solférino / Pavillon Sully du Louvre (Pavillon de l’Horloge) / Passerelle Léopold-Sédar-Senghor / La Seine

 

エッフェル塔百態 162         ブルドネ港とエスプラナード・ダヴィド・ベン=グリオン

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セーヌ川 La Seine にパリ万博 2000 の会場連絡路として架けられた人道橋ドゥビリ橋の下流左岸のブルドネ港 Port de la Bourdonnais と背後に初代イスラエル首相 の名を冠した(2010) Esplanade David Ben Gourion (1886-1973) 。                                                                     2017.08.11.
ブルドネ港は”バトー・パリジャン Bateaux Parisiens ”の乗船基地(エッフェル塔とノートルダム)の一つで、着岸しているのが見える。緑地帯ダヴィド・ベン=グリオンの遊歩道の向こうにはケ・ブランリ美術館 Musée du quai Branly がある。

Tour Eiffel / Port de la Bourdonnais / Esplanade David Ben Gourion / Passerelle Debilly / La Seine

モンマルトルのプチ・トラン / Muson River 1894

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ブランシュ広場とテルトル広場 (サクレクール) を巡回しているプチ・トラン Petit Train de Montmartre 。モン=スニ通り Rue du Mont-Cenis からノルヴァン通り Rue Norvins に跨って下りの乗車を待っているところ。緑がテルトル広場 。
プチトランはイタリアが本社の Dotto Trains (1962) 社製<Muson River 1894 >。ムソン川は同社近くの小河川らしい。

Petit Train de Montmartre / Dotto Trains / Muson River 1894 / Place du Tertre – Norvins / Montmartre

サン=ベルナール城で描いた「ラ・メゾン・ベルノ」 モーリス・ユトリロ

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モーリス・ユトリロ Maurice Utrillo (1883-1955) がモンマルトルの古くからの急勾配の道モン=スニ通り Rue du Mont-Cenis の往来を描いた<ラ・メゾン・ベルノ La Maison Bernot (1924)>。ノルヴァン通りとの交差点付近からの風景(1912~14頃)かと‥右端にサクレクールの鐘楼。
この年の絵には人物が珍しく多い。女性の臀部も気になる。イーゼルを立てた男性はユトリロ自身かも。オランジュリー美術館所蔵。
母親のシュザンヌ・ヴァラドン Suzanne Valadon (1865-1938) と継父がユトリロのアルコール依存症対策のために購入した (1923) リヨン手前のサン=ベルナールの Château de Saint-Bernard (ユトリロの城) で、絵葉書と記憶を基に描いたとされている。

La Maison Bernot (1924) / Maurice Utrillo (1883-1955) / En Château de Saint-Bernard / Rue du Mont Cenis : Montmartre / Musée de l’Orangerie

エッフェル塔百態 161 アレクサンドル3世橋    フランソワ1世とルイ14世

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セーヌ川 La Seine に架かるアレクサンドル3世橋 (1900) の橋塔/ピロネ pylônes の上流側(左)にフランソワ1世、下流側にルイ14世の座像が見えている。           2017.08.06.

Tour Eiffel / Pont Alexandre III / La France de la Renaissance : François Ier / Louis XIV

* <「縄幸」の焼きあなご>を例年通り送っていただきました。
* <岸和田の水茄子>を例年通り送っていただきました。

アーミンのマフラーを首に巻いた匍匐するアーミン

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「アーミンのマフラーを首に巻いた匍匐するアーミン」と「アーミンの毛皮模様」。
終着駅サンマロの一つ手前の駅 ラ・グエニエール|カンカル|サン=メロワール=デ=ゾン La Gouesnière – Cancale – St Méloir des Ondes の駅舎の壁面。
サンマロの紋章において落とし格子の刃先に載っているアーミン Hermine だ。

Hermine passante, écharpée d’hermine / Gare de la Gouesnière – Cancale – St Méloir des Ondes

アーミン Hermine / アニマ Anima の ぬいぐるみ

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Hermine / Anima, la griffe tendresse / Hipsheim

昨年の夏、ブルターニュのレンヌからサン=マロへ 2泊3日の旅行した時のお土産です。
アーミン Hermine / オコジョ (シロテン) は冬には全身真っ白になります。尻尾の先だけが黒いままです。
アーミンの毛皮模様のスカーフを巻いています。
アーミンの毛皮ローブは権力の象徴でした。

アニマ Anima はストラスブールの南近郊のコミューン:ヒップスハイム Hipsheim に本社のあるおもちゃ屋さんのようです。

アーク・カラヤン広場 / 赤坂アークヒルズ

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ANAインターコンチネンタルホテル東京を含む民間都市再開発事業 (5.6ha) の先駆けアークヒルズ (1986) 内にある噴水広場。このすぐ右がサントリーホール (1986) 入口。
指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤン Herbert von Karajan (1908-89) 生誕90周年を記念して”アーク・カラヤン広場”と命名された (1998) 。彼はホールの音響設計に携わった。

アーク・カラヤン広場 / 赤坂アークヒルズ / 赤坂1丁目

* フランス、7月4日以降、日本からの入国制限を解除。コロナ以前の状況へ。
* イングランド、7月10日以降、14日間の自己隔離不要に。

「辻利」の抹茶アフタヌーンティー

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抹茶アフタヌーンティー / アトリウムラウンジ:ANAインターコンチネンタルホテル東京: / 赤坂1丁目

赤坂にある “ANAインターコンチネンタルホテル東京” のアトリウムラウンジで、7月から宇治が本店の宇治茶の「辻利」(1860) の抹茶を使用した”抹茶アフタヌーンティー”が始まったと聞いて予約して出かけました (7月2日) 。
コロナの影響でゆったりとしたスペースで軽食とティーを味わうことができました。
最上段を上からみたところ。
萬延元年創業以来160周年になるそうです。

今日出発予定だったパリ行きは遅らせました。

 

シュザンヌ・ヴァラドンの肖像 / 二日酔い

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二日酔い Gueule de bois (1987-88頃)>として有名なトゥールーズ=ロートレックの作品。<シュザンヌ・ヴァラドン Suzanne Valadon (1865-1938) の肖像>とも呼ばれる。アルビのトゥールーズ=ロートレック美術館所蔵。
彼女は曲芸師の経歴を持ち、ロートレックお気に入りのモデルでロートレックが最初に才能を認めた独学の画家だった。また、モンマルトルの画家 モーリス・ユトリロ Maurice Utrillo (1883-1955) の母としても知られる。
この鉛筆画のスケッチに基づく同名の油絵 (1888頃) はハーバード大学美術館 Fogg Art Museum が所有している。

二日酔い Gueule de bois (1987-88頃) / Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Musée Toulouse-Lautrec d’Albi

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シュザンヌ・ヴァラドンを描いたルノワール Pierre-Augustê Renoir (1841-1919) の<ブージヴァルのダンス Bal à Bougival (1882-83)>と<都会のダンス Danse à la campagne (1883)>。

シルク・フェルナンドの曲芸師 マドモアゼル・ララ

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Mademoiselle La La au cirque Fernando (1879) / Edgar Degas (1834-1917) / National Gallery – London

モンマルトルのピガール広場の東側近くにあったシルク・フェルナンド/フェルナンドサーカス cirque Fernando (1873-97) の花形曲芸師であったララ嬢が釣具を口にくわえて引き上げられる様をドガ Edgar Degas (1834-1917) が描いた。
<シルク・フェルナンドでのララ嬢 Mademoiselle La La au cirque Fernando (1879)>。
昨夏オルセー美術館で開かれた<黒人モデル / ジェリコーからマティスまで Le Modèle Noir de Géricault à Matisse> 展で観て 1ヶ月後、ホームの<ロンドンのナショナルギャラリー>で再会した。ララ嬢は白人と黒人の混血児。